アスペクト

今日もごちそうさまでした

角田光代
お肉は好きですか? お魚は好きですか? ピーマンは? にんじんは? 美味しいものが好き、食べることが好き、何よりお料理が好きな角田さんの食にまつわるエッセイがスタートです。

051 ふぐじゃなきゃだめなんだ

 以前、「鱧はじまりました」の貼り紙が出る料理屋のことを書いたが、つい数週間前に、「ふくはじまりました」に変わった。「ふぐ」じゃない「ふく」というところが、いい。よっしゃ、ふぐ食べなきゃ、という気持ちになる。

 ふぐコースというものが世のなかにあると知ったのは、二十代の半ばすぎだ。単行本ができた打ち上げで、編集者が連れていってくれたのだ。ふぐのコースがあるふぐ料理屋にいくのは生まれてはじめてだった。

 ふぐコースがふぐだらけで、びっくりした。ふぐ刺身ふぐ唐揚げふぐ鍋。

 二十代半ばといえば、私はまだ偏食まっさかりのころ。しかも、食べることより酒を飲むことを重要視していた。はじめてのふぐコースはありがたかったが、しかし、「どうしてこんなに淡泊なものを、みんな高いお金出して食べたがるんだろう」と、正直、思った。ふぐよりも、はまちのほうがトロのほうが、特上カルビのほうがサーロインステーキのほうがありがたい年ごろだった。

 しかしながら、私はこのふぐ宴席のことをじつによく覚えている。酒が入ると今し方のことも忘れる私にとって、この記憶は奇跡である。店は当然のこと、そのときいたメンバーも、話した内容もぜんぶ覚えている。クリスマスが間近で、編集者のひとりが私にプレゼントをくれたのだが、その中身も覚えている。

 ちなみにこのときみんなで話していたのは、デートについてだった。四十代、三十代、二十代の編集者三人とデートについて語りだしたのだが、なんと二十代の私も交え、四人全員、ふつうのデートがどんなものなのか知らなかったのだ。年の違う私たち四人が知っているのは、ただ唯一、「異性と酒を飲みにいき、そのままどちらかの住まいに泊まる」ことがデートだと思っていた。そういうデートしかしたことがなかった。そうして「ふつうのデートってどんなのだろう」と、話し出したのである。

 映画とか……というところまでは想像がついたが、ドライブとか、になるともうみんな頭を抱えた。車に乗ってどこにいくんだろう……と。今思えば、似たもの同士の会だったんだなあ。

 その私たちもそれぞれ、二十代は四十代に、三十代は五十代になり、四十代はついこのあいだ定年した。あのときはじめてふぐを食べた私も、ふぐを食べない冬はないくらい、よく食べるようになった。

 夏でもふぐは食べられるが、やはり冬である。そうしてあんなに淡泊な味なのに、べらぼうにうまい店と、そうでもない店があることが、次第にわかってきた。値段ではない。ここがみそ。やっぱりいちばんは、信用できる人からの、「どこそこのふぐはうまいらしい」という情報。

 二十代ではわからなかったふぐの淡泊なおいしさも、ようやくわかるようになってきた。

 が、それでも、思うのである。ふぐコースのなかでいちばんおいしいのは刺身でも唐揚げでもない、鍋後の雑炊だ! と。

 鍋のあとの雑炊は、なんだっておいしい。水炊きだって、鱈ちりだって、寄せ鍋だって、みんなみんな、食材のうまみが凝縮されておいしくなるのだ。

 そのなかでもふぐは格別だ! と私は声を大にして言いたい。

 ふぐ鍋後の雑炊の、あの、清潔感があるのにしっかりと滋味深い、あっさりしているのにしっかりと芯のある味はどうしたことだろう。あれは、ふぐにしか出せない。ふぐじゃなきゃだめなんだ。

 二十代のときよりふぐのおいしさがわかるようになったつもりだし、ふぐのうまい店はここ、と太鼓判を持って勧めることもできるけれど、それでも肉派最右翼の私は、本当にはふぐのおいしさはわかっていないのかもしれないと思うことがある。だってふぐ刺しのときからすでに、雑炊雑炊、カモン雑炊と思っているのだもの。ふぐ刺しも唐揚げも鍋も、もうぜんぶ、メインであるところの雑炊にいきつくための前菜くらいに思っているのだもの。雑炊が食べたいが為に、調節しながら鍋をちびちびつつくのだもの。

 でも、そういうことってあるよなあとしみじみ思ったりする。

 たとえば、人生初ふぐの席で話したデートについてであるが、映画を見る、ドライブをする、なんてことは、それはそれでたのしいが、真の目的ではないはずだ。もっともっと親しくなるために、そういう手順が必要というだけで、もしかしたら、デートだからという理由で、やむなく恋愛映画を見ているホラーマニアもいるだろうし、助手席でたのしそうなふりをしている鉄女もいるかもしれない。映画もドライブも、つまりはふぐ刺しでありふぐ唐揚げであり、ふぐ鍋だ。

 たのしい。今日のこと一生忘れない。またデートしようね。でも、真の目的はもっとその先にある。

 あのとき、「飲みにいって酔っぱらって相手のうちに泊まる」デートしかしたことがない各世代の四人がそろっていたが、それぞもしかして、「前菜はかっ飛ばして最初からふぐの味のしみこんだ雑炊を食べる」ような贅沢デートだったのではないか。

 ………なんだかたとえがちょっと、間違っている気がしないでも、ない。

052 全世界からすみ

 からすみを大嫌いな人っているのかな。からすみって、日本三大珍味のひとつだけあって、独特な食感と風味だけれど、珍味のもうひとつ、このわたほどには「ウエー」感はないのではないか。好きな人と、どうでもいい(べつに食べなくともいい)人しか、いないのではなかろうか。

 私は好きだ。からすみが好きだ。が、好きだといっても毎日毎日、ばかすか食べたいわけではない。薄切りにしたものを二枚三枚食べられれば、それで充分。からすみって、そういう食べものだという認識があるのだが、それは私が貧乏性だからだろうか。からすみ好きの非貧乏性の人は、一本の半分くらいぺろりと食べちゃうんだろうか。でもそれじゃ、鼻血が出るんじゃなかろうか。

 私は自宅で夕食を食べるときは、赤ワインを飲むのだが、からすみと赤ワインははっきり言って合いません。自宅できちんとおいしくからすみを食べようと思ったら、薄切りにした大根にのせて、日本酒で食べるのがやっぱりいいんだと思う。そうして、蟹のときにかならずだれかが「蟹って無言になるよね」と言うのと同様に、かならず「ああ、大人になってよかった」とつぶやくのが、ただしい食べかただ。

 と、ずっとそう思っていたのだが、イタリアを旅して驚いた。からすみがあるではないか。ボッタルガ、というらしい。レストランにはからすみ入りのクリームパスタも、塩味のパスタもあった。

 市場で安いからすみを買って日本に帰り、さっそく真似してからすみパスタを作ってみた。安かったから気も大きくなり、ざくざく千切りにしてクリームソースのパスタに入れる。これだけでじつに濃厚な贅沢パスタになる。

 和でも洋でもいいのであるか、と思っていたら、今度は台湾でからすみに出会った。台湾でもからすみを食べるのか。

 台北の迪化街は、乾物屋、お茶屋、漢方薬屋などが、ぎっちり並んでいる商店街だ。私は一歩足を踏み入れるなり興奮針がレッドゾーンをふりきった状態になり、ふらふらと店に入っては試食品や試飲品を勧められるまま食べて飲み、値段をチェックして、お茶や干しエビやドライフルーツや調味料を買い漁った。そして気づく。フカヒレとからすみを売る店が、ずいぶん多い。

 フカヒレも好きだが、どう調理していいのかわからないからパス。私はそこだけバロメーターの針を正常値に戻し、じーっくりとフカヒレを見た。大きさも値段もまちまち。でも明記してあるのがありがたい。結局、真ん中あたりの値段を選んで買った。それだって、ずいぶん安いのである。

 ちなみにこの迪化街であるが、その一角に霞海城皇廟という廟がある。なんでもここは、縁結びの神さまも祀られているらしく、見ていると本当に、若い女の子がひっきりなしに訪れる。きっと縁結ばれ率が高いんだろうなあ。

 唐墨と書くくらいだから、中国や台湾にあるのはわかるが、しかしイタリアは不思議だなあ、と思って調べてみたところ、イタリアばかりでない、ギリシャにもトルコにもフランスにもスペインにも、そしてエジプトにも、からすみは存在していた。旅したのに市場で見たことがないのは、たまたまだろう。日本では長崎産のものが貴重であるように、それぞれの国で、高級品とされる場所があるようだ。

 世界的に食べられているのかと思うと、なんとも奇妙である。だっていったいどこのだれが「ボラ(あるいは、べつの魚)の卵巣を塩漬けにして、塩抜いて乾燥させよう、なんて思いついたのか。

 そうしてもっと奇妙なのが、「おいしい」感覚が共通であること。

 日本三大珍味の、うにやこのわたを、ほかの国の人々がまんべんなくおいしいと思うとは思えない。台湾の臭豆腐も珍味の一種だと思うが、あれだって、ヨーロッパ人が好むとはとうてい思えない。ヨーロッパの青カビチーズだって、やっぱり人を選ぶだろう。

 でもからすみは、まったく異なる食習慣を持つ全世界の人たちが、作り、食べている。その理由はただひとつ、おいしいから。すごいことである。

 イタリア旅行でからすみに出合ってから、からすみには日本酒、との思いこみを捨てることにした。赤ワインはやっぱり合うとは言い難いが、白ワインやシャンパン、スパークリングワインにはたしかに合う。

 知人にいただいたからすみが、今、我が家の冷蔵庫に鎮座しているのだが、先だって、ふと思いついて全世界パスタを作ってみた。

 パスタを茹でているあいだに、ボウルに、納豆、じゃこ、ゴーダチーズ、粉末の梅昆布茶を入れてぐるぐる混ぜ、オリーブオイルとほんの少しのバルサミコ酢を加え、醤油をちょいと垂らし、そこに茹であがった麺を投入、ひたすら混ぜて皿に移し、最後に、おろし器でからすみを盛大におろしてふりかける。全世界というわりに食材は限られているが、まあ、我が家の冷蔵庫にあった全世界なので、ご勘弁を。

 言い換えれば冷蔵庫の残りものパスタであるが、たいへんにおいしかった。すごいなからすみ。

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著者プロフィール

角田光代 かくたみつよ

1967年神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。
90年「幸福な遊戯」で「海燕」新人文学賞を受賞しデビュー。96年『まどろむ夏のUFO』で野間文芸新人賞、98年『ぼくはきみのおにいさん』で坪田譲治文学賞などいくつもの賞を受賞。03年『空中庭園』で婦人公論文芸賞、04年『対岸の彼女』で直木賞受賞など。