鱧。さかなへんに、ゆたか、と書いて、はも。
長く、存在しなかった魚である。
世のなかには存在したのだろうが、私の世界には存在しなかった。子どものころはもちろん、二十代のときだって、ついぞ見かけなかった。
最初に食べたのは、三十代になってから。おそらく和食系の飲み屋の一品料理で出てきたのだと思う。氷の上にのった鱧、それに添えられた梅。
食べても食べなくてもかわらないじゃん。
それがはじめて食べたときの感想。おいしいとは思えなかった。どことなく口触りが悪いし、なのに水っぽく、梅の味ばかりする。
一度登場すると、不思議に何度も登場するようになる。私自身は決して好んで注文しないが、気づくとだれかが注文している。あるいはコースに含まれている。あれば食べる。食べるが、食べても食べなくてもよかったな、と思う。そのくりかえし。
鱧、食べたいなと思うようになったのは、三十代も後半のころ。そう思うようになったきっかけは、鱧は季節ものだと知ったから。年がら年じゅうあるとありがたみも感じないが、「夏場だけ」「冬場だけ」は、味わっておかなくては損、というような気分になる。そういうのって加齢の証拠なんだろうと思う。十代、二十代のときは、苺が出まわるのはいつかも知らなかったし、スイカを食べなければ夏じゃないなんて思わなかった。夏も冬も秋も春も、これから何度もうんざりするくらいあると、若い人は無意識に思っている。それが若さのうつくしき傲慢だ。
加齢してくると、その季節にしかないものを味わうことで、その季節がやってきて、去っていく、ということを実感するようになる。この先何度、その季節をまるごと感じられるだろうと、これもまた無意識に思うようになる。
近所の和風居酒屋に、六月になると「鱧 はじまりました」という貼り紙が出る。それを見ると、「おっ、食べねば」と思う。
食べても食べなくてもいい、という私の鱧印象を変えたのは、じつはこの店。
その貼り紙を見て鱧コースを食べにいって、鱧が、口触りも悪くなく、水っぽくもなく、梅の味ばかりではないと知ったのだ。ちなみにこのお店の鱧の落としは、氷にのっていない。
鱧のコースは落とし、天ぷら、照り焼きとハモハモ尽くし、最後は鱧しゃぶである。このお店の板さんはちいさなデジタルタイマーを貸してくれる。鱧を湯に落とし、五十秒(たしか五十秒)で引き揚げて食べるのがいちばんおいしい、という。タイマーをきっちりにらんで鱧を鍋に入れ、ふわあと花が開くようなうつくしさに見とれているとすぐ五十秒。ぱっと引き揚げ、たれにつけて食べる。骨だらけの魚というごつさが信じられないくらい、やさしく、やわらかく、ゆたかな味がする。
この店でただしく鱧に出会った私は、鱧にたいして気持ちを入れ替えたのであるが、どこの店でも鱧はおいしいかというとそんなことはなくて、やっぱりきちんと店を選ばないと「食べても食べなくてもいい鱧」が出てくるから、要注意ではある。
今年七十七歳になる私の年長の友人は、「祇園祭がはじまると、おいしい鱧はぜーんぶ関西にいっちゃうんだから、その前に食べなきゃだめ」と言う。その説をとると、関東でおいしく鱧を食べるには、ごくかぎられた期間ということになる。もちろん真偽のほどはわからないけれど。
大阪にいったら、そんなにあらたまった店ではない、ごくふつうの居酒屋に、ごくふつうに鱧しゃぶがあってびっくりした。しかも、安い上、量がものすごい。こんなに安かったら、もしかして食べても食べなくても系かも、と思いながらしゃぶしゃぶしたのだが、なんとまあ、きちんとおいしいではないか。身がひきしまり、やさしく、やわらかく、ゆたかな味。この店の〆は、にゅうめん。しゃぶ後の、出汁のばっちり出たつゆに素麺を投入、それをすする。箸が止まらなくなるくらいのおいしさの上、いくらでも食べられるという恐怖の〆であった。関東より関西のほうが、鱧を一般的に食べるのかもしれない。
今年の梅雨入り前にも、「鱧 はじまりました」の貼り紙を見て、近所の店にいそいそと出向いた。
ところがこの日思い立って出向いたので、予約をしていない。このお店は人気店で、店は予約客でいっぱい、しかも鱧は予約客のぶんしか用意しておらず、落としを半人前だけならなんとか用意できる、とのこと。たしかに、品書きをよく見れば、鱧のコースはできるだけ予約してくださいと書いてある。
その店はほかの刺身だって一品料理だってなんだっておいしいのだが、しかし、鱧を食べにきて鱧がない。あとで考えたら阿呆らしいことだけれど、そのときの私はショックで泣きそうになった。
そのとき、カウンター席にいた年配の男性二人客が、「落としでいいなら、おれたちの鱧を譲るよ」と、言うのである。自分たちは鱧天ぷらも鱧しゃぶもあるから、とのこと。私は遠慮などまるでせず「うわあすみませんありがとうございます!」と図々しくもその好意に即甘えた。私の住む町は、こういうやりとりがよくある。そういうところが好きなのだ。
そうして彼らのところにいくはずだった鱧の落としは私のテーブルに運ばれてきた。譲ってもらった鱧の、やさしくやわらかくゆたかなおいしさよ。私より早く帰る男性客二人に礼を言うと、「いーのいーの、よかったね鱧食えて」とにこやかに言って去っていった。
今度は予約して鱧しゃぶまでいきます、とお店の人に告げて帰ったのだが、まだいっていない。急がなきゃ、夏が終わってしまう。 |