アスペクト

今日もごちそうさまでした

角田光代
お肉は好きですか? お魚は好きですか? ピーマンは? にんじんは? 美味しいものが好き、食べることが好き、何よりお料理が好きな角田さんの食にまつわるエッセイがスタートです。

027 豆よこんにちは

 たぶん一生相容れないだろうな、と思う食材があって、それは豆。納豆も枝豆も好きだが、大豆等の乾燥豆は昔から好きではなかった。まず味と食感がだめ、それから、豆好きってなんか偽善的な気がしてそれも好きではなかった。もちろん偏見であるが。さらに雨の日に一日豆を煮るような女のことを、私は好きではないだろう、とまで思っていた。

 二年前のことである。知人が、毎食の献立に豆料理を加えていたら、自然と痩せた、という話をしていて、ヨシ豆食うぞ、と決意し、大豆を買い、一晩水で戻し、翌日圧力鍋で似て、五目豆を作った。乾燥豆を買うのも水で戻すのも、煮るのも豆料理を作るのも、生まれてはじめて。

 生まれてはじめてであるにもかかわらず、私には、その五目豆が完璧に成功したことがわかった。甘いおかずが苦手なので、私好みに甘さも控えめで、きちんとおいしくできた。

 が、残念なことに、そんなにおいしくできた五目豆でも、私は好きではなかったのである。「これはうまくできた、でもおいしいと私は思えない」と、私は心中でつぶやいた。「この五目豆がおいしくないのではなくて、豆を私は嫌いなのだ」と、思い知った。そのとき、二度と乾燥豆を買うことはないだろうし、豆料理を作ることもないだろう、と漠然と思った。豆よさようなら。

 ところが、どういうわけだろう。今年に入って、仕事中、唐突に「なんか豆っぽいもの食べたい」と思った。豆っぽいもの、というのはつまり豆。でも、「豆食べたい」と思うには躊躇がありすぎて、「豆っぽいもの」という表現になったのであろう。

 私は書きかけの原稿をファイルにしまい、「豆料理 レシピ」を検索した。まあ、あるある。サラダにスープに煮物に。豆の種類も、大豆ばかりか赤いんげん豆、金時豆、ひよこ豆となんて多いのか。カレーやスープでなく、もっと豆豆したものが食べたい、と思い、そう思っている自分にびっくりしながら、豆サラダを作ることにした。

 その日、生まれてはじめて「金時豆」を買い、生涯二度目に豆を水に浸して眠り、翌日、生涯二度目に圧力鍋で豆を煮た。

 ネットで見たレシピを参考に作った豆サラダは、金時豆にツナ缶、玉葱みじん切り、いんげん、プチトマトを混ぜ、油+酢+塩胡椒で味つけをする、じつにシンプルでかんたんなサラダ。

 うまいじゃん。

 食べてまず思い、またしてもそう思っている自分に、たまげる。

 この私が、この私が、この私が豆をおいしいと思っている!

 あまりにたまげたため、心中で言い訳までした。「おいしいと思うのは、ツナ缶が入っているからだ。つまりはツナ缶の油を私はおいしいと思っているのだ。ツナ缶が入っていなければとてもじゃないけど食べられないに違いない」と、長い言い訳を。

 ところがあまりにうまかったので、翌日、お弁当にまでいれていく始末。

 残った豆は煮汁ごと冷凍すべし、とあったので、その通りにし、翌週、鶏と豆のトマトスープを作ってみた。にんにくと唐辛子を炒めて、鶏を炒めトマトを炒め、豆を入れてブイヨンで煮るだけのスープ。

 ああ、またしても豆、うまし。

 いや、鶏がうまいのだ。これが豆だけスープだったらとてもじゃないけど……(以下略)。

 豆をぜんぶ使い切ると、しばらく豆のことは忘れた。そうして私は肉、肉、肉、ときどき魚、の今まで通りの生活に戻り、そんな自分に安堵していた。

 そうしてまたしても、豆欲がぞろわいてくるわけである。

 豆食べたい。突然思う。あー豆食べたい。

 しかしながら豆というのは、水に一晩浸けなければならぬらしいから、食べたいと思ってもその日に食べられない。その日は生涯二度目に大豆を買い、生涯三度目に豆を水に浸し、翌日、生涯三度目に豆を煮た。そうして作ったのは大豆ミネストローネ。前に作ったスープの、鶏肉をベーコンに変え野菜を増やしただけだが、やっぱりおいしいのだ。戸惑うくらい、豆、おいしいのだ。いや、でもこれはきっとベーコンが……(以下略)。

 さらに、旭川に出張があり、おいしいとずっと聞かされていた居酒屋に、ひとり、飲みにいったのだが、そのとき出てきたお通しが、煮豆。

 この煮豆が、豆だけなのに、豆だけなのに、豆だけなのに、べらぼうにおいしいでやんの。

 おかみさんに作り方を訊くと、「醤油と酢で煮ただけ」とのこと。「豆も醤油も酢も、気に入りのところのしか使わないから、おいしくできるのよ」とのことである。これ、食べはじめたら止まらなくて、イヤー困った。しかも今回は、鶏やツナのせいにできない。豆がおいしいんだもん。

 もう降参することにした。私は豆好きになったのだ。四十歳を過ぎて体が健康食を欲しているのだ。もう認めよう。相容れよう、豆と。

 ついこのあいだなんて、豆が食べたくて食べたくて、水に浸けて、なんてやっていられないくらい即食べたくて、水煮缶を買ってしまった。豆と、冷蔵庫に余っている玉葱とピーマンでかんたんサラダにしたら、こんな手抜きサラダでも、きちんとおいしくてちょっと感動した。もちろん豆は、自分で戻したほうがだんぜんおいしいが、でも、豆に飢えているときは水煮でじゅうぶん。

 タイムマシンに乗って二十代の私に会いにいき、「あんた二十年後豆好きになるよ」と教えたら、「そんなことあるわけないじゃーん」と、そいつは肉を食らいながら笑うんだろうな。

028 和洋鮭

 魚よりだんぜん肉派の私が、幼いころから慣れ親しんだ魚が二種あり、それは鮭と鰺の干物である。切り身の鮭と鰺の干物は、関東圏家庭の朝食には必ず登場する馴染みの魚だと思うのだが、そんなことはないのかしらん。鮭と鰺の干物、どちらも、納豆のごとく私はふつうに食べて育ったが、骨がないぶん、鮭のほうが好きだった。

 鮭といえば(朝の)焼鮭と思いこんで育った。焼鮭といえば塩鮭である。私のような無知かつ興味の幅が狭い人間は、いったん思いこむとずーっとそれを真実と思いこんで大人の階段を上り青春期を過ごし、中年期へとさしかかっていく。大人の階段を上がっている最中も、青春真っ盛りのときも、私にとって鮭は塩鮭だった。つまり朝食べるもの。

 肉ばかり食べ過ぎて高脂血症になり、夕食に魚を多く食べるようになったのが、三十代後半。そうしてこのとき私はようやく、生鮭なるものが存在すると、知った。

 テレビの料理番組で、鮭の照り焼きを作っていた。かんたんそうなので、その日、仕事帰りに鮭を買って帰り、真似して作ってみた。そしたらまあ、しょっぱいこと。ハテ、と思い、翌日もう一度魚屋の店頭にいき、並ぶ魚をじーっと眺め、そうしてようやく、塩鮭と生鮭があることに気づいたのである。生鮭を買って、もう一度チャレンジする。おお、ちゃんとおいしい鮭の照り焼きができたではないか。

 しかし混乱するのは、塩味のついた鮭でも、生鮭でも、どちらでも調理可の料理が意外に多い。たとえば鮭のムニエル、南蛮など、甘塩の鮭で作ってもおいしい。鮭のシチュウもフライも然り。

 もっと混乱するのは、鮭には、紅鮭だの時鮭だの銀鮭だの、アトランティックサーモンキングサーモントラウトサーモン、いろいろありすぎる。どの鮭はどの調理法がおいしいとか、味がおいしいのはどれとか、いろいろあるのだろうけれど、私はもう面倒で、そのとき魚屋の店頭にある手頃な値段のものを買って調理することにしている。手頃な値段を選ぶのは、ケチでそうしているのではなく、それが旬の指標だと思っているからだ。

 鮭は塩鮭、朝ごはんのおかず! と、真実がそれだけだったときは、シンプルでよかったなあ。

 ところで、私が子どものころ食べていた鮭は、やたら辛かった。それだけでごはんがたんと食べられるような、鮭だった。端っこのところがとくに辛くて、おいしかった。が、最近の塩鮭は甘塩が主流で、う、辛、と思うようなものにはなかなか出合えない。……と思っていたら、魚屋の隅っこに、ちゃんと、いた。「激辛」と書かれた鮭が。

 まったく不思議なことに、この激辛鮭がいちばん高い。ふつうは二百円程度の切り身が、五百円する。うわー、高いナー、と思いながらも、郷愁心に押されて買ってみた。その日の夜、その鮭を焼いて食してみたところ、卒倒するかと思うくらい、塩辛い。ひとかけらでごはん一膳、味を反芻してごはんもう一膳、くらいの塩辛さ。昔食べていた鮭は塩辛かったが、ここまでではなかったな……。

 私が今まで食べたなかで、もっともおいしかった鮭は、シアトルで食べたキングサーモンである。まったく何も知らなかったのだが、シアトルというところは海産物がおいしいことで有名らしい。たしかに、滞在中、どこでもかしこでもクラムチャウダーを食べたが、はずれということがなかった。これ一生食べていたいと思うほど、おいしかった。

 このシアトル行きは仕事だったのだが、同行してくれたアメリカ人編集者が海産物好きで、魚、魚、魚、とずーっと言っている。滞在中あれこれ面倒を見てくれた在シアトル日本人が、最後の夜、中心街から車で一時間ばかし走ったところにあるレストランに連れていってくれた。魚に飢えた編集者のために、魚料理に定評のある店を選んでくれたのだという。

 さてここで件の編集者、メニュウをじーっと見つめたまま、苦しげな顔をしている。「蟹の脚か、キングサーモンか、白身魚……」と、つぶやいている。苦しいほどに決められないのだ。注文をとりにきた老ウエイターに、彼は恋愛に悩む若者のような顔つきで、「蟹の脚も食べたいし、キングサーモンも惹かれる、いっそサンプラー(ちょこっとずつメイン料理がのったセット皿)にしようか……」と、相談をはじめているではないか。私が驚いたのは、老ウエイターは真顔で頷きながら彼の話を聞き、「しっかり食べたいならサンプラーはやめたほうがいい。きみはアメリカのどこ出身だい? シアトルへはよくくるの? そうか、日本に住んでいる……ならお勧めはキングサーモンだね。蟹はどこでも食べられる。でもこのキングサーモンはこのあたりでないとちょっと食べられないんだ」と、すらすらとアドバイスをはじめるではないか。すごいな、アメリカのこういう文化って。

 私もそれを聞き、キングサーモンを頼んだ。グリルされたこのサーモン、ジューシーで脂がのっていて、ほわんと甘くてとろけるほどにやわらかくて、塩加減が絶妙で、ああ、本当においしかった。日本で言う魚のおいしさと、アメリカで言うそれとは、まったくことなるものなんだなあとこのとき思った。

 あのキングサーモンをもう一度食べたくて、「よしグリルだ」と魚屋にいくも、結局、あんなにうまく調理できる自信がなくて、醤油と酒味醂につけて、今日も照り焼きにしてしまうのである。ま、やっぱり日本の鮭は照り焼きだわな。

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著者プロフィール

角田光代 かくたみつよ

1967年神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。
90年「幸福な遊戯」で「海燕」新人文学賞を受賞しデビュー。96年『まどろむ夏のUFO』で野間文芸新人賞、98年『ぼくはきみのおにいさん』で坪田譲治文学賞などいくつもの賞を受賞。03年『空中庭園』で婦人公論文芸賞、04年『対岸の彼女』で直木賞受賞など。