アスペクト

今日もごちそうさまでした

角田光代
お肉は好きですか? お魚は好きですか? ピーマンは? にんじんは? 美味しいものが好き、食べることが好き、何よりお料理が好きな角田さんの食にまつわるエッセイがスタートです。

041 初鰹DNA

 四月の半ば過ぎになると、魚屋さんの店頭に鰹が並びはじめて、わくわくとする。初鰹、食べねば、と思う。

 とくに初もの好き、というわけではないのだけれど、なぜだか鰹には、「食べねば」心を刺激する何かがある。おなじ鰹でも、戻り鰹の時期はさほど「食べねば」にはならないんだよなあ。ちなみに戻り鰹のほうが脂が多いらしいので、ザ・脂女の私はそっちを好みそうなものだが、でも、やっぱり心躍るのは、どういうわけか初鰹。

 さくを買えば、フライパンでかんたんにたたきを作れるそうだが、わたしはたたきよりもそのままの刺身のほうが好きである。大きめの斜め切りにして、新たまねぎをたっぷりしいて、その上に並べ、茗荷、生姜、ニンニク、大葉、あさつき、薬味をたくさん用意して醤油で食す。ポン酢で食べてもおいしいし、コチュジャンだれで韓国風にしてもおいしい。

 私が一時期凝ったのは、ビニール袋に玉葱とすりおろしたニンニクとかつおをいれ、醤油を入れ、もんで味をなじませて食べる漬けかつお。ニンニクの香りが強い牽引力になって食べやめられないおいしさ。

 ところで、江戸時代から初鰹は大人気だったらしく、川柳が多々ある。

 女房を 質に入れても 初鰹 とかね。

 当時は鰹は辛子で食べていたらしい、

 はつかつお からしがなくて 涙かな、 とかね。

 私もまねて、辛子で食べてみたことがある。もちろんおいしいけれど、でも食べ慣れたニンニクや生姜のほうがやっぱり好きだ。

 たぶん、こういう川柳をどこかで耳にしているから、よけいに初鰹に反応してしまうのかもしれない。あるいは、江戸時代から培われた初鰹DNAというものが、私たちの内に流れているのか。私たちの内に潜む江戸DNAが、四月五月になると初鰹食え、初鰹食わねば、といっせいに騒ぎ出すのかもしれない。今は女房を質に入れなければならないほど、高価なわけでもないし。

 鰹は何も刺身ばかりでなく、生姜をきかせて煮た角煮や、パン粉をつけて揚げるフライ、トマトと煮る煮込みなど、加熱料理もある。知人宅におよばれしてそういう料理をごちそうになり、そのおいしさに感動しても、いざ自分で作ろうかとなると、「なんかもったいない」という気持ちがむくむくと頭をもたげ、結局いつも、自分の家では生状態で食べることになる。考えてみれば、私、自分の家で一度も鰹を加熱調理したことがないな。

 鰹は洋風にしても活躍してくれる。カルパッチョもいいが、薄切りにするのがすでに面倒な私は、いつもの刺身のごとく厚めにして、すりおろした玉葱・ニンニク・レモン汁・オリーブオイルに塩胡椒でソースを造り、それを皿にしき、その上に鰹を並べ、端を切ったビニール袋からマヨネーズを細めに絞り出してかける料理をよく作る。ソースがオリーブオイルの黄色っぽい緑になって、鰹の赤とのコントラストがたいへんにうつくしい料理なのである。

 しかしながら、よくよく考えてみれば、鰹ってそんなに存在感のある魚ではない。

 好きな魚は? とか、好きな寿司ネタは? とか、刺身だったら何が好き? とかいった質問に、真っ先に名をあげられるタイプの魚ではないと思いませんか?

 子どものころを思いだしてみれば、私にはそれぞれの魚との密接な思い出がある。たとえばまぐろと蜜月を送った思い出。骨がある、という理由で進んで食さなかった秋刀魚との思い出。朝食でよく顔を合わせましたね、という鰺との思い出。二十代半ばまでいっさいお会いしませんでしたね、というふぐとの思い出。でも、鰹は、空白。

 ひとり暮らしをはじめ、自炊をするようになって、魚屋の店頭で「あ、初鰹」と意識する、それ以前の私と鰹のかかわりはどのようであったのか、と思い返しても、はっきりした記憶がない。私ほどの元偏食だと、好きか嫌いかがかなりはっきりしているのに、それも、よく思いだせない。

 偏食期、まったく食べなかった魚の共通点は、骨のある青魚、あまり好きではなかった魚の共通点は身が白い、なので、そのどちらからも外れる鰹は、どちらかといえば好きの部類だったと思われる。が、「わーい今日は鰹」と思った記憶が、ないのである。

 じつは今も、鰹カツオと騒いでせっせと食べているのは、四月から五月。梅雨時期に入るころには鰹のことなどさっぱりと忘れ、かわはぎだ、かれいだ、うにだ、おおシンコの季節だ、寿司屋にいかねば、などとほかに魚に目移りして、めったに思いださないのだから、私のなかで今も存在感が強いとは言い難い。

 とはいえ、江戸時代に思いを馳せさせてくれる、貴重な魚であることにかわりはない。その季節、DNAに導かれて魚屋の店頭で立ち止まり、昔と今と時代も環境もこれほど変わっても、人の内には変わらないものがあるんだなあとふと思わせてくれるのは、私にとって春先の鰹と、土用の鰻くらいである。

042 生トマト焼きトマト煮トマト

 ほかの野菜と同様、トマトも嫌いで、生のトマトはけっこうな大人になるまで食べなかった。トマトのソースで煮込んだものや、生のトマトを用いたスープやカレーは平気だったけれど、生のままのトマトは、たぶん一生食べないんだろうな、と漠然と思っていた。

 大学生になったとき、私のその異常な偏食を知った四国出身の友人が、「気の毒に」と、真顔で言った。「あなたは本当においしい野菜を食べたことがないのねえ、ああかわいそう」と。その具体例として彼女が挙げたのが、「畑からもいできたばかりのトマト」だった。畑からもいできたばかりのトマトに、なんにもつけず、がぷりとかぶりつく、そのおいしさったらないんだから、と。若かった私は彼女のその同情に鼻白み、そんなふうにトマトを食べる習慣をもつ家で育たなくてよかったとひっそり思った。そもそもトマトをおいしいと思わないのだから、「畑からもいだばかりのトマト」のおいしさなど、想像できるはずもないのだった。絞りたての牛乳、とか、摘みたての苺、とかならば、ゴクリ、と生唾をのみこんだだろうけれど。

 生のトマトを食べられるようになるより先に、焼きトマトというものを知った。二十九歳のとき、五週間アイルランドにいた。早朝から開いているレストランや喫茶店のメニュウにはかならずアイリッシュブレックファスト、伝統的な朝定食がある。これがかなりの量。パン、ソーセージ、豚の血のソーセージ、ベーコン、目玉焼き、炒めマッシュルーム、焼きトマト。マッシュルームとトマトは当時好きではなかったのだが、この焼きトマトが意外においしくて、帰ってきてから自分でも焼いて食べるようになった。スライスして、フライパンで両面焼く。生よりぜんぜん食べやすいのに、どうしてこういう食べ方は一般的ではないんだろう? と思いつつ。チーズをのせて焼いてもおいしい。

 生のトマトをようやく食べられるようになったのは、食革命のおきた三十二歳のときだと思う。

 このころには、トマトにずいぶんな種類が登場していた。桃太郎、フルーツトマト、ファーストトマト、グリーントマト、プチトマトより少し大きいミディトマト。私が毛嫌いしていたころは、トマトと言えばトマト、一種類だけだったのになあ。食べられるようになって、うーんと好きになったかといえばこんなことはなく、トマトだけ「なんにもつけず、がぷりとかぶりつく」ように食べたい、とは思ったことがなく、たいていほかの材料と混ぜてサラダにするか、調理に使うことが多い。

 食革命から十年以上たつ今、トマトの活用頻度は結構高く、冷蔵庫の野菜室にはかならずトマトが入っている。いちばんよく使うのは、スープ。野菜が足りないと脅迫観念的に思ったときは、キャベツだのじゃが芋だのピーマンだの玉葱だの、冷蔵庫にある野菜ぜんぶをみじん切りにして、ニンニクと唐辛子を炒めて野菜を炒めてトマトを入れてぐつぐつ煮込んで、トマトが完全に煮崩れてかたちがなくなって、さらにしばらく待ってブイヨンスープを入れる。カレーにも使う。水を少なくしてトマトで補うと、さっぱりしつつこくのあるカレーになる。卵と炒めてもおいしいし、なすと挽肉のグラタンに輪切りトマト、チーズをのせればトマトソースを作る手間が省ける。

 ちなみに、面倒くさがりな私はトマトの皮など剥かずに使っている。たまに友人宅に招かれた食事で、トマト料理のトマトの皮が剥かれていると、その人のことを尊敬してしまう。トマトの皮は剥かずともいっさい問題ないが、でも、剥いてあるとやっぱり口当たりがずいぶん違うのだ。

 友人宅でごちそうになったトマト料理で私がもっとも感動したのは、エビチリのチリソースを、フレッシュトマトで作ったもの。酔っぱらって作り方を訊かなかったので、私もレシピを知らないのだが、ケチャップで作るものより、品があってあっさりしていて、いくらでも食べられそうな、忘れがたいおいしさだった。

 べつな意味で忘れがたいのが、砂糖トマト。

 これは群馬の温泉旅館にいったとき、夕食に出た一品だ。冷やしたまるごと生トマトのわきに、砂糖が添えてある。このとき同席していたメンバーは高齢者が多かったので、だれもそれには手をつけなかった。生トマトいまいち、であるばかりか、アンチ甘いおかずの私はもちろん、きちんと見ることすらしなかった。四十代(でもその会では若い部類)の編集者が、おそるおそる食べ、「あ、意外においしい」と言い、それにつられ、六十代、七十代も次々と手を出し、「ほんとだ」「おいしい」「いける」と、口々に言う。私はいっさい無視して、ほかの料理を食べていた。

「カクちゃん、食べないの」だれかがまったくトマトに見向きもしない私に訊き、「おいしいよ」「食べてごらんよ」と、いっせいに言う。「でも、トマトなんですよね」と訊くと、「うん、トマト。でもおいしい」「でも、トマト味なんですよね」「そうだけど、砂糖と意外に合うんだよ」「甘いトマトになるってことですよね」「いいから食べてみなってば」という執拗なやりとりののち、私も、おそるおそる、砂糖トマトを食べてみた。

 まいりました。おいしかったんです。

 でもこの食べかた、何か妙な罪悪感があり、自分ちで再現しようとは思わないのだが。

 それから昨年、衝撃的な生トマトとの出合いがあった。仕事場の近くの、ごくふつうの八百屋さんで売っているフルーツトマトを何気なく買ってみたところ、この、生トマトいまいち人間をもってして「ぎゃーうまいー」と叫ばせるほど、おいしいトマトだったのである。一かごに三個ずつ入れられて売られていて、産地しか書かれていないので、ほかのフルーツトマトと何が違うのかわからないのだけれど、もう、明らかに味が違う。私のようなトマト音痴でも、ここのトマトとほかの店のトマト、食べただけで違いがわかる。難儀なのは値が日によって変わること。三個六百円なら買うが(それでも高いけれど、それでもいいくらい、おいしい)、三個千円の日はどうしても手が出ない。

 このトマトを生で、何もつけず、うまいうまいと食べながら、大学の同級生の台詞を思いだす。もしこのトマトに子どものころ出合っていたら、トマト好きになったかなあと考える。答えは否である。きっと、ほかのトマトが食べられない、そういう意味での「気の毒」な人になっていたであろう。

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著者プロフィール

角田光代 かくたみつよ

1967年神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。
90年「幸福な遊戯」で「海燕」新人文学賞を受賞しデビュー。96年『まどろむ夏のUFO』で野間文芸新人賞、98年『ぼくはきみのおにいさん』で坪田譲治文学賞などいくつもの賞を受賞。03年『空中庭園』で婦人公論文芸賞、04年『対岸の彼女』で直木賞受賞など。