激辛好きの芽が発芽したのは、タイをはじめて旅した二十四歳のときだ。辛いものっておいしいんだと、この旅ではじめて知った。
帰国後、私は足繁くエスニック料理屋に足を運ぶようになった。もう二十年も前のことだ。当時、もちろんタイ料理屋もインド料理屋もネパール料理屋もあったけれど、今ほど多様でも多数でもなかった。インターネットがまだ普及しておらず、どこがおいしい、というのは、口コミで知るのみ。そんな時代があったんだなあ。
私が当時よくいっていたのは、高田馬場にある「カンボジア」というエスニック料理店。タイの食堂には必ずテーブルに常備されている「ドライチリ・砂糖・ナンプラー・唐辛子入り酢」の調味料セットが、この店にもある。友だちと訪れるたび、料理にかけるドライチリと酢につかったプリッキーヌを使う量が増えた。
辛いものを食べ続けていると、舌の味蕾がつぶれて、どんどん辛さに強くなると聞いたことがある。「つぶれる」というのは比喩表現だと思うが、辛さに麻痺して強くなっていくのはたしかだろう。それまで辛いものと縁のなかった私は、その店に通っているうち、どんどん、どんどん辛さに強くなり、いつのまにやら、激辛派と相成っていた。
辛いもの好きにもジャンルがあって、わさび系、からし系などあるようだが、私はやっぱり唐辛子系の辛さが好きだ。といっても、自宅で料理をする際、それほど辛いもの好きではない連れ合いが食べられないようなものを作っても致し方ない。だから、激辛派としてのおもな活動場所は、屋外ということになる。
辛さピラミッドがあるとして、その頂点あたりにあるのは原宿にある中華料理店の麻婆豆腐である。このお店、ほかの辛くないメニュウはなんでもおいしいが、やはり名物は麻婆豆腐だろう。本気で辛い。しかも、うまい。ごはんといっしょに出てくるのだが、すぐ満腹になってしまう私は、ごはんを断り麻婆豆腐だけ食べた。熱い、うまい、辛い! 食べきると、お店の人が「よく食べたネー」と褒めてくれる。
それから池袋にある、ビルの地下の、中国人の方々が取り仕切るお店の、唐辛子と山椒の鶏肉炒めという料理も好きだ。四川料理なのだが、ここのお店の唐辛子は半端ではない。唐辛子のなかにに鶏肉が埋まっている感じ。
この唐辛子、揚げ炒め状になっていて、噛むと、さくっとして、おいしい。鶏をほじくり出し食べ終えて、つまみのように唐辛子を囓っていたら、お店の人が「それは食べなくていいヨ!」と笑いながら注意しにきてくれた。おいしいんだけどな。
そういえば、本郷にある四川料理屋でも、仲のいい激辛派三人で、メニュウの唐辛子マークがついた料理ばかりを頼んで食していたら、お店の人がテーブルにきて、
「あなたがた、テーブルの上真っ赤っかだけど、平気なの!?」
と言ったことがあった。本場四川の人に心配されるとは、私たちは激辛派の最右翼といったようなものだろうか。
独特のラーメンで有名なチェーン店、蒙古タンメン中本の「北極」も好きだ。唐辛子でまっ赤っかに染まった汁に、麺ともやし、豚肉などが埋まっている。辛いのが苦手な人は見ただけで咳きこむだろうが、激辛派には魅惑の色。
けれどこれ、私には量が多すぎ、いつも残してしまうのだが、残したときに必ず「辛くて残したんじゃないんです!」と大声で言い訳したくなる。
昨今、北極より辛いメニュウがあること、それから麺の量を減らしてもらえることを知った。北極より辛いのは「冷やし味噌」という名前のつけ麺。これは麺が冷たいぶん、熱い北極より食べやすく、味がわかりやすい。唐辛子が辛いだけではないことが、わかるのだ。
旅先で辛さに感動したのは、新疆ウイグル自治区のウルムチと、メキシコだ。
ウルムチに辛い料理が多いことはあまり知られていないが、シルクロードの入り口であるこの町、西と東のスパイスが混じり合って、どんな料理もけっこう辛かった。カレー粉とクミンやターメリックといったスパイス、さらには唐辛子も多用されている。ここで食べた火鍋も、震えるくらい辛くてすばらしかった。
メキシコは、ハラペーニョである。その存在は知っていたし、日本のハンバーガー店でも生ハラペーニョを使っているところは多い。が、実際に彼の地でハラペーニョ入りの、トルタと呼ばれるサンドイッチを食べたときは、誇張ではなく涙が出た。なんというか、突き抜けた辛さ。潔いのだ。涙しながら、天晴れ、と思った。
ふだんは乾燥唐辛子を使っているが、たまに、友人が自宅で栽培した生の赤唐辛子をくれることがある。これを冷凍しておいて使うのだが、やっぱり自家栽培の生唐辛子は、きちんと辛くて、辛いだけでなく風味もあって、おいしい。
最近は八百屋さんで生の青唐辛子も買えるようになった。これまた、私は冷凍して常備してある。「二日酔いの朝、味噌汁に一本をちょんちょんと輪切りにして入れると、すーっと醒める」と聞き、実践している。
ふだんは、私は自身が最右翼の激辛派であることを公言していない。なんとなく恥ずかしいのだ。しかも、ときどき激辛派は意味もなく攻撃される。ダイエットのつもりか、とか、辛くしなくても充分おいしいのに、とか、味覚障害では、とか、何気なく風当たりが強い。あるいは「自分はここまで辛いものが食べられるが、きみはどうか」と勝手に勝負を挑まれることもある。だから、ふだんは激辛派の「げ」の字も顔に出さない。それゆえに、ときどきいっしょに食事をする人が、飲み屋の七味や唐辛子を、これでもかとふりかける私を見て、ぎょっとすることもある。「えっ、あなたそういう人? そういう人だったの?」と、幾度言われたことだろう。
はい、そういう人なんです。すみません。 |