アスペクト

肉記


051 立ち食い蕎麦が意味するところ

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 人と待ち合わせたカフェに早く着いてしまい、ひとり本を読んで待っていた。すぐ後ろの席に女の子が二人いて、話している。声が大きいので、自然と聞こえてくるが、本に没頭して何を話しているのかまではわからなかった。ところが。

「だってあの人って、ひとりで立ち食い蕎麦屋に入れますってのをアピールしてる女じゃん」

 と、ひとりが言い、そこだけ私の耳はキャッチし、顔を上げた。

 あーあー、そういうとこ、あるよねー。そういうのがねー。と二人の話は続くが、その後はもう興味がなくなって、私は再び本に目を落とした。

 店を出ていく彼女たちをちらりと見ると、三十歳前後、といったところに見えた。彼女たちは自分たちのことを若いと思っていないかもしれないけれど、断然若い。そして私は自分が若くないことを実感し、若くなくてよかったと続けて思った。

 私が彼女たちを「若い」と実感するのは、女性が「立ち食い蕎麦屋にひとりでいく」なんて、あり得ないという前提を疑わず、そのあり得ないことをわざわざするのは、何ごとかを世に訴えているからだ、と考えているところ。

 その考え方は、たいへんによくわかる。私にも若いときがあったからだ。しかも、私が若き日、オヤジギャルという言葉が流行って、わざわざオヤジのような趣味を持ちオヤジのような振る舞いをする女子が実際に増えた。そのような自分を演出している女は多かったと思うけれど、この流行にほっとした女もいただろう。「やむなく」派だ。

 そう見せたい、そうありたい、からではなく、やむなくそうするしかない、という場合があると、若き日の私も知らなかった。自分がやむなくそうせざるを得なくなってはじめて、「あっ」と気づくのである。

 私は三十歳を過ぎてから立ち食い蕎麦屋を頻繁に利用するようになった。なぜかというと、時間に余裕がない、でも、カロリーメイトやコンビニおにぎりは食べたくない、というときが増えたからだ。食堂やレストランなら三十分以上かかる食事が、十分程度で済ませられる。三十代半ばは本当によく利用していた。同じチェーン店でも、どこの駅はおいしくて、どこの駅はまずいとわかるまでになった。はじめた訪れた町で、やむなく立ち食い蕎麦で食事をしなければならない場合、チェーン店の、Aという店があればうれしいし、Bという店しかないとがっかりする。チェーン店比較もできるのだ。

 たぶん、女性が「立ち食い蕎麦屋にひとりでいく」のはおかしい、という前提が、私のなかにもかつてはあったのだと思う。でも、やむなくそうするしかない。やむなくしているうちに、前提が前提ではなかったことを知る。

 立ち食い蕎麦屋で蕎麦をすする自分を、知り合いに見られたいかというと、見られたくない。時間的精神的余裕がないことを見られたくない。

 年齢を重ねると、こういうことがどんどん増えてくる。人からどう見られるか、という部分が摩耗していって、自分の都合や意志や嗜好が肥大してくる。

 ひとりで飲み屋に入る女は、人をわざわざ誘うのも面倒で、でも家では飲みたくなくて、だからやむなくそうしているのである。

 薬局で腰に手をあててドリンク剤を飲む女は、飲まないと体が持たなくて、やむなくそうしているのである。

 逆もまた然り。二十代の女の子ならもしかして、それは見せかけかもしれないが、三十代後半以上は、まず間違いなく、やむなくやっているはずだ。

 瓶の蓋が開かない、と言っている女は、か弱い自分を見せているのではなくて、握力がないか、低下しているのである。

 道に迷ってかならず遅刻する女は、「方向音痴にこんなわかりづらい店指定すんな」と逆に怒っているはずである。

 酔っぱらって「キリンってどうやって眠るか知ってる?」とか「クジラって魚類? ほ乳類?」などと何百回も言う女は、天然を演出しているのではなくて、酔いスイッチが入ってそのことが頭から離れなくなっているのである。

 ひとりで立ち食い蕎麦アピールの話、なつかしく、かつ、感動するほど新鮮だった。そして同時に、そんないっさいを考えずに立ち食い蕎麦店に入っていける自分に、大いに安堵した。

052 文壇バーというもの

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 異なる職業の人と話していて、「文壇バーって本当にあるの」と訊かれることがある。

 たぶんもう「文壇」などという言葉を使わないせいだろう、「文壇バー」というと、なんだか都市伝説じみて聞こえるが、実際にある。そのように答えると、次なる質問は、「そこでは作家たちが文学論を闘わせて喧嘩になったりしているわけ?」である。

 そのイメージの持ちかた、よくわかる。作家は徹夜して原稿を書いている、というイメージとよく似ている。

 私は一九九〇年に新人賞をいただいたのだが、この新人賞の授賞式は九段のホテルでおこなわれ、二次会が文壇バーだった。これが私の文壇バー初体験である。

 四ッ谷にあるちいさな店で、小上がりと、カウンター席があり、授賞式から流れてきた編集者、作家たちで店は満員電車のようにぎゅうぎゅうだった。酒の種類は限られていて、カクテルだのサワーだのといった飲みやすいものはなかった。二十三歳だった私は、隣に座ったまだ若そうな編集者に、「唐揚げが食べたいんですけど」と言ってみた。授賞式で何も食べておらず、油ものが食べたかったのだ。「そういうものはここにはありません」と言われた。机に並んでいるのは、煮染めと煮物とお新香だった。十時を過ぎ十一時を過ぎ、ぎゅうぎゅう詰めも少しは減ってきたころ、作家同士が激しい口論をはじめた。「うはあ」と若かった私は思った。都市伝説のようだ、と思った。

 その後、次第に文壇バーなる存在を知っていった。そのように呼ばれているところは、新宿には二、三軒あるし、銀座にもある。ゴールデン街にもたくさんあるようだが、そちらは私はまったく知らない。経営者が引退して閉めてしまった店もあるし、あらたに開店したところもある。先だって新聞記者と話していたら、私の知らない文壇バーが続々と登場していた。

 文筆業関係の人たちだけでなく、映像関係の人たちもよく集まる店だったり、美術系の人も集う店だったりする。そういう人たちにとっては文壇バーではなくて、ほかの呼び名があるのだろう。

 ほかの多くのことがらと同じく、店とも相性がある。ずいぶんいろんな文壇バーに連れていってもらったが、みずから進んでいくようになった店と、誘われてもいかない店がある。客層とか、お店の人の雰囲気などではなく、容れものとしての「店」との、合う、合わない、だと思う。

 そうして私のよくいく店では、喧嘩が本当に多かった。目撃したものもあるし、「あなたが帰った後、だれそれがテーブルをひっくり返してたいへんだった」などと聞いたりもする。それが続くとこちらも慣れてきて、もう「都市伝説……」とは思わない。そうしたものなのだろうと思う。文芸でも演劇でも映像でも、なんらかにかかわっている大人は、大人げないほど何かに夢中なのだろうと思うようになった。

 よくいっていた店のうち、二軒はもう営業をやめてしまった。どちらもお店のママさんだった人とは未だに交流がある。ほかの飲食店では、そんなことはめったにない。文壇バーというのは、そのくらい人と人を親しくさせてしまう場所なのだ。

 よくいく、とはとても言えないが、一年に一度くらいはいく機会のあるバーは、今、二軒ある。そのどちらも私は大好きだ。こういう店にヒョイ、といくと、知り合いの作家や評論家に会えたりするのも、私にはうれしいことだ。そのどちらでも、もう派手な喧嘩を目にすることはない。大人は、昔の大人より、スマートに大人っぽくなったんだと思う。……と書きながら、半年前に、口喧嘩は見たな、と思い出す。でも手は出なかった。

 しかしながら文壇バーとは不思議な存在である。まったくはじめての、ふりの客はまず入ってこないのがまず不思議。店内に似たような業種の人たちが集まっている、というのもよく考えれば不思議。そして私は、未だにこうした店の料金システムを理解していない。

 今は、私と同世代か、それ以上の編集者でないと、みずからすすんで文壇バーに作家を連れていったりしない。だから、その存在をまったく知らない作家もきっといるんだろうなと思う。編集者にも育てられたけれど、こうした飲み屋にも、どこか一部育てられたと思う私は、もう古い世代なんだろうなあとしみじみ思う。デビューしたのは、つい数年前のことに思えるのだが。

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著者プロフィール

角田光代 かくたみつよ

1967年神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。
90年「幸福な遊戯」で「海燕」新人文学賞を受賞しデビュー。96年『まどろむ夏のUFO』で野間文芸新人賞、98年『ぼくはきみのおにいさん』で坪田譲治文学賞などいくつもの賞を受賞。03年『空中庭園』で婦人公論文芸賞、04年『対岸の彼女』で直木賞受賞など。