鮨といえばまぐろ、刺身といえばまぐろ、巻物なら鉄火巻き、魚の丼なら鉄火丼。
と、いうくらい、私は生のまぐろと近しく育った。好き嫌いが多かったなかで、好きな生魚の筆頭だった。握り鮨を食べるとき、親は私のたこやイカと自分のまぐろを交換してくれた。出前をとるときは人数ぶんの握りプラス、必ず鉄火巻きを一人前注文してくれた。
幼少時から、それはそれは近しいので、未だに「まずまぐろ」という気持ちがある。考えなくとも「まずまぐろ」なのだ。飲み屋で刺身を頼むとき、まぐろがあれば真っ先に頼むし、おまかせで握ってもらう鮨屋ではまぐろがどのタイミングで出るか気にかかる。中トロも好き。大トロも好き。赤身も好き。漬けも好き。ネギトロも好き。
列車に乗るとか飛行機に乗るとか、もしくはどこか野外に出向くようなときに弁当が必要になったとする。デパートの地下食料品売り場や、駅弁売り場をあれこれ目移りしつつさんざんうろついて、私が選ぶのはたいていまぐろ系の弁当である。鉄火丼とか、トロ赤身のみの握り鮨とか。私は自他ともに認める肉好きなのだが、しかしそういうとくべつな場合に選ぶのは、慣れ親しんだまぐろなのである。
私の母親もやはりまぐろが好きで、正月はまぐろ、と決めているようなところがあった。おせちと雑煮と、まぐろの刺身。年末の魚屋さんを見ていると、おせちと雑煮と、「蟹派」「まぐろ派」に分かれるようである。関東のみの現象だろうか。
大人になってねぎま鍋なるものと出合ったときは、びっくらこいた。刺身で食べてもおいしいまぐろを、煮る! こんな大トロを、煮てしまう!
しかし、初ねぎま鍋、心底おいしかった。あんまりおいしかったので、以来私も家でねぎま鍋をするようになった。具はシンプルなほうが断然いい。葱と、セリと、まぐろのみ。ほんのり苦みのあるセリが、また、合う合う。しかしどうしてもねぎま鍋用に大トロを買うことが私にはできない。脂ののったメジマグロなどでごまかすことがほとんど。それでも充分においしいのだが。
まぐろといえば、三崎が有名。神奈川県の三浦市である。三浦海岸、三崎も子どものころから近しかった。子どもだった昔は、そんなにまぐろが有名とは知らなかった。大人になって出かけて、まぐろを売りにしている飲食店が多いことに気づいた。市場でも、冷凍まぐろをさくで売っている。
ところで、私は年に一度、十人ほどで温泉旅行に出向いている。私が最年少、半数ほどが七十代の高齢グループのこの温泉旅行、十年以上、続いている。このメンバーで、なぜか「まぐろを食い尽くそう」ということになった。いつもいき先は箱根や熱海なのだが、はじめて三崎の温泉宿に出かけることになった。
温泉に一泊して翌日、みんなで町に繰り出し、だれかが予約してくれていた一軒のまぐろ料理屋に入った。二階の座敷にほぼ貸し切り状態で、まだ昼なのにビールが開き、まぐろコースがはじまった。刺身はメバチまぐろ、本まぐろ、インドまぐろ、中落ち、中トロ、大トロとさまざま。まぐろの珍味、ホシ(心臓)、たまご、尾の身。まぐろ頬肉のステーキ。
ひとつの料理に箸をつけないうちから次々と登場するまぐろ料理にみんなきゃっきゃっと浮かれ騒いで、早くもビールを熱燗に切り替えて刺身から食べはじめたのだが、ものの数分もたたないうちに、場はしーんと静まりかえった。早々と、「なんかもうまぐろ、いいや」的ムードが漂いはじめる。
いきなりすべての料理を目の前に並べられた「目の満腹感」もある。さらに刺身も多かった。大トロ、中トロも少しならば浮かれるのだが、どーんとあると、きつい。とくにほとんどのメンバーは脂ものから遠ざかった高齢者。そして、刺身の皿すらまだ空になっていないというのに、どーんと、まぐろのカマ焼きが運ばれてきた。空を向くまぐろの巨大な頭が、でかい皿に乗って登場したのである。
ほかのお客さんならば、ここで拍手喝采、やんややんやの盛り上がり、なのかもしれない。しかし私たちはただ無言でぽかんと口を開き、運びこまれた巨大な頭を見つめるのみ。開始から三十分もたっていない。だれかがぽつりと、
「ああ、おいしい赤身が、ほんのちょびっと食べたいなあ」とぼやいた。
まぐろ専門店で、まぐろフルコースを目の前にして、まぐろの赤身が食べたいとは、なんと皮肉なことであろう。
「横須賀にさあ、元祖海軍カレーを出す店があるんだけど」七十代のひとりがぽつりと言った。カレー、いいね! とみんなぱっと顔を輝かせる。そしてなんとおそろしいことに、私たちは早々にフルコースを切り上げて横須賀にいき、そのカレーを出す店でまたしてもビールと熱燗を頼み、刺身の盛り合わせを頼み、カレーで締めくくったのである。
まぐろの名誉のために言わせてもらえば、まぐろはおいしいのだ。カマ焼きだって、頬肉だって、中落ちだっておいしい。が、テーブルにそのすべてを並べ、もりもり片付けていくような食べものではないのだと思う。私はいつだってまぐろが食べたいが、あのコースはやっぱりもういいや、と未だに思う。大トロも中トロも、「もっと食べたい」の手前で終わるから、おいしい記憶が残るのだ。
いやしかし、一切れ二切れのトロよりも「おいしい赤身がほんのちょびっと食べたい」、あの気持ちがわかる年齢域に、これからずんずん突き進んでいくのだろうなあ。そのあとカレーを食べられるかどうかはともかくとして。 |