アスペクト

今日もごちそうさまでした

角田光代
お肉は好きですか? お魚は好きですか? ピーマンは? にんじんは? 美味しいものが好き、食べることが好き、何よりお料理が好きな角田さんの食にまつわるエッセイがスタートです。

005 だいじょうぶだとほうれん草が言う

 だれしも「だいじょうぶ野菜」を心に持っているのではないか。

 だいじょうぶ野菜、すなわち、これさえ食べればだいじょうぶであろう、というような野菜。体調が悪いとか、なんかふらふらする、とか、最近野菜食べてない、とか、そういうとき、「あれを食べればだいじょうぶ」と思う野菜って、ないですか?

 たとえば私の友だちは、キャベツがだいじょうぶ野菜である。野菜不足かも、というときはキャベツの千切りを献立に添えるらしい。トマトの人もいる。かぼちゃの人もいる。

 私の「だいじょうぶ野菜」は、ほうれん草である。ほうれん草を食べさえすれば、なんかだいじょうぶな気がする。

 もちろん、野菜不足とか、めまいがするとか、風邪気味、とか、そんなとき、ほうれん草だけ食べればよいというものではないことは、ちゃんとわかっている。肉もほかの野菜も米もバランスよく食べなければいけない。が、今、とにかく何か元気になりそうなものを食べねば、と思うとき、私が思い浮かべるのは肉ではなく、ほうれん草なのである。(肉は日常的に食べているのであまりSOS感がない。)

 なぜにほうれん草か。ポパイの影響ではない。

 今もごくたまにそうなるが、十代のころの私はしょっちゅう貧血を起こしては、電車や往来でばたーんと倒れていた。今日貧血を起こして……と親に話すと、親は心配するあまり怒り出し「レバーとほうれん草をもっと食べろ!」と迫るのである。このころ、あんまり倒れるので病院にもいった。投薬のほかに「食べたほうがいいもの」といったような紙を渡され、そこにもやっぱりレバーとほうれん草と書いてあった。そのころレバーは嫌いだったので、せっせとほうれん草を食べた。倒れるのは私だってやっぱり避けたかったのだ、恥ずかしいし。

 十代のころ、ほとんどの野菜を私は食べなかったが、ほうれん草は数少ない食べてもちっとも嫌じゃない野菜だった。お浸しもおいしいし、ごまよごしもおいしい。バター炒めもおいしいし、バター炒めをココット皿に詰めて卵を落として焼いてもおいしい。我が家ではよくほうれん草のグラタンという料理が出たが、これまた、私は大好物であった。玉葱とベーコンとほうれん草を炒めて、クリームソースで絡め、チーズをのせて焼くだけの料理である。マカロニもごはんも入れない。これは未だに私も作っている。

 ほうれん草にあくがある、ということは、自分で調理するまで知らなかった。一回茹でて調理すればいいのだが、超面倒くさがり屋には「一回茹でる」が面倒でたまらない。だってどうせ火を通すんじゃん、と思って、切ったまま使うことがしばしばである。炒めるぶんにはさほどあくも主張しない。

 一度失敗したことがある。ほうれん草と豚肉だけで、豚しゃぶをしたのである。このときも私は面倒で、ほうれん草を茹でず、切ったまま鍋に投入した。ポン酢をつけるので、食べている最中はあくの味はそんなに気にならなかった。

 さて鍋を終え、雑炊でも作るか、とごはんを入れてぐつぐつ煮たところ、なんと、ほうれん草のあく味の雑炊ができあがった。これがもう、みごとというほかないくらい、あくが凝縮された味だった。アルミホイルを口じゅうに敷き詰めたような、きしきしした不快な違和感と、青くさい苦み。「おー」と思った。「おー、立派にまずい」と。

 私は緑黄色野菜をむやみに尊敬・信頼している節がある。もちろん好きな緑黄色野菜、苦手な緑黄色野菜があるが、しかし緑黄色野菜全般にたいして感じるのは、好き嫌いではなく、あくまでも尊敬、信頼である。体にいい、というか、体のなかの困った問題を即座に解決してくれる、とどことなく信じている。

 そんななかでほうれん草はぶっちぎり第一位で、私の尊敬と信頼を得ているのである。ほうれん草があの深い緑色でなく、白とか薄緑だったら、「だいじょうぶ野菜」の地位を獲得していたかどうか、ちょっとあやしい。

006 豆腐の存在価値

 肉と油を激しく愛する私にとって、豆腐というのは、その存在価値がまったくわからないしろものであった。

 いったいなんのために豆腐というものがあるのか。麻婆豆腐や味噌汁の実としての素材ならば、まあ、わかる。その存在を認めよう。しかし、冷や奴。湯豆腐。こういう、豆腐をただ切って冷やしたりあっためたりしたものを、献立のひとつとして扱うのはどうか。しかも、あんな味も素っ気も脂気もないものを、だれが好んで食すのだろう。

 あれだな、冷や奴、湯豆腐というのはつまり、手抜き献立として重宝されているのだな。食卓がさみしいとき、もう一品作るのは面倒くさいな、あ、豆腐がある、あれならすぐできる、というためにだけ、そうしたものがあるわけだな。と、思っていた。

 ところが、冷や奴、湯豆腐というのは、居酒屋のメニュウにも堂々とのっている。そんな、切られただけなのに、肉じゃがとか南瓜コロッケとかモツ煮込みとか、手のこんだものといっしょにメニュウに顔を出しているなんて、なんか許せん。

 しかし、この、冷や奴、湯豆腐を、かならず頼む輩がいる。なぜ? と、いつも不思議だった。だって豆腐ですよ。しつこいようですが、切って冷やしたりあっためたりしただけの。なぜそんなもの、わざわざ店で?

 あまりにも不思議なため、私は勝手に結論を出した。居酒屋で冷や奴、湯豆腐を頼む人ってのは、カロリー制限の必要な持病を持っているか、もしくは「私はさっぱりした性質なんですの」とアピールしたいかのどちらかだ! という、ずいぶん乱暴な結論を。

 豆腐好きイコールさっぱりした性質、というのもずいぶんな偏見だが、でも、「好物は肉」と言うとなんだか獣じみて野蛮な感じがするのにたいし、「好物は豆腐」と言うと、何か上品で清潔で、心まで白い、というようなイメージはないだろうか。私にはある。やっかみかもしれん。

 そんなわけで、居酒屋で、冷や奴や湯豆腐がテーブルに並んでも、私は箸をつけなかった。目すら合わせなかった。

 こんな具合に、私からずいぶんと理不尽な冷遇を受けてきた豆腐である。存在価値をまったく認められていなかった豆腐である。

 去年の冬、小鍋(ひとりぶんの鍋ができる土鍋)をもらった。ひとりで鍋をしたいと思わなかったので、この小鍋で何を作ろうか、としばし考え、ま、湯豆腐でも作ってみっか、と思い立った。湯豆腐なんてちっとも好きではないが、その鍋の大きさで作れるものが、ほかに思い浮かばなかったのである。

 昆布を敷いて切った豆腐をそっとのせて沸騰しないように煮る。豆腐がゆらりゆらり揺れはじめたら火を止めて、ポン酢で食す。

 そのとき、ある衝撃が全身を走り、私は宙を見つめたまま箸を取りこぼしそうになった。

 う、うまい。

 豆腐が、ずっと小馬鹿にしてきた、存在価値を認めていなかったこの白い、ふるふるした食べものが、う、うまい! うますぎる!!

 私はうろたえた。だってそんなにおいしいなんて、予期していなかったのだ。単なる小鍋利用の一貫でしかなかったのだ。なのに豆腐はおいしかった。つるーっとあたたかくて、かすかに甘くて、その甘みをポン酢が引き立てている。いや、ポン酢がなくたってうまいくらいだ。

 私は豆腐を食べながらせわしなく考えた。

 豆腐をうまいと思う、これは加齢だろうか。食の好みが変わったんだろうか。とはいえ未だに私は毎日焼き肉だっていいと思うくらい肉嗜好である。が、肉もうまいが豆腐もうまい。この土鍋がいいのだろうか。あるいは図らずもすばらしい豆腐(肉でいえば松坂牛級の)を買ったのだろうか。ぐるぐると考えたが、しかし豆腐のうまさがそれらの思考をストップさせ、「まーいーや、おいしいんだから」と、私は豆腐を食べ続けた。

 その夏、冷や奴もずいぶん食べた。冷や奴は、おかか葱生姜、という定番も、しらす葱、という変形も、キムチキュウリ、という韓国風も、ラー油ザーサイ葱キュウリ、という中華風もおいしいが、シンプルに、塩のみで食べてもうまいと発見した。この肉と油にまみれた私が、豆腐に塩という、白×白の食べものをすすんで食べるようになるとはねえ……と、じつに私的に感慨深い。

 今年も湯豆腐の季節である。店に並ぶ豆腐を見ても、「味も素っ気も脂気もない白い物体」とは思わない。なんて美しい食べものだろうと唾を飲みこむ。そして胸の内で深く謝罪するのである。今まで存在価値を認めずにごめんなさい。あなたのすばらしさ、唯一無二感に気づかずにごめんなさい、と。豆腐は私を責めない。責めないどころか、四十年も馬鹿にしてきた私にも、静かな豊壌を味わわせてくれるのである。

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著者プロフィール

角田光代 かくたみつよ

1967年神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。
90年「幸福な遊戯」で「海燕」新人文学賞を受賞しデビュー。96年『まどろむ夏のUFO』で野間文芸新人賞、98年『ぼくはきみのおにいさん』で坪田譲治文学賞などいくつもの賞を受賞。03年『空中庭園』で婦人公論文芸賞、04年『対岸の彼女』で直木賞受賞など。