はじめてイカを買ったときのことを鮮明に覚えている。
二十六歳のときに料理を覚えたと幾度か書いたが、その料理独学中に、イカをいっぱい、買ってきたのである。あ、「いっぱい」って、たくさんという意味ではなくて、ひとつ、という意味です。
料理には難易度があって、たとえば魚を三枚におろすなんてことは、初心者には難易度が高い。イカをさばくのも、三枚おろしほどではないが、まあ、高い。むずかしいということもあるが、それより何より、こわいのである。イカのあの、黒々とした目。たくさんの足。たくさんの足についたもっとたくさんのいぼ。ぬるりとした食感。この、こわいものに触れる、という意味での難易度が、イカの場合はすさまじく高い。
私はこわさのあまり、じーっと見てしまった。足のいぼや半分閉じたような黒い瞳を。そしてもっともっとこわくなって、そのとき遊びにきていた友だちに、「ねえ見て見て、こわいから見て見て」と見せ、友だちともこわい思いを共有し、「ひえええ」と思いながら、足と胴体を離し、足のいぼを切り、胴体の皮をはいだ。
こんなにも鮮明に調理過程を覚えているのに、そのとき何を作ったのか、覚えていない。
私はあんまりイカが好きではなかったが、自分でイカを料理するようになってから、食べる機会が増えた。もちろん今も、イカはこわい。けれどはじめてイカをさばいてから十八年。今ではじーっと見たりしない。ますますこわくなることがわかっているから。袋から出して、間違ってもあの黒い目など見つめずに、さっと足を引っこ抜いて軟骨を取り除いて洗って切る。皮も剥がない。面倒だから。「さっと」が肝心。
ちなみに私は「ああ、イカが食べたい」と思うことが少ない。イカを買うとき、だから食べたくて買うのではなくて、その料理を作りたくて買うのである。たとえば、里芋とイカの煮物とか。イカめしとか。五色納豆とか(イカ、まぐろ、たくあん、柴漬け、卵)。海鮮焼きそばとか。イカリングとか。パエリアとか。八宝菜とか。
「ああ、そうだった、この料理を作るには、イカがなくっちゃな」と思って、買い求めているだけ。
それで「さっと」下ごしらえしてその料理を作り、食べるわけだが、そのとき、イカが異様においしく感じられることがある。どうしても食べたかったわけでもないのに、「うわ、イカ、うんまーいっ」と叫びたいほど、おいしい。
そういうときは、疲れているときだと私は自己判断している。
タウリンは栄養ドリンクに多く配合されている。疲れているときに飲むようなドリンク剤だ。ってことは、きっと疲労回復にいいのだろうと、勝手に解釈しているのである。実際は、疲労回復ばかりでなく、目だとか肝臓だとか脳だとか血液だとかもう体のあっちこっちにいい働きをするらしい。タウリン。
イカがこんなにおいしいということは、そうかそうか、体がタウリンを求めていたんだなあ、としみじみ思うわけである。
函館にいったとき、空港から乗ったタクシーの運転手さんが、開口一番「カツイカを食べんとな!」と言い、市街地に着くまでずーっと、「函館といえばカツイカ」「カツイカを何がなんでも食べてって」と、ずーっとカツイカカツイカとくり返している。魚介より肉に愛のある私はつい「カツイカ? 豚カツとイカの新種料理だろうか」と思っていたのだが、ホテルについてようやく、「あっ」と理解した。カツイカ、つまり活イカ。
その日の夜、たいへん大衆的な飲み屋にいって、その活イカを注文した。イカ刺しなのだが関東育ちの私の知っているイカ刺しとは見かけからして異なる。透き通って、しゃきしゃきしていて、すっきり甘くて、なんだこれ。私の知っている白くてねちゃねちゃしているものと、まるでちがう。
その店で食べたもうひとつのおいしいイカ料理は、蒸したジャガイモにバターとイカ塩辛をのせたもの。正式メニュウ名はなんだったか忘れてしまったが、「なんじゃこれ」と頼んだら、まさにそれがでてきたのである。え、うそ、と思って食べたが、これがおいしかった。不思議なことを考え出すものだなあと、感心した。
旅先のイカといえば、ギリシャのカラマリが有名だ。からっと揚げたイカのフリットに、レモンをぎゅーっとしぼって食べる。これはどこのどんな店で食べても、おいしい。イカっておいしいんだなあと、疲れているからではなくて、旅していて気づかされたくらいおいしい。アテネのある食堂で、カラマリを頼んだら、揚げたイカではなくて、どう見ても焼いたイカが出てきた。夏の海の家や、お好み焼き屋さんで「イカ焼き」という、焼いたイカを切っただけの食べものがあるが、あれとそっくり。「えー、ギリシャでイカ焼き」と思いつつ、レモンをしぼって食べたら、これがむっちりふんわりしていておいしかった。ギリシャには不思議なことに、タラモサラダとか、肉詰めピーマンとか、なぜか日本の家庭料理とよく似たシロモノが多い。
イカスミパスタはイタリア出身の料理だろうけれど、イタリアの旅で一度も食べたことがない。というより、日本でも食べたことがない。おいしいのだろうことはわかっているが、ついつい、ほかに食べたいパスタがあって、そちらを選んでしまうのだ。歯が黒くなるのもなんだかこわいし。
イカスミといえば、忘れがたいのがジョン・アーヴィングの小説、『未亡人の一年』。主人公ルースの、どうしようもない浮気性の父親は絵本作家なのだが、イカスミをためてそれで絵を描くのだ。その描写は小説の前半にほんの少ししか出てこないのだが、その後の物語の放つ生ぐささを強調するものすごい小道具になっている。
あれ? はじめてのイカから、いつのまにか小説の話になっている。イカ、泳ぐ泳ぐ。 |