アスペクト

今日もごちそうさまでした

角田光代
お肉は好きですか? お魚は好きですか? ピーマンは? にんじんは? 美味しいものが好き、食べることが好き、何よりお料理が好きな角田さんの食にまつわるエッセイがスタートです。

033 蓮根哲学

 れんこんに、そもそも疑問を持ったことがない。野菜嫌いだった私だが、なぜかれんこんはごくふつうに食べていた。料理を覚えたときも、料理本を見なくても作ることのできた数品のなかに、れんこんのきんぴらは入っていた。ごぼうのきんぴらより、こちらのほうが私は好きである。

 はじめてれんこんに対し疑問を持ったのは、飲み屋で、辛子れんこんを見たときのことだ。

 だれかが頼んで、それが運ばれてきた。れんこんの穴の部分が、黄色い。しかも、周囲も縁取るように黄色い。私ははじめて見る奇妙な姿のれんこんから目を離すことができなかった。

 勧められておそるおそる口にし、辛子がさほど辛くないことにまだ驚き、そうして不思議に思った。

 いったいだれがれんこんに辛子を詰めこもうなどと思ったのか。いや、真の疑問はそんなことではない、なぜれんこんには、辛子を詰めこみたくなるような穴が開いているのか。

 その穴が埋められていてはじめて、穴の存在に気づいたのである。空(から)であれば気づかないままなのに、空が埋まって空に気づく。なんか哲学的。

 れんこんの穴には、調べてみればいろんなものが詰められているようである。明太子とか肉とか。そんなにいろいろ詰められて、何思う、れんこんよ。

 冬になると、知人が土付きれんこんを送ってくれる。この土つきれんこん、じゃが芋のように日持ちするかというとそうでもないので、わりあい急いで食べきるようにしている。以前まで、れんこんといえばきんぴらか煮物、味噌汁、豚汁、サラダやチップスくらいにしか使っていなかったが、昨今、「する」ことも覚えた。

 そしてまたあらたな疑問が生じた。

 れんこんは、片栗粉などのつなぎを入れなくても、団子状にまるまってくれる。そしてそのまま食べるとしゃくしゃくするのに、するとなぜかもっちりする。れんこん、形状が奇妙なばかりでなく、切るとかするとかいった行程で、こんなにも変化を遂げるのだ。身の処し方でありようが変わる。これまた、何か身をもって私たちに暗示してくれているのではなかろうか。哲学的に。

 すったれんこんに、鶏挽肉や椎茸を混ぜこんで丸くして蒸すと、きれいな丸が崩れないまま、れんこんまんじゅうになる。蒸さずに揚げてもいい。そこに生姜味のくずあんをかけると、なんだかたいそう立派な料理に見える。

 海老蒸し餃子にれんこんを入れても、ぷりぷり感にむちむち感がプラスされておいしかった。

 ハンバーグ種に、すったものと刻んだものと両方入れると、さくさくもっちりして、これもおいしい。

 おいしいのだが、でもやっぱり疑問が消えない。何も穴なんかなくたっていいじゃないか。すったらもっちりしなくても、いいじゃないか。私たちに、その存在をかけていったい何を教えようとしてくれているのだ、れんこんよ。

 友人宅に遊びにいったとき、れんこんをただ焼いて塩したものが登場した。厚めに切ったれんこんで、揚げ焼きした感じの焦げかたである。なんにも思わずこれを口に入れて、のけぞった。うまかったのだ。つい、言っていた。「れんこんなのに、うまい!」

 いや、れんこんがおいしいことは知っているけれど、焼いただけで感激するほどうまくなるほどのものでもない、と、私はどこか見下していたのである。でも、おいしかった。この厚め揚げ焼きれんこんは、しゃくしゃくともっちりの両方が、あった。

 私も早速、帰って真似した。少し厚めにれんこんを切り、両面に軽く片栗粉をまぶして、オリーブオイルでじりじり、じりじり、じりじりと、ゆーっくり焼いていく。両面焼いて、れんこんが透き通り、両面に焦げ目がついたら取りだし、うまい塩をかける。うまい塩でないといけない。今のところ、この食べかたが私はいちばん好きである。かんたんで、はっと目を見開いてしまうほど、うまい。

 れんこんの菓子をいただいたことがある。笹の葉に包まれた和菓子である。れんこんが、菓子になっている。しかも、甘い菓子。

 この和菓子はれんこんでできている、おかずでできている、煮たり焼いたりすったりして一般的にはショッパ味で食べるものでできている。そのことに自分でも不思議なくらい動揺して、私はそのいただきものをきちんと味わうことができなかった。だからどんな味だったか、ここに記すことができない。もっちりしていたようなかすかな記憶だけがある。

 でも、菓子にならなくてもいいじゃないか、れんこんよ、と思う。そんなことをしていると、その穴にあんこを詰められて、「あんこれんこん」だの、カスタードクリームを詰められて「れんこんタルト」だのにされてしまうぞ。と、余計な心配をしてしまいたくなるれんこんなのだった。

034 白子初心者

 脳みそみたいだから食べたくないとずっと思っていたものが二つあり、ひとつはカリフラワーでひとつが白子である。カリフラワーは今でも好んで食しはしないが(でもポタージュはうまい)、白子はもうずいぶん前から「脳みそみたいだけど、好きだ」に変換している。

 好きだけれど、しかし、私にとって白子は外食先で食べるものだ。幼少期から白子慣れしている人は、まったく躊躇なく魚屋で白子を買い、まったく気負いなく鍋に入れたり味噌汁に入れたり、する。大人になって白子と出合ったにわか白子好きは、そうはできない。

 まず買うのに戸惑う。だって魚屋で売られている白子って、もうなんていうかあまりにも脳みそみたいで、買うのにどきどきするじゃないか。グラム売りしているところでは何グラム買えばいいのかわからないし、ひと船で売っているところは、そのひと船が多すぎるように見受けられる。

 さらに、いったいどんな料理に使おう。鍋、しか思いつかない。外食した、心身とろけるような絶品料理を思い出しても、それが自分にうまくできるのかどうか、自信がない。そもそも白子ってどう料理するの?

 たしかいちばん最初に食べたのは、居酒屋でよくある、白子ポン酢だと思う。白子ポン酢はふつうにおいしい。ごくふつうにおいしいものあれば、何か皮がぷりっぷりでつるっつるで、ものすごく高級料理化されておいしいものもある。あの調理過程はどう違うんだろう?

 それから、鍋。鍋の白子も、ごくふつうにおいしい。

 何これーっ、うまーっ、と思わず叫んだのは、鮨屋で食べた、軽く塩をふったあぶり白子。これはうまかった。焦げ目のところが香ばしくて、皮からぷりふにょーっとした中身が出る。塩が甘みを引き立てる。

 それから涙ぐむほど感動した白子料理に、雑炊二種がある。

 近所の、魚料理を出す居酒屋の白子雑炊は、雑炊に焼いた白子がのっている。白子を崩しながら食べるのだが、これがまた、さっぱりこっくりして、匙が止まらない。

 もうひとつ、神楽坂にある有名店で食べた白子雑炊は、リゾット風に仕上げてあった。白子を裏ごしし、雑炊に混ぜこんでいる。これがねっとりとクリーミーで「一生主食をこれにしたい」と思うほどの、すばらしさ。少し前にいったらもうメニュウからなくなっていた。残念。

 和食ばかりでなく、洋食にも登場する。

 イタリア料理店の前菜に「白子のムニエル」があったので、頼んでみた。これもまた、無言で脚を踏みならすほど、おいしかった。表面がかりーっとしていて、口に入れるとふわーむにゅーとする。なんですかこれは。白子ってなんですか。精巣です。そうだった、精巣なんだった。でもかまわない、精巣だろうが睾丸だろうが脳みそみたいだろうが。だってこんなにおいしいんだから。美肌にも、老化防止にもいいそうだから。

 先だって、勇気を出して白子をついに買った。

 水洗いしている段階で、ちょっとくじけそうになった。だって何かの筋でつながっているのだ。この筋、鶏のささみについているような筋かと思い、取り除こうとすると、身が割れそうで心許ない。でもなんとか筋をとり、洗い、水気を拭き取ると、やっぱりなんか異様に多い。いや、これが鶏肉なら、豚肉なら、あるいはカレイなら、鰤なら、ぜんぜん多くはないのだが、白子っていっぺんにそうそうたくさんは食べられないものだ。まずはムニエルの再現だと思って買ったのだが、このぶんだと、ムニエル五人ぶんはゆうにできてしまう。

 ひとりぶんに取り分け、塩胡椒し、小麦粉をはたき、多めのオリーブオイルで焼いた。バルサミコ酢と醤油でソースを作る。

 このムニエルがなんとまあ、うまいことである。今まで脳みそみたいと連呼して買わずにいたなんて、馬鹿だった。後悔するくらい、おいしい。ソースをつけてもおいしいが、つけずにかりかり感を重視しても、おいしい。

 翌日は、残った白子で白白鍋にした。小鍋に豆腐、葱、白菜、油揚げ、白子を入れて、だしと豆乳で煮る。おお、白い白い。ついでにもっと白く、と大根おろしも入れてしまう。最後にあさつきを散らし、白白鍋完成。

 これを、塩や、塩ポン酢といった白い調味料で食べる。塩ポン酢は当然のごとくうまいが、塩だけでも充分おいしく食べられる。

 でも、正直をいうと、二日食べてもまだ冷蔵庫に残っているのだ、白子。

 白子って冷蔵保存でどのくらい持つのか? 今日はどうやって食べるべきか? 白子慣れしていない私はくよくよと考えている。白子上級者にしたら、あわれなくらい馬鹿馬鹿しい悩みであろう。

 とりあえず五年後には、私も白子上級者になれるよう、がんばってみます。また買うぞ、白子。

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著者プロフィール

角田光代 かくたみつよ

1967年神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。
90年「幸福な遊戯」で「海燕」新人文学賞を受賞しデビュー。96年『まどろむ夏のUFO』で野間文芸新人賞、98年『ぼくはきみのおにいさん』で坪田譲治文学賞などいくつもの賞を受賞。03年『空中庭園』で婦人公論文芸賞、04年『対岸の彼女』で直木賞受賞など。