アスペクト

今日もごちそうさまでした

角田光代
お肉は好きですか? お魚は好きですか? ピーマンは? にんじんは? 美味しいものが好き、食べることが好き、何よりお料理が好きな角田さんの食にまつわるエッセイがスタートです。

011 きのこ回想

 椎茸、マッシュルーム、舞茸、しめじ、エノキ、松茸。総括してきのこたち。

 きのこたちをはじめて口にしたのは三十一歳のときだ。それまで私は頑なにきのこたちを口にしなかった。まず、色がいや。黒とか茶色とか、へんに白とか、いや。かたちもいや。椎茸やマッシュルームの裏の、あの謎のしわしわとか。しめじの傘の格好とか。そんなわがままを言っていっさい食べなかったのである。今思えばすさまじい徹底ぶりだった。外食の際のピラフやオムライスからは、どんなにちいさなマッシュルームでも抜き出していたし、炊き込みごはんからもひょろ長い椎茸片を取りだしていた。大学に上がったとき、そういう食べかたを多くの友だちや先輩に非難されて驚いた。「あなたの料理から抜いているわけじゃないから、いいじゃん」と反論したが、「見苦しい」「みっともない」「気分が悪くなる」とさんざんであった。不思議なことに、怒るのは決まって男だった。

 でも食べなかった。叱られて食べる、とか、注意されて食べる、とか、そういう経験がないまま私は成長したのである。

 はじめて食べたきのこのことは忘れない。それこそ、はじめておつきあいに至った男子のように忘れない。

 私がはじめて食べたきのこ、それは舞茸である。私は三十一歳で、季節は冬、場所は秋田の田沢湖のほとり(ああ、本当に恋を回想しているようだ)。その秋田行きは休暇ではなく取材だった。一日雪のなかで取材をし、夜、きりたんぽ鍋を食べさせる飲み屋にいった。舞茸はその鍋に入っていた。

 このときの私は食改革の真っ最中だった。三十にして好き嫌いをなくすべく奮闘したことは、たしか以前にも書いた。この時点でもだいぶ減っていた。だから、果敢にも、以前からずっと避けていた黒々とした色、びろびろとしたかたちにもかかわらず、舞茸を食べたのである。

 やだ、おいしいじゃん、と内々で思った。声に出して言わなかったのは、さすがに三十一年間もきのこを避けて生きてきたと告白するのもはばかられ、「いやーおいしーい」などと軽薄に言っては舞茸にも失礼であろうと思ったのである。

 それからは次々と手を出した。しめじもエリンギもマッシュルームも椎茸も。やだ、おいしいじゃん、と次々思った。とくに椎茸。椎茸は、今まですまなかったと心の底から反省するくらい、おいしいじゃないか。

 三十歳の食革命以後、食べられるようになったものに私は勝手にランクづけをしていて、@食べなかったことを著しく後悔するほど、好物になったもの、Aさほど後悔はしないが、でも食べられてよかったなーと思うもの、Bふつうに食べられるが、とくべつ何も感じないもの、Cふつうに食べられるが、好んでは食べないもの、D幾度か挑戦したが、やっぱり苦手なもの、と五段階あるのだが、椎茸はぶっちぎりで@の分類に入る。

 網で焼いて醤油を垂らしたっておいしいし、バターで炒めてもおいしい、煮物のなかに入っていてもおいしく、天麩羅にしてもすばらしいことになる。和でも洋でも中でも、個性を失わないままちゃんと合う。カレーに入れたっておいしいのだ。

 だいたい、椎茸でもしめじでも、松茸以外のきのこは、主役になることが滅多にない。椎茸ソテーやホイル焼き、などはあるけれど、でも、それがメイン料理にはならない。肉や魚などの主役があって、その主役を彩るか、またはサブ献立としてテーブルを彩るか、の脇役ばかり。なのにきのこたちはちっともやさぐれない。ちょっと「うふ」と思ってしまうのは、たまに一族総動員のように集まって、「きのこたっぷりマリネ」とか「きのこ鍋」とかいう立派な料理になったりするところ。

 ところで、先だって、野菜のエキスパートに野菜について習う、という仕事があった。そこで「菌床」椎茸と「原木」椎茸というものがあると教わった。その後スーパーにいって、椎茸のパッケージをよくよく眺めてみたら、本当に、ラベルのなかにちいさく「菌床」と書かれているではないか。その野菜エキスパートのもとでその二種を食べ比べさせてもらったのだが、原木のほうが格段に(びっくりするくらい)おいしかったので、「原木」をさがしたのだが、見つからなかった。

 椎茸が二個ひとパックで九百八十円、というとんでもない値段のものがあったのだが、この馬鹿高い椎茸も菌床と書かれていた。原木と書いてあるものを見つけたら、みなさん、どうか買って食べてみてください。こくがぜんぜん違うから!

 ところで私はかようにきのこ好き女になったわけだが、たったひとつ、食べないきのこがある。素材ではなく加工品なのだが、それはなめたけ。瓶に入った、あのなめたけ。

 理由があるんです。

 この瓶入りなめたけ、父の好物だった。父のほかにはだれも見向きもしない。きのこを食べなかった私はもちろん、ふつうにきのこ好きだった母も姉も、なんとなく瓶からにじみ出るあの「ねっちょり感」をキモイ、と思っていたのだろう。父は典型的な酒飲みの食事スタイルで、突き出しで晩酌をはじめ、延々おかずをつまみに飲み続ける。そして最後にごはん。ここで、漬け物類とともになめたけは登場するのである。

 私の生まれ育った家では、母が極度の潔癖性だったため、直箸が禁止だった。どんな皿にも取り箸や取り分けスプーンがついていた。しかしこのなめたけだけは別。解放区。父しか食べないからである。スプーンや取り箸でなめたけをすくうのが面倒な父は、いつも自分の箸をなめたけの瓶に突っこんでいた。

 そうするとどうなるかというとですね、ごくまれに、瓶の内側に残るのだ、米粒が。ごはんタイムにはもういい加減酔っているのだろうし、細けえことは気にすんな的気分なのだろう。私はそれをずっと見てきて、とくに思春期にさしかかると、「うへえー、なんかいやだ、米粒入り瓶詰めなめたけ」と鳥肌たつ思いになった。いや、思春期ということを差し引いても、今見てもきっとすがすがしい気持ちにはならないと思うな、なめたけ瓶の米粒は。なんというか、ものがなしく、滑稽で、恥ずかしく、「人生ってむなしい」というような気持ちになると思うな。

 でも今食べたら、意外においしいと思うのかもしれない。何しろ私の酒好きは父からの遺伝だし(母は飲めなかった)、なめたけ好きももしかしたら遺伝しているかもしれん。

012 あなた色に染まるしらたき

 しらたきについて、何か考えたことがありますか?

 ほとんどないと思う。しらたきって、あんまり人に何か考えてはもらえない食べものだと思う。白いし、細いし、味にはなんの主張もないし。「何がなんでもしらたきが食べたい」と、思うことがそもそもない。

 肉じゃがには、しらたきを入れる派と入れない派がある。

と、書いてはみたが、「派」というほど強烈なことでもない。入れてもいいし、入れなくてもいいのである。私の実家はしらたきの入らない肉じゃがだった。だから私も長らく、しらたきを入れない肉じゃがを作っていた。けれどあるとき、なんとなーく入れてみっか、と思い、入れてみた。おお、しらたきを入れると……! というような発見はなく、入れてもいいし、入れなくてもいいか、というような結論になった。

 なんだか気の毒な食べものであるが、しかし、こんな頼りないしらたきでも俄然威力を発揮することがある。私の今までの人生では、しらたきの威力を思い知ったことが、二度、ある。

 一度目は高校生のとき。中学二年生のときから猛然と太りはじめた私の、体重のピークは高校二年生のときだった。女子校だったし、他校に好きな男子もいなかったので、自分史上最高に太っているという事態に、焦りも困惑もさほどなかったのだが、それでも、思春期女子として、痩せたいナ、とは人並みに思っていた。痩せたいナ、と思いながら、カツカレーやドリアの朝食を食べ、痩せたいナ、と思いながらかっぱえびせんやカールを午前中の休み時間に食べ、痩せたいナ、と思いながら人よりでかい弁当を食べ、痩せたいナ、と思いながら学校帰りにドーナツを食べ、痩せたいナ、と思いながら帰宅後にピザパンを食べ、痩せたいナ、と思いながら夕食をばくばくと食らっていた。ダイエット法のひとつに、痩せた自分を思い描くイメージトレーニングというものがあるが、脳味噌のぜんぶを使って痩せた自分を思い描いていても、それだけ食いまくっていれば、ちゃんと痩せないのである。どころか、太り続けていくのである。

 陸上競技会という大会が毎年あった。いろんな種目があり、そのいろんな種目には有志や選抜された人が出場すればいいのだが、全員参加しなくてはならないものもあった。たとえば五百メートル走とか。その年、走る私を見て友人たちが賞賛してくれた。「すごい、走れるんだねー」と言うのである。「思ったよりぜんぜん速いねー」と言うのである。

 いつも何か食らってころころに太っている私が、走るなんてみんな想像もつかなかったのであろう。えへへ、なんて笑いながら、やっぱ痩せよう私、とひそかに決意した。

 ダイエットをはじめる旨、母に宣言すると、食べないダイエットはぜったいによくないと母は強く言い、私の食事だけダイエットメニュウにしてくれた。わかめサラダとか、豆腐料理とか、野菜の煮物とか、そうしたものばかりが並ぶわけだが、私はそのどれもを好きになれなかった。結局、ダイエットメニュウは一日二日でやめてもらったのだが(書くだに情けない)、一品だけ、すばらしくおいしいメニュウがあった。しらたきとたらこを炒めたものである。しらたきは主張がないからたらこの味がダイレクトにし、なおかつしらたきのあのもきもきした触感がすばらしい。

 あまりにおいしかったので「私はこれを主食にして痩せる」と決めた。そして母は毎日のようにたらこスパゲティならぬたらこしらたきを作り続けてくれたのである。弁当にもよく入っていたなあ。しらたきってこんなにもおいしいものなんだ、と私は目が覚めるような思いであった。おいしいのはたらこなのかもしれなかったが。

 結果的にいえば、たらこしらたきを食べつつほかのおかずも食べ、かつ間食もやめなかった私は痩せることなく、そのうち母も私もたらこしらたきに飽きるのだが、それでもこの期間は、私としらたきの、人生初の蜜月であった。

 たらこしらたきが食卓から消えると、また私にとってしらたきはどうでもいい食材に成り下がる。そうして二十年以上の歳月を経て、しらたきとの蜜月はふたたびやってくる。

 今、私はしらたきを愛している。しらたきの威力を再確認したきっかけは、自宅で作ったすき焼きである。

 今までも、すき焼きをするときにはしらたきを入れていた。でも、なぜ入れるのか今ひとつわかっていなかった。すき焼きの主眼はあくまでも肉であり、しかもしらたきは、肉の隣に入れると肉がかたくなるといわれている。私にとってしらたきは、「入れるべきものと決まっているから入れているが、肉の邪魔をする厄介もの」的な立場にあった。

 それがあるとき、気づいたのだ、しらたきのないすき焼きはすき焼きにあらじ! と。肉が豚でもいい、鶏でもいい、でもしらたきはしらたきとして、なくてはならん。

 理由はない、突然目覚めたのだ、すき焼きのしらたきのうまさに。

 今まで、ともに鍋をつつく人が肉を多めにとると、かちんときていた。そんな私は若かった。今では、しらたきをゴボッととっていく人を、ついにらんでしまうのである。大人になったなあ……。

 しらたきが好き、というよりは、しらたきにからんだたらこが好きだったのであり、しらたきに染み入った肉の脂が好きなんじゃん、などと指摘しないでください。そんなふうにかんたんに、いろんなものに染まってしまうしらたきの柔軟性をこそ、私は愛しているのです。

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著者プロフィール

角田光代 かくたみつよ

1967年神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。
90年「幸福な遊戯」で「海燕」新人文学賞を受賞しデビュー。96年『まどろむ夏のUFO』で野間文芸新人賞、98年『ぼくはきみのおにいさん』で坪田譲治文学賞などいくつもの賞を受賞。03年『空中庭園』で婦人公論文芸賞、04年『対岸の彼女』で直木賞受賞など。