アスペクト

今日もごちそうさまでした

角田光代
お肉は好きですか? お魚は好きですか? ピーマンは? にんじんは? 美味しいものが好き、食べることが好き、何よりお料理が好きな角田さんの食にまつわるエッセイがスタートです。

037 昭和キャベツ

 キャベツってその存在がすでに天才だと思う。

 野菜嫌いの私でも、子どものころからなじんでいたキャベツ。どんな料理にもするりと入って、自己主張せず、何ふうの何味にでも自身を変えるキャベツ。それでいて、無個性ということもなく、ほかのものとは代用がきかないキャベツ。

 もしこの世からキャベツが消えたら、同時に消滅する料理のなんと多いことだろう。ロールキャベツがなくなり、回鍋肉がなくなり、お好み焼きがなくなり、野菜炒めがなくなり、コールスローがなくなる。そればかりか、べつに主役でもなんでもないが、焼きそばやポトフだって、キャベツがないなら作りませんという人はいるだろう。豚カツも、きっと今より格段に人気は落ちるはずだ。キャベツのない世界の、なんとさみしくみじめなことか。

 が、そこまで各国料理に使われ続けているキャベツだが、グローバルという言葉と相容れない垢抜けなさがある。ミネストローネで活躍しようがアンチョビのパスタで重要な位置を占めようが、でも、キャベツって平成っていうより昭和のほうが断然似合う。それはどことなく、キャベツが貧乏くさいからではなかろうか。

 いや、貧乏くさいのはキャベツ自身の資質ではなく、貧乏食といって想起されるもののなかに「キャベツ」は歴然としてある、ということなのだが。

 私のバイブルでもある藤子不二雄先生の『まんが道』という漫画に、まさにそのようにしてキャベツが登場する。故郷金沢から上京した満賀道雄と才野茂が、親戚の家を出てときわ荘でともに暮らしはじめる。共同キッチンで作る彼らの食事に、キャベツはじつによく登場する。引っ越した一日目に、もう大量のキャベツを刻んでいるくらいだ。

 私はこの漫画ではじめて、キャベツの味噌汁というものを知り、以来、よく作るようになった。キャベツが昭和的、という感想は、この漫画の影響でもある。

 しかしキャベツが、というより、貧乏が、こんなに魅力的に描かれている作品もそうそうないんじゃないかと思う。好きなことをやるためならば、おかずがキャベツ炒めだけだっていいのさ、というすがすがしさ。ここで描かれるキャベツには、夢と未来と希望と可能性が詰まっている。

 このキャベツが同様に安価なモヤシだと、微妙にニュアンスが異なるだろうと思う。パンの耳でも、おからでも、やっぱり違う。キャベツの、あのわしわし剥いて、剥いても中身があるみっちり感と、莫大な栄養価値と、腹持ちのよさ、それが合わさっていないと、貧乏のゆたかさは表現できないような気すら、する。

 そういえば、たいへん昔の話だが、アメリカでキャベツ人形がはやったことがある。日本にもお目見えした。まったくかわいくないリアルな赤ん坊っぽい人形で、たしか、赤ん坊はキャベツから生まれると聞いて育った人が制作者だった。

 葉っぱを剥いたら、そこに何かみっしりとしたものが入っている感は、夢と希望でも、赤ん坊でも、おんなじように思える。あの緑の葉っぱは、悪ではなく善、過去ではなく未来、空疎ではなく価値あるものをだいじにくるんでいるように、思えるのだ。

 だからというわけではないが、私はまるごと一個のキャベツを使うとき、包丁で垂直に切ってしまうのが、あまり好きではない。いつも葉っぱを一枚一枚剥がして使っている。

 おもしろいことに、剥がしても剥がしても、キャベツはキャベツのかたちをしている。ほんっとうの最後、葉っぱ二、三枚になったって、あんなふうにくるーっと内側にまるまっているのだ。何かを守るように。まったくもう、かわいいったらない。

 キャベツは年がら年じゅう冷蔵庫に入っているし、じつに多くの料理に用いるが、じつは私は千切りが大の苦手。豚カツ屋さんは針のように細い千切りキャベツを出すが、あれがどうしてもできない。やろうとすると、ものすごくスローな動きになる。けれど千切りというのはリズムがたのしいのであって、慎重に、ざーくー、ざーくー、とやっていたのではおもしろくもないし、料理の高揚がない。それでざくざくざくざくとやると、太くなるわ手を切るわ。

 いっそ、千切りなんかいらない、レタスやベビーリーフで代用しようかと思うが、でもやっぱり、コロッケや豚カツやメンチカツやスコッチエッグには、千切りキャベツじゃなきゃだめなのだ。

 千切りキャベツは、そのまま出すのと氷水につけるのと、もうぜんぜん味が違う。だから、揚げ段階のかなり前でキャベツは千切りしなきゃならないし、氷水につけなきゃならないし、ざるに上げて水を切らねばならない。そんなことも面倒で、ザ・面倒くさがりを体現した私のような人間は、たいていの手間を省いてヨシとしてしまうのだが、氷水はぜったいに省かない。

 さて、不器用ながら千切りにしたキャベツと、大好物の豚カツを前に、しばし考える。もしここから豚カツが消え、キャベツだけが残り、それを毎日毎日食べ続けなくならなくなったとして、そんな日々でもやりたいことがあると言える、それって若いときにしか言えないことだよな。若いときに、すでにそうしたものに出合っていることが、しあわせなのかそうでないのか私にはわからないけれど、でも、とてもつなく強いことだとは思うのである。

038 ホワイトアスパラが成し遂げた革命

 私たちの世代にとって、ホワイトアスパラといえば缶詰で、「おいしくない」とほとんど同義であった。缶詰に入ったホワイトアスパラは、へにょーんくにょーんとしていて、缶くさく、かすかに酸っぱく、存在意義があまりよくわからない感じのものだった。

 もちろんあの、へにゅーんくにょーんを好きな御仁もいるであろう。が、大半はやっぱり、「なんなのこれ」と無意識に思っていたはずだ。缶入りチェリーと同じ立場。

 とうぜん、私にとってもそれは「単なる飾り」でしかなかった。レストランで何かの付け合わせに出てきても、手をつけたことはない。

 そんなわけだから、私たちの世代は、おのおの成長してから、ホワイトアスパラ革命に立ち合っているはずだ。

 ホワイトアスパラ革命、それは、缶詰でないホワイトアスパラに、驚き感動し落涙し、「今までの自分と今日からの自分は、もう、違う」とはっきり意識する瞬間を指す。

 どこだったか覚えていないが、私の場合は六、七年前のイタリア料理屋だった。前菜にだれかがホワイトアスパラを頼み、全員でシェアすることになったのだ。ホワイトアスパライコール缶入りイコールおいしくないイコール存在意義がわからない、の私は、「こういう人っているよなあ」といじましく思った。「注文奉行。……いいや私のぶんはだれかに食べてもらおう」と。

 無知だった。阿呆だった。

 しっとりと茹で上げバターでさっと炒めたホワイトアスパラは、ひとりに一本ずつ配られた。申し訳程度に食べて他人にゆずるはずだった私は秒速で完食し、放心した。

 なんですかこれ。ホワイトアスパラってへにゅーんくにゅーんじゃないの? なあにこの、ほのあまくてとろーんとしてバターとの相性抜群のこれはなんですか? これがホワイトアスパラだとするなら、きっと戦前戦後またいでホワイトアスパラ陰謀というのがきっとあったに違いない、ホワイトアスパラ大王みたいな人が、このおいしさをあんまり多くの人に教えちゃうとホワイトアスパラがなくなっちゃうから教えちゃだめ、と決めて、イタリア人にはいい、フランス人にもいい、でも日本人には教えちゃだめ、と選別までしていたに違いない。その陰謀の故に私たちは缶入りホワイトアスパラしか知らんのだ。そうして昨今その大王が世代交代か何かして、博愛的寛容な人が大王の座について「こんなにおいしいもの、みんなが知るべきだ!」と制令を変えて日本にも生ホワイトアスパラをもたらしてくれたのだ、きっと。

 ……いや本当は、もっと違うきちんとした理由があったに違いないが、しかし、イタリア料理店に赴かなくとも、春先に生ホワイトアスパラはふつうに八百屋の店頭で売られるようになった。本当にね、二十年前はこんな光景はなかったんですよ。

 ホワイトアスパラは、酢を加えた湯で茹でるとか、茹で汁のなかに漬けたまま冷ますとか、下ごしらえが面倒そうであんまり買わず、もっぱらレストランで食すことが多かったのだが、あるときうちに遊びにきた友だちが、ささっと料理をしてくれたのを見て、勇気を得た。彼女はホワイトアスパラの下ごしらえなどまったくせず、ごくふつうに料理をしていたのだ。このとき彼女が作ってくれたホワイトアスパラ料理は、パスタ。パンチェッタを炒め、パスタの鍋で軽く茹でたホワイトアスパラをそこに投入、パスタと生クリームを加えて完了というかんたんレシピで、たいへんおいしかった。

 以来、私もとくに下ごしらえのことなど考えず、生ホワイトアスパラを購入するようになった。

 やっぱりいちばんおいしいのは、茹でてバター炒めたもの。チーズをかけてやいてもおいしい。生クリームとも相性がいい。

 そうして、新食材のつねとして、そのくらいしか料理が浮かばない。あんまり応用が効かないんですね。でも、いいのだ。この時期食べておかないと、もう来年まで姿を消すからね。
ところで、ホワイトアスパラは、日にあてないアスパラガスだというのはだれもが知る常識なんだろうか。私はそれを知ったとき、「そんな馬鹿な!」と思った。冗談みたいじゃないか。日にあてないから白いなんて!

 私の北海道出身の女友だちには色白美肌の人が多く、いつも「なんとなくずるい」と思っているのだが、おおざっぱにいえばそれとおんなじことなわけでしょう? ってことは、緑のアスパラたちもホワイトアスパラのあの白さを「なんとなくずるい」と思っているのかな。いや、まさかね。

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著者プロフィール

角田光代 かくたみつよ

1967年神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。
90年「幸福な遊戯」で「海燕」新人文学賞を受賞しデビュー。96年『まどろむ夏のUFO』で野間文芸新人賞、98年『ぼくはきみのおにいさん』で坪田譲治文学賞などいくつもの賞を受賞。03年『空中庭園』で婦人公論文芸賞、04年『対岸の彼女』で直木賞受賞など。