アスペクト

今日もごちそうさまでした

角田光代
お肉は好きですか? お魚は好きですか? ピーマンは? にんじんは? 美味しいものが好き、食べることが好き、何よりお料理が好きな角田さんの食にまつわるエッセイがスタートです。

043 鰻ジンクス

 先に、日本人の江戸DNAを喚起する食べものとして、初鰹と鰻がある、と書いた。今回は鰻について書きたいと思う。

 梅雨が明けるころ、あちこちから「土用の鰻」と聞こえてくる。テレビでも言っているし、スーパーや魚屋にのぼりも出る。そうすると、初鰹と同じく、鰻、鰻食べねば、と思う。

 私感だけれど、私が子どものころよりずっと、日本人はこうした季節食に夢中になっている印象がある。あるいは子どものころは気づかなかっただけかもしれないのだが、それでも昨今は、バレンタインデーのチョコレートも、お彼岸のぼた餅やおはぎも、節分の日の恵方巻きも、一昔前よりだんぜんヒートアップしているように思うのだけれど、気のせいだろうか。ちなみに、私が子どものころには、関東では恵方巻きを食べる習慣などなかった。

 土用の丑の日に鰻を食べるといい、というのは、江戸時代、鰻が売れなくて困っている鰻屋から相談を受けた平賀源内が宣伝のために考案し、広めた、というのが、いちばん有名な説である(ほかにもいろんな説があるにはある)。土用の丑の日は年に数度あるらしいが、「鰻のスタミナで夏場を乗り切ろう」といった宣伝理由もセットになっているため、土用の丑の日といって多くの人が思い浮かべるのは、夏だろう。

 平賀源内説が正しいかどうかはさておき、江戸時代にはじまった土用の丑の鰻熱は、今も現役である。突如全国的になった恵方巻きなどとは異なり、ずーっと昔から、土用の丑の日に鰻を食べる人は多いし、その日でなくとも、夏場は鰻を食べる機会が多い。

 私も土用の丑の日には必ず鰻を食すし、夏ばてかなと思うと、「よっしゃ、鰻で精をつけたる」と思う。なんの精力かはわからねど。

 しかしながら、私は子どものころ、鰻を食べられなかった。見かけの故である

 私の生まれ育った家はたいへんな田舎にあったので、銀行にいったり、スーパーにいったり、というちょっとした用事でもバスに乗らねばならなかった。バスに乗っていく町には商店街があり、そこに並ぶ魚屋の店頭には巨大バケツがいつも置いてあった。バケツの中身は鰻。数え切れない鰻たちが、ぬるぬるぬるぬると、白い腹、黒い背を交互に見せながら泳いでいるのである。私はそこを通るたび、立ち止まってじーっと見ずにはいられなかった。こわすぎて、見入ってしまうのである。母親が銀行や果物屋で用事をすませるまでのあいだ、そこにしゃがみこんで見ていたこともある。

 私の母親は鰻が好きだった。自分の好物より家族の好物を優先する人だったが、それでもよほど好きだったのか、鰻と鯖はよく食卓に出た。

 目の前の茶色い平べったいものと、魚屋の店頭で見るぬるぬるぬるぬるした蛇のごときものとを重ね合わせると、決して箸を持つ気にならないのだった。それでも我が家は好き嫌いオーケー食べ残しオーケーの家だったので、べつのおかずがきちんと出てきた。

 鰻をはじめて食べたときのことは、未だに覚えている。

 その日はおばと祖母がきていて、お昼に店屋物の鰻をとったのだ。祖母とおばと母は鰻丼を、私はきっと違うものを注文したはずだ。女三人はかしましく会話しながら鰻丼を食べている。叔母がふと「食べてみる?」と、私に訊いた。「でも、気味悪いよね鰻って」と言うと、「あの見た目から想像できないおいしさなんだよ」と叔母は言った。

 どうしてそのとき食べる気になったのか、たぶん、女三人のおしゃべりと、夢中で食べるさまが、私の内に何か点火したのだろう。じゃあ食べる、と言って、食べた。

 しまったおいしい、というのが、そのときの感想。しまった、おいしいじゃん、ほんとうに。

 その日以来、私は鰻を好きな食べものに分類するようになったのだが、しかしながら、焼いても未だ残るグロテスクさとは、しばし闘わねばならなかった。あんまりじーっと見ると、気味が悪くなってくるので、見ずにぱくぱく食べるのである。じつは未だに、じーっと見ないで食べている。

 それにしても鰻は、安価なものとそうでないもの、流行っていない店と有名店では、きちんと味が違う。自分で調理するたぐいのものではないから、おいしいものを食べようと思ったら、少々贅沢するしかない。

 ところで、十五年ほど前の話になるが、鰻には変わったジンクスがあった。芥川賞にノミネートされたとき、その選考結果を、鰻を食べながら待つと受賞できる、というのが、それ。私がその賞にノミネートされていた十数年前に、まことしやかに言われていたのだった。賞にまつわるそういう不思議なジンクスはじつは多々、ある。某バーで結果待ちをすると直木賞は受賞できる、とか、ふぐを食べて待つとよい、とかね。たいてい、複数の人がたまたまそのようにして待ち、受賞が重なった結果、生まれたジンクスである。鰻はだれからはじまったのか、知らないのだけれど。ちなみに当時若かった私は、その賞のはじめてのノミネート時はバックパックを担いでオーストラリアを旅しており、二度目三度目は、自分ちで編集者十数名と宴会をしていた。いずれも鰻を食していない。もちろん、だから受賞できなかったなんて言うつもりはないが、しかし直木賞は、件のジンクスバーで結果待ちをして、受賞させていただいた。しかしながら、どちらのジンクスも、今はもうべつのものに変わっていることだろう。

 ちなみに十数回の選外歴を持つ私にも、個人的なジンクスがあるのだが、長くなるのでその話はまた今度。

044 鱧で加齢を思い知る

 鱧。さかなへんに、ゆたか、と書いて、はも。

 長く、存在しなかった魚である。

 世のなかには存在したのだろうが、私の世界には存在しなかった。子どものころはもちろん、二十代のときだって、ついぞ見かけなかった。

 最初に食べたのは、三十代になってから。おそらく和食系の飲み屋の一品料理で出てきたのだと思う。氷の上にのった鱧、それに添えられた梅。

 食べても食べなくてもかわらないじゃん。

 それがはじめて食べたときの感想。おいしいとは思えなかった。どことなく口触りが悪いし、なのに水っぽく、梅の味ばかりする。

 一度登場すると、不思議に何度も登場するようになる。私自身は決して好んで注文しないが、気づくとだれかが注文している。あるいはコースに含まれている。あれば食べる。食べるが、食べても食べなくてもよかったな、と思う。そのくりかえし。

 鱧、食べたいなと思うようになったのは、三十代も後半のころ。そう思うようになったきっかけは、鱧は季節ものだと知ったから。年がら年じゅうあるとありがたみも感じないが、「夏場だけ」「冬場だけ」は、味わっておかなくては損、というような気分になる。そういうのって加齢の証拠なんだろうと思う。十代、二十代のときは、苺が出まわるのはいつかも知らなかったし、スイカを食べなければ夏じゃないなんて思わなかった。夏も冬も秋も春も、これから何度もうんざりするくらいあると、若い人は無意識に思っている。それが若さのうつくしき傲慢だ。

 加齢してくると、その季節にしかないものを味わうことで、その季節がやってきて、去っていく、ということを実感するようになる。この先何度、その季節をまるごと感じられるだろうと、これもまた無意識に思うようになる。

 近所の和風居酒屋に、六月になると「鱧 はじまりました」という貼り紙が出る。それを見ると、「おっ、食べねば」と思う。

 食べても食べなくてもいい、という私の鱧印象を変えたのは、じつはこの店。

 その貼り紙を見て鱧コースを食べにいって、鱧が、口触りも悪くなく、水っぽくもなく、梅の味ばかりではないと知ったのだ。ちなみにこのお店の鱧の落としは、氷にのっていない。

 鱧のコースは落とし、天ぷら、照り焼きとハモハモ尽くし、最後は鱧しゃぶである。このお店の板さんはちいさなデジタルタイマーを貸してくれる。鱧を湯に落とし、五十秒(たしか五十秒)で引き揚げて食べるのがいちばんおいしい、という。タイマーをきっちりにらんで鱧を鍋に入れ、ふわあと花が開くようなうつくしさに見とれているとすぐ五十秒。ぱっと引き揚げ、たれにつけて食べる。骨だらけの魚というごつさが信じられないくらい、やさしく、やわらかく、ゆたかな味がする。

 この店でただしく鱧に出会った私は、鱧にたいして気持ちを入れ替えたのであるが、どこの店でも鱧はおいしいかというとそんなことはなくて、やっぱりきちんと店を選ばないと「食べても食べなくてもいい鱧」が出てくるから、要注意ではある。

 今年七十七歳になる私の年長の友人は、「祇園祭がはじまると、おいしい鱧はぜーんぶ関西にいっちゃうんだから、その前に食べなきゃだめ」と言う。その説をとると、関東でおいしく鱧を食べるには、ごくかぎられた期間ということになる。もちろん真偽のほどはわからないけれど。

 大阪にいったら、そんなにあらたまった店ではない、ごくふつうの居酒屋に、ごくふつうに鱧しゃぶがあってびっくりした。しかも、安い上、量がものすごい。こんなに安かったら、もしかして食べても食べなくても系かも、と思いながらしゃぶしゃぶしたのだが、なんとまあ、きちんとおいしいではないか。身がひきしまり、やさしく、やわらかく、ゆたかな味。この店の〆は、にゅうめん。しゃぶ後の、出汁のばっちり出たつゆに素麺を投入、それをすする。箸が止まらなくなるくらいのおいしさの上、いくらでも食べられるという恐怖の〆であった。関東より関西のほうが、鱧を一般的に食べるのかもしれない。

 今年の梅雨入り前にも、「鱧 はじまりました」の貼り紙を見て、近所の店にいそいそと出向いた。

 ところがこの日思い立って出向いたので、予約をしていない。このお店は人気店で、店は予約客でいっぱい、しかも鱧は予約客のぶんしか用意しておらず、落としを半人前だけならなんとか用意できる、とのこと。たしかに、品書きをよく見れば、鱧のコースはできるだけ予約してくださいと書いてある。

 その店はほかの刺身だって一品料理だってなんだっておいしいのだが、しかし、鱧を食べにきて鱧がない。あとで考えたら阿呆らしいことだけれど、そのときの私はショックで泣きそうになった。

 そのとき、カウンター席にいた年配の男性二人客が、「落としでいいなら、おれたちの鱧を譲るよ」と、言うのである。自分たちは鱧天ぷらも鱧しゃぶもあるから、とのこと。私は遠慮などまるでせず「うわあすみませんありがとうございます!」と図々しくもその好意に即甘えた。私の住む町は、こういうやりとりがよくある。そういうところが好きなのだ。

 そうして彼らのところにいくはずだった鱧の落としは私のテーブルに運ばれてきた。譲ってもらった鱧の、やさしくやわらかくゆたかなおいしさよ。私より早く帰る男性客二人に礼を言うと、「いーのいーの、よかったね鱧食えて」とにこやかに言って去っていった。

 今度は予約して鱧しゃぶまでいきます、とお店の人に告げて帰ったのだが、まだいっていない。急がなきゃ、夏が終わってしまう。

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著者プロフィール

角田光代 かくたみつよ

1967年神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。
90年「幸福な遊戯」で「海燕」新人文学賞を受賞しデビュー。96年『まどろむ夏のUFO』で野間文芸新人賞、98年『ぼくはきみのおにいさん』で坪田譲治文学賞などいくつもの賞を受賞。03年『空中庭園』で婦人公論文芸賞、04年『対岸の彼女』で直木賞受賞など。