アスペクト

今日もごちそうさまでした

角田光代
お肉は好きですか? お魚は好きですか? ピーマンは? にんじんは? 美味しいものが好き、食べることが好き、何よりお料理が好きな角田さんの食にまつわるエッセイがスタートです。

001 茄子にん

 けっこうな大人になるまで偏食で、野菜が全般的に苦手だった私だが、茄子は子どものころから好きだった。おそらく、茄子は油と肉とセットになった調理法が多いからではないか。私の母親が茄子を用いてもっともよく作ったのが、茄子の挽肉はさみ揚げ。真ん中に切り目を入れた茄子に、挽肉と炒め玉葱を混ぜたものを挟んで、パン粉をつけて揚げたもの。肉が好き、油が好き、という私にとって、これはたいへんに魅惑的なおかずであった。

 茄子は調理されるとき、揚げられることがたいへんに多い。麻婆茄子も茄子と肉の味噌炒めもがんもなどとの炊き合わせも、揚げた茄子を使う。茄子を揚げずに使う調理法もあるが、揚げたほうがおいしい。これはひとえに茄子と油の相性の故だろう。茄子は黒っぽい紫で、それだけごろんと置いてあるといかにも地味だが、揚げることによってつやつやとなまめかしい光沢を放つ。そして野菜としてはあり得ないほどに、とろーん、となる。食べる私も、とろーん、となる。

 焼き茄子も田楽も煮物も好きだが、やっぱり「揚げ」が調理に加わっている茄子料理が、私はたいへんに好きだ。とはいえ、自分で料理をする際、茄子だけのために揚げ用鍋を出したり、多用した油の処理をしたりするのは面倒くさい。油好きだが面倒くさがりな私は、フライパンに多めの油を引いて、蓋をすることで揚げの代用としてしまう。

 この夏、私は茄子バブルだった。知り合いの女性が、自分の家で作ったという茄子を、まるで定期便のようにお裾分けしてくれたのだ。これが本当においしい。彼女にもらった茄子が切れると、なんとなく八百屋でまた茄子を買い、そうするとまた彼女が茄子をくれるという、まさに茄子バブル。私は夏じゅう、せっせと茄子を調理し続けた。

 茄子と挽肉のドライカレーは、茄子は揚げなくともとろーんとなってくれる。茄子入り餃子もとろーんであった。これは両方とも、茄子をがんがんにみじん切りし、塩をふってしばらく置いて、絞る。けっこうな量の茄子が消費される。茄子入り餃子を作るときは、挽肉を買うよりもバラ肉を買って粗めのミンチにしたほうがおいしかった。

 それから茄子の揚げ浸しを応用した、茄子の南蛮ふうサラダもおいしかった。だし汁と醤油とみりん、多めの酢と鷹の爪でたれを作り、葱、茗荷、キュウリなんかを細切りにして入れる。そこにフライパンで炒めた茄子やししとうやピーマンを漬ける。味がなじんだころに食べてもおいしいし、冷やして食べてもおいしかった。

 茄子とチーズの相性も異様だ。茄子とトマトとか、茄子とズッキーニとベーコンとか、茄子と挽肉とか、炒め焼きしたものを並べてチーズをのせて焼くだけで、もうなんでも勝手においしくなる。

 そうなのだ、茄子と相性がいいものは、ことごとく私の好物。豚肉然り、チーズ然り、油然り。茄子を使った料理は、私の愛する豚肉やチーズや油と、あたかも私自身が相思相愛になったかのような錯覚を抱かせてくれるのである。

 こんなに食べてもまだ茄子はある。そして私は、そういや、茄子の味噌汁ってものがあるよな、と思い至った。私の育った家では、茄子は味噌汁の実としては使われなかった。だからなじみがない。今まで作ったこともない。でも、作ってみた。そしてぎょっとした。

 だし汁に茄子を入れたら、緑とも紫ともつかぬ、不気味な色になったのである。ちょっとショックを受けるほどの不気味さである。絵の具のついた筆を浸した筆洗器のような、とても食べものとは思いたくない色。味噌をとくと薄まるが、それでもなんかへんな色。こ、これはいったい、と怖じ気づき、友人に会ったときに「茄子の味噌汁がへんな色になる……」と暗い顔でうち明けたところ、友人は、何を今さらそんなことをぬかしておる、とでも言うような余裕の表情で、「それは茄子に含まれる成分が溶けだしているんだよ。防ぐにはみょうばんを使うか、いったん茄子を炒めて取りだして、あとから入れるとよい」とまで、教えてくれた。みょうばんって何、と思ったが、さらに余裕の表情を見るのもしゃくなので、訊かなかった。炒め方式にした。

 ごま油でさっと炒めて、その鍋で味噌汁を作り、あとから茄子を入れる。おお、本当にへんな色にならない。しかも、ごま油の香りがなんとも魅惑的ではないか。茗荷を入れてもいいな、ごまをふってもいいな、黒胡椒でもいいな、と思いながらも、そのどれも切れていたので、ただの茄子の味噌汁のまま、食べた。うまかった。

 ところで、のちに調べたところによると、「溶け出す成分」は、ナスニンというらしい。茄子のナスニン。なんて愛らしいんだろう。ますます茄子が好きになる。

001 秋刀魚ってえらい

 三十歳を過ぎるまで、自分の意志で秋刀魚を食べようと思ったことがただの一度もなかった。そもそも偏食だった私は、肉が好きで魚が嫌い、とくに骨のある魚と青魚が苦手だった。多くの人にこっぴどく非難されるのを承知で書くけれど、子どもの時分、夕飯のおかずが秋刀魚だと私は手をつけなかった。隣の席の母親が、「あーもーしょうがないわねー」という感じで、ささっと身をほぐし、骨をとりのぞいてくれる。そうしてかろうじて、食べるのであった。まったくいやな子どもですね。

 二十歳でひとり暮らしをはじめたのだが、料理なんてまったくしなかった。ときどき友だちがきて、カレーやお好み焼きといったかんたんなものを作ってくれた。二十六歳で料理を覚えたが、作るのは豚カツやシチュウや、ミートローフなどで、青魚をみずから買ったことはただの一度もなかった。

 その私が、あるとき秋刀魚に目覚めた。真の意味で秋刀魚と出会ってしまったのである。

 この数年前から、親しくしている編集者・作家と私は「地域の会」を作り、何カ月かに一度、みんなで集まっては酒を飲んでいた。この会のひとりが、結婚するにあたって一軒家を購入したので、彼の結婚生活がはじまるより先に、「地域の会」で新居に遊びにいった。

 このとき、会のべつのひとりが手みやげとして「秋刀魚の一夜干し」なるものを持ってきていた。三陸からの取り寄せ品らしかった。

 私たちは図々しくも彼の新居で麻雀をはじめていたのだが、深夜、この秋刀魚の一夜干しをグリルで焼いて、酒のつまみに食べた。ぎえ! と思わず叫んだ。あまりにもおいしかったのである。ぎゅっとしまった身、充分にのった脂、ほのかな塩気、皮のぱりぱり。何これー、何これーと、私は阿呆のように叫びながら、まるまる一本食べてしまった。しかも、頭まで。この一夜干しの頭、かりかりしてて本当においしかったのだ。

 私は今まで、骨とか、頭とか、そういう舌に違和感が残るものを口に入れるのが、本当にいやだった。避けて避けて生きてきた。が、この一夜干しは、骨だって頭だっておいしいから食べちゃうのである。これは本当に、あの、私が手をつけずに生きてきた、母親に身をほぐさせてちょろっと食べてすませていた、秋刀魚でござろうか。一夜干しだからこんなにおいしいのだろうか。ほとんどパニック状態のまま、私は一匹まるごと平らげた。そのときの麻雀で勝ったのか負けたのかは覚えていないが、あの秋刀魚のおいしさは未だに覚えている。

 これを手みやげに持ってきた彼に、彼が取り寄せた店の連絡先を聞き、翌日私は早速秋刀魚の一夜干しを取り寄せた。自宅に届いた秋刀魚の一夜干しも、あのときとおんなじくらいおいしかった。私は毎年毎年、秋になると秋刀魚の一夜干しを取り寄せ続けた。そして友だちが遊びにくるごとに、この秋刀魚の一夜干しをかりかりに焼いて食べさせた。

 あるとき、数年続けて私の家で秋刀魚の一夜干しを食べていた友だちが、不思議そうに言った。「ねえ、なんで毎年一夜干しばっかり食べてるの? ふつうの秋刀魚は食べないの?」

 そういえば、一夜干しになっていない秋刀魚というものもあるんじゃん、と、このとき私はあらためて思い出した。ずっと苦手だった青魚、もう食べられるようになっているかも。

 そしてついに、ああ、人生で生まれてはじめて、私は魚屋に赴き秋刀魚を買うのである。焼いて食べて、「げっ、うまいでやんの」とびっくりした。一夜干しもうまいが、旬の秋刀魚だってちゃんとうまい。くちばしがどうの、目の色がどうのと、いい秋刀魚を選ぶ方法がよく取り沙汰されるが、どんな秋刀魚でも、焼く二十分前に塩をふって身をひきしめてやれば、ちゃーんとおいしくなると私は思っている。

 以来、魚屋に秋刀魚が並ぶ初秋、私はみずからの意志で秋刀魚を買い求めるようになった。最初は内臓を引きずり出して食べていたが、だんだん、内臓のあのほろ苦さをおいしいと思えるようになった。今ではそのまま焼いている。内臓のなかに、三角形の焦げ茶色の部分があるのだが、これがめっぽう好きになった。これを食べるたび、うーん私、大人になったなあ、と思う。

 ところで秋刀魚には、鱗がない。魚屋さんで鱗とおなかをとって……とお願いする必要もなく、ただ買ってきて、焼けばいい。秋刀魚の鱗ははがれやすいため、網にかかったときにさーっと剥がれてしまうのだそうだ。つまり、秋刀魚は、捕獲されたとき、私たちに食べやすいようにみずから下準備してくれているというわけ。なんとえらい魚なのだろう。ときどき、剥がれた鱗が内臓に入っていて、これが口に入ったときはさすがに「う」となるのだが。

 今年で秋刀魚歴十年ほど。まだまだ短いです。せっせと食べねば。

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著者プロフィール

角田光代 かくたみつよ

1967年神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。
90年「幸福な遊戯」で「海燕」新人文学賞を受賞しデビュー。96年『まどろむ夏のUFO』で野間文芸新人賞、98年『ぼくはきみのおにいさん』で坪田譲治文学賞などいくつもの賞を受賞。03年『空中庭園』で婦人公論文芸賞、04年『対岸の彼女』で直木賞受賞など。