しらたきについて、何か考えたことがありますか?
ほとんどないと思う。しらたきって、あんまり人に何か考えてはもらえない食べものだと思う。白いし、細いし、味にはなんの主張もないし。「何がなんでもしらたきが食べたい」と、思うことがそもそもない。
肉じゃがには、しらたきを入れる派と入れない派がある。
と、書いてはみたが、「派」というほど強烈なことでもない。入れてもいいし、入れなくてもいいのである。私の実家はしらたきの入らない肉じゃがだった。だから私も長らく、しらたきを入れない肉じゃがを作っていた。けれどあるとき、なんとなーく入れてみっか、と思い、入れてみた。おお、しらたきを入れると……! というような発見はなく、入れてもいいし、入れなくてもいいか、というような結論になった。
なんだか気の毒な食べものであるが、しかし、こんな頼りないしらたきでも俄然威力を発揮することがある。私の今までの人生では、しらたきの威力を思い知ったことが、二度、ある。
一度目は高校生のとき。中学二年生のときから猛然と太りはじめた私の、体重のピークは高校二年生のときだった。女子校だったし、他校に好きな男子もいなかったので、自分史上最高に太っているという事態に、焦りも困惑もさほどなかったのだが、それでも、思春期女子として、痩せたいナ、とは人並みに思っていた。痩せたいナ、と思いながら、カツカレーやドリアの朝食を食べ、痩せたいナ、と思いながらかっぱえびせんやカールを午前中の休み時間に食べ、痩せたいナ、と思いながら人よりでかい弁当を食べ、痩せたいナ、と思いながら学校帰りにドーナツを食べ、痩せたいナ、と思いながら帰宅後にピザパンを食べ、痩せたいナ、と思いながら夕食をばくばくと食らっていた。ダイエット法のひとつに、痩せた自分を思い描くイメージトレーニングというものがあるが、脳味噌のぜんぶを使って痩せた自分を思い描いていても、それだけ食いまくっていれば、ちゃんと痩せないのである。どころか、太り続けていくのである。
陸上競技会という大会が毎年あった。いろんな種目があり、そのいろんな種目には有志や選抜された人が出場すればいいのだが、全員参加しなくてはならないものもあった。たとえば五百メートル走とか。その年、走る私を見て友人たちが賞賛してくれた。「すごい、走れるんだねー」と言うのである。「思ったよりぜんぜん速いねー」と言うのである。
いつも何か食らってころころに太っている私が、走るなんてみんな想像もつかなかったのであろう。えへへ、なんて笑いながら、やっぱ痩せよう私、とひそかに決意した。
ダイエットをはじめる旨、母に宣言すると、食べないダイエットはぜったいによくないと母は強く言い、私の食事だけダイエットメニュウにしてくれた。わかめサラダとか、豆腐料理とか、野菜の煮物とか、そうしたものばかりが並ぶわけだが、私はそのどれもを好きになれなかった。結局、ダイエットメニュウは一日二日でやめてもらったのだが(書くだに情けない)、一品だけ、すばらしくおいしいメニュウがあった。しらたきとたらこを炒めたものである。しらたきは主張がないからたらこの味がダイレクトにし、なおかつしらたきのあのもきもきした触感がすばらしい。
あまりにおいしかったので「私はこれを主食にして痩せる」と決めた。そして母は毎日のようにたらこスパゲティならぬたらこしらたきを作り続けてくれたのである。弁当にもよく入っていたなあ。しらたきってこんなにもおいしいものなんだ、と私は目が覚めるような思いであった。おいしいのはたらこなのかもしれなかったが。
結果的にいえば、たらこしらたきを食べつつほかのおかずも食べ、かつ間食もやめなかった私は痩せることなく、そのうち母も私もたらこしらたきに飽きるのだが、それでもこの期間は、私としらたきの、人生初の蜜月であった。
たらこしらたきが食卓から消えると、また私にとってしらたきはどうでもいい食材に成り下がる。そうして二十年以上の歳月を経て、しらたきとの蜜月はふたたびやってくる。
今、私はしらたきを愛している。しらたきの威力を再確認したきっかけは、自宅で作ったすき焼きである。
今までも、すき焼きをするときにはしらたきを入れていた。でも、なぜ入れるのか今ひとつわかっていなかった。すき焼きの主眼はあくまでも肉であり、しかもしらたきは、肉の隣に入れると肉がかたくなるといわれている。私にとってしらたきは、「入れるべきものと決まっているから入れているが、肉の邪魔をする厄介もの」的な立場にあった。
それがあるとき、気づいたのだ、しらたきのないすき焼きはすき焼きにあらじ! と。肉が豚でもいい、鶏でもいい、でもしらたきはしらたきとして、なくてはならん。
理由はない、突然目覚めたのだ、すき焼きのしらたきのうまさに。
今まで、ともに鍋をつつく人が肉を多めにとると、かちんときていた。そんな私は若かった。今では、しらたきをゴボッととっていく人を、ついにらんでしまうのである。大人になったなあ……。
しらたきが好き、というよりは、しらたきにからんだたらこが好きだったのであり、しらたきに染み入った肉の脂が好きなんじゃん、などと指摘しないでください。そんなふうにかんたんに、いろんなものに染まってしまうしらたきの柔軟性をこそ、私は愛しているのです。
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