アスペクト

今日もごちそうさまでした

角田光代
お肉は好きですか? お魚は好きですか? ピーマンは? にんじんは? 美味しいものが好き、食べることが好き、何よりお料理が好きな角田さんの食にまつわるエッセイがスタートです。

No.55 薩摩揚げ故郷と薩摩揚げ宇宙

 二十歳まで、一度も引っ越したことがない家で育った。しかも通っていた学校は小学校から高校までいっしょで、その十二年間で転校生は二、三人。

 それがどういうことを意味するかというと、他文化を知らないまま成人したということ。

 私が進学した大学はマンモス校と呼ばれるほど人の多い学校で、当然、学生の出身地はバラエティに富んでいた。私はここではじめて、北海道や三重や大阪や青森や広島出身の人たちと知り合った。まったく勉強をせず高校を卒業した私は、友だちの出身地によって四国の存在を知ったくらいである(四国の方、本当にすみません)。

 とはいえ、それだって二十年以上前とはいえ、一九八〇年代。関東圏とそれ以外と、そんなに違いがあったわけではない。お国言葉で話す人だってほとんどいなかったし、見て育ったテレビも聴いた音楽もいっしょだった。

 そんななかで、他文化に触れる機会がいちばん多かったのは、食においてだと思う。

 今でも覚えているのは、九州出身の子と居酒屋にいったときに、彼が、薩摩揚げをごくごく自然に注文したことである。「えっ、薩摩揚げ」と思わず口にすると「九州モンだケンね」と彼はふざけて答えた。

 関東出身だと、薩摩揚げというとおでんや煮物というイメージしかない。いや、そんな狭いイメージを持っているのは私だけかもしれないが、ともかく、日常的に食べるものではない。さっとあぶった薩摩揚げを、わさび醤油で、とか、生姜を添えて、とか、そんな食べかたを、このときはじめてしたのではないか。おいしかった。煮物で食べるより風味ゆたかで歯ごたえがあって。

 同時にこのとき、教室で椅子を並べるみんなが、私とはまったく異なる食文化と食習慣を持っていることに気づき、なんだかぽかんとした気持ちになった。すごいなみんな、とひそかに思った。だってたったひとりで知らない土地にやってきて、生活をはじめ、なじんだ食文化となじみのない食文化の狭間で、それぞれが折り合いをつけているのだ。実家暮らしだった私は、このとき以来、真の意味でひとり暮らしの彼らを尊敬するようになった。かくいう私もその二年後、二十一歳のとき、実家を出てひとり暮らしをはじめるのだが、やはり食文化的には最初から折り合いがついていた。

 その数年後、タイを旅行して、薩摩揚げにそっくりなものに出合った。こちらはちょっと辛くて、甘酸っぱいスイートチリソースにつけて食べる。揚げたては最高においしい。トートマンプラーという魚のすり身揚げである。こうして異国で、自分たちのなじんだものとよく似たものを見かけると、なんだかうれしくなってしまう。

 料理をするようになって、薩摩揚げもトートマンプラーも作った。市販されている魚のすり身をつかえばかんたんだが、とくに薩摩揚げは、魚をおろしてフードプロセッサでミンチにしたほうが、やっぱり風味が違う。とはいえ、面倒で、数度しか作っていないけれど。

 トートマンプラーは魚のすり身に、いんげんとチリペッパー、ナンプラーと酒、砂糖、片栗粉を入れて丸めて揚げる。失敗がなくて、辛いもの好きの私にはたまらなくおいしい。スイートチリソースもつけずに食べてしまう。

 魚からおろして作ったその数度の薩摩揚げは、作ってみたいから作っただけであって、おいしくはできたけれど、毎回作ろうとはやっぱり思わない。だって魚屋さんやデパートや、あるいは取り寄せ品で、おいしい薩摩揚げがすでにたくさんあるんだもの。

 薩摩揚げをさっと焼く、あの若き日に食べた一品の、なんと便利なことか。忙しくて、でもおかず一品二品じゃさみしくて嫌で、なんかちょっとしたものがもう一品ほしいとき、最適な役まわりだし、友人たくさんを呼ぶ宴会でも、箸休め的に出しておくと案外よろこばれたりする。

 それから弁当にもじつに便利。弁当生活になって気づいたことは多々あるが、「薩摩揚げは弁当に合う」というのもそのひとつ。何か「ああ、食べた」感があるし、野菜と炒めても煮ても、ごはんに合う。さめてもおいしいのもポイント高。

 そして子どものころから食べつけている、おでん。おでんの薩摩揚げはやっぱりおいしい。紅ショウガの入った生姜天が好きだ。

 ゴボウ天、じゃこ天、野菜天、たこ天と具材と組み合わせていくと果てしなく広がる薩摩揚げ宇宙。

 薩摩揚げを食べるとき、居酒屋で薩摩揚げを注文した男の子をいつも思い出す。

 そうして、十八歳でなじんだ食生活を離れて都心にたったひとりで引っ越してきた彼らが、薩摩揚げにしても、刺身にしても、米にしても、卵にしても、豆腐にしても、野菜にしても、故郷のもののほうがずーっとおいしかったろうに、東京のそれぞれに苦心してなじんでいったのだなあと今さらながら思いを馳せ、やっぱり尊敬の念をあらたにするのである。

No.056 まぐろ年領域

 鮨といえばまぐろ、刺身といえばまぐろ、巻物なら鉄火巻き、魚の丼なら鉄火丼。

 と、いうくらい、私は生のまぐろと近しく育った。好き嫌いが多かったなかで、好きな生魚の筆頭だった。握り鮨を食べるとき、親は私のたこやイカと自分のまぐろを交換してくれた。出前をとるときは人数ぶんの握りプラス、必ず鉄火巻きを一人前注文してくれた。

 幼少時から、それはそれは近しいので、未だに「まずまぐろ」という気持ちがある。考えなくとも「まずまぐろ」なのだ。飲み屋で刺身を頼むとき、まぐろがあれば真っ先に頼むし、おまかせで握ってもらう鮨屋ではまぐろがどのタイミングで出るか気にかかる。中トロも好き。大トロも好き。赤身も好き。漬けも好き。ネギトロも好き。

 列車に乗るとか飛行機に乗るとか、もしくはどこか野外に出向くようなときに弁当が必要になったとする。デパートの地下食料品売り場や、駅弁売り場をあれこれ目移りしつつさんざんうろついて、私が選ぶのはたいていまぐろ系の弁当である。鉄火丼とか、トロ赤身のみの握り鮨とか。私は自他ともに認める肉好きなのだが、しかしそういうとくべつな場合に選ぶのは、慣れ親しんだまぐろなのである。

 私の母親もやはりまぐろが好きで、正月はまぐろ、と決めているようなところがあった。おせちと雑煮と、まぐろの刺身。年末の魚屋さんを見ていると、おせちと雑煮と、「蟹派」「まぐろ派」に分かれるようである。関東のみの現象だろうか。

大人になってねぎま鍋なるものと出合ったときは、びっくらこいた。刺身で食べてもおいしいまぐろを、煮る! こんな大トロを、煮てしまう!

 しかし、初ねぎま鍋、心底おいしかった。あんまりおいしかったので、以来私も家でねぎま鍋をするようになった。具はシンプルなほうが断然いい。葱と、セリと、まぐろのみ。ほんのり苦みのあるセリが、また、合う合う。しかしどうしてもねぎま鍋用に大トロを買うことが私にはできない。脂ののったメジマグロなどでごまかすことがほとんど。それでも充分においしいのだが。

 まぐろといえば、三崎が有名。神奈川県の三浦市である。三浦海岸、三崎も子どものころから近しかった。子どもだった昔は、そんなにまぐろが有名とは知らなかった。大人になって出かけて、まぐろを売りにしている飲食店が多いことに気づいた。市場でも、冷凍まぐろをさくで売っている。

 ところで、私は年に一度、十人ほどで温泉旅行に出向いている。私が最年少、半数ほどが七十代の高齢グループのこの温泉旅行、十年以上、続いている。このメンバーで、なぜか「まぐろを食い尽くそう」ということになった。いつもいき先は箱根や熱海なのだが、はじめて三崎の温泉宿に出かけることになった。

 温泉に一泊して翌日、みんなで町に繰り出し、だれかが予約してくれていた一軒のまぐろ料理屋に入った。二階の座敷にほぼ貸し切り状態で、まだ昼なのにビールが開き、まぐろコースがはじまった。刺身はメバチまぐろ、本まぐろ、インドまぐろ、中落ち、中トロ、大トロとさまざま。まぐろの珍味、ホシ(心臓)、たまご、尾の身。まぐろ頬肉のステーキ。

 ひとつの料理に箸をつけないうちから次々と登場するまぐろ料理にみんなきゃっきゃっと浮かれ騒いで、早くもビールを熱燗に切り替えて刺身から食べはじめたのだが、ものの数分もたたないうちに、場はしーんと静まりかえった。早々と、「なんかもうまぐろ、いいや」的ムードが漂いはじめる。

 いきなりすべての料理を目の前に並べられた「目の満腹感」もある。さらに刺身も多かった。大トロ、中トロも少しならば浮かれるのだが、どーんとあると、きつい。とくにほとんどのメンバーは脂ものから遠ざかった高齢者。そして、刺身の皿すらまだ空になっていないというのに、どーんと、まぐろのカマ焼きが運ばれてきた。空を向くまぐろの巨大な頭が、でかい皿に乗って登場したのである。

 ほかのお客さんならば、ここで拍手喝采、やんややんやの盛り上がり、なのかもしれない。しかし私たちはただ無言でぽかんと口を開き、運びこまれた巨大な頭を見つめるのみ。開始から三十分もたっていない。だれかがぽつりと、

「ああ、おいしい赤身が、ほんのちょびっと食べたいなあ」とぼやいた。

 まぐろ専門店で、まぐろフルコースを目の前にして、まぐろの赤身が食べたいとは、なんと皮肉なことであろう。

「横須賀にさあ、元祖海軍カレーを出す店があるんだけど」七十代のひとりがぽつりと言った。カレー、いいね! とみんなぱっと顔を輝かせる。そしてなんとおそろしいことに、私たちは早々にフルコースを切り上げて横須賀にいき、そのカレーを出す店でまたしてもビールと熱燗を頼み、刺身の盛り合わせを頼み、カレーで締めくくったのである。

 まぐろの名誉のために言わせてもらえば、まぐろはおいしいのだ。カマ焼きだって、頬肉だって、中落ちだっておいしい。が、テーブルにそのすべてを並べ、もりもり片付けていくような食べものではないのだと思う。私はいつだってまぐろが食べたいが、あのコースはやっぱりもういいや、と未だに思う。大トロも中トロも、「もっと食べたい」の手前で終わるから、おいしい記憶が残るのだ。

 いやしかし、一切れ二切れのトロよりも「おいしい赤身がほんのちょびっと食べたい」、あの気持ちがわかる年齢域に、これからずんずん突き進んでいくのだろうなあ。そのあとカレーを食べられるかどうかはともかくとして。

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著者プロフィール

角田光代 かくたみつよ

1967年神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。
90年「幸福な遊戯」で「海燕」新人文学賞を受賞しデビュー。96年『まどろむ夏のUFO』で野間文芸新人賞、98年『ぼくはきみのおにいさん』で坪田譲治文学賞などいくつもの賞を受賞。03年『空中庭園』で婦人公論文芸賞、04年『対岸の彼女』で直木賞受賞など。