アスペクト

つれづれ雑記 角田光代

作家・角田光代さんの日常を綴る日記が、アスペクトONLINEにて連載開始です!怒涛のような締め切りの数々や大好きな肉のこと。見たこと、聞いたこと、会った人、出かけていった旅のこと。角田さんの毎日のつれづれはここでしか、読めません!!

2005年10月17日〜10月31日

日
10月17日
月曜日

 自宅の引っ越し。三羽の鳥を、早朝、かごごと新聞紙にくるんで、タクシーで新居に運ぶ。この鳥たちは、母が飼っていたもので、去年母が入院した際、中央 林間からはるばる都内まで運んできた。ちょっと馬鹿? と思うくらい、もの音や移動や振動にびびる鳥なので、移動させるのが心配だったけれど、雨降りで暗 かったから、おとなしく運ばれてくれた。新聞紙に包んだ不気味な四角いものを三つも下げているので、乗車拒否にあうかと思ったら、ちゃんとタクシーに乗せ てくれた。しかも鳥好きの運転手さんで、信号でとまるたび、ふりかえって鳥かごに顔を近づけ、ちーちーと鳥真似をしてくれた。
 引っ越しを終えてのち、はたと思い当たり、去年の日記を調べてみると、なんと去年鳥を運んできたのも、10月17日だった。奇遇。
 夜は前途を祝して焼き肉を食べにいく。カルビやロースより、内臓肉のほうがうまい焼き肉屋だった。締め切りふたつ。

日
10月18日
火曜日

 午前中、ケーブルテレビを開通させにきた人が、不必要にかっこよかった。
 午後から仕事。今日から電車通勤になる。

日
10月19日
水曜日

 いつもどおりに出勤。以前は七時に仕事が開始できたけれど、通勤時間が長くなったため(三分→十五分だけどさ)仕事開始時間が七時半になる。これは五時退社を三十分ずらさねばなるまい。でも今日は四時に早退して、ジムにいく。
 夜、新居ではじめてごはんをつくってみる。買ったばかりの圧力釜の炊飯器、たしかにおいしい。「どなべちゃん」(という名称のごはん用土鍋)で炊いたのとおんなじ味がする。おかずはまずかった。引っ越しのあとは、かならず料理がへたになる。締め切りひとつ。

日
10月20日
木曜日

 電車通勤が、なんだかつらい。冬になったらきっともっとつらい。
 けれど私は、つらい、つらいと思っていても、一カ月くらい続けていると、体が慣れる。つらいことにきっと鈍感なんだと思う。七時仕事開始も、はじめたと きはつらかったけれど、今はなんとも思わないから、きっと、一カ月後には通勤も楽しくなっているだろう、と思うことにする。
 昼はえび焼きそば。夕方、赤坂で対談。本について。対談後、恵比寿で打ち合わせ込みの飲み。計五人。移動してさらに飲み。このメンバーで飲むと、楽しくなってかならず二時、三時になる。気がついたら今日も一時半。帰ったら二時過ぎ。締め切りよっつ。

日
10月21日
金曜日

 当然二日酔い。しかも遅刻。仕事場に着いたのが九時。
 二日酔いの日は必ずラーメンが食べたくなる。それで昼ラーメン。
 昼ごはんを食べていると、実感することがある。私の食の好みは、十代の太った男子と等しい。店に入ってごはんを食べていて、はたと気づくと、まわりには 十代の太った男子だらけ、ということがよくある。あるいは、女の人も痩せた男子も多いが、私と同じメニュウを食べているのが太った十代らしき男子のみ、と いうことがよくある。
 数カ月前K社数名とイタリアごはんを食べにいったとき、前菜からデザートまで、私とYさんの選択がまったくいっしょだったのだが、その席で私とYさんだけ、高脂血症だった。
 夜、文学賞の贈呈式にいく。たいへんに華やか。近所に住む人と「今日は常識的な時間に帰ろう」と言い合っていたのに、結局、楽しすぎて三次会までいき、 二時ごろ帰宅。楽しいことには、どうしても流される。それでも、力をふりしぼって引かれる後ろ髪をたくしこんで、泣く泣く帰ったのだ。えらい。大人。締め 切りひとつ。

日
10月24日
月曜日

 おとつい、新居で事件発生。なんでも、近所で自宅に火をつけた男が、そのまま私の新居であるマンションに逃亡、屋上に籠城したらしい。とはいえ、居酒屋 からのんきに帰ってきた私にはそんなこと知る由もなくて、マンションにたくさんの警察とレスキュー隊みたいな人たちがいるのが不思議だった。何が起きたの かとベランダから下を見ると、通行人や警官が、みんなこっちを見ているし。私にむかって手をふる人もいた。私が逃亡犯だと思ったのだろうか。
 翌日新聞を隅から隅まで読んでもそんな事件は出ていない。新聞に出ないと詳細がわからない。永遠に(私のなかでは)未解決事件。
 お昼に隣駅で座談会、住んでいる区について。締め切りひとつ。

日
10月25日
火曜日

 なんと昨日も事件発生。駅向こうで火事。本気の火事。駅前は、戦禍にやられず戦前のまま残っている……という話を、昨日の座談会で聞いたばかり。だから 路地が入り組んでいて、消防車が入らない。ほうぼうからホースをまわして消火作業に入ったが、火はぜんぜん消えない。キャンプファイヤーのでっかい版(頭 悪そうなたとえだなあ)みたいに、夜空に火がめらめらと燃え上がっていた。火事を見るのは、うまれてはじめて。こわかった。こわいのに、はじめて見るもの だから、野次馬心が刺激されて、見にいってしまった。駅前には私と同様の野次馬が大勢。こういうことがないと、自分がどのくらいの野次馬度を内含している のか、わからないものだ。
 電話が少なくて仕事がはかどる。四時に早退、ジムへ。締め切りよっつ。

日
10月26日
水曜日

 取材、対談、など、出向く仕事がないと、昨日と今日とまったくおんなじ一日になる。七時十五分に仕事場着、十一時半昼食、五時半帰宅。しかしながら、もっとも心落ち着くのはこういう日でもある。
 時間がない、ということについて考える。なんだかこの数カ月、圧倒的に時間がない。約束と約束の時間を重ならないようにつなげて、万事オーケイ、と思っ たものの、入れ忘れた時間、というのが出てくる。たとえばごはんの時間とか、移動時間とか、そういうのを忘れてスケジュールを組んでしまって、ごはん抜 き、タクシーぶっ飛ばし、みたいなことが最近多い。いちばん組みこみ忘れるのは、私の場合、化粧の時間だ。そういや月曜日も、あっ、化粧し忘れた、と電車 に乗ってから気づいた。
 三十歳過ぎて外出時に化粧をしないのは、何かのポリシーがある人だ、なかったとしても何かのポリシーがあると人は思う。と、五年くらい前、仲良しの友人 に言われ、私はたいへんに納得したので、以来化粧をするように心がけているが(ポリシーがないので)、どうしても、化粧時間を組みこみ忘れてスケジュール を組んでしまう。べつに化粧をしてもたいした違いはないのだが、しかしやっぱり、四十近い女がしらふで写真撮影にのぞむ、というのは、なんとなくすさまじ いものがある。
 一日外出しなくていい日は、化粧もしなくていいから楽だ。あっ、今日は出かけるんだった。四時に出るとして、ああ、もう化粧しないとまにあわんよ。

日
10月27日
木曜日

 ゆうべは、内臓部の定例会で、赤坂にて内臓料理を食らう。内臓部というのは、編集者・同業者の方数人と結束した内臓を愛する会。部長は某誌の編集長。
 前回の定例会が、焼き肉屋だったので(それもたいへんにおいしかった)、今回もそうだろうと思っていたら、内臓屋とは思えない上品な店。内臓懐石らしい (内臓懐石って、文字にするとすごいな)。食べたことのないものが続々と出てきた。アキレス腱からはじまって、大動脈、子宮、雄雌生殖器、肺……これが、 何を食べてものけぞるくらいうまい。個人的には、子宮が泣くほどうまかった。私は人より小食なので、ラストのほうがついていけずかなしかった。私の隣に 座っていたSさんに、食べられないぶんを食べてもらう。Sさんは私の半分くらいの華奢な人なのに私の三倍は食べる。かっこいい。
 昼にさぬきうどんの店にいったんだけれど、店先にランチメニュウが出ていて、ものすごく迷った。メニュウには、こうある。
1、天ぷらうどん(海老天、かまぼこ) かやくごはん お新香
2、きつねうどん(あげ、ゆで卵、かまぼこ) かやくごはん お新香 
3、冷やしうどん かやくごはん お新香。
 私は天ぷらうどんが食べたくてうどん屋にいったわけなんだけれど、2、の、ゆで卵に目が釘付けになる。私は肉好きだが、卵にも目がない。卵大好き。天ぷ ら、卵、天ぷら、卵、と、激しく悩んで、結局、卵の誘惑に負けて、2を選んだ。ところがさー、出てきたうどんの卵が、スライス卵じゃん。それも、黄味が少 なくて白身ばっかのとこ。あー損した、あーあーもう損した。と思いながら、きつねうどんを食べた。くだらない話を延々と書いてすみません。卵が好きなんで す。

日
10月28日
金曜日

 昼、Tちゃんと昼ごはん、カレー。夜、Mちゃんと夕ごはん、中華。
 昼と夜のあいだに、駅の構内で、奥さんらしき女性を、ものすごい勢いで怒鳴りつけている老紳士を見る。本当に、ものすごい剣幕。人が立ち止まってふりか えるほどの怒鳴り声。ふりかえる人は全員、奥さんに同情している様子。声が大きすぎて、何を言っているんだかわからない。私、大声出して怒る人、だいっき らい。
 半年くらい前も、駅ビルで、奥さんらしき女性をものすごい大声で怒鳴りつけている老紳士を見かけて、ぎょっとしたんだけれど、もしや同じ人では。
 とすると、あの大声は、罵声ではなくて、ごくふつうの会話? まさかね。
 Mちゃんといった中華料理屋では、酒をあんまり飲まず、はやばやに切り上げて、帰り、もとの家に寄った。粗大ゴミをおもてに出しておくため。
 引っ越したあとの部屋は、それがどの町のどの部屋であっても、不思議な表情になる。置いていったね、と恨んでいるような、ああ、せいせいした、とさっぱ りしたような、住む人の帰りをずっと待っているような、そんな表情で、いつもちょっとさみしくなる。さみしくなりながら、粗大ゴミをおもてに並べる。

日
10月31日
月曜日

 十年ぶりくらいに自転車を買った。
 ぜったいに乗れないような気がしていたので、買うときに、試し乗りしなかった。店の前で店の人に見守られてこけたら、いやだもん。買って、(本当はすい すい乗れるんだけど、まあ、ここは人通りも多いし)という顔をして、人のいないところまで自転車を引っぱっていき、転んでもだれにも迷惑をかけずだれにも 笑われない無人の路地までいき、そろそろと乗ってみる。驚いたことに、ちゃんと乗れた。
 人通りのない道を選んで、自転車で帰る。漕いでいるうち、どんどん愉快な気分になってきて、「ぎゃははははー」と大声で笑い出したくなるが、我慢して、 まじめに漕いだ。家に着いたら、もっと漕いでいたくなって、少し遠くのスーパーまでいった。それでもまだ乗り足りなくて、少し遠くのパン屋までいった。暗 くなってきたので、あわてて帰った。子どものころのことを思い出した。
 締め切りむっつ。むっつ? 多すぎるって。

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