納豆とおなじくらい、卵とおなじくらい、白いごはんとおなじくらい、気がつけば海苔は食卓にあった。だから私は、なぜ食べものなのに黒いのか、黒くて薄いのに食べていいのか、などと考えたことがない。黒いのが海苔であり、海苔といえば黒い。
ずいぶん前に、仕事でスウェーデンからロシアまで列車の旅をしたことがあって、そのとき通訳兼ガイドのスウェーデン女性がいっしょだった。列車内で同行者のひとりが、小分けされたちいさなサイズの味海苔を出してみんなに進め、ここでもまた私は、(なぜ海苔?)などと疑問に思わず受け取って食べていたのだが、このスウェーデン人女性がしげしげと海苔を見つめ、「私はいらないわ」と言った。言ってから、悪いと思ったのか、「今妊娠しているから、食べつけないものを食べたくないの」と付け足した。
そのとき私ははっとした。黒くて薄いこの食べものを、この人は不気味だと思っているのだ。たしかに海苔って、はじめて見たらなんか不気味かも!
じゃあ食べられなくなるか、というとそんなことはなくて、「不気味なのかもナー」と思いながら食べ続けるわけだが。だって海苔って、不気味だろうが異様だろうが、もう切り離せないくらい近くにある。
たとえば十人で集まって、「鰯」をテーマに話をしたら、もしかして一時間くらいで終わってしまうかもしれない。が、テーマが「海苔」だったら、五時間くらい話していられると私は思う。少なくとも私が二時間は話す。海苔はそのくらい身近。
お弁当のおにぎりの海苔が、食べるときにしわしわになっているのがいやで、ラップで別包装にしてもらったところ、それがクラスじゅうに流行ったことがあった。なんと女子っぽい流行であろう。コンビニエンスストアのおにぎりも、最初はほとんどすべて、海苔が巻いてある状態だったように記憶している。それが弁当のように、海苔だけしわしわにならないよう、にぎりめしとくっつかない特殊包装になった。
この特殊包装を私は毎回うまく開けることができず、海苔が三分の一ほど包装に残ったままという、たいへん気持ちの悪い状態になる。
が、別包装が一般的になってくると、「海苔しわしわ派」の人たちがカミングアウトをはじめ、今度は「わざと最初から海苔が巻いてあるおにぎり」が登場する。これは初期段階のおにぎりとは完全に異なる、二世代目しわしわ海苔だ。あたらしいのだ。
それから海苔弁。これは海苔がしわしわであることが大前提の弁当である。
海苔弁は家によって流儀が違うだろう。うちは、ごはん、おかか、海苔、ごはん、おかか、海苔、と二段であった。大人になって自分で弁当を作るときは、ごはん、しらす、海苔の一段とか、ごはん、おかか、海苔、ごはん、しらす、、海苔二段とか、ごはん、明太子、海苔とか、いろんなバリエーションを作るようになった。
弁当屋では海苔弁がいちばん安い。昔も安かったが、今でもきっといちばん安い。ごはんにおかか、その上に醤油をつけた海苔をべたーっと敷き(これはしわしわであることが大前提)、ちくわの磯辺揚げとかコロッケとか焼き鮭とかを上にのせる。
私が学生のころ、学校の近くに弁当屋があり、ここの海苔弁のアレンジがすごかった。「前から」というと、焼き鮭が唐揚げになる。「前コロ」というとコロッケになる。「全から」というのは磯辺揚げも鮭もみんな唐揚げになる。海苔の下に明太子バージョンもあったが、これは呼び名を忘れた。もちろんそれぞれによって値段も変わった。
そして韓国海苔の登場である。
韓国海苔をはじめて食べたときの衝撃を、私はたぶんずっと忘れないと思う。
海苔がしょっぱくてほのかにごま油のにおいがして、うまい。海苔だけでうまい。海苔だけで酒が飲めるし、いつまででも食べていられる。韓国海苔を巻いたキムパプという巻き寿司も、じつにおいしい。味付け海苔もおいしいと思っていたが、それを上まわるおいしさだ。
韓国海苔が登場し、一時期ふつうの焼き海苔は私のなかで存在を忘れられたが、存在を忘れてもなぜか家には海苔がある。すごいことだ。
家にいつもある海苔、使うときに火でさっとあぶる人って、いったいどのくらいいるんだろう。もしかして大多数がやっているのだろうか。
そうすると海苔がぱりっとするのだが、ずぼらな私はそんなこと、したことない。「このひと手間がが料理をおいしくする」とわかっていても、ひと手間かけない。
おいしい海苔といえば、鮨屋で食べる海苔は、自宅にあるものとおなじとは思えないほどおいしい。〆に頼む海苔巻きの、中身はじつはカッパだろうが干瓢だろうが山ごぼうだろうがなんでもよくて、海苔が食べたいのかもしれないと思うときがある。
近所のお鮨屋さんで、いつだったか、ウニの海苔巻きが出てきた。ウニじゃなくて海苔を味わって食べて、と言われて食べたその海苔の、深く濃く、高貴に香ばしいおいしさっていったらなかった。ぱりんぱりんした食感もすばらしかった。ウニに勝つ海苔っていったいなんなんだろうと首をかしげた。
火であぶっただけでこのくらいおいしくなるよ、と言われても、私はきっとあぶらないだろうなあ。それだって充分おいしいんだもん、海苔。
佃煮方面とか、まだまだ海苔についてはいろいろあるけれど、このあたりでやめておきます。 |