アスペクト

今日もごちそうさまでした

角田光代
お肉は好きですか? お魚は好きですか? ピーマンは? にんじんは? 美味しいものが好き、食べることが好き、何よりお料理が好きな角田さんの食にまつわるエッセイがスタートです。

No.063 偉大なる目出鯛

 鯛を鯛と認識したのは二十四歳のときだ。それまでだって鯛のことは知っていたけれど、「おお、鯛」などとしみじみ思ったことはなかった。

 大学卒業後、地元に戻った先輩の結婚式があり、招待を受けた。このとき私は大人になってはじめて正式な結婚式と披露宴に出席した。はじめてだったから驚きの連続で、ただぽかんとしていたのだが、今思えば、あれはずいぶんときちんとした披露宴だった。新郎新婦の来歴が延々と紹介され、偉い人のスピーチが続き、親戚の長唄やかっぽれがあり、新婦同級生たちが結婚式の歌をうたった。フランス料理のコースだったのになぜか、小皿で鮨が出てきたりした。

 そのとき、山のような引き出物をもらい、いったい何が入っているのか、なかを見たいのをぐっとこらえて帰りの新幹線に乗ったのを覚えている。

 お皿やらお菓子やら鰹節やらいろいろ入っていて、そのなかに、尾頭付きの鯛が入っていた。その当時の私は好き嫌いが未だ激しく、骨のある魚を食べなかったくらいだから、丸ごとの魚を見てぎょっとした。ああ目出鯛であるか、と納得したものの、どのようにしていいかわからず、持ち帰った日の夜に友人を招いて、食べてもらった。友人はものすごく喜んでいて、鯛とは、かように人を喜ばせるものなのか、と思った。

 以降、いろんなところで鯛を認識するに至ったが、私にはありがたみが今ひとつわからない。鯛のお刺身って、スズキと、あるいはヒラメと、どうちがうのでしょうか。いや、ちがうってことはわかるけれど、どれでもいいじゃん。スズキじゃだめ、ヒラメじゃだめ、ぜーったい鯛じゃなきゃだめってこと、ないじゃん。

 それから、真鯛と花鯛と黒鯛とどう違うのか。えらぶたが赤いとか、口が尖っているとか、見分け方を教えてもらっても、食べる段になって「ほう、花鯛かと思ったら真鯛であったか」などと、思う人はいるのだろうか。

 なんて思っているのは、しかし私だけかもしれない。

 件の友だちをはじめ、私のまわりには意外と鯛好きがいる。彼らはスズキじゃだめ、鯛じゃなきゃだめ派なのかもしれないし、「花鯛かと思ったら真鯛」派なのかもしれない。

 しかもちょっと調べたら、鯛は、冷え性にいいとか、二日酔いにいいとか、胃の具合が今ひとつのときにいいとか、老化防止にいいとか、視力回復にいいとか、なんか、いいことずくめの魚のようである。

 鯛を鯛と認識したその数年後、あることがきっかけで、鯛は私にとって鯛以外の何ものでもない、まごうことなき「鯛!」となった。

 あること、とは鯛の鯛。知っていますか、鯛の鯛、鯛中鯛を。

 二十代の終わりごろに住んでいた家の近所に、魚専門のちいさな飲み屋ができた。二十代の私は肉派最右翼だったが、友人に魚好きが多く、また、この店がこぢんまりとして居心地がよかったので、しょっちゅういっていた。真鯛の喉のあたりにある骨が、鯛のかたちにそっくりなのだということを、このお店のご主人に教わった。塩焼きの鯛から、彼に倣ってその骨をそうっと取り出し、不思議なそのかたちを見て私たちは歓声を上げた。

 この骨、縁起物で、財布に入れておくとお金が貯まるらしい。ということも、そのご主人に教わった。私たちはじゃんけんをした。勝った人がその骨を洗ってもらって財布におさめた。

 それからしばらく、その店にいくたびに、あれば真鯛の塩焼きを注文し、私たちは骨を見つけて取り出し続けた。たしか私もひとつ、持って帰ったように記憶している。すぐになくしてしまって、縁起にあやかることはできなかったのだが。

 しかしながら、体のなかに自分とおなじかたちの骨を持つ魚として、私は鯛を鯛として尊敬するに至った。鯛がなくてスズキでもホウボウでもじつはかまわないのだが、しかし、鯛は偉い。

 私がいちばん好きな鯛の食べかたは、塩釜焼き。これは友人の家に遊びにいったとき、出てきた料理。

 作りかたはいたってかんたんで、うろこをとってはらわたを出した鯛のおなかに、フレッシュハーブ(ローズマリーやタイムなど、なんでもよろしい)を詰めて、一キロの塩と二個分の卵白を混ぜたものをその上にどかっとかぶせる。砂浜で寝ている人を埋めてしまう要領ですね。人とは異なり、頭も鼻もぜんぶ埋めてよろしい。それを二百度のオーブンで二十分から三十分くらい焼く。それだけ。友人の家では、これに、十センチほどに切ったアサツキをどっさりと添えて、出していた。

 塩はすぐに削れて、ふっくらとした鯛があらわれる。この塩釜焼きは見た目もはなやかでパーティ向きで、本当においしい。これだけは、スズキじゃだめヒラメじゃだめ、鯛じゃなきゃだめ、な料理である。

 めでたいことがあると、私はすぐに「肉、肉」と思ってしまう。御馳走イコール肉、という思考回路なのだが、それが一般ではないことをすでに身をもって知っている。なので、近しい人にめでたいことがあったとき、その人にとっての御馳走は何かをよく見極めることにしている。魚派の人たちのめでたいときに、この料理でもてなすと、じつに喜んでもらえる。申し訳ないくらいの手間なし料理なんだけれどもね。鯛、偉い。

No.064 ふりむけば、海苔

 納豆とおなじくらい、卵とおなじくらい、白いごはんとおなじくらい、気がつけば海苔は食卓にあった。だから私は、なぜ食べものなのに黒いのか、黒くて薄いのに食べていいのか、などと考えたことがない。黒いのが海苔であり、海苔といえば黒い。

 ずいぶん前に、仕事でスウェーデンからロシアまで列車の旅をしたことがあって、そのとき通訳兼ガイドのスウェーデン女性がいっしょだった。列車内で同行者のひとりが、小分けされたちいさなサイズの味海苔を出してみんなに進め、ここでもまた私は、(なぜ海苔?)などと疑問に思わず受け取って食べていたのだが、このスウェーデン人女性がしげしげと海苔を見つめ、「私はいらないわ」と言った。言ってから、悪いと思ったのか、「今妊娠しているから、食べつけないものを食べたくないの」と付け足した。

 そのとき私ははっとした。黒くて薄いこの食べものを、この人は不気味だと思っているのだ。たしかに海苔って、はじめて見たらなんか不気味かも!

 じゃあ食べられなくなるか、というとそんなことはなくて、「不気味なのかもナー」と思いながら食べ続けるわけだが。だって海苔って、不気味だろうが異様だろうが、もう切り離せないくらい近くにある。

 たとえば十人で集まって、「鰯」をテーマに話をしたら、もしかして一時間くらいで終わってしまうかもしれない。が、テーマが「海苔」だったら、五時間くらい話していられると私は思う。少なくとも私が二時間は話す。海苔はそのくらい身近。

 お弁当のおにぎりの海苔が、食べるときにしわしわになっているのがいやで、ラップで別包装にしてもらったところ、それがクラスじゅうに流行ったことがあった。なんと女子っぽい流行であろう。コンビニエンスストアのおにぎりも、最初はほとんどすべて、海苔が巻いてある状態だったように記憶している。それが弁当のように、海苔だけしわしわにならないよう、にぎりめしとくっつかない特殊包装になった。

 この特殊包装を私は毎回うまく開けることができず、海苔が三分の一ほど包装に残ったままという、たいへん気持ちの悪い状態になる。

 が、別包装が一般的になってくると、「海苔しわしわ派」の人たちがカミングアウトをはじめ、今度は「わざと最初から海苔が巻いてあるおにぎり」が登場する。これは初期段階のおにぎりとは完全に異なる、二世代目しわしわ海苔だ。あたらしいのだ。

 それから海苔弁。これは海苔がしわしわであることが大前提の弁当である。

 海苔弁は家によって流儀が違うだろう。うちは、ごはん、おかか、海苔、ごはん、おかか、海苔、と二段であった。大人になって自分で弁当を作るときは、ごはん、しらす、海苔の一段とか、ごはん、おかか、海苔、ごはん、しらす、、海苔二段とか、ごはん、明太子、海苔とか、いろんなバリエーションを作るようになった。

 弁当屋では海苔弁がいちばん安い。昔も安かったが、今でもきっといちばん安い。ごはんにおかか、その上に醤油をつけた海苔をべたーっと敷き(これはしわしわであることが大前提)、ちくわの磯辺揚げとかコロッケとか焼き鮭とかを上にのせる。

 私が学生のころ、学校の近くに弁当屋があり、ここの海苔弁のアレンジがすごかった。「前から」というと、焼き鮭が唐揚げになる。「前コロ」というとコロッケになる。「全から」というのは磯辺揚げも鮭もみんな唐揚げになる。海苔の下に明太子バージョンもあったが、これは呼び名を忘れた。もちろんそれぞれによって値段も変わった。

 そして韓国海苔の登場である。

 韓国海苔をはじめて食べたときの衝撃を、私はたぶんずっと忘れないと思う。

 海苔がしょっぱくてほのかにごま油のにおいがして、うまい。海苔だけでうまい。海苔だけで酒が飲めるし、いつまででも食べていられる。韓国海苔を巻いたキムパプという巻き寿司も、じつにおいしい。味付け海苔もおいしいと思っていたが、それを上まわるおいしさだ。

 韓国海苔が登場し、一時期ふつうの焼き海苔は私のなかで存在を忘れられたが、存在を忘れてもなぜか家には海苔がある。すごいことだ。

 家にいつもある海苔、使うときに火でさっとあぶる人って、いったいどのくらいいるんだろう。もしかして大多数がやっているのだろうか。

 そうすると海苔がぱりっとするのだが、ずぼらな私はそんなこと、したことない。「このひと手間がが料理をおいしくする」とわかっていても、ひと手間かけない。

 おいしい海苔といえば、鮨屋で食べる海苔は、自宅にあるものとおなじとは思えないほどおいしい。〆に頼む海苔巻きの、中身はじつはカッパだろうが干瓢だろうが山ごぼうだろうがなんでもよくて、海苔が食べたいのかもしれないと思うときがある。

 近所のお鮨屋さんで、いつだったか、ウニの海苔巻きが出てきた。ウニじゃなくて海苔を味わって食べて、と言われて食べたその海苔の、深く濃く、高貴に香ばしいおいしさっていったらなかった。ぱりんぱりんした食感もすばらしかった。ウニに勝つ海苔っていったいなんなんだろうと首をかしげた。

 火であぶっただけでこのくらいおいしくなるよ、と言われても、私はきっとあぶらないだろうなあ。それだって充分おいしいんだもん、海苔。

 佃煮方面とか、まだまだ海苔についてはいろいろあるけれど、このあたりでやめておきます。

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著者プロフィール

角田光代 かくたみつよ

1967年神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。
90年「幸福な遊戯」で「海燕」新人文学賞を受賞しデビュー。96年『まどろむ夏のUFO』で野間文芸新人賞、98年『ぼくはきみのおにいさん』で坪田譲治文学賞などいくつもの賞を受賞。03年『空中庭園』で婦人公論文芸賞、04年『対岸の彼女』で直木賞受賞など。