たこ焼きという食べものをはじめて鮮烈に意識したのは、中学一年生のときだと思う。
それまでも、きっとどこかで食べたことはあったと思うのだが、しかしさほど意識したことはなかった。中学一年のとき、私は出会ってしまったのだ、真のたこ焼きに。
通学路に、たこ焼き屋ができたのだ。いや、もともとあったのかもしれない。小学生の時分は気づかなかった。が、中学生になって、寄り道の魅惑も覚えたころ、ドーナツ屋でもない、甘味処でもファストフード店でもない、たこ焼き屋に私は強く心惹かれた。
不思議な風情のたこ焼き屋だった。夜は飲み屋にかわる店だったのかもしれない。カウンター席のみの、細長い薄暗い店で、放課後、つまり午後の早い時間は、たこ焼きだけ売っている。ひとつ三十円くらいで、個数で注文する仕組みになっていた。私と友だちはカウンター席に腰掛けて、五個、とか、八個、とか注文して食べた。
関西出身の人はたこ焼きなんて幼少時から食べ慣れたものだろうが、私にはまだまだめずらしい食べもので、さらにその店で食べるたこ焼きは世界が崩壊し、また再構築されるくらい、おいしかった。この世の食べものとは思えないほどだった。
中学生の私は願った。一度でいい、一度でいいから、「五十個」と言って注文して、腹がはつはつになって動けなくなるほどたこ焼きを食べてみたい。
小遣いを貯めれば「たこ焼き五十個」は可能だったはずだ。けれどそれは思春期の私の自尊心が許さなかった。十個食べるのだってためらわれたのだ。なぜなら友だちは五個、六個とおやつにふさわしく少量しか食べないのだ。私だけ、十個、二十個と注文するのはいかがなものかと、若い自意識が邪魔したのだね。
この店、あっという間につぶれてしまったのだろう、通い詰めた記憶がない。買い食いの選択肢からたこ焼きは静かに姿を消した。
私のたこ焼きジプシーはここからはじまったともいえる。
私は昔も今も心からたこ焼きが好きなのだが、関東圏で生きている人にさほどたこ焼き選択権はない。だって店がない。一昔前はスーパーの一階にあるラーメンやソフトクリームを売る店の「なんか違う」たこ焼きくらいしかなくって、私は祭りを待ち焦がれたものだった。祭りにいけばかならずたこ焼きの屋台が出ている。祭りで私は真っ先にたこ焼きを食べる。
それから、フランチャイズのたこ焼き屋が多くできはじめた。私も最初はよろこんで買っていたが、しかし、違う。何が違うって、このたこ焼きは揚げてある。
作り方を見ていると、仕上げに大量の油を投入し、ふつふつと周囲を揚げるのである。これは最初はおいしいが、だんだん飽きてくる。飽きるに従って、腹立たしくなってくる。それは揚げたこ焼きだろうが! と、言いたくなってくる。
もし中学生の私が「世界崩壊、再構築」を味わったたこ焼きが揚げてあったら、この揚げたこ焼きに満足しただろうが、私が推測するに(記憶がおぼろげで推測するしかない)、あのカウンターの店のたこ焼きは、関西の正統的なたこ焼きだった。それがそのまま初恋の男のように私の内に刻印を押しているのだから、揚げたこ焼きなんて邪道もいいところ。
さて、こんなにもたこ焼きを愛している私であるが、大阪に縁がなく、本場でたこ焼きを食べる機会がなかったのだが、二年前から、年に一、二度定期的に仕事で大阪に通うことになった。
はじめて大阪にいったときは「たこ焼き、たこ焼き」と目をらんらんと輝かせていた。仕事相手が夕食時に連れていってくれたのはちゃんとした和食屋さんで、たこ焼きなどもちろんメニュウにないのだが、しかし私は「たこ焼き、たこ焼き」と思い続け、和食屋からバーへ移動する際に路上でたこ焼きを買い、バーに持ちこんで食べた。ああ、初恋の味! 中学生の私の世界を破壊、再構築させた味! 思わず落涙しそうだった(しなかったけど)。
以来、大阪いきのときは「ぜったい何がなんでもたこ焼きを食べて帰る」と決めていて、「なんだったら夕食はたこ焼き五十個でかめへん」と似非大阪弁で思っているが、いかんせん、関西からやってくる仕事相手を私がもんじゃ焼きでもてなさないように、私を迎えてくれる仕事相手もたこ焼き五十個の夕食などはセッティングしてくれない。いつも、食事とバーとの境にたこ焼きをなんとかすべりこませているのである。それにしても、たこ焼きの持ちこみを許してくれるバーがある大阪って、なんて太っ腹なんだろう。
ところで大阪在住もしくは出身の人は、一家に一台たこ焼き器を持っていると言う。あまりのたこ焼き愛のために私も買ったのだ、たこ焼き器。知り合いにたこ焼き名人が二人いるので、双方に作りかたを聞き、実践もさせてもらい、「習得した」と思ったので自宅で作ったのだが、やっぱだめ。ぜんっぜんだめ。つきっきりで教えてもらったときはうまくいったのになあ。慣れの問題なのだろうが、慣れるまで失敗をするのがいやで、結局、数回使っただけでたこ焼き器は埃をかぶるはめに。自分で作るより、関西出身の人が主催するたこ焼き大会に招かれたほうがよほどいいという結論になった。
ちなみに、大阪のたこ焼きにいちばん近いものを自宅で食そうと思ったら、冷凍たこ焼きを買うのがいちばんいいと私は思う。私は冷凍食品の類を買わないが、たこ焼きだけはおいしいと思う。売りものでこれに近いものは、なかなかない。
中学一年のとき、一度でいいからたこ焼きを五十個注文して、それで腹をはつはつにしたいと願った私であるが、おそろしいことに、今もってなお、同じことを願っている。だってね、たこ焼き五十個ってやっぱりなかなか食べられるものではないし、なぜか、十個程度でおなかいっぱいになってしまうのだ。「たこ焼きだけで腹はつはつ」というのは、ずいぶんと難題である。でも、いつかそうしてみたい。バケツでプリン作りたい、というのと変わらぬシンプルな野望である。
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