アスペクト

肉記


3 ひとり夕飯

 今までずっと、ランチタイムはともかく、夜、飲食店に入ることができなかった。私は夜は必ず酒を飲むので、入るとしたらレストランや食堂ではなく、居酒屋系になるのだが、これがなかなかにハードルが高かった。それが昨年、入ることができるようになった。きっかけは、自分の住むマンションの下に洋風居酒屋ができたこと。これほど近いと、自分の家感覚で飲めるのである。以来、夫がおらず、ひとりぶんの夕食を用意するのが面倒なとき、ひとりで飲みにいくようになった。

 つい先だって、近所に新しい店ができた。工事をしているころから、「あ、新しい店ができるのだな、何屋さんかな」と気にしていた。できあがってみればなんとうれしいことに、ワインの店。

 雨の週末、ひとりで飲みに出かけた。カウンター席中心の、ちいさなお店である。まずはカバを飲みながら、メニュウをじーっくり読む。そんなに品数は多くないけれど、ひとりだとたくさん食べられないぶん、熟読して熟考して決めねばならないのだ。まだ七時にもならないのに、次々とお客さんが入ってくる。カバを飲み終え、お店一押しの(とメニュウに書かれた)赤ワインのグラスと、アリオリソースのポテトサラダ、白アスパラを注文する。

 半熟卵、みじん切りのトマトやピーマンののった白アスパラが、ひとりでニマーッとするくらい、おいしい。そうして思う。ああ、ここはいいお店だなー。一押しワインも一押しだけあって、深みがあっておいしい。ああ、ほーんと、いいお店だなー。ひとりで飲むときはいつも本を持参する。その日はポール・オースターの新作。

 新しく入ってきたお客さんが「これ頼もうかな」と話していると店主の人が「あ、それイマイチ、だったら白アスパラのほうがおすすめ、今日はすぐ売り切れちゃうだろうし」と言っている。

 ワインおかわり、前に置かれたポテトサラダも本当においしい。ていねいな味がする。

 お店の人のやりとりを聞いていたら、どうやら、どこかのお店でずーっと働いていた人が、独立してここに店を構えたそうである。聞こえてくる話によると、今いる何人かのお客さんは、前のお店からのファンで、遠くからここまでやってきているらしい。

 もう一品何か頼みたいなあ。またメニュウをじーっくり読み、自家製ソーセージ風のものか豚バラと豆を煮たものかさんざん悩み、豆のほうに決めて、ワインのおかわりとともに注文。気がつけばまだ明るかった外は暗くなり、雨で濡れた窓ガラスに、街灯がにじんでうつっている。

「ごめんなさいね、うるさくて。本、読めますか」と、ワインのおかわりを持ってきたお店の人が訊く。へ、うるさかったっけ、と店内の様子をあらためて眺めると、前のお店の常連さんたち、はじめて入ったお客さんたち、混じり合って全員ひとつの話題で盛り上がっている。ぜんっぜん問題ありません。うるさくないし、むしろたのしそう。また本に戻る。本に戻ると声も遠のく。

 豚バラと豆を煮た一品も、「はひー」とつい天井を向いてつぶやいてしまうくらい、おいしかった。

 ひとり飲みはたのしいけれど、この瞬間がいつもさみしい。一口食べて「うわっおいしい」というときに、やっぱり私はだれかと「おいしいねー」「おいしいねー」と言い合いたい。うん、今度はワイン好きの友だちを連れてこよう、と決めてワインおかわり。豚と豆の料理が、またワインに合うんだわ。友だちときたら、よし、これもあれもこれもあれもこれもあれも食べよう。ひとりでさみしいのは、品数がたくさん食べられないこと。今日の三皿だって、もうおなかいっぱいでぜんぶは食べられない。

 よし帰ろ。八時半近く、席を立つ。今度言ってくだされば量を少なめにできますよ、とお店の人が会計しながら言ってくれる。あーよかった。それならひとりであれもこれもあれもこれもいけるかも。

 ビニール傘をさして、いい気分で家を目指す。ひとりで飲めるようになったしあわせをかみしめる。

4 女友だち

 学生時代の友だちと、べつの友だちの芝居を見にいった。私たちはみんな演劇サークルに属していて、その同期なのである。このサークルの出身者は、じつに多くが今も芝居をやっていたり、演劇関係者だったりする。すごいサークルだったんだと、今になって思う。

 観劇後、私の住まいのある町に戻り、飲もう、ということになった。焼き鳥、焼き肉、バル系、ごくふつうの居酒屋、どれがいい? と訊くと、焼き鳥、とのこと。よっしゃ。地元の、私がいちばん好きな焼き鳥屋に連れていくぞ。

 駅からほんの少し離れた場所にあるそのお店は、正確には焼き鳥屋さんではなく、焼き鳥もやきとんも、ほかの料理もあり、冬はもつ鍋を出す。この町ではおいしい店はきちんと人気店になる。七時過ぎにふらりときても、入れないことが多い。

 着いたのは六時の開店すぐで、まだまだ席は空いている。よかった。カウンターに二人で並び、友だちはハートランドの生ビール、私はレモンサワーで乾杯。ポテトサラダ、トリッパ、串を何本か注文する。ポテトサラダはふつうで、まっとうなおいしさ。バゲットと出てくるトリッパも、あつあつで、トマトの酸味が絶妙。

 串は、せせり、アスパラ豚巻き、肝、皮、などなど。焼き鳥ややきとんって、焼くだけのように思うのだが、おいしいものとそうでないものとあるのはなぜだろう? じつは一週間ほど前、そうでない焼き鳥を食べたばかりなので、この店のおいしい焼き鳥とついつい、比べてしまうのである。友だちが、おいしい、おいしい、と連発してくれるのでうれしくなる。連れていったお店で喜んでもらえると、こんなにうれしいものなんだなあ。

 飲みものをおかわりし、さらに串を注文しつつ、縁の不思議について考える。

 学生時代、うーんと仲のよかった人でも、疎遠になる人のほうが多い。忙しくて会えなくてそのままになったり、気がつけば共通点がひとつもなくなっていたり、つるんでいる仲間が双方まったく変わったりして、そのうち連絡先もわからなくなる。それきりなのは、双方それで何も困っていないから。

 一方で、学生時代にさほどいっしょにいたわけではないのに、ほそぼそとながら、ずーっとつきあいの続く人もいる。

 いちばん不思議なのは、学校を出てからなんとなく音信不通になり、三十歳過ぎにばったり再会し、またつきあいがはじまる、というパターンだ。

 カウンターで並んでいる女友だちは、ほそぼそとながら続いている友だち。ほかに、三十過ぎで再会パターンの古い友だちもいる。

 なんなんだろうなあ、と思う。切れる縁と切れない縁の違いは、なんなんだろうなあ。学生時代に読んだ宮本輝さんのエッセイに、そのような縁について書かれたものがあった。たしかその本には、近くにいる友だちというのは、持っている「器」が同じなのだと書かれてあった。

 器、というものが私は未だ実感できないけれど、でも、たしかに、そのように縁のある友人たちは、みんなどこかしら似ている。類は友を呼ぶって、きっと真実なんだろう。

 ほうれん草とチーズを豚肉で巻いた串が、毎日ひと串食べ続けたいと願うほどおいしい。気がつけばお店は満席。私がこのお店を好きなのは、料理がおいしいのはもちろんのこと、カウンターのなかにいる店主のおにいさんがすてきなこと。男前のおにいさんは、どんなに忙しくても、どんなに混んでいても、ずーっとほほえんで串を焼いているのである。そのたたずまいがとてもいいのだ。注文したシークアーサーサワーがずいぶんきていないことに気づいて、注文通っているでしょうかと訊いてみると、「あっシークアーサー、今もいできたところなんで!」と笑顔で即座に返す。

 お勘定を割り勘で払い、お店を出る。ああおいしかった、おいしかったと二人で言い合いながら、暗い道をにこにこ歩いた。二十代のときも、この同じ夜道を彼女とほろ酔い気分でにこにこ歩いたなあと思い出す。

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著者プロフィール

角田光代 かくたみつよ

1967年神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。
90年「幸福な遊戯」で「海燕」新人文学賞を受賞しデビュー。96年『まどろむ夏のUFO』で野間文芸新人賞、98年『ぼくはきみのおにいさん』で坪田譲治文学賞などいくつもの賞を受賞。03年『空中庭園』で婦人公論文芸賞、04年『対岸の彼女』で直木賞受賞など。