アスペクト

今日もごちそうさまでした

角田光代
お肉は好きですか? お魚は好きですか? ピーマンは? にんじんは? 美味しいものが好き、食べることが好き、何よりお料理が好きな角田さんの食にまつわるエッセイがスタートです。

007 鯖と出合う

 以前も書いたが私は青魚をほとんど食べずに成長した。鯖は、鰯や秋刀魚と比べれば小骨なんてないようなものだし、ばってらなどもあるのに、あんまり食べた記憶がない。これは私の食べず嫌いというより、実家のごはん担当であった母の、鯖への根強い不信感のためだった。

 母はたいそうな鯖好きであった。母の妹、私にはおばにあたる人も、大の鯖好きだった。ところがおばは鯖アレルギーで、鯖を食べると蕁麻疹が出る。でも食べたい。若き日、二人で相談し、どうしても食べたいということになってばってらを買う。とたんにおばは肌を赤くしてかゆがる。もう食べまいと姉妹で言い合う。でも、しばらくするとまた食べたくなる。

 私が子どものころ、母はよく、「ああ、しめ鯖が食べたいけど、こわいから食べない」だの「もしかしてあんたたちにアレルギーがあるかもしれないから」だのと、よく言っていた。でも私は、幾度か母がばってらを買ってきて食べているのを目撃したことがある。何食べてるの? と訊くと、「食べてもいいけど、アレルギーが……」という例のせりふ。妹の蕁麻疹がよほどこわかったんだろう。

 そんなわけで私もなんとなく鯖を避けて生きてきた。最初から食べつけなければ、焼き鯖やばってらやしめ鯖が狂おしく食べたくなることはないもんね。

 だから鯖のすばらしさに開眼したのは、実家ではなく、友人Eちゃんちの家だった。そのときのことを今でも覚えている。まるで、のちに恋人になる男に出会った瞬間のように。

 当時私は二十六歳。小説が書けず、逃げるように料理を覚えはじめていたころである。さらにそのときは仕事もそんなになくて暇だったので、毎日近所に住むEちゃんちに自転車を飛ばして遊びにいっていた。Eちゃんは当時結婚したばかりで、仕事もしていなかったから、毎日小学生のように遊びにいく私を、いつもにこにこと迎えてくれた。

 昼過ぎに遊びにいって、夜までだらだらと彼女の家にいた。夕方ごろ、Eちゃんは晩ごはんの支度をはじめる。私はダイニングテーブルでビールを飲み、おしゃべりしながら料理ができあがっていくのを見ていた。Eちゃんは料理がうまかった。冷蔵庫にあるものを組み合わせて、ぱぱぱっと何皿か作ってしまう。揚げものも厭わない。

 そしてあるとき「今日はなんにもないなー」と言いながら、Eちゃんはパックから塩鯖を取りだし、グリルで焼いていた。「それ、何」と私は訊いた。

 「何って、塩鯖」

 「鯖って焼くだけでいいの?」

 「塩鯖は焼くだけでいいからかんたんだよ、おいしいし、安いし」とEちゃんは言う。

 塩鯖、というものを私はこのときはじめて見聞きした。

 私たちは彼女の夫の帰りを待たず、先に夕飯を食べてしまうのがつねで(今考えれば私はなんと図々しかったのだろう)、塩鯖は本当においしかった。しかも、私の大の苦手な小骨がない。

 Eちゃんに教わった料理は多々あるが、塩鯖はその後私の食卓に出る頻度がもっとも多いものである。さらに、鯖のおいしさに目覚めた私は、一尾の鯖を買って竜田揚げだの南蛮漬けだのを作るようにもなった。

 そんな折り、母親が私の家に遊びにきた。「最近鯖をおいしいと思うようになった」と言うと、母は意気込み、「しめ鯖を作ろう」と言いだした。私たちは近所の魚屋にいき、刺身用の鯖を買った。「鯖は持って帰るうちに悪くなるほどアシの速い魚だ」と母は言い、小走りで帰る。私の住まいのちいさな台所で、しめ鯖の作り方を習った。三枚に下ろして大雪のときみたいに塩に漬けて一時間、塩を洗い、たっぷりの酢に昆布を布団のように敷いてしめ鯖を浸ける。さらに一、二時間待って、鯖の骨を抜き皮をぺろーっと剥がす。それを食べながら母は幾度も「アレルギー、だいじょうぶかしら」と言っていた。

 しめ鯖は、出来合のものを買うより自分で作ったほうがはるかにおいしい。最近、私は魚屋さんで三枚に下ろしてもらう。そして、本当はそんなにすぐに悪くなることもないだろうと思いつつも母のように小走りに帰り、「大雪のときみたいに」「昆布を布団のように」などと母の言葉を思い出しつつ、しめ鯖を作っている。

 私の食卓に出る頻度の多い鯖であるが、しかし、どういうわけだか、鯖の味噌煮だけが私は不得手である。幾度作っても、おいしくない。これはきっと、今までに食べた回数が極端に少ないせいだろう。自身の内に目指すべき指標としての味噌煮が、存在しないのだ。

 どなたか、こんな私が作っても確実においしい鯖の味噌煮の作りかた、教えてくれませんか。

006 豆腐の存在価値

 関東圏で生まれ育った私は、羊肉を食する機会がほとんどないまま成長した。さらに私は食べず嫌いで、未知のものを好奇心だけで食す、ということがまずなく、大人になっていったレストランで「羊」の文字があっても、無視していた。「牛」か「豚」しか目に入らなかった。

 我が人生に、いつ羊肉が介入してきたかといえば、三十歳過ぎ、異国を旅したときである

 それまでにも、札幌を旅行してジンギスカンを食べたことはある。でも、おいしいな、とは思ったけれども、愛までは到達しなかった。羊への思いを愛に高めたのは、忘れもしない、ギリシャである。

 ギリシャの食べものは、屋台のものでもレストランのものでもおいしい。肉も魚もおいしい。が、「何これッ」と私を驚かせたのは、羊である。

 トルコの影響なのか、ギリシャ料理には羊肉を使ったものが意外に多い。ギリシャに到着して、私がいちばん最初に食べたのがギロピタ。屋台の軽食である。くるくるまわる肉のかたまりをそぎ落とし、それをピタパンにはさんで、ヨーグルトソースをかけて食べる。この肉が、表面がぱりぱりしていてジューシーで、噛むとほんのり獣臭がたちのぼって、うまいのなんのって。

 スブラギ、という料理もある。串に刺した羊肉を炭火で焼いて、塩胡椒しただけのシンプルなものだ。これがもう、本当においしい。羊はくさいもの、と思いこんでいたが、そんなことはまったくない。豚よりしっかりした肉の味、牛よりさっぱりしてまろやかな味の余韻。

 メテオラという、奇岩の上に修道院の建つ観光地にいったのだが、山間のこの村の食堂はどこも、ほとんど魚を扱っていなかった。シーズンオフだったからか、メニュウに記載されたほかの料理はなく、「今日は羊だけ」という店が多かった。昼に羊肉のギロピタ、夜に羊肉のスブラギ。それでいっこうにかまわなかった。そのくらい、おいしかったのだ、羊。

 以来、肉派の私に、愛する肉がもう一種類増えた。そしてなんという幸運であろう、私が羊への愛に目覚めるのとときを同じくして、東京にジンギスカンブームが巻き起こったのである。それまで、ジンギスカンといえば、たれに浸かった、独特のくせのある肉だった。ところがこのブームでポピュラーになったのは、たれに浸かっていない新鮮な羊肉。ギリシャで羊に目覚めた私が愛するのも、やっぱり、たれに浸かっていないくさみの少ない羊である。

 うれしいのは、このブームのおかげか、スーパーやデパートでもごくふつうにたれに浸かっていない羊肉を買えるようになったこと。ラムチョップばかりでなく、ショルダー、肩ロース、モモ、などと部位別に売っているのがありがたい。以前はスーパーでは丸くて薄いくさみのある肉か、たれに浸かったものしか買えなかったのだ。

 私がもっとも好きな羊の食べかたは、ただグリルして、塩胡椒をふっただけのもの。あるいは、にんにくとローズマリーとオリーブオイルをかけて焼いてもおいしい。羊カレーも煮込み料理もおいしいが、でも、シンプルなグリルにはかなわない。

 イタリア料理店にいくと、メイン料理のページの、肉の欄しか私は見ない。牛、豚、鴨、羊などがある。私は激しい肉派で、焼き肉が好物だと思われているが、じつはいちばん好きなのは豚、その次が羊である。私の目は、メニュウの羊と豚の文字をせわしなく往復し、できるだけこざっぱりした料理法で調理されているほうを選ぶ。

 思えば、羊料理が多い国というのはたくさんある。モンゴルがそうだし、ニュージーランドもそうだった。モロッコと新疆ウイグル自治区は宗教のため羊料理が多い。羊肉の料理が多い国にいくと、それだけでうれしい。今日も羊、明日も羊、と思ってうれしいのである。ウイグル自治区はスパイスのきいた辛い料理が多く、野菜炒めにも餃子にも羊肉が使ってあり、しかもどれも、すばらしくおいしい。

 羊を食べるとき、私は自分が未年であることを思い出す。そしてなんとはなしに、誇らしい気持ちになるのである。こんなにおいしい羊、こんなに羊を愛している未年の私。べつに誇れることは何ひとつないのだが。

 ところで、赤坂に不思議においしいものばかり食べさせるいっぷう変わった中華料理屋があって、ここに、ギャートルズの肉塊ほどもでかい、揚げ羊肉がある。私はいっぺんでそれに魅了され、ひまがあるとあの塊肉のことばかり考えている。しょっぱくて、外側がかりっかりで、やわらかく、まことにおいしいのだ。いっしょに食べた友だちは、そのあまりの勢いに具合を悪くしていたけれど。

 羊はほかの肉に比べて、安くて、そして脂肪になりにくいらしい。そんなこともうれしく、また未年の私を誇らしくさせるのである。

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著者プロフィール

角田光代 かくたみつよ

1967年神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。
90年「幸福な遊戯」で「海燕」新人文学賞を受賞しデビュー。96年『まどろむ夏のUFO』で野間文芸新人賞、98年『ぼくはきみのおにいさん』で坪田譲治文学賞などいくつもの賞を受賞。03年『空中庭園』で婦人公論文芸賞、04年『対岸の彼女』で直木賞受賞など。