アスペクト

肉記


1 肉だけではないが

 肉が好きだ、というのは、たんにその通りの意味であって、魚が嫌いだ、という意味にはならないと思うのだが、なぜか、肉が好きだと言うと、魚が嫌いだととらえる人が多い。私は魚も好きだ。鮨なんか好物だ。

 あちこちで公言したり、文章に書き記してきたせいで、私の肉好きは自分でも恥ずかしくなるほど広く知れ渡っている。そしてその「広く」のほとんどすべての人が、肉好きを魚嫌いと翻訳して覚えている。野菜なんて言語道断だと、これまたものすごい誤訳までしている。

 初対面の人と取材旅行にいって、「すみません、今日の夜、魚料理なんです。ほんと申し訳ない」とあやまられることが、何度もあって、その都度ぎょっとする。「魚好きです好きです好きです」と言っても信じてもらえなかったりする。

 はたまた、仕事で地方にいった際、現地の仕事相手の人が連れていってくれる店はみな肉関係である。肉には詳しくなるが、魚にはどんどん疎くなる。その地方ではどんな季節にどんな魚がおいしいのか、まるで知らない。

 驚いたのは、やっぱり仕事で台湾にいったときのこと。私の本を中国語で刊行してくれた出版社の方々と、ごはんを食べることになったのだが、その店に向かいながら若い女性編集者が「カクタさん、ごめんなさい、その店は魚の店なのです」と言ったこと。う、海を越えて知られている(そして海を越えて「魚嫌い」と翻訳されている)。「そんな、あやまらないでください、私は魚も好きですから」と言いながら、恥ずかしくてたまらなかった。

 しかしながら、そのように「私は魚も好きです」と言い続けていると、どういうわけか、肉好きをさらに印象づけるようである。「肉が好きだが、魚も、食べられるには食べられる」というようなニュアンスになるのだろうか。「も」がいけないのか。

 そんな次第で、人に誘われる外食は肉料理が圧倒的に多い。イタリア料理でも、メインに肉しかない店だったりする。多くの人は、私よりよほど肉に詳しいと思う。

 肉と魚について、じっくり考えてみた。私はいったいどの程度、肉と魚に差をつけているのか。

 セットメニュウのある料理店や、あるいは飛行機なんかでも、肉か魚かを選ぶときは、肉を選んでいる。イタリア料理店、フランス料理店は、メニュウのメイン欄に、肉コーナーと魚コーナーをわけてのせているが、こういう場合、魚コーナーをちらりとも見たことがない。だからそういった料理店で、どのような魚がどのような料理法で扱われているのか、まったく知らない。

 やっぱり肉好きじゃん、と思うのは、しかし時期尚早。私はナイフとフォークで魚の骨をよけたりとったりするのが、いやなだけなのだ。肉なら切ればいいだけだ。骨付き肉でも、でかい骨に添ってナイフを入れればいいから楽だ。魚の小骨に比べたら、肉の骨など骨ではない。

 そんなら、小骨のない魚にすればいいではないかと思うかもしれないが、魚というのは油断ならないもので、「これには骨はなかろう」と思っても、あったりする。見た目、骨なんかないようでも、咀嚼中「ちりっ」と舌を刺したりする。そんな賭けはしたくないのである。

 箸の使える店なら魚の小骨なんてまるでこわくない。私が鮨を好きなのは、骨がないからだ。

 それから、焼き肉屋で私はキムチと肉以外のいっさいを食べない。野菜焼きやサラダ、ごくまれにある魚介系の焼き物も食べない。それはやはり同行者に「野菜嫌い」「肉好き」という印象を与えるようだけれど、それにも理由があって、私はあまり量を食べられないため、野菜やごはんなど食べてしまうと、肝心の肉が食べられないのである。焼き肉屋で肉が食べられないなんて、なんだかおかしいと思うから、肉中心に食べているだけの話である。そこがもし、野菜焼き屋なら野菜を中心に、魚介焼き屋なら魚介を中心に食べる。

 と、書き連ねているうちに、他人にとってはどうでもいいようなことへの言い訳を、猛烈な勢いでしている気分になってきた……。


 昨日は隣町のホルモン屋にいった。これは某社の担当者が一カ月も前から、「肉を食べにいきましょう」と誘ってくれていたのである。「食事にいきましょう」「飲みにいきましょう」では、ない。「肉を食べにいきましょう」。

 彼は、知る人ぞ知る、まったく予約のとれない中野区にある肉専門店にいこうと思っていたらしいのだが、案の定、一カ月前でも予約はいっぱいで、近隣のホルモン屋になった。

 この中野の肉専門店であるが、私は二度ほどいったことがある。焼き肉屋とも違う、分類としては肉専門店というよりない店で、今はどうかわからないが当時は肉の刺身が豊富で、しかも、焼いたもの、煮たもの、なんでもおいしかった。お客さんたちは予約が取れないことを知っているので、帰りがけ、いつくらいなら予約とれそう? とお店の人に訊いている。そして空いている三カ月とか、四カ月とか先の日にちを、とりあえず予約して帰っていくのである。考えてみれば、すごいことである。

 隣町のホルモン屋であるが、こちらも人気店で、何カ月も前からということはないが、それでも当日ふらりとやってきても入れない。この店はなんといっても安くておいしい。コンクリートの壁一面に、漫画家の人たちの絵が描いてある。

 担当編集者二名と、共通の友だち、四人で乾杯し、豚タン、豚バラ、Wホルモン、リードヴォー、ギアラ、ハラミ、パンチェッタ、アスパラ、エリンギ、などなど頼み、じゃんじゃん七輪にのせて焼き、それぞれの近況について話しながら、焼けたものを食しては「ンマーッ」と叫んだ。

 肉の脂が落ちて、七輪から炎が上がり、逆煙突みたいな装置にすーっと吸いこまれていく。炎が出たとき氷をのせて火を消す人がいるけれど、あれはやらないほうがいいといつだったか焼き肉屋の人に教わった。炎をよけるように私たちは顔の角度を変えて話し続けた。

 そうしながら、肉について思いを馳せる。

 肉って安い。人はそんなことを深く考えもせず、高級肉は高いし、安い肉は安いと思っている。でも、やっぱり肉って安いんじゃないか。

 もちろん、ものすごい値段の肉の店もある。でも、高級店の肉というのはたいがいコース設定になっていて、メインの肉料理が出る前に、トリュフだとかからすみだとか、鮑だとか伊勢海老だとか蟹だとか、そういったあれやこれやが出る。肉、単品、それだけならば、五万も十万もしない(する店もあるかもしれないが、知らない)。そうしてそうした高級店は、日常的にいくようなところではない。

 そのホルモン屋であるが、ンマーッと絶叫するおいしさで、肉はみな、五百円。豚バラもハツもミノも五百円。だから混んでいる。

 世の焼き肉屋は値段的にピンからキリまであるが、いくら高いほうに分類される焼き肉屋でも、ひとり一万円以上払うことはあんまりない。一万円以上になるときは、さんざっぱら飲んでいる。

 豚だともっと安くなる。サムギョプサル、豚しゃぶ、焼きトン、グリル、炭火焼き、各国料理店で扱う豚は、たとえブランド豚であっても牛より安い。鶏はさらに安くなるし、私の愛する羊も安い。

 さっきから、安い安いと連発しているが、絶対的に安価だ、と言っているのではない。「魚と比べて」相対的に思うのである。

 鮨を食べにいったらば、焼き肉屋なんかの比ではない。そもそも、通りがかりの焼き肉屋には入れるが、鮨屋には入れない。知らない店の鮨がいくらするのかわからないからである。

 松葉蟹。本マグロ。ふぐ。みーんな高い。

 ずうっと前のこと、食事にお呼ばれして、鍋料理だったから気楽に、料理に気を遣わず、わいわいと食べていたら、呼んでくれた人が、この鍋の魚は東京ではめずらしいのだと言い、そのコースの値段を口にした。一同、しんとなって鍋のなかを見つめたことがある。私はその値段が胸のなかでこだまのように響くのを感じつつ、「もう一度最初からていねいに味わいたい」と思っていた。だって、その魚、値段を言われなければ私には白身魚としか思えなかったのだ。ちょっとおいしい鱈鍋、と言われても納得しただろう。

 高い肉の天井値段は想像がつくが、魚はまったくわからない。外食だけではない。

 よくいく魚屋さんに、めばるが並ぶ。めばるの煮付け、いいな、と思うが、値段を見ると一尾八百二十円。すぐさま私は切り身魚に目を逸らし、カレイの煮付けかな、と瞬時に考えを変えるが、こちらは一切れ五百円。どうすべか、と考える自分が自分で恥ずかしい。

 いつだったか、キンキがまるごと一尾、八百円で売られていた。いつもは二千円台なのに、どうしたことか。私はさっそくウキウキと、「キンキくださーい、おなか出してくださいねー」と上機嫌で言ったのだが、支払いの段になって仰天。べつの魚で値段札が隠れていたのだ。八百円ならぬ、千八百円。まあ、いつもよりは安いが、それでも千八百円。

 旬の魚は、出はじめは高いが、旬ど真ん中になると安くなる。件のめばるだったら、一尾五百円台かそれ以下になったときに私は買う。

 一方、肉に値段の変動はない。めばる二尾ぶん、肉だけ買えば、けっこうな肉料理になる。すき焼きをしようとか、ステーキを焼こうという場合は、もちろん肉だって高いのだが、しかし何かそこには「お祝い感」がある。でもきんき煮付けはどこまでも日常だ。

 そうか、肉って安いのか。私はしみじみと思いつつ、ンマーッとさらに心の奥深くから言った。尊敬の念をこめて。


 肉記、というのは、今月からはじまる、そんな私の日記のようなものである。
 もちろん肉のことばかりでなく、ほかのことも書きますが、飲食中心の日記になることと思います。どうぞよろしくお願いします。


2 夕方から飲む

 この町に住むまで、場所を好きになる、ということを知らなかった。みんななんとなくそれぞれの事情があって、その町に住んでいるのだと思っていた。この町が好き、という理由でそこに住むなんて、想像したこともなかった。

 私は今住んでいる町が好きだ。引っ越してきたのが二十六歳のときだから、途中隣町に引っ越したことはあるけれど、その期間をのぞいても、十五年くらいにはなる。

 この町の何が好きかといえば、まず、チェーン店ではない飲み屋が多いこと。古書店と書店の数が多く、品揃えがすばらしい、というのもあるし、昼間成人男女がぶらぶら歩いていても、だれも不審な目を向けない、というのもある。大きな町ではないから、のんびりした感じなのもいい。でもやっぱり、いちばんは飲み屋だな。

 仕事が休みの土曜日、年長の知人二人と、明るいうちから待ち合わせ、明るいうちからやっている居酒屋で飲んだのち、ちいさな飲み屋が集まる横町に移動した。目当ての店は満席で、向かいの居酒屋の、軒先のテーブルについた。それぞれウコンサワーやハイボールを頼む。島らっきょも頼む。

 この路地は、私が引っ越してきた二十年前、ほとんどの店が閉店したり、開店閉業の古いスナックばかりだった。なんとなく暗く、さみしい路地という雰囲気で、歩く人もあんまりいなかった。それが、十年くらい前からだろうか、閉店した店を若い人たちが借りて、新しい飲食店をはじめるようになった。それが、私が隣町に住んでいた期間のこと。隣町から戻ってきたら、いきなりこの路地がにぎやかになっていて、驚いたものだった。

 そのとき私は三十代半ばだった。そして路地のにぎわいを見て、じりじりと焦ったような気持ちになって、でもなんだか飲みにいくことができず(常連客しかいないように思えたのだ)、いじけるような気持ちで思った。

 三十代半ばでよかった。私がもし二十代だったら、この路地から永遠に出てこられず、いき倒れていたかもしれない。

 そのくらい、その路地はたのしそうだったのだ。実際、二十代のときこの町に住んでいた私は、しょっちゅう友だちと集まり、翌日まで延々と飲んでいた。たのしい日々だったが、ほとんど仕事をしていなかった。

 けれど敬遠していたのもほんのしばらくで、私はおそるおそるこの路地の店に入るようになった。タイ料理屋、焼き鳥屋、韓国焼き肉、沖縄料理、バー、さまざまである。ドアを開くとものすごくおしゃれな空間が広がっていて、ぶったまげたこともある。すべての店は狭く、ほとんどの店にトイレがない。路地の一角に公衆トイレがあるので、そこを使うのだ。

 さて、三人で座った店の軒先のテーブルに戻る。風がなんとも気持ちいい。向かいの店の酔客がたのしそうなのがいい。若者が若者らしく馬鹿騒ぎして通り過ぎていくのもいい。猫がくる。さわると人なつこい。抱っこもさせてくれる。飼い猫に違いない。お店の人に訊くと、このお店の猫だという。ずいぶんでかいね、と年長の知人が言うと、ええ、太っちゃってと店の人。

 ソーミンチャンプルが運ばれてきて、「ウワッおいしそう」と思わず声を出すと、若くてかわいらしいお店の人がにっこりと私を見て「おいしいんですよー」と言う。マニュアル笑顔じゃないんだよなあ。うっとりしてしまう。

 どこかの店の店主か、それとも常連客か、通り過ぎざま、猫の名前を呼びながら猫をなでていく人たちがいる。人気ものらしい。向かいの席の知人が猫を抱いていると

「んまあー、今日はいいわねえ、甘えちゃってンモー」と猫の頭を撫でさすり、年配の女性が公衆トイレへと向かう。

 ああ、いいなあ、この町と、未だに思うのである。冷めない恋ってあるんですねえ。

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著者プロフィール

角田光代 かくたみつよ

1967年神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。
90年「幸福な遊戯」で「海燕」新人文学賞を受賞しデビュー。96年『まどろむ夏のUFO』で野間文芸新人賞、98年『ぼくはきみのおにいさん』で坪田譲治文学賞などいくつもの賞を受賞。03年『空中庭園』で婦人公論文芸賞、04年『対岸の彼女』で直木賞受賞など。