アスペクト

今日もごちそうさまでした

角田光代
お肉は好きですか? お魚は好きですか? ピーマンは? にんじんは? 美味しいものが好き、食べることが好き、何よりお料理が好きな角田さんの食にまつわるエッセイがスタートです。

039 うまい棒を知っていますか

 今回は私の愛するものについて書きます。

 それはうまい棒。うまい棒を知っていますか? 一本十円の、お菓子だ。

 書き間違いでも見間違いでもないですよ、一本「十円」のお菓子なのである!

 うまい棒のことをはじめて知ったのは、三十五歳と、遅い。このとき住んでいた町のデパートに、昭和レトロ風の内装の、似非駄菓子屋があった。いや、売っているものはよっちゃんイカとか太郎餅とかソースせんべいとか、ちゃんとした駄菓子なのだが、でもデパート内だし、売り子はおばあちゃんでなく若くお洒落な娘さんたちだし、選んだ駄菓子はコレまたこじゃれた籐のかごに入れてレジに持っていくシステムだし、本場の駄菓子屋より似非感漂わせてしまうのは、致し方ない。

 私はここでうまい棒に出合った。

 棒状のスナック菓子である。しかし特筆すべきは、味の多様さ。

 コーン味、サラダ味、チーズ味、なんてのは序の口、たこ焼き味、サラミ味、ソース味、明太子味と、もうそりゃいろいろ、いろいろある。牛タン味というものもあり、これが感動的なのは、レモンの味がほのかにするところ。芸が細かいのだ。

 はじめて食べて、「!」と思った私は、次の機会には、例の籐のかごにうまい棒を二十本入れてレジにいった。そんなに大量の買いものをしているのに、二百円(+消費税)。

 次のときは、五十本買ってみた。でも、五百円(+消費税)。

 そしてこの棒状の菓子、量がちょうどいい。「ごはんの前にお菓子食べたらごはんたべられなくなるでしょ!」と、おそらくだれしもが言われて成長してきたと思うが、うまい棒は、ごはんの前に食べてもごはんが食べられるのです。なぜなら量がちょうどいいから。

 「ごはんのあとにお菓子食べるならごはん食べなさい!」と怒られてきた人もいると思うが、うまい棒なら食後だって食べられるんです。なぜなら量がちょうどいいから。

 おやつに一本だと、ちょっともの足りない。でも、二本だと、味が濃いし胸焼けするな、というような適量なのだ。

 うまい棒に秒速でノックアウトされた私は、「なぜ三十五年間も知らずに育ってしまったのか」と悔やみながら、うまい棒専用かごを買った。四角いかごで、蓋がついている。うまい棒の縦の長さぴったりで、ゆうに七十本は入りそうな美しいかご。ちなみに、七十本買っても七百円(+消費税)だからね。

 このかごが、たしか三千円くらいして、私はうまい棒を買いこみここに収納するたびに、「買っても買ってもかごのほうが値段が高い……」と、うまい棒をリスペクトするようなあわれむような複雑な気持ちになったものだった。

 デパートがリニューアルして似非駄菓子屋が撤廃したときは、本気でがっかりした。あれだけうまみを教えこんでおいて、消えるなんて! いったいこの先どうしたらいいのか。

 深刻に悩むまでもなかった。コンビニエンスストアの棚に、駄菓子コーナーがあり、そこにちゃんとうまい棒は並んでいたのである。

 けれど、どういう心理なのだろう、駄菓子屋では三十本五十本と大人買い(ずいぶん情けないが、まあ、大人買い)できたのに、コンビニエンスストアだと、そんなに大量には買いづらい。せいぜい四本くらい。

 とはいえ、米や味噌とは違う、単なる嗜好品なのだから、つねに常備しているわけでもない。ふと、「そういえばうまい棒」と何カ月かに一度思い、ほかの用があるときいっしょにコンビニエンスストアで買い求めるのである。

 そうして今年、事件は起きた。

 昼休み、お茶を買いにコンビニエンスストアにいったところ、私は見つけてしまったのである。なんとうまい棒が袋菓子になりその名も「うまい輪」として売られているではないか。驚きのあまり、鼓動が速くなり、買いたいが、「でもそんなはずはない。バッタモンかも」と妙なことを思ってそのときは買わず、数日後、おそるおそる、買ってみた。

 そしたらなんとまあ! これが正真正銘、うまい棒味(チーズ)なのである。うわあ、と目を輝かせて、気づいたら一袋むさぼり食べていて、胸焼けにもんどり打ったのだが、しあわせなことには変わりはない。うまい棒が、袋菓子に。いっぺんにたくさん食べられる。けれどしあわせすぎると人はこわくなる。「いいのか、袋菓子で。うまい棒は一本食べきりのサイズだったからよかったのでは。うまい輪なんて字足らずだし、邪道なのでは」などと、いらんことを真剣に考える。考えながらも、でも買い、「やっぱしあわせ」と、棒の記憶で一袋食べきらないように注意していた。

 があるとき、コンビニエンスストアの店頭から、うまい輪は消えた。そ、そんな、と驚き、私は近隣のコンビニエンスストアを走りまわって調べた。五軒のコンビニエンスストアから、きれいさっぱり「うまい輪」は消えていた。まるで、そんなものは私の過剰な愛が見せた幻影だとでもいうように。

 うまい輪、どこかには売っているのかな。それとも私の、しあわせな創作記憶なのかな。

 
付記 この一週間後、コンビニエンスストアではないお菓子屋さんで、私は無事、うまい輪を見つけることができました。創作記憶ではなかったようです。

040 世界じゃがいもの旅

 本当に感心するのは、じゃが芋の頑丈さである。

 じゃが芋は、どこにでもある。どっこにでも、ある。育つ場を選ばない。アフリカの内陸国、マリにいったとき、海のないこの島に魚の種類はたいへん少なくて、市場にいっても肉が主、魚は干したもの、果物や野菜は種類というよりも色自体が少ないと感じたのだが、それでも、芋は豊富にあった。まんまるいもの、楕円のもの、ちいさいもの、赤っぽいもの、白っぽいもの、いろんな種類のじゃが芋があった。レストランにいくと、つけあわせとして必ず芋は登場した。

 そう、芋の威力を思い知らされるのは、日常においてより、むしろ異国にいったときだ。

 アイルランドを旅した十年前も、芋だらけで驚いた。スーパーの芋コーナーは私の見知った東京のそれの五倍ほどあった。何料理のレストランでももれなく芋がついてきた。中華料理屋で炒飯を頼んだときにも、炒めたごはんの隣に山盛りのポテトがのっていて、「ここまでするか」と笑ってしまった。マッシュポテトのおいしさに目覚めたのは、この地で、である。

 先だって、ウラジオストクからパリまで旅したのだが、ここでも芋は威力を発揮していた。ロシアの隣のバルト三国は、まさに芋づくし。

 三つの国のなかでもいちばん芋芋していたのは、ポーランドと国境を接するリトアニア。ここではじゃが芋料理が名物らしい。

 じゃが芋のパンケーキというしろものを注文したところ、出てきたのは、お好み焼き大のパンケーキ三枚。でかい。「でかい」と思わず言ってしまうと、それを運んできたおねえさんは「うふふ、明日の朝のぶんも入れといたのよ」と冗談を返した。が、冗談ではなかろう、というほどの量。皿には、サワークリームといくらがついている。

 これが、うまかった。細切りにしたじゃが芋を、どのようにしてかまとめて、丸く焼いているのである。外側がさくさくしていて、なかがほっくりしている。ほんのり塩味で、そのまま食べてもよし、サワークリームもいくらも合い、三枚ともたいらげてしまいそうなほど、軽くておいしい。

 それから、ツェペリナイという名物料理もあった。

 かたちは、皮をむいてそのまま茹でたようなじゃが芋。それに、ベーコンの入ったホワイトソースがのっている。私はこれを食すべく、ツェペリナイの種類が多いというレストランに赴いた。種類が多いのは、ソースである。チーズソースとか肉入りソースとか玉葱ソースとか。私は「ベーコンとマッシュルームソース」を注文してみた。

 ナイフで半分に切ると、なかに肉団子が入っている。わあ、おいしそう、と口に運び、「うむ?」となった。外側のじゃが芋は、コロッケ状にまるめてあるのではなくて、小麦粉か何か、結構な量のつなぎとまぜあわせてもちもちしているのだ。ういろうくらい、もちもちしている。まずいことはないが、いや、充分おいしいのだが、でも、個人的な好みとしては、もう少し混ぜものが少なくてもいいと思う。

 お隣ポーランドではそんなにじゃが芋イメージはなかったけれど、そこから向かったウィーンでは、シュニッツェルの付け合わせに出てきたポテトサラダがあまりにもおいしく、思わず「この作り方を教えてください」とお店の人に言ったくらいだった。このお店、おじいさんひとり、おばさんふたりがやっている、有機食材を使った料理とワインを扱うこぢんまりした店で、ワインがたいへんにおいしかった。おばさんの指南によると、そのポテトサラダは、「芋を茹でて荒く刻み、みじん切りにした紫玉葱を混ぜ、そこにほんのちょびっとのビーフコンソメスープを加えて、パンプキンシードオイルで和えて塩胡椒」、とのことだった。

 そういえばお隣ドイツも芋が有名だったな。ジャーマンポテトのジャーマンって、そうか、ドイツのって意味だったかと今ごろ気づく。

 さらに、ウィーンの次に向かったアムステルダムでは、ファストフードとしてコロッケとポテトが有名らしい。それらを売る自動販売機まであった。

 町を歩くけっこうな数の人が、ポップコーンが入っているような逆円錐形の紙製容器に入った何かを食べながら歩いていて、なんだろう? と思ったら、ポテトだった。少し太めに切ったポテトを、ケチャップならぬマヨネーズにつけて食べる。コロッケは、ファストフード店ではなくレストランで食べたが、まわりの衣がさくーっとしていて、中身がとろとろ、クリームコロッケのようでたいへんにおいしかった。

 いや、何も、世界のじゃが芋料理を研究するための旅ではなかったのだけれども。

 旅から帰ってきたらすでに春で、八百屋さんの店頭には新じゃがが並んでいてうれしくなった。最後に私の好きな新じゃが料理をひとつご紹介。十五年くらい前に料理雑誌で見て、以来、ほぼ毎年作っているものだ。

 ちょっと厚めに切ったベーコンと、よーく洗った新じゃが(皮つき)を油で炒め、だし汁・砂糖・酒・醤油で落としぶたをして煮る。汁気が少なくなったら、茹でて皮をむいた空豆を散らし、最後にバターをひとかけ落とす。これがもうねえ、うんまいのです。それを食べながら、旅行のあとにかならずやっぱりうちがいちばんとつぶやいていた母親のごとく、「各国芋料理もいいが、やっぱり和食がいちばんだねい」と、つぶやいたのであった。

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著者プロフィール

角田光代 かくたみつよ

1967年神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。
90年「幸福な遊戯」で「海燕」新人文学賞を受賞しデビュー。96年『まどろむ夏のUFO』で野間文芸新人賞、98年『ぼくはきみのおにいさん』で坪田譲治文学賞などいくつもの賞を受賞。03年『空中庭園』で婦人公論文芸賞、04年『対岸の彼女』で直木賞受賞など。