アスペクト

今日もごちそうさまでした

角田光代
お肉は好きですか? お魚は好きですか? ピーマンは? にんじんは? 美味しいものが好き、食べることが好き、何よりお料理が好きな角田さんの食にまつわるエッセイがスタートです。

047 オクラの寛容

 オクラは切ると断面が星のかたちになる。

 好き嫌いの多かった私はずっと、見かけと違って切るととたんにネバネバしだすこの不思議な野菜は、その料理をかわいくしたいときに使う飾り野菜なんだろうなあ、と思っていた。

 料理をかわいくしたいとき、というのはつまり、煮物、煮魚、味噌汁、テーブル真っ茶色、みたいなときに、茹でて切って鰹節ふりかけたオクラを一品足せば、緑だし、星だし、食卓がちょっとかわいくなる。それからカレーや味噌汁に、星形のオクラが入っていると、それもまた、かわいくなる。私が子どものころ、カレーのにんじんは花のかたちにくりぬいてあったのだが、あれとおんなじ。

 花のかたちにすれば子どもは嫌いなものも食べる(私は食べなかったが)。星のかたちならば、それも食べる。かわいいから食べる(私はだまされなかったが)。

 あるいは、好ましいと思っている異性が自分の手料理を食べにやってくるとき、花だの星だの入れれば、かわいく思ってもらえる。なんかていねいに調理している感じがする。

 花のかたちにだまされなかった私は、オクラの飾りも、とくに必要とせず生きてきた。かわいくして食べさせるべき子どももいないし、異性に花や星に感心されるより、質実剛健(つまり量と味)を褒められたかった。私自身も、自分で食べるだけならば、見かけなどまったく気にしない。テーブル真っ茶色でぜんぜんかまわない人間なのである。

 ほかの食材とまったくおんなじに、私にはオクラ開眼年というものもあって、それがいつだったか正確には覚えていないのだが、たぶん十年ほど前。友人宅で供されたカレーに入っていて、これはかわいい星切りではなく、斜め切りで、だから友人は見てくれの故に入れたのではなく、彼女はオクラカレーとして作ったのである。ざくりと斜めにカットされたオクラが、こんなにカレーに合うとは思わなんだなあ、と私は感じ入りながらそれを食べた。

 オクラに対して「飾り野菜」という思いこみがなくなった、そのしばらくあとに、居酒屋でだれかが頼んだつまみ「湯葉とオクラの昆布和え」で、私の目はオクラに対し全開した。

 一度、何かをおいしいと思うと、あとはその素材が好きになる。どう調理されていても、おいしいなあ、と思う。オクラ開眼年以来、旬の夏はもちろん、夏以外でもオクラはしょっちゅう買うようになった。

 オクラって、本当に手抜き料理に向いているのである。かんたんに調理できるうえ、いろどりもいい。しかも栄養成分が豊富、免疫力を上げてくれるそうである。

 私の目を全開にした居酒屋料理、家でもかんたんにできる。湯葉と、茹でて刻んだオクラ、塩昆布を和えてめんつゆをちょこっとまわしかけるだけ。さっぱり食べたいときはポン酢でもよろし。

 長いもの千切りと茹でたオクラを終え、鰹節+刻んだ梅肉+出汁醤油で食べても、これまたうまい。

 茹でたオクラを細かく刻んでねばらせて、葱、生姜とともに豆腐にのせると冷や奴が豪華に見える。

 オクラにみりんとしょうゆ少々でのばした明太子をまぶしても立派な小皿料理になり、納豆、オクラ、たくあん(柴漬け)、イカ(マグロ)、とろろ、など、ぜーんぶネバネバさせてごはんにぶっかけてざらざら食べるネバネバ五色丼も、いいですなあ。

 味噌汁、お吸いものにもいろどりが出てうつくしいし、おいしい。かと思うと、コンソメ味のスープにも、トマトスープにも合う。汁系には下ごしらえもいらない、切って、直前に入れるだけ。

 連日暴飲で胃が疲れているときや、夏ばてで食欲のないとき、ともかくオクラの刻んだのを素麺にのせ、汁をまわしかけて食す。オクラは胃粘膜の保護をしてくれるらしいので、こういうときはがんがん食べるべきだと、私は信じているのである。

 オクラを塩ずりして産毛をとる、というが、面倒くさがりの私は五回のうち三回は、その作業を省いている。それでも産毛が食べづらいなんてことはないのだから、ありがたいことである。

 こう書き連ねてみると、オクラって、「ま、楽してくださいよ」と言っているようではないか。「時間をかけるのもいい。手がこんでいる料理も立派ですよ。でもね、手のこみよう、かかった時間数がおいしさの決め手でもないし、愛情でもないんスよねー」と、脱力した笑いを浮かべて、忙しさに疲れている私たちの肩を、やさしく叩いてくれているような気が、しませんか。

 オクラってなんとなく日本的な野菜のような気がしていたんだけれど、アフリカ原産で、日本に伝わったのは幕末のころであるという。たしかに、世界各国にオクラ料理はあるようだ。スーパーではタイ産のオクラも売っている。

 私が一度食べてみたいのは、ガンボスープ。蟹や海老入りのシーフードガンボや鶏やソーセージ入りの肉系ガンボがあり、家庭料理だから「これが正解」というレシピはない。セロリや玉葱、トマト缶といっしょに魚介類や肉類を煮こむ料理だが、ここにオクラがたっぷり入る。本格的なものからかんたんなものから、日本風にアレンジしたものまで、それこそさまざまなレシピが紹介されているから、すぐにでも作れそうなのだが、本場アメリカ南部で食べてから作ってみたいよなあと思っていて、なかなか作れない。「楽してくださいよ」のオクラ相手にしては、ずいぶんと壮大な夢ではある。

048 卵情熱

 子どものころから一貫して、好きで好きでたまらない食べものというのは、だれしもあるのだろうか。私の場合は二つあって、それは卵とたらこ。私は肉好きとして知られているが、子どものころは、もう本当に狂おしく卵とたらこが好きだった。ごはんのおかずはそれだけでいいと思っていた。今はもちろんそんなふうには思わないけれど、それでもやっぱり、卵とたらこは大好き。とくに、冷蔵庫に卵を切らしたことがない。

 幼少時、私は卵を卵屋さんに買いにいっていた。うちの近所に卵農家があり、そこに直接、買いにいっていたのだ。広い庭を突っ切って、鶏がたくさんいる小屋の前を過ぎ、縁側で声を掛けると、そのおうちの人があらわれて卵を売ってくれる。

 この卵、産みたてで、卵の表面に鶏の毛がかならずついていた。ビニール袋に入ったその卵を持って帰ると、だから、母はまずそれらを洗うのだった。

 私がおつかいにいくのをいやがるようになったのか、それとも卵農家がその仕事を辞めてしまったのか、まったく覚えていないのだが、私が中学に上がるころには、卵はスーパーマーケットで買うようになっていた。毛もついていないし、洗う必要もない。

 今、そのことを思い出すと、卵農家から直接買っていたなんて、うらやましくなる。おつかいにいっていたころは、なんとも思っていなかったんだけれど。

 ともあれ卵は、幼少時から一貫して、好きで好きでたまらない。毎日食べたいし、毎食卵料理でもかまわない。けれどいつごろからか、卵を食べ過ぎてもよくない、と言われるようになった。一日に一個くらいが最適だという。理由は卵にはコレストロールが多いから。私がうんとちいさなころは、コレストロールも体脂肪も言葉として一般的ではなかったんだけどなあ。人は何かを得れば何かを失う。知恵を得れば卵の個数を失うのである。

 海外を旅するたびに、卵がさほど一般的ではないことに軽いショックを受ける。いや、卵はどこにだってある。あるが、なんか違う。なんか違うのだ。

 たとえば朝食。朝食付きの宿に泊まった場合、日本では、それが和でも洋でもはたまたバイキングでも、ぜったいのぜったいのぜったいに、卵料理はつく。オムレツ、スクランブルエッグ、目玉焼き、温泉卵、だし巻き卵、生卵、ゆで卵。

 もちろん海外だって卵は出るには出るが、でも、卵が出るところは限られている。高級ホテルならばバイキング会場にオムレツ職人が客を待機しているが、ごくふつうクラスの朝食付きホテルで卵に出合えたらハッピーである。

 けれどオムレツ職人の焼いてくれるオムレツは別として、海外のホテルで出合う卵は、なんというか、軽視されている。と私は思っている。バイキングで出合うスクランブルエッグはぱさぱさかどろどろで、たいてい味がついておらず、こちらがテーブルの塩胡椒で味付けするようになっている。茹で卵はかならずかた茹でで、黄身が黒くなっているものも多い。この国の人たちにとって卵って、そんなに重要じゃないんだなあ、と思い、同時に、いや逆だ、日本人、卵好き過ぎなんだなあ、と思うのである。

 だって黄身が黒くなったかた茹で卵なんて、今、滅多にお目にかかりませんよ。茹で卵は絶妙な半熟が人気だし、その上、味付け卵というすばらしい食べ方までだれかが編み出してくれた。この味付け卵は、黄身がとろーっとしてなきゃいけませんね。とろーっ、と。こんな卵に日本以外のどこで出合えるのか。

 さらにオムレツのふわふわとろとろ具合への希求も、すさまじいことになっている。発祥の地であるフランスのオムレツは、パリでしか食べたことがないが、「ふわ」のほうはすばらしいが、「とろ」はない。「ふわ」のみ重視、という印象を受けた。ロシアでもものすごいふわっふわのオムレツが出てきたのだが、これは「ふわ」を追求するあまり、何か混ぜ込んであって、卵というよりスフレであった。あんな、ふわっふわで、ナイフで割ったら中身がとろーっ、なんて、やっぱり日本文化的現象だと思う。

 生卵への抵抗が少ないのも、我が国の特徴ではないか。もっともポピュラーなのは卵かけごはん。転じて、牛丼屋にも生卵が別売りされているし、私の通った大学の近くのカレー屋では、注文すればカレーに生卵を落としてくれた。それから、私の世代しかわかってもらえないことだと思うけれど、生卵にオロナミンCを注いで飲む、というコマーシャルもあった。

 卵料理で私がもっともなじみ深いのは、母親がよく作った肉入りオムレツである。挽肉と玉葱を炒めた具が、オムレツのなかに入っているというもの。私はこれが大好きで、自分でもよく作る。タイを旅したときに、そっくりの料理があってびっくりした。カイヤッサイという卵料理である。これは甘酸っぱいたれにつけて食べる。はじめてこれに出合ったときは、もしかして私たち家族のルーツはタイではないかと思うほどびっくりした。

 調べてみると、なんと卵の年間消費量は日本が第一位だそうだ。好きなんだなあ、やっぱり。

 私の弁当生活は、もうじき一年になるが、弁当にはかならず卵を入れている。卵の入っていない弁当って、中身がわかっていても、蓋を開けたとき改めてがっかりするのだ。いちばん多いのは卵焼き。これはじゃこ葱を入れたり明太子を入れたりチーズを入れたりひじきを入れたりして、変化がつけられるから、飽きない。急いでいるときはスクランブルエッグか茹で卵。秋冬になると、前の晩から出汁・醤油・みりんに茹で卵をつけておいて、味付け卵。もちろん半熟。

 そうして卵を食べながら、毎度思い出すことがある。アフリカの第三国で働いている日本人の女性医師のドキュメンタリー番組なのだが、この医師がいつも、卵を持ち歩いていた。休暇のときも卵を持ち、休暇からも卵を持って帰ってくる。これが唯一の栄養なので、手放せないんですとその女性は言っていた。私たちはつまり、栄養の年間消費量が第一位なんだなあと、それを思い出すたび、大好きな卵をありがたく味わうのである。

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著者プロフィール

角田光代 かくたみつよ

1967年神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。
90年「幸福な遊戯」で「海燕」新人文学賞を受賞しデビュー。96年『まどろむ夏のUFO』で野間文芸新人賞、98年『ぼくはきみのおにいさん』で坪田譲治文学賞などいくつもの賞を受賞。03年『空中庭園』で婦人公論文芸賞、04年『対岸の彼女』で直木賞受賞など。