里芋は、長らく私の人生に登場しなかった。果たして食べていたのかいなかったのか、覚えていないというより、知らない。異様に好き嫌いの多かった私だが、里芋を嫌いに分類していたのかいなかったのかすら、覚えていない。いや、知らない。
はじめて「あ、里芋だ」と認識したのは三十代の後半。飲み屋で出たきぬかつぎを食べ、そのもっちりした触感と味にちょっと感動したのだ。でもそのとき、「きぬかつぎ」というのがその食べものの名前だと思い、「形状は里芋に似ているが、違うものなんだな」と思ったくらいだから、いったいどこまで私に無視されるのか、里芋。
はじめて里芋料理をしたのも、ほんの数年前。テレビの料理番組で、和風カレーの作り方をやっていて、おいしそうだから真似して作った。この和風カレーの具材が、豚バラ、玉葱、大根、ゴボウ、人参、里芋、だった。スーパーマーケットで、買いものかごを手に、「里芋、里芋」とつぶやきつつ、ビニール袋に入った里芋をしげしげと眺め、私はそれを棚に戻して冷凍食品のコーナーにいった。こんな土がいっぱいついた、皮のかたそうなものと格闘したくない、と思ったのである。
冷凍食品のコーナーには里芋もちゃんとある。冷凍里芋は、あの土だらけのごつごつした皮がちゃんと剥かれ、しかもかたちまできれいなまん丸にまとめられている。至極便利。
和風カレーの里芋は思いの外おいしくて、突如として私の人生にかかわってきたこの里芋を、以来頻繁に使うようになった。けんちん汁や煮物や。
あるとき、おそるおそる皮付き里芋を買って調理した。そして著しく後悔した。何を後悔したかって、冷凍里芋なんて姑息なものを使っていたことを、である。
考えてみれば当たり前の話だが、皮付き里芋と冷凍里芋は、もうぜんぜん違う。風味も食感もねっとり感も。その違いは、偽カニかまとたらばの脚くらい、なのだ。
皮付き里芋はいろいろと面倒くさい。洗って土をこそげ落とし、へんなひげがぼうぼう生えた皮を剥き、塩でもんで、煮て湯こぼしして、そこまでしてやってようやく調理。これが秋刀魚だったらもう焼けてますよ。
でも。でもそれでも。皮付き里芋の風味と食感とねっとり感を、私は選ぶ。
里芋って、和食にしか合わないと思っていたのだが、意外に洋食にも合う。鶏や豚とともにシチュウにすると、あの面倒な下処理の必要もない。里芋のねばりがシチュウのとろみになるので、バターも小麦粉も少なくてすむ。
もっともかんたんなのは、里芋をブイヨン・牛乳・生クリームで煮て、とろとろになったものにチーズをかけて焼くグラタン。具が里芋だけなのに、じゅうぶんおいしい。
先だっていった居酒屋で、「里芋の唐揚げ」という料理があり、注文した。美しい六角形の揚げ里芋が運ばれてきて、ただ素揚げしてあるんだろうと思って口に入れ、「ぐわあ」とちいさく叫び声が出た。いっしょにいた友人も、一口食べて「うはあ」と声をあげる。異様なおいしさだったのである。表面はぱりっとしているのに、なかがふわとろーんとして、しかも、出汁の味がしっかりきいている。
「何これ何これ何これ」「何これ何これ」「ねー、何これ何」「ほんと、何これ何なの」
と、阿呆のように友人と顔を見合わせて言い合い、帰り際、見送りに出てくれたお店の人に作り方を訊いてみた。出汁でじっくり煮てから揚げるのだという。それだけ聞けばかんたんそうだが、実際作るとなるとさぞや面倒だろうことが予想される。よし作ろうと、そのときは思ったが、結局まだ作っていない。
皮付き里芋を購入するようになってしばらくのあいだ、里芋の形状について考えていた。こんなにごつごつしていなかったり、へんなひげみたいのをこんなにぼうぼう生やしていなかったり、下処理が不必要であれば、里芋ってもっと重宝されたのではないかなあ。なんたって、芋のなかではもっとも低カロリー。しかも栄養価が高い。コロッケだって里芋のほうがまるめるときにまとまりやすい。どうしてもっとなめらかな、剥きやすい形状で生まれてこなかったのか……。
しかし里芋を使用する頻度が高くなると、皮を剥くのにも慣れ、ごつごつひげぼうぼうもさほど気にならなくなる。さらに面倒くさがりの私は、塩もみ・茹でこぼしなども省略。それでも案外だいじょうぶなものである。
三十数年間、なぜ私は里芋を認識しなかったのだろう、という謎だけが残る。 |