アスペクト

今日もごちそうさまでした

角田光代
お肉は好きですか? お魚は好きですか? ピーマンは? にんじんは? 美味しいものが好き、食べることが好き、何よりお料理が好きな角田さんの食にまつわるエッセイがスタートです。

025 栗ガーリー

 白いごはんより炊き込みごはんがだんぜん好き。五目ごはん、筍ごはん、お赤飯も好き、中華おこわもだーい好き。が、唯一食べたくない炊き込みごはんがある。

 それは栗ごはん。ごめんなさい栗。

 私は高校生になるまで栗ごはんを食べたことがなかった。家ではなぜか出なかったし、外食で食べる機会もなかった。栗、といえば父親がおみやげに買ってくる天津甘栗か、正月に母の作る栗きんとんだった。

 高校一年生のときの文化祭で、保護者有志の出店が出ていて、お赤飯だの鶏めしだの、その場でふかして売っていた。私は友人とそれを買いにいき、な、に、に、し、よ、う、か、な、と各ごはんをのぞきこみ、栗ごはんに焦点を合わせた。

 食べたことがないが、いかにも私の好きそうな食べものだ、と思ったのである。当時の私はさつまいもも南瓜も煮豆も好きだった。甘いものがおかずとしてあることに、今ほどの抵抗はなかったのである。天津甘栗も栗きんとんも大好きなのだから、この栗ごはんとやらも、きっと私は好きに違いない。そう思って、買った。友人と中庭のベンチで湯気をたてるそれを食べた。

 うげ。

 それが感想。でも、買ったのだから、食べよう。と思って、また一口。

 なんで栗なんて入れるわけ? ごはんに。

 それがさらなる感想。

 私は笑顔で友だちと話したまま、栗をよけ、ごはんだけ食べた。栗ののっていた部分にも栗の味が移っているから、そこも残した。

 ごめんなさい栗。

 それから大人になって、今に至るまでに、たぶん二度ほど再チャレンジした。最初は「あのとき食べたのは保護者作の栗ごはんだったから、イマイチだったのだ。その保護者はきっと栗ごはんが得意料理ではなかったのだ」と思い、日本料理店で再チャレンジし、二度目は「あの店はたまたま栗ごはんだけ、得意ではないのだ。べつのごはんものが目玉料理なのだ」と思い、果敢に挑んだのである。なんとか栗に歩み寄りたかったのである。

 でも失敗だった。栗は毅然として私を受け入れなかった。栗ごはんの栗はもかもかして、そのもかもかが口のなかの水分を奪い取る。ただ甘いのではなくてかすかな塩気ともっとかすかな苦みがあって、でももかもか噛んでいるとじんわり甘くなって、それ単体で食べるならまだいいが、ごはんとともに食すと、もかもかを口内で消化しきれないうちにごはんはなくなってしまい、ぜんぶ飲みこむと口がばさばさ。(すみません、少し大げさに書いています。)

 みなさんの名誉のためにいえば、栗ごはんをふかしていた保護者も、一軒目の和食屋も二軒目の和食屋も、みな栗ごはんが下手だったわけではない。私の口に合わないもの、それが栗ごはんなのだ。

 栗に目がない人というのがごくたまにいて、こういう人の栗好きにはまったく驚かされる。え!?栗?栗が好きなの? と、肩を揺すって確認したくなる。

 でも、栗が好きってなんだか女の子らしい、とも思う。ガーリー度としては、苺が好き、に匹敵するのではないか。栗の絵もかわいい。茶色なのにかわいい。自分で描いたってかわいい。

 そうだ、私は栗ごはんが好きではないだけで、天津甘栗も栗きんとんも………うーん、前ほどには好きじゃないなあ。

 あ、でも、ほら、そうそう、あれ、あれがある。モンブラン。そう、モンブラン、大好きだ!

 やっと栗との親交回路が見つかった。そう、私は多々あるケーキ類のなかでモンブランがかなり上位に好きである。

 ケーキ類も含む甘いもの全般に興味がなく、ほとんど食べないのだが、ある一時期、猛然と食べたくなることがある。食べたくなるものは決まっていて、和ならおはぎ、洋ならモンブラン。そしてこの一時期というのは、夏から秋への変わり目だ。急に涼しくなったから「モンブラン食べたい」と思うのでなく、「モンブラン食べたい」と思ったら、私にはもう夏は終わり、その日から秋、ということになっている。

 モンブランは、ショートケーキやチーズケーキと比べ、いやチョコレートケーキと比べてすら、著しくアタリハズレがあるので、はじめて入ったケーキ屋さんではめったに買わない。私がもっとも好きなのは、仕事場の近くにあるザ・地元のケーキ屋さんのモンブランで、これはサイズがちいさく、べたべたと甘くなく、うっとりするほどおいしい。栗、好きだ栗、と、このときばかりは思う。そしてモンブランを食べてしあわせを感じる自分の内に、いかにかすかだろうとガーリー度が存在することを確認し、ほっとするのである。

026 松茸格差

 なぜこんなものをみんなありがたがって高い金出して食べるのか、と、はじめて松茸を食べたとき、思った。二十代の終わりである。三十歳直前に、一時期私は深刻な経済難に陥ったことがあって、三、四カ月、原稿を書くかたわらアルバイトに通っていたのだが、そこの社長が連れていってくれたしゃぶしゃぶ店でのことである。

 社長は、いつもともにごはんにいくたびそうだったのだが、さっとメニュウを見て人の意向も聞かず、いちばん高いものを二人ぶん注文してしまう。このときも「松茸しゃぶしゃぶコース」を私のぶんまで注文してくれた。通常のしゃぶしゃぶコースに松茸がついていて、肉より先に松茸をしゃぶしゃぶするコース内容であった。よく知らない人だし、おごってもらうのだし、「きのこ類全般を食べられないからふつうのしゃぶしゃぶにしてください」と、言えなかった。言えなくて、松茸をしゃぶしゃぶして食べ、「なぜこんなものを……」と、思ったのである。

 もともときのこが(このときは)好きではなかった。それに、松茸は鉛筆の削りかすのにおいがする。私は社長と向かい合わせに座り、「早く肉に、肉になってくれ」と思いながら、無理に松茸を食べ続けた。

 食革命が起き私が好き嫌いをなくすのは、その約一年後。

 好き嫌いが減り、さらに年齢を重ね、するってえと、不思議なことに高級珍味欲が出てくる。食べたことがなくて高級なものを、食べてみたくなるのである。食べたことがなくて安価なものは、さほど食べたくはならないのに、これは不思議なことである。前者は、唐墨とか燕の巣とか。後者は、雀とかイナゴとか。

 そんなわけで、松茸。一年前には「ウエエ」とちいさく思いながら松茸をしゃぶしゃぶしていた私だが、じつはみんながおいしいおいしいと言い合っているのに、交じりたかったのである。秋になると「松茸の季節だね」「松茸食べなきゃね」と、いっしょになって言いたかったのである。

 食革命のとき私が悟ったのは、好きではない食べものは、食べ続けていれば好きになる。ならずとも食べられるようにはなる、ということだ。水泳や料理や英単語丸暗記といっしょで、地道にくりかえすことがだいじなのだ。

 反復用に、安い松茸を買ってきて、松茸ごはんを作りまくった。外食した際も、以前は人に譲っていた土瓶蒸しだの網焼きを、食べてみることにした。

 松茸が売場から消えるまでには、つまり一秋で、私は松茸に開眼した。反復したおかげで、そのおいしさがよーくわかった。

 今、ようやく私はみんなと一緒になって「秋といえば松茸」「もう食べた?松茸」「ああ、松茸食べたい」と、言い合えるようになった。

 しかしながら、松茸って本当に必要だろうか、という気がしないでもない。

 ウニはなくちゃ困る。シンコもなくちゃ困る。それらが鮨屋から消えると、ああ夏も終わりよのう、としみじみ思う。桃もなくちゃ困るし、河豚もなくちゃ困る。青魚をさほど食べない私だって、秋刀魚はなくちゃ困ると思っている。山菜だって、なくちゃやっぱり困っちゃう。ほやや爆雷といった珍味ですらも、実際に好んで食べないながら、あってほしいと思うときがある。

 でも、松茸。松茸は本当に必要か?

 本当は、なくてもいいのではないか。 みんな、秋になると松茸、松茸と騒ぐが、いっぺんも食べないまま冬になっても、だれも気づかないのではないか。

 そう思わせる理由は、松茸の値段にある。松茸の値段はへん。九百八十円のものもあるし、五万円のものもある。国外産は安くて国内産は高いということはわかる。国内産のほうが香りがゆたかというのもわかる。でも、じゃあ、「やっぱりおいしい松茸食べたい」と、人は五万円を出すだろうか。否。みんなふだんのごはんのためには、せいぜい奮発して五千円クラスのはずである(すみません、私がそうなんです)。大切なお客さんがくるとか、イベントするとか、臨時収入があったとか、そういう場合でも、せいぜい一万円台ではないか。

 でも、松茸を買うとき、つい値段を見る。目当ての値段だけ見ればよいものを、陳列されたなかでいっちばん高いものを見る。「ほう、五万」とか思ったりする。千円と五万と、どのくらい違うのかノ、と想像したりする。そして自分の想像力が、五万円の松茸に及ばないことを思い知らされる。手にした三千円とか五千円とかの松茸を、食材としては充分高いのに、何かケチっているような気持ちになりながら見つめ、とぼとぼとレジに向かう。

 こういうときに私は思うのだ。松茸、必要か? と。国外の松茸が安く輸入されるのは、その国の人々にとってそんなものはちっともありがたくないからだ。きっとみんな、「こんな鉛筆の削りかすのにおいがするもの、いらんわ」と思っているのだ。私たちだって感覚をちょっと変えれば、「こんな鉛筆の削りかすのにおいがするものを、なぜ今までありがたがっていたのか」と思うかもしれない。果たしてそんな日はくるのであろうか。

 と言いつつ、今年の松茸ごはんはいつにしようかなー、どのくらい奮発しようかなーと、わくわくと考えている秋のはじめ。

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著者プロフィール

角田光代 かくたみつよ

1967年神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。
90年「幸福な遊戯」で「海燕」新人文学賞を受賞しデビュー。96年『まどろむ夏のUFO』で野間文芸新人賞、98年『ぼくはきみのおにいさん』で坪田譲治文学賞などいくつもの賞を受賞。03年『空中庭園』で婦人公論文芸賞、04年『対岸の彼女』で直木賞受賞など。