三十歳以降食べられるようになったものが、私には異様に多いのだが、その逆もある。若き日は大好きで大好きでよく食べたのに、ぱたりと食べなくなってしまったもの。
それはさつまいも。
子どものころから二十代の半ばまで、私はさつまいもを愛していた。お弁当に、さつまいもの煮物がちょこっと入っていると、「くふ」と笑みがこぼれるくらいうれしかった。
父方の親戚の家で、大勢人が集まるときには必ず天麩羅が出たのだが、この家のおばさんは、さつまいもの天麩羅を作るのが異様にうまかった。この家で天麩羅が出ると、私は海老にも茄子にも見向きもせず、さつまいもばかり立て続けに食べた。「まー、あんたよほどさつまいもが好きなのネー」と、親戚じゅうに言われるほどであった。
この天麩羅があまりにもおいしいので、母にもせがんでよく作ってもらったが、ほかのものはともあれ、さつまいもの天麩羅だけは、このおばさんにかなわなかった。
スイートポテトも好きだった。学校帰りにケーキ屋に寄ってスイートポテトを買っては、夕食前のおやつとして食べていた。デパートではじめて松蔵ポテトを見たときは、「わきゃーっ」と興奮して買った。しかしながら、スイートポテトは高い。芋にしては、おやつにしては、高校生にしては、高いのである。もっと思うままスイートポテトを食らいたい、と思った私は、またしても母にせがんで、スイートポテトレシピを学習してもらった。
そして、アレである。私がもっとも胸を弾ませたのは。アレ。そう、冬の日の「いーしやーきいもー、やきいもっ」である。
天麩羅も煮物も、スイートポテトも、そこそこうまいものが家で作ることができる(母親に作らせることができる)。しかし石焼き芋だけは、家では再現不可。そのくらい、焼き芋屋の石焼き芋はおいしい。
中学、高校生のころ、なんとなく夜だらだら起きていると、どこからか「いーしやーきいもー」が聞こえてくる。私は自室を出、階段を走り下り、「おかあさん、石焼き芋がきたっ」と興奮して伝える。どうする? 買う? と言い合っているうちに、「いーしやーきいも、やきいもっ」は近づいてくる。「ああ、急がないと通り過ぎちゃう!」母はいきなり焼き芋心に火をつけて、財布を持っておもてに駆けだしていく。そんなことがよくあった。
夜の石焼き芋。禁断の味である。中学二年のころから猛然と太りはじめた私は、高校生のころ体重がピークで、なんとかせねばならん、と日々思ってはいた。夜九時以降食べない、間食はもってのほか、という常識もすでにわきまえている。「こんな時間に食べちゃだめだ、食べちゃだめ」と思いつつ、新聞紙にくるまれた石焼き芋を割る。ほっくりと湯気が上がり、黄金色としかいいようのない金色があらわれる。「でも食べずにはおれん!」とかぶりつく。ああ、この禁断の快楽。
二十三歳で小説家としてデビューしたとき、私はひとり暮らしをしていた。昼間、ひとり暮らしのアパートで小説を書いたり、小説書きに飽きてゲームをしたりしていると、あの魅惑の声が聞こえてくる。「いーしやーきいも、やきいもっ」というその声は、どういうわけかかつて実家で聞いたものと驚くほど似ている。あのアナウンスは全国共通なんだろうか? しばしの逡巡ののち、財布を持って部屋を飛び出していく。週に幾度かそんなふうにして焼き芋を買っていたら、いつも昼間に飛び出してくる私の身を案じたのか、焼き芋屋のおじさんが「おねえちゃん、仕事紹介してあげようか」と言った。「この近くの蕎麦屋なんだけど、お運びさんをほしがってるんだよ」ということであった。
そこまで好きだったさつまいもであるが、気がつけば、ぜんぜん好きではなくなっている。もちろん嫌いではないが、自分で買うほど食べたいと思わないのだ、さつまいもも、焼き芋も。
つい先だって、いつもいく八百屋さんの店頭で、ふとさつまいもに目がいった。恥じらうような赤紫。奥ゆかしいようなキュートなかたち。じーっと見ているうち、あることに気づいて愕然とした。
「自分で料理をするようになってから十数年、私はみずからの意志でさつまいもを買ったことも、調理したこともない」
そう気づいたのである。すごいことだ。あんなに好きだったのに、一度も手にしたことがないなんて。まるで忘れ去られた昔の恋人。
忘れ去っていたそのことにかすかな罪悪感を感じ、私は手をのばしてさつまいもを持った。軽いような重いような中途半端さが、なんとはなしにものがなしい。買わねばならないような気持ちになったが、しかし調理法が思い当たらない。煮物って南瓜みたいに茹でればいいのか。天麩羅はかんたんそうだが、食べたくないしなあ。石焼き芋は無理だし、あとどんな調理法があるのか……。買ったことがないから、さつまいもの扱いに関しててんでわからない。
あ、揚げるってのはどうだろう。ふとひらめいて、その一本を買った。
さつまいもを、フライドポテトのように長く細く切って、フライパンに多めの油を注ぎ、素揚げしてみた。からりときれいなきつね色になるまでには、案外時間がかかる。揚がったそれらの油を切って、塩をかけて食べてみた。うん、まあ、おいしい。
うん、まあ、おいしい。あんなに愛していたのに、この感想はいかがなものか。さつまいも、ごめん。 |