アスペクト

今日もごちそうさまでした

角田光代
お肉は好きですか? お魚は好きですか? ピーマンは? にんじんは? 美味しいものが好き、食べることが好き、何よりお料理が好きな角田さんの食にまつわるエッセイがスタートです。

053 原点ごぼう

 ごく自然に買ってきて、ごく自然に使っているけれど、ごぼうってへんな食べものだよな。長いし細いし。土まみれだし。土のついていないごぼうも売っていて、そちらのほうが確実に手間いらずなんだけど、どうしてか、買うとき、私は土つきを選んでしまう。流しであの土をこそげ落とすのは、私にとってかなり面倒ポイントの高い作業のはずなのだが、面倒くさいと思う前にやっていることが多い。つまり、私はごぼう慣れしていんるだろうな。

 里芋慣れしていない私には、あの里芋の土を洗い皮を剥くのははっきりと面倒な作業だし、ラ・フランス慣れしていない私には、あの奇妙にゆがんだ果実の皮を剥くのも、面倒ポイントの高い作業である。

 しかし、ごぼうは慣れている。なんたって、二十六歳のとき、私が生まれてはじめて自作した料理は「ごぼうの八幡巻き」なのだ!

 二十六歳まで料理をしたことがなく、唐突に思い立って料理を覚えはじめた理由を、私はどこでもかしこでも書いているししゃべっているから、くりかえしになるかもしれないが、一応書いておくと、その年で料理上手だった恋人と別れ、なおかつ、小説を書くのが(批判をされるのが)こわくなって小説が書けなくなり、一日何もせず過ごし、そのことに倦んで、料理でもやってみるか、と思った次第である。一日何もしないうちに夜になって酒を飲んで眠るのと、一日何かしら料理を作るのとでは、後者のほうが、より生産的に思える。錯覚だとしても。

 そんなわけで料理を覚えようと決意するのだが、さて、何から作ろうか。ひとり暮らしをはじめた際に、母親がくれた分厚い料理本をめくって私は考えた。

 ふつう、初心者は難易度の低いものからはじめる。鮭のムニエル、蒸し鶏、ハンバーグ、等々。けれど私は、うんと難しそうなものから作ろうと思った。そのほうが日々の生産性を実感できそうだったし、それに、うんと難しいものを最初に作れば、その後ほかの料理もマスターしやすいだろうと思ったのだ。

 そしてその料理本のなかで、難易度がもっとも高そうなもの、として私が選んだのが、ごぼうの八幡巻きだったのだ。ごぼうを十センチほどに切って酢入りの湯で煮て、出汁と醤油を絡ませてさまし、生姜汁と醤油酒で下味をつけた薄切り牛肉で巻き、酒砂糖みりん醤油で甘辛く炒めた料理。

 今思えば、難易度が高い、というほどでもないが、料理をまったくしたことのない私にとって「下茹で」とか「味を絡ませてさます」とか「下味をつける」とか「炒めつつ、煮もする」といったいちいちが、たいへんなことに思えたのである。よし、これを作ってやるのだ! 見ていろよ!

 そうして料理本通りにはじめて作った八幡巻き、なんと、うまくできたのである。これがもし失敗していたら、私のその後の料理人生は大きく変わったと思うが、おいしくできたことによって、「料理本のとおりに作れば失敗はない」という信念が、刷り込まれた。それから私は小説を書かず、料理を覚えることに専念した。夕方になると買いものにいき、件の料理本をめくって、シチュウを作りハンバーグを作り、餃子を作り鯖の味噌煮を作った。三カ月で小説を書かない生活に飽きて、また、そろそろと書きはじめるわけだが、料理はやり続けた。今、曲がりなりにも私が料理好きなのは、はじめての八幡巻きが成功したからである。

 私の母親の料理のレパートリーは多かったので、たとえば「思い出の味は?」と訊かれると、返答に困ることが多い。母は私の好き嫌いをなおそうとせず、好きなものばかり作ってくれたので、なんだっておいしかったという記憶しかないのである。しかしながら、ぱっと思い出す母の料理には、ごぼうの入ったものが多い。たとえばごぼうとにんじんの天ぷら。翌日はそれを甘辛く煮詰めたものが弁当に入っていた。こうすると、にんじん嫌いの私もにんじんを食べたから、よく登場したのだろうなあ。こぼうと豚の柳川風、もよく登場した。これはものすごくかんたんな、いってみれば手抜き料理。土鍋あるいは鉄鍋に出汁をはって、薄切りの豚バラ肉、大量のごぼうを重ねて、酒醤油みりんで味付けして、煮る。煮立ったら、三つ葉をのせて卵でとじる。かんたんなのに、たいへんおいしい。ごぼうとじゃこの炊き込みごはんも、これまた、じつにかんたん。

 そういえば、我が家ですき焼きをやったとき、友人が酒やつまみといった手土産とともにごぼうを大量に買ってきたことがあった。彼女は「手伝うよ」と、台所でごぼうをささがきにしはじめた。いったいなんに使うのかと訊くと、「え、すき焼きに入れない? ごぼう」と言う。

 すき焼きにごぼうというのははじめてだったが、これが、じつに合うのである。彼女の家のすき焼きは、ごぼう入りだったんだなあ。

 カレーにごぼうが合うことも、大人になってから知った。具を、豚バラ薄切り、蓮根、ごぼう、にんじん、里芋、と根菜ばかりにして、市販のカレールーを用い、最後に味噌をとき入れる。こうすると、カレーがいきなり和風根菜カレーになるのである。

 長細いごぼうの土をこそげ落とすとき、面倒なことに気づかないように、好きか嫌いかも意識したことはないごぼうであるが、じつは、私の料理好きの原点でもあるのだと思い出した。八幡巻きを作ったのは、なぜかあのとき一回こっきりであるが、今日あたり、また作ってみようかな。「こんなにかんたんなものを作るのに、あんなたいそうな決意が必要だったのか」と、びっくりするかもしれない。

054 いつのまにかそこにはタンが

 はじめて焼肉屋にいったのは、十八歳のときだ。その日のことを未だに覚えている。ひとり暮らしをしている先輩が、「うちの近所に食べ放題の焼肉屋がある」と言い、サークル合宿のあとに十人くらいでそこにいったのだ。先輩が住んでいたのはたしか保谷。はじめて降り立つ町で、はじめていく焼肉屋。

 今でこそ、ファミリーレストランのような洒落た焼肉屋はたくさんあるけれど、当時はお洒落な店はまったくなかった。もちろん都心にある高級焼肉店はきれいだったろうけれど、学生にそんなお店は縁がない。私が連れていってもらったのは、ぼろっちい食堂風の店。入り口は磨りガラスのサッシになっていて、なかが見えない。なかに入るとカウンターに赤いテーブル、ビニール張りの丸椅子、カウンター上部にテレビ、全体的に脂っぽい。町の安い焼肉屋は、どこもそんなふうだった。七輪なんか出てきたのは(私の記憶によれば)その七年後くらい。各テーブルにガスロースターが設置してあり、これまた、脂っぽい。

 私は自他ともに認める肉好きだが、はじめて食べた焼き肉の感想を、よく覚えていない。たぶんそこで展開されたすべてに圧倒されたのだと思う。楕円の皿に大盛りに肉がきて、男の子たちが漫画みたいに丸く盛ったごはんをわしわし食べ、じゅうじゅう煙が上がり、どんどん肉がなくなり、たれがそこここに飛び散り、自分がどんどん肉くさくなっていく。そのどれもが初体験。女子校を出たばかりの私には、男子そのものすら珍しかったのに、「焼肉と男子」などという組み合わせはもう、本当に未知との遭遇だったのだ。

 だから、そこで食べた初タンの感想も、覚えていないのである。たしか最初に出てきたはずだ。まずはタンからはじめたはずだ。

 その後焼肉は、ごく自然に私の生活に入りこんでいた。気づけば私は焼肉が好きで、焼肉屋にごくふつうに入れるようになり、最初にタンを頼むようになっていた。いつのまにか、すっかりタン馴染み。

 考えれば不思議なことである。たいていの人が最初にタンを注文する。ごくまれに、そうではない人がいるとびっくりする。「最初にタンじゃなくてもいいんだ!」といちいち目覚めるような気持ちで思うのである。

 でも、ならば次回違うものからはじめるかというと、そうはならない。私は最初はタン。ぜったいにタン。あれは焼肉屋における前菜だ。

 薄いタン、分厚いタン、葱ののったタン、いろいろある。どれも好きだが、いっとう好きなのは薄いタンの端っこをかりかりに焦がすくらいに焼いたもの。「あー焼肉がはじまるよー!」と思う。ときたま焼肉奉行がいるが、こういう人はかりかりを許してくれず、ちょっとピンクが残る程度で「このくらいがおいしいから」と、みんなの皿に入れてしまうが、私は不満である。たいていのことはどうでもいいし、言い分のある人に従う私だが、ことタンにかんしては「私はウェルダン派です、放っておいてください」とはっきりと申請する。

 牛タンのねぎしにはじめていったときは、感激した。焼肉屋の前菜だったタンが、メイン料理として、しかもごはんのおかずとしてある。タンとごはんという発想がなかった。さらにタンととろろという発想もなかった。しかし、合いますね。

 ねぎしを知って以来、私も自宅でタンを食べるときは必ずとろろをつけるようになった。しかしタンをどこでも売っているわけでもないのが、難点。食べたいと思ったときにタンはなし、って状況がたいへんに多い。

 ところで、牛タンというと、焼肉以外に有名なのがタンシチュウであるが、じつは私、タンシチュウを食べことがない。好き嫌いではなくて、ちょっと馬鹿みたいな理由だ。

 そもそもタンシチュウを扱う店が、少ない。タンシチュウのある店はわかりやすくそのように謳っている。そしてそういう「タンシチュウの店」は、まず、飲み屋ではない。ジャンルとしてすでに「タンシチュウの店」。私は夜はアルコールといっしょでなければ食事ができないので、飲める店にしかいかない。洋食屋さんやカレー屋さん、タンシチュウの店などにはいかないのである。

 ならば昼に食べればいいじゃないかと思うが、ランチにしては値段が高い。タンシチュウってだいたい二千円から三千円くらいするでしょう? それは私にとって昼値段ではない。

 というような理由で、食べていないだけなのだ。外で食べないのならば作ればいいのだが、たいていのものは作ってみる私でも、タンシチュウは未体験。

 タンで思い出すのは檀一雄。愛人との二人の暮らしで、何がおもしろくないって料理が思う存分できないことが、おもしろくないと嘆く(『家宅の人』)。小買いのできない語り手は、タンならタン一本買ってきて、硝石と塩をまぶした料理を作っても、結局冷蔵庫でカサカサになる。「何が悲しいと云ったって、自分でつくったおいしい食品をみすみす腐らせる程悲しいことはない」と、『家宅の人』にはある。また、檀流クッキングにはタンとテールを使った「ダン」シチュウのレシピも出てくる。

 この人の本や料理法を読むと、どういうわけか、私は作りたいという気持ちが弱まるのである。たぶん、食べたような気になるんだろうな。食べたいからではなくて作りたいから作った、豪快な作家の料理を。冷蔵庫でかさかさになるタンの塩漬けも、一切れ二切れ、ご相伴にあずかったような気がしてくるのだ。味まで覚えている気になっている。

 焼肉屋以外でのタン料理、初体験の日がこれからくるんだろうか。そのときはその感想をしっかり覚えておいてここに書きたいと思う。

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著者プロフィール

角田光代 かくたみつよ

1967年神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。
90年「幸福な遊戯」で「海燕」新人文学賞を受賞しデビュー。96年『まどろむ夏のUFO』で野間文芸新人賞、98年『ぼくはきみのおにいさん』で坪田譲治文学賞などいくつもの賞を受賞。03年『空中庭園』で婦人公論文芸賞、04年『対岸の彼女』で直木賞受賞など。