アスペクト

肉記


049 好き、の効用

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 好きこそものの上手なれ、ということわざがある。まあ、そうだよな、と思うときもあるし、いやいや、いくら好きでもうまくいかないこともある、と思うこともある。

 しかし酒好きについて思うとき、このことわざはある意味真実だなあと思う。酒好きであればあるほど、うまく(きれいに)酒を飲む、ということではない。酒好きは、酒関係に異様に耳敏い。そして酒への愛繋がりでどんどん人脈が広がっていく。

 もう三月になっているというのに、新年会と称して五人で集まった。みんな忙しすぎてそんな時期はずれになったのだが、多忙は共通していてもみな職種が違う。イタリア料理店でさんざん飲んで、近くのバーに移動して飲みながら、いったいこれ、なんの会なんだっけ……とぼんやりと考えた。元同級生の会、とか、仕事関係の飲み会、とか、そういったわかりやすい分類ができない。

 この二次会で、私たちは二カ月後の飲み会を早くも決めはじめた。そうして思い至った、なんの会でもない、みんなただの酒好き、飲み好き、酒が結んだ縁である。

 このとき、なぜ次回の飲み会を決めたかといえば、だれかがある店のことを話したからである。日本酒が飲み放題の店だという。酒瓶がずらー、と並んでいて、客はコップを手に、勝手についで飲んでいい。その種類も、五種、十種なんてちんけなものではない、何十種類もの日本酒がずらり、なのだそうだ。この店、食べものはいっさいない。そのかわり、なんでも持ち込みOK。鍋だろうが、ホットプレートだろうが、OK。ビールやワインといった日本酒以外の酒も持ち込みOK。驚いたのは、それで、時間無制限、ひとり三千円とのこと。持ち込み代も無用。

 酒を飲みながら、その店すごい、いこういこうと盛り上がったのだ。酒を飲みながら次の酒の話……。

 話は聞いていたものの、その店がどんなふうであるのか、私はまったく思い浮かべることができなかった。吹きっさらしのような半屋台で、ビールケースを積んだテーブルがてきとうに置いてあって、客は立って飲み、カウンターにずらりと酒瓶が並んでいるのかなあと、無理矢理思い描いてみたりした。

 二カ月後の約束の日がやってきて、私たちはその店に集合した。私の想像とはまったく異なった。店はビルの四階。素っ気ない、会議室のような部屋に折りたたみ式の長机とパイプ椅子が並んでいる。壁際に、ガラス戸が壁まである巨大冷蔵庫があり、一升瓶が詰まっている。受付のようなところでまず先にお金を払い、飲み放題の札をもらったら、もう何を飲んでもいい。私は日本酒にはくわしくないのだが、本当に驚くほどの種類がある。

 初体験の私たちは勝手がよくわからず、お新香や鮨、ピクルスといった冷たいものばかりを持ちこんだのだが、ほかのグループはすごかった。私たちが飲みはじめたときには、すでにホットプレートで焼き肉をやっていたグループは、肉を食べ終えるや野菜を焼き、茸を焼き、ビーフンを作り、その後焼きそばまで作っていた。お店にある電子レンジもフル活用していた。ホットプレートやたこ焼き器は、店にあり、予約して借りるようである。

 うーん、何もかもが新鮮、斬新。このような店を、よく知っているものだと感心する。酒好きの人にはこうした情報はかならず届くものらしい。今度は、私たちも冷えたつまみばかりでなく、何かもっと工夫を凝らしてつまみを作ろうと言い合い、この日は別れた。

 飲み友だち数人と集まった別の会で、こんなに不思議な飲み屋があったと説明すると、なんたることか、ほぼ全員がそこを知っていた。

 好きこそものの上手なれ、好きな人のところにはきちんと好きそうな情報が集まるのだなあと思ったのだが、ことわざの用法が間違っている気がしないでもない。

050 焼き名人

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 お好み焼き屋さんには二種類ある。自分で焼く店と、お店の人が焼いてくれる店だ。

 自分で焼く店は関西風のお好み焼き、お店の人が焼いてくれるのは広島風のお好み焼き、が多いような気がする。

 高校生のころから、自分で焼くスタイルの店にいっていたから、とくになんとも思わないが、よく考えればずいぶん変わった形態だなと思う。もし異国の人がなんにも知らずに入って、生の野菜と溶いた小麦粉の入ったボウルを渡されたら、どぎまぎするだろう。

 自分で焼くスタイルの店は、「お好み焼きを食べよう」という明確な意思がないといかない。そして「お好み焼きを焼こう」という気持ちのある人(ときには自分も含め)としか、いかない。お好み焼きを焼く気がない、もしくは焼いたことがない人たちだけでは、けっしていかないのである。

 ところで、清志郎の会というものがある。十年くらい前から、十人程度で集まって飲むのである。私のようなたんなるファンもいるが、清志郎さんと仕事をしていた人たちも多い。いつもべつの店で集まっていたのだが、このときは、清志郎さんがかつて家族でよくいっていたお好み焼き屋さんにいこう、と会のメンバーが言い出して、予約してくれたのである。つまり、「お好み焼きを食べよう」でも「お好み焼きを焼こう」でもなく、好きなバンドマンの利用した店、というミーハー心でそこにいったのである。

 乾杯して会がはじまると、ポテトサラダや煮込み風のおつまみが出てきて、それから、鉄板で焼く用の料理が出てくる。豚キムチだったり、ウインナ炒めだったり、野菜炒めだったり。この段になって、私ははたと、「だれが焼き係を得意とするのか」と疑問を持った。この会の人たちの多くは、レコード会社やテレビ局や音楽業界のえらい人たちである。とうぜん年齢層も高い。年齢層の高いえらい人は焼き係をやらない、という偏見ではなくて、このえらい人たちと何度か飲んでわかったことだが、食べものに頓着しないという共通点がある。メニュウを見たり料理を選んだり、まして取り分けたりするのが、面倒らしい。らしい、というか、しない。夢中で話していて、目の前に皿が置かれれば、食べる。そんな具合。

 私より若い人たちも参加しているのだが、どうも積極的に焼き係をやるタイプには見えない。この場所を提案し予約してくれたHさんは関西の出身で、関西の人は例外なくお好み焼きを焼くのが得意だが、隣のテーブルである。

 やむなくこちらのテーブルでは私が焼き係をかってでた。予想通り、だれも、鉄板なんか見ない。焼けました、と言っても話していて箸をのばさない。勝手に皿に入れれば食べてくれるので、どんどん入れる。

 このお店の鉄板、なんと端っこにたこ焼き器までついている。たこ焼き、まさかこないよな、と思っていたら、鉄板焼きが数種類続いたあと、きたのである。具材と、ポットに入った生地がべつべつに運ばれてくる。みんな話し続けている。エーッ、たこ焼きは難易度が高い……でもここで私が作らなければ、この難易度の高いものをみんな放置して話し続けるだろう……。

 意を決し、たこ焼き器に油を塗り、具材を入れ、生地を流しこむ。なぜか生地が多量に余る。

 たこ焼きは、思いの外うまくできた。くるりとまわせばきちんときれいなたこ焼きになった。内心ほっとしつつ、話し続けるみんなの皿に入れていく。隣のテーブルでたこ焼きを焼くHさんを見て、はっとした。私がいっぺんに投入した具材は、何回かに分けて入れるものだったのだ。だから生地が大量に余ったのである。私は黙ったまま、具なしのたこ焼きを作ってみた。具なしでも、きちんとたこ焼きのかたちになる。そっと話し続けるみんなの皿に入れると、具なしであることにまるで頓着せず、いや、気づきもしていないのかもしれないが、みんなぱくぱく食べている。

 そしてたこ焼きののちに運ばれてきたのがもんじゃ。

 もんじゃ! 私は心のなかで小躍りした。お好み焼きも含め、焼き係には自信がないが、私はもんじゃだけは得意なのだ。この奇妙な食べものを知ったのは二十代になってからだが、その二十代、私はもんじゃを焼く特訓をしまくったのだ。野菜できれいに土手を作り、そのなかに生地を流しこむ。土手をしっかり作っておかないと、生地が流れ出て惨状になる。

 焼き係の得意なHさんだが、もんじゃはさすがに難易度が高いのでは、と隣のテーブルを見ると、やはりなんだかわからないことをしている。野菜ごと生地を鉄板に流して、てんやわんやになっている。お店の人が見かねて作りにきてくれた。私はここぞとばかり、「見てください!」と、話し続けるみんなの注意を引いた。「見てください、私のこの、芸術的にきれいなもんじゃを」と、土手のなかで生地のふつふつ焼けるもんじゃを指す。話を中断したみんなは、あ、ほんとだ、ほんとだきれいだね、と一応言ってくれ、また話に戻る。それでもいいのだ、見てくれただけで、私は充分焼き心が満たされた。

 もんじゃのあとにはお好み焼きが出てきた。もんじゃで力を使い尽くした私は、鉄板の焦げだけこそげ落として、だれか焼いてください、と焼き係を放り出した。だれが焼いてくれたのか忘れたが、みごとにうつくしいお好み焼きができた。しかも、私のように注意を引いて自慢したりしない。なんだ、隠れお好み焼き名人がいたのか。

 会を終えて帰り道、なんだかすっごくたのしかった、と私はハイになっていた。清志郎の会はいつだってたのしいのだが、その「たのしかった感」がいつもと異なるのだ。ああ、これは焼きハイだろう。焼くのはなかなかに気を遣うが、こんなにもハイになるのか、とはじめて知った。

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著者プロフィール

角田光代 かくたみつよ

1967年神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。
90年「幸福な遊戯」で「海燕」新人文学賞を受賞しデビュー。96年『まどろむ夏のUFO』で野間文芸新人賞、98年『ぼくはきみのおにいさん』で坪田譲治文学賞などいくつもの賞を受賞。03年『空中庭園』で婦人公論文芸賞、04年『対岸の彼女』で直木賞受賞など。