はじめて焼肉屋にいったのは、十八歳のときだ。その日のことを未だに覚えている。ひとり暮らしをしている先輩が、「うちの近所に食べ放題の焼肉屋がある」と言い、サークル合宿のあとに十人くらいでそこにいったのだ。先輩が住んでいたのはたしか保谷。はじめて降り立つ町で、はじめていく焼肉屋。
今でこそ、ファミリーレストランのような洒落た焼肉屋はたくさんあるけれど、当時はお洒落な店はまったくなかった。もちろん都心にある高級焼肉店はきれいだったろうけれど、学生にそんなお店は縁がない。私が連れていってもらったのは、ぼろっちい食堂風の店。入り口は磨りガラスのサッシになっていて、なかが見えない。なかに入るとカウンターに赤いテーブル、ビニール張りの丸椅子、カウンター上部にテレビ、全体的に脂っぽい。町の安い焼肉屋は、どこもそんなふうだった。七輪なんか出てきたのは(私の記憶によれば)その七年後くらい。各テーブルにガスロースターが設置してあり、これまた、脂っぽい。
私は自他ともに認める肉好きだが、はじめて食べた焼き肉の感想を、よく覚えていない。たぶんそこで展開されたすべてに圧倒されたのだと思う。楕円の皿に大盛りに肉がきて、男の子たちが漫画みたいに丸く盛ったごはんをわしわし食べ、じゅうじゅう煙が上がり、どんどん肉がなくなり、たれがそこここに飛び散り、自分がどんどん肉くさくなっていく。そのどれもが初体験。女子校を出たばかりの私には、男子そのものすら珍しかったのに、「焼肉と男子」などという組み合わせはもう、本当に未知との遭遇だったのだ。
だから、そこで食べた初タンの感想も、覚えていないのである。たしか最初に出てきたはずだ。まずはタンからはじめたはずだ。
その後焼肉は、ごく自然に私の生活に入りこんでいた。気づけば私は焼肉が好きで、焼肉屋にごくふつうに入れるようになり、最初にタンを頼むようになっていた。いつのまにか、すっかりタン馴染み。
考えれば不思議なことである。たいていの人が最初にタンを注文する。ごくまれに、そうではない人がいるとびっくりする。「最初にタンじゃなくてもいいんだ!」といちいち目覚めるような気持ちで思うのである。
でも、ならば次回違うものからはじめるかというと、そうはならない。私は最初はタン。ぜったいにタン。あれは焼肉屋における前菜だ。
薄いタン、分厚いタン、葱ののったタン、いろいろある。どれも好きだが、いっとう好きなのは薄いタンの端っこをかりかりに焦がすくらいに焼いたもの。「あー焼肉がはじまるよー!」と思う。ときたま焼肉奉行がいるが、こういう人はかりかりを許してくれず、ちょっとピンクが残る程度で「このくらいがおいしいから」と、みんなの皿に入れてしまうが、私は不満である。たいていのことはどうでもいいし、言い分のある人に従う私だが、ことタンにかんしては「私はウェルダン派です、放っておいてください」とはっきりと申請する。
牛タンのねぎしにはじめていったときは、感激した。焼肉屋の前菜だったタンが、メイン料理として、しかもごはんのおかずとしてある。タンとごはんという発想がなかった。さらにタンととろろという発想もなかった。しかし、合いますね。
ねぎしを知って以来、私も自宅でタンを食べるときは必ずとろろをつけるようになった。しかしタンをどこでも売っているわけでもないのが、難点。食べたいと思ったときにタンはなし、って状況がたいへんに多い。
ところで、牛タンというと、焼肉以外に有名なのがタンシチュウであるが、じつは私、タンシチュウを食べことがない。好き嫌いではなくて、ちょっと馬鹿みたいな理由だ。
そもそもタンシチュウを扱う店が、少ない。タンシチュウのある店はわかりやすくそのように謳っている。そしてそういう「タンシチュウの店」は、まず、飲み屋ではない。ジャンルとしてすでに「タンシチュウの店」。私は夜はアルコールといっしょでなければ食事ができないので、飲める店にしかいかない。洋食屋さんやカレー屋さん、タンシチュウの店などにはいかないのである。
ならば昼に食べればいいじゃないかと思うが、ランチにしては値段が高い。タンシチュウってだいたい二千円から三千円くらいするでしょう? それは私にとって昼値段ではない。
というような理由で、食べていないだけなのだ。外で食べないのならば作ればいいのだが、たいていのものは作ってみる私でも、タンシチュウは未体験。
タンで思い出すのは檀一雄。愛人との二人の暮らしで、何がおもしろくないって料理が思う存分できないことが、おもしろくないと嘆く(『家宅の人』)。小買いのできない語り手は、タンならタン一本買ってきて、硝石と塩をまぶした料理を作っても、結局冷蔵庫でカサカサになる。「何が悲しいと云ったって、自分でつくったおいしい食品をみすみす腐らせる程悲しいことはない」と、『家宅の人』にはある。また、檀流クッキングにはタンとテールを使った「ダン」シチュウのレシピも出てくる。
この人の本や料理法を読むと、どういうわけか、私は作りたいという気持ちが弱まるのである。たぶん、食べたような気になるんだろうな。食べたいからではなくて作りたいから作った、豪快な作家の料理を。冷蔵庫でかさかさになるタンの塩漬けも、一切れ二切れ、ご相伴にあずかったような気がしてくるのだ。味まで覚えている気になっている。
焼肉屋以外でのタン料理、初体験の日がこれからくるんだろうか。そのときはその感想をしっかり覚えておいてここに書きたいと思う。 |