小学生のとき、私も偏食だったけれど私の仲良しさんは輪をかけて偏食だった。ごはんに塩をかけて食べる、ということを私はこの子に教わった。おかずのぜんぶが食べられないとき、ごはんに塩をかけてそれだけ食べるのだ。
この仲良しさんの家に遊びにいって、ごはんどきになると、いつも蕎麦が出た。仲良しさんはいろんなものが食べられなくて、でも蕎麦だけは好物だったのだ。天ぷらも卵もない、ただのざる蕎麦を、よく食べていた。私も幾度かご相伴にあずかって、そうしてあるとき、唐突に、蕎麦が食べられなくなった。
アレルギーではない。ただ、喉を通らなくなった。もしかして、仲良しさんの、蕎麦だけ食べるその様に、ちょっと辟易したのかもしれない。
以来私はずーっと蕎麦を食べなかった。年越しはうどん。「太く長く」と言いつつ、ずっとうどん。
蕎麦再開は、二十代半ばになってから。いつ、どのように再開したのかは覚えていないのだが、「あっ、蕎麦、食べられるようになった」と思ったことと、小学生のときの仲良しさんを思い出したことは、覚えている。
蕎麦は食べられるようになってみれば、そうとうおいしい。そして蕎麦をおいしいと思うようになると、「蕎麦界」なるものの奥深さに気づく。
あなたの周囲にもありませんか、蕎麦界。どこそこの蕎麦がおいしい、どこそこはてんでだめ、からはじまって、蕎麦はぜんぶつゆにつけるものではない、喉ごしをたのしむものだ、風味をたのしむものだ、音をたててすするものだとマナーに至るまで、いろんなあれこれがある。
世のなかには肉の会だの鮨の会だのいろんな愛好会があって、そのなかに、蕎麦の会というのもある。一度、混ぜてもらったことがある。が、蕎麦界とその住人たちが奥深すぎて、一度の参加でもういいや、となった。みんな蕎麦を味わうことに重きをおいて、酔っぱらわないし、騒がないし、蕎麦をすすって「おいしーおいしー」と言い合わないし、うんちくをとうとうと話し合っているだけで、私にはちょっと合わない会であり界であった。
私もおいしい蕎麦が好きだ。でも、あれこれうんちくを述べつつ食べるのは好きではない。
年に一、二度、十人ほどで一泊の温泉旅行にいっているのだが、このメンバーがみな七十代六十代と高齢で、観光が大嫌い、目的地に着いたらすぐに蕎麦屋にいって一杯、一杯ののち温泉宿に直行、翌朝はチェックアウトするやいなや蕎麦屋にいって一杯、その後解散、という旅の仕方をする。この人たちは蕎麦好きだが、蕎麦界の住人ではないので、まことに気楽。蕎麦のおいしさとか、たのしみかたを、私はこの高齢者たちに教わった。
まずビールで乾杯し、卵焼きやら板わさやら天ぷらやらのつまみをたのみ、熱燗を頼む。さんざっぱら飲んで、酔って、たのしくなって、ようやく蕎麦。わさびはつゆにとかすのではなく、蕎麦に直接ぬるようにつけたほうがおいしいとか、冷めた熱燗をちょろっと蕎麦にまわしかけて風味をよくするとか、そういったことをこの人たちに教わった。でもそんなこともしてもいいししなくてもいいし、つゆをたっぷりつけたっていいしつけなくたっていいし、音をたててすすってもすすらなくてもいいのだ。だいじなのは、おいしい蕎麦をおいしく食べる、ということのみ。
そうして熱燗で酔った体に、そば湯で割ったつゆの、なんとしみわたることか。
しかしながら私は、立ち食い蕎麦も嫌いではない。というか、むしろ、好き。
立ち食い蕎麦は私にとって、長らく敷居の高い店だった。回転寿司といっしょで、入ってみるまでルールがわからず、ひとりでは入れない。だれか「通」の人に連れていってもらうべき店。
幾度か男の子に連れていってもらって、とくにルールなどないと知って、ようやくひとりで入れるようになった。そのときのうれしさといったら!
蕎麦屋では私は冷たい蕎麦しか食べないが、立ち食い蕎麦屋ではあたたかい蕎麦も食べる。あの、あましょっぱい濃い汁がどうしても飲みたいときがある。コロッケ蕎麦とか天たま蕎麦とか、油の浮いた汁なんか、とくに。
かつてイタリアを旅していたとき、そこここに立ち食いパン屋があって、バゲット風のサンドイッチをサラリーマン風の男女が颯爽と食べ、去っていくのを見たとき、私はある感銘を受けた。
忙しいときにさっと食べる、それはやっぱりサンドイッチのように乾いたものが望ましいのだ。なのに私たちは、あんな湿った、汁の滴るものを、立って食べている。忙しくて時間がなくて、急いでいるのに、でも私たちはサンドイッチでもにぎりめしでもなく、蕎麦を食べようとする。それってすごくないか。日本人の食にかける情熱はすごい。そう思ったのだった。
ちなみに私は更級蕎麦より、黒っぽい無骨な田舎蕎麦が好きです。訊かれてないけど言いたくなる、蕎麦の好み。 |