アスペクト

今日もごちそうさまでした

角田光代
お肉は好きですか? お魚は好きですか? ピーマンは? にんじんは? 美味しいものが好き、食べることが好き、何よりお料理が好きな角田さんの食にまつわるエッセイがスタートです。

013 たけのこのために罪を?

 料理を覚えたての二十六歳のころは、とにかくいろんな調理に燃えていて、自力でできることはなんでもやってみたかった。餃子の皮が作れるとわかれば作り、ピザ台が作れるとわかれば作った。たけのこも、皮つきを買って煮ることができるとわかって、さっそくでかい皮つきたけのこを買った。あれ、どんなにでかくても、皮を剥くとちいさくなってしまうのだと知ったのもこのときである。

 たけのこはあくが強いから、唐辛子と米糠といっしょに煮るとよいと料理本で読み、わざわざ米糠まで買い求めて、煮た。

 水煮のパックではなく、自分で煮たたけのこは、たしかに風味もよく、かすかに残る苦みもおいしい。歯触りもだいぶ違う。「なんでも手間ァー暇ァーかけたほうがよいってことだな」と、当時の私はひとり納得していた。

 けれど自分で煮たたけのこには弱点がある。すぐ悪くなってしまうのだ。

 やっぱりたけのこを唐辛子と糠で煮て、その後たけのこごはんを作り、保温したまま忘れて一日後、釜のなかではもう糸ひいてたもんね。

 料理を覚えてから早くも十年以上がたち、未だに私は料理好きだが、あのころのような初々しいチャレンジ精神はすでにない。それを実感するのが、八百屋さんの店頭でたけのこを見かける初春。

 私のよくいく八百屋さんには、八百屋さんの自家製水煮たけのこ(パックされておらず水に浮かんでいる)と、立派な皮つきたけのこの両方を売っている。皮つきたけのこ、そういや、ずいぶん糠で煮たなあ、おいしいよなあ、と思いつつ、私は水煮を買う。「たけのこください」と言って「当然こっちだよね」と冗談半分で皮つきを勧められながら、「いや、水煮のほう」と答えてしまう。

 だって、たけのこを煮るのに、ふだん見向きもしない米糠を買うのって、面倒以上に何か抵抗がある。糠なんて買ったって、あとは豚の角煮くらいしか使用法が思いつかないしなあ。それに、米糠、煮たあとの鍋を洗うのが本当に面倒なのだ。

 チャレンジ精神のなくなった私は、だから現在はもっぱら水煮使用。

 たけのこごはんは、すべてのまぜごはんのなかでいっとう好きだ。たけのこと油揚げだけでもいいし、鶏肉をいれてもおいしい。たけのこと油揚げと鶏肉をべつべつに煮る、とか、具材はあとでくわえる、とか、いろいろ作り方はあるようだが、どんな作り方をしても失敗が少ないのがいい。ずぼらな私はたけのこも油揚げも鶏肉もいっしょくたに煮て、米といっしょに炊く。そんなおおざっぱな作り方だっておいしい。

 かつおぶしをまぶすかか煮もうまい、若竹煮もうまい、天麩羅もうまい。洋風に使っても、中華に使ってもうまい。焼いただけだって、ほこーっとして、でもしゃきーっとして、うまい!

 こんなところにたけのこが入っていて、しかも合う! と驚いたのは、タイカレーである。私がはじめてタイカレーを食べたのは1987年。なぜ覚えているかというと、衝撃的だったからだ。そのうまさと、たけのこや大根がカレーに入っていてしかもうまい、という、ダブル衝撃。私は今でもタイカレーを作るとき、必ずたけのこを入れる。はじめて食べたあの衝撃への、義理のような気持ちである。

 去年、知人がたけのこ掘りにいったと言って、皮つきたけのこを送ってくれた。ひさしぶりに見る皮つきのたけのこ。それにしても皮つきのたけのこって妙に立派に見える。折り重なるようなたけのこの皮が、格式高い着物のように見えるからだろうか。

 その包みには、椿の葉がいっしょに入っていた。椿の葉をいっしょに煮れば、唐辛子や米糠を使わずともあくがとれると、知人からのアドバイスが手紙に書いてあった。

 いっしょに煮てみて驚いた。本当にあくがとれる。しかも鍋の内側に米糠がはりついてクソウ、ということもない。手軽。あとかたづけかんたん。そして自分で煮たたけのこは、水煮より、やっぱりだんぜんおいしいのである。

 これは脱ずぼらだな。今度から椿の葉でいこう、椿の葉で。もう水煮は買わないぞ。春のあいだは毎回煮るぞ。

 そう決意したものの、問題がひとつあった。家や仕事場の近所に、椿の木がないのである。椿、椿、椿、と思いながら歩いていて、あるとき見つけ、狂喜したのだが、しかしそこはどなたかの家の庭。人んちの椿を、たとえ葉っぱ二、三枚とはいえ、勝手に摘んで帰っていいものだろうか。盗人行為ではないのか。たけのこを食すためだけに盗人っていうのもなあ。

 うじうじと悩み、結局他家の庭に手をのばすことがどうしてもできず、今年、私は水煮を買っています。

014 脳内チーズ

 チーズといえば「アルプスの少女ハイジ」である。このアニメは私が小学生一年生のころ放映されていた。私はハイジの大ファンで、作文帳の表紙に似顔絵まで描いていた。今でも描ける。

 このハイジの食事シーンに、チーズがじつによく出てきた。アルムおんじの山小屋で、とろーっととけるチーズをハイジたちは食べるのである。

 干し草のベッド、白パンとともに、このとけるチーズは長らく私の憧れとなる。

 私の幼少期、年代でいうと昭和四〇年代後半から五〇年代はじめ、チーズといえば一種類しかなかった。プロセスチーズである。六ピースに切ってあるチーズとか、羊羹状のチーズとか、形状はちがえど味はいっしょ。羊羹状のチーズを切るためのナイフもあって、これで切るとチーズに側面に波型がつき、いかにもチーズらしくなった。もちろん、世のなかの中心にはさまざまなチーズがあったのだろうが、私んちのように辺境の庶民的な一般家庭にあるのは、まずプロセスチーズ。ハイジの食べていたような、鍋で煮詰めてとろーりさせるチーズは、スイスの山奥にいかなければ食べられないのだと思っていた。

 そののち、とけるチーズが登場し、私は「とける」そのことに感動した。あのハイジのチーズとはまったくちがうが、ともかくとけるのだ。パンにのせて焼いたものをかみ切ると、「ぬそー」っと糸がのびるのだ。この「とける」チーズ、四角くて薄くて、一枚一枚パックされていたなあ。今もふつうに売っているので、そんなになつかしがることはないんだけれど。

 クリームチーズの存在を知ったときもうれしかった。チーズなのにほんのり甘い! しかもチーズケーキが作れちゃう! スイートポテト同様、これまた図々しい私は自分で作らず、母に作り方を覚えてもらってばくばく食らっていた。

 チーズが混乱を極めるのは、私が大学生になる前後じゃなかろうか。カマンベールとかチェダーとかカッテージとかモッツァレラとか青カビ白カビとかパルジャミーノとか。こうなると、もう何がなんだかわからない。どこかのレストランで食後にチーズを頼んだとき「ウォッシュタイプでもよろしいですか」と訊かれ、「はあー、洗ったチーズ?」と訊き返してしまったことを思い出す。

 それ以降、チーズの種類はどんどん増えて、私は理解を放棄している。今やチーズ専門店なんてどこにでもある。チーズ専門店をはじめて見たときは、人ってそんなにチーズ食うのだろうか、すぐ消滅するのではなかろうか、と思っていたけれど、意外なことにチーズ店はどんどん増え続けている。かつての、専用ナイフで切る羊羹状のチーズ、今はさぞ肩身が狭いだろうなあ。

  私がもっともよく使うのは、よつ葉のシュレッドチーズ。このメーカーが好きというより、よく買いものにいく店に、このメーカーしか売っていないのだ。

  グラタンとドリアばかりでなく、茹で野菜にかけて焼いたり、ハンバーグに入れたり、餃子に入れたり、オムレツに入れたり、ハムエッグのハムとエッグのあいだに挟んだり、気持ちと時間に余裕があるときはピザも作るしキッシュも作る(キッシュはかんたんだが、作るのになぜか余裕が必要)。

 要するに私は、かたちあるチーズより、とろーんとしたチーズが好きなのである。モッツァレラもとけているとワクッとするけれど、トマトとモッツァレラのサラダだとまったくときめかない。

 少し前まで、仕事場近くに若い女性がやっているカフェがあり、私はランチを食べにここに通い倒していた。なぜならば、この店、毎日日替わりのメニュウが四種類あるのだが、そのうちのひとつが必ずドリアなのだ。「ゆで卵と粗挽きウインナのドリア」だったり、「ほうれん草と肉団子のドリア」だったり、ドリアがないときは「牛肉とチーズと卵のカレー」とか「チーズののったオムデミライス」とか、ぜったいに一品はチーズがらみ。メニュウで見る「チーズ」という文字の、その魅惑よ。この店、突然なくなってしまって、私は本当にかなしい。あんなにチーズを多用してくれるランチの店は、そうそうないのだ。

 とろーんのチーズで、失望したことがひとつだけある。チーズフォンデュである。

 チーズフォンデュは、もっとも私の憧れチーズに近い。あの、ハイジで見たチーズだ。はじめてこれを食する機会があったときは、あまりのうれしさに落涙しそうだった。七歳のときから夢見てきたハイジのチーズ……。

 しかし頭のなかで、ハイジのチーズはこの世にはあり得ないほどの極上の味になっていて、現実のチーズフォンデュに満足できるはずがなかったのである。しかも、チーズに浸すのは野菜かパンではないか。「肉、肉、肉は浸さないのー」と私は内心で叫んだ。

 ああ、これだよこれ、と思えるハイジのチーズに、いつか出合える日がくるのだろうか……それとも脳内味覚のほうが、やっぱりまさってしまうのだろうか……。

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著者プロフィール

角田光代 かくたみつよ

1967年神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。
90年「幸福な遊戯」で「海燕」新人文学賞を受賞しデビュー。96年『まどろむ夏のUFO』で野間文芸新人賞、98年『ぼくはきみのおにいさん』で坪田譲治文学賞などいくつもの賞を受賞。03年『空中庭園』で婦人公論文芸賞、04年『対岸の彼女』で直木賞受賞など。