以前も書いたが私は青魚をほとんど食べずに成長した。鯖は、鰯や秋刀魚と比べれば小骨なんてないようなものだし、ばってらなどもあるのに、あんまり食べた記憶がない。これは私の食べず嫌いというより、実家のごはん担当であった母の、鯖への根強い不信感のためだった。
母はたいそうな鯖好きであった。母の妹、私にはおばにあたる人も、大の鯖好きだった。ところがおばは鯖アレルギーで、鯖を食べると蕁麻疹が出る。でも食べたい。若き日、二人で相談し、どうしても食べたいということになってばってらを買う。とたんにおばは肌を赤くしてかゆがる。もう食べまいと姉妹で言い合う。でも、しばらくするとまた食べたくなる。
私が子どものころ、母はよく、「ああ、しめ鯖が食べたいけど、こわいから食べない」だの「もしかしてあんたたちにアレルギーがあるかもしれないから」だのと、よく言っていた。でも私は、幾度か母がばってらを買ってきて食べているのを目撃したことがある。何食べてるの? と訊くと、「食べてもいいけど、アレルギーが……」という例のせりふ。妹の蕁麻疹がよほどこわかったんだろう。
そんなわけで私もなんとなく鯖を避けて生きてきた。最初から食べつけなければ、焼き鯖やばってらやしめ鯖が狂おしく食べたくなることはないもんね。
だから鯖のすばらしさに開眼したのは、実家ではなく、友人Eちゃんちの家だった。そのときのことを今でも覚えている。まるで、のちに恋人になる男に出会った瞬間のように。
当時私は二十六歳。小説が書けず、逃げるように料理を覚えはじめていたころである。さらにそのときは仕事もそんなになくて暇だったので、毎日近所に住むEちゃんちに自転車を飛ばして遊びにいっていた。Eちゃんは当時結婚したばかりで、仕事もしていなかったから、毎日小学生のように遊びにいく私を、いつもにこにこと迎えてくれた。
昼過ぎに遊びにいって、夜までだらだらと彼女の家にいた。夕方ごろ、Eちゃんは晩ごはんの支度をはじめる。私はダイニングテーブルでビールを飲み、おしゃべりしながら料理ができあがっていくのを見ていた。Eちゃんは料理がうまかった。冷蔵庫にあるものを組み合わせて、ぱぱぱっと何皿か作ってしまう。揚げものも厭わない。
そしてあるとき「今日はなんにもないなー」と言いながら、Eちゃんはパックから塩鯖を取りだし、グリルで焼いていた。「それ、何」と私は訊いた。
「何って、塩鯖」
「鯖って焼くだけでいいの?」
「塩鯖は焼くだけでいいからかんたんだよ、おいしいし、安いし」とEちゃんは言う。
塩鯖、というものを私はこのときはじめて見聞きした。
私たちは彼女の夫の帰りを待たず、先に夕飯を食べてしまうのがつねで(今考えれば私はなんと図々しかったのだろう)、塩鯖は本当においしかった。しかも、私の大の苦手な小骨がない。
Eちゃんに教わった料理は多々あるが、塩鯖はその後私の食卓に出る頻度がもっとも多いものである。さらに、鯖のおいしさに目覚めた私は、一尾の鯖を買って竜田揚げだの南蛮漬けだのを作るようにもなった。
そんな折り、母親が私の家に遊びにきた。「最近鯖をおいしいと思うようになった」と言うと、母は意気込み、「しめ鯖を作ろう」と言いだした。私たちは近所の魚屋にいき、刺身用の鯖を買った。「鯖は持って帰るうちに悪くなるほどアシの速い魚だ」と母は言い、小走りで帰る。私の住まいのちいさな台所で、しめ鯖の作り方を習った。三枚に下ろして大雪のときみたいに塩に漬けて一時間、塩を洗い、たっぷりの酢に昆布を布団のように敷いてしめ鯖を浸ける。さらに一、二時間待って、鯖の骨を抜き皮をぺろーっと剥がす。それを食べながら母は幾度も「アレルギー、だいじょうぶかしら」と言っていた。
しめ鯖は、出来合のものを買うより自分で作ったほうがはるかにおいしい。最近、私は魚屋さんで三枚に下ろしてもらう。そして、本当はそんなにすぐに悪くなることもないだろうと思いつつも母のように小走りに帰り、「大雪のときみたいに」「昆布を布団のように」などと母の言葉を思い出しつつ、しめ鯖を作っている。
私の食卓に出る頻度の多い鯖であるが、しかし、どういうわけだか、鯖の味噌煮だけが私は不得手である。幾度作っても、おいしくない。これはきっと、今までに食べた回数が極端に少ないせいだろう。自身の内に目指すべき指標としての味噌煮が、存在しないのだ。
どなたか、こんな私が作っても確実においしい鯖の味噌煮の作りかた、教えてくれませんか。 |