アスペクト

肉記


011 デジャヴ店

 そのようにリクエストしなくとも、肉の店に連れていってもらうことが多いと、前に書いた。

 肉の店、といっても、さまざまだ。焼き肉屋、フランス料理屋、イタリア料理屋、韓国料理屋、無国籍等々。メニュウに肉が多く、おいしい店。

 自分の町以外の外食は、私はほとんど人まかせで、なおかつ、下調べもしない。「今度の約束は、この店を何時から予約したよ」とメールをもらい、メールにはその店のホームページのURLが添付されているが、開いて見たりしない。その日、出かける前に地図を印刷して出かける。メニュウも見ないし、何がおすすめなのかも知らないで、出向く。どうでもいいのではなくて、もう、ゆだねきっているのだ。その人が「おいしい店」と言うのならばおいしいに違いないと、信じ切っているのである。

 そして、おいしい、おいしいねえ、と食べて、その店を出るころには酔っぱらっていて、なおかつ、そのままどこかべつのところに飲みなおしにいったりするから、ハテそのおいしい店がどこだったのか、わからない。印刷した地図も保管しないし、案内メールはものすごい量のメールに埋もれている。

 そうすると、デジャヴが起きることに気づいた。

 地図を頼りに歩いていくと、なんだか見覚えのある店がある。ん? ここは……と思いつつ、店内に入って、「あっ、やっぱり知ってる!」と確信する。今日この店を予約してくれたのは、Aさんだけれども、AさんとはまったくつながりのないBさんが、以前、おいしい肉の店があると連れてきてくれたところだ、と気づく。一カ月前のこともあり、二年前のこともあり、二週間前のこともある。もちろん正確には、これはデジャヴではない。ただ、「一度きて、忘れて、再訪した」だけのことである。

 でも、店の名前も場所も完璧に忘れていると、「あっ」というその気分は、本当にデジャヴそのもの。まったく不思議な心持ちだ。

 よく考えれば、肉料理のおいしい評判の店というのは、そうそう多くはないのかもしれない。イタリア料理ではここ、韓国料理ではここ、といった具合に、代表選手ならぬ代表店がぽつりぽつりとあり、食にくわしい人たちは、みんな知っているのかもしれない。

 そうして、すっかり忘れているその店で食事をしていると、おもしろいようにいろんなことが思い浮かぶ。前Aさんときたときは、これを食べた、そしてこんな話で盛り上がった。どんどん出てくる。食と記憶というのは、じつに密接に絡まり合っているらしい。

 じつは昨日も、連れていったもらった焼き肉屋さんが、七年くらい前に単行本の打ち上げで、連れてきてもらったところだった。席について思い出した。そのときの顔ぶれも、打ち上げの感じも。七年前のそのとき、打ち上げメンバーのなかにひとり美人がいて、彼女がトイレにいくと近くのテーブルのサラリーマンたちがさっと顔を上げて彼女を見ていた、そんなことまで、あぶり絵のようによみがえる。「○○さんは美人だから、サラリーマンたちがみんな見てるよ」と教えてあげると、彼女は「ほんっとうにこの店、サラリーマン、多いっスよね」と、頓珍漢な答えをしていたことも。

 飲んだり、食べたり、と無関係なら、こんなにもあざやかに思い出さないものなんだろうか?不思議である。

 じつは一週間前に、連れていってもらった恵比寿の店も、二年前、べつの人に連れてきてもらったところだった。

 私は出てきた料理に余りにも感動すると、写真で残そうと携帯カメラにおさめるのだが、このときも、前菜に出てきた馬肉のカルパッチョがうまりにもうつくしくて、写真を撮った。翌日、携帯電話の中身を整理していたら、なんと! まったく同じ写真が、二年前の日付で出てきたのである。ああそういえば、あのときも、なんとうつくしいのかと写真を撮ったなあ……。まったく同じアングル、まったく同じサイズにおさめた馬肉写真を、私はしみじみ見比べたのである。

012 旅先居酒屋

 所用があって地方の町にいった。夜が更けると、ホテルの周辺は真っ暗。店がない。女性の名前が店名のスナックはいくつかあるけれど、ドアが閉ざされていて、入りにくい。

 駅前に、チェーン店の大型居酒屋が二軒あったけれど、せっかくの旅先で、チェーン店というのもなあ。所用で会った知人に、どこか飲み屋はないかと訊くと、路地裏にある店を教えてくれた。

 ちいさな、庶民的な居酒屋である。カウンターに小上がり。小型テレビがついていて、カウンターには酒瓶がびっしり並び、壁は新旧のポスターで埋まっている。ひとつの壁を見てぎょっとする。料理名の書かれた短冊が、びーっしり貼ってある。ものすごい数。店主ひとりきりなのに、こ、こんなにメニュウがあるのか!

 それとはべつに、小型ホワイトボードに今日のおすすめが書いてある。秋刀魚のお刺身と水餃子を頼んで、レモンサワーを飲む。

 編集の方々と取材旅行にいくと、彼らは一様に、空港や鉄道駅から市街地に向かうタクシーで、飲み屋街の所在地とおすすめの店を訊く。すごいなあと思う。私はそこまではしないけれど、地方にいくとかならず居酒屋にいく。観光客向けの店よりも、「ザ・地元」といった風情の店のほうが好きだ。

 それが中部地方であろうと、東北であろうと、九州方面であろうと、ザ・地元居酒屋には何かしら共通したものがある。たとえば壁一面に貼られたポスターだ。水着姿の女の子、アイドルグループ、地元演歌歌手、野球選手、カレンダーなどなど。ある店では、ひときわ大きく店主夫妻の写真がポスター状になって貼ってあった。

 そしてカウンターの上がごちゃついている。酒瓶や積まれた空き皿に混じって、マッチや何かのマスコットや、ミニだるまや雑誌や、秩序なくのっている。

 そしてメニュウが多い! 店主ひとりの店でも、鮮魚から焼き鳥から、天麩羅、揚げもの、サラダ、肉料理、和洋中、なんでもござれ。ポテトサラダや鶏の唐揚げならいざ知らず、こういう店にかなりの確率で「水餃子」があるのもおもしろい。隠れた定番メニュウなんだろうか。

 話は戻り、今回の居酒屋の水餃子は、小ぶりの餃子と、汁の入った皿が出てきた。つけ麺よろしく、餃子を汁に浸して食べるようである。この汁、塩ラーメンのスープの味がして、なかなかにおいしかった。それを食べながらカウンターの内側を見ていると、店主が秋刀魚をさばいている。きれいだなあ、秋刀魚。

 さて、水餃子と秋刀魚の刺身で店を出、もうひとつ用を済ませる。こちらが済んだのが十二時近く。その用事で会った知人と、少し飲もうかということになり、でも外は真っ暗、スナックとチェーン店しかない。こちらの知人はべつの町に住んでいて、この町にくわしくない。私はさっきの店しか思い当たらない。しかもさっきの店は、「午前四時まで営業」と書いてあった。そんなわけで、もう一度、その店に向かう。「またきちゃいました」と挨拶して席に着く。旅先なら、こういうことも恥ずかしくない。さっきはだれもいなかったけれど、カウンター席に先客がひとりいる。

 二時間弱飲み、最後に、焼きそばを頼む。そんなにおなかかが空いているわけでもないのに、地方だと、私は食欲貧乏性になり、「とにかく食べておかねば」という気持ちになる。

 焼きそばは、まっすぐな麺に、ちょっと甘めのソース味で、目玉焼きが上に乗っかっていて、酒の締めにはちょうどいい味の濃さ。こういう味はここでしか食べられないなあと思いつつ完食し、ますます暗くなった眠る町をホテルに向かった。旅の幸せを感じるのは、こういうときである。

前の記事 次の記事

著者プロフィール

角田光代 かくたみつよ

1967年神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。
90年「幸福な遊戯」で「海燕」新人文学賞を受賞しデビュー。96年『まどろむ夏のUFO』で野間文芸新人賞、98年『ぼくはきみのおにいさん』で坪田譲治文学賞などいくつもの賞を受賞。03年『空中庭園』で婦人公論文芸賞、04年『対岸の彼女』で直木賞受賞など。