数年前までは到底考えられなかったが、しょっちゅうひとりで飲みにいくようになった。一度いってしまえば、そのほうが楽なときもある、と気づく。もちろん、友だちと飲むのは大好きだ。けれど年齢を重ねるにつれて、「今日飲まない?」と誘って、出てきてくれる人は少なくなる。みんな、ずーっと先まで予定が入っているのだ。四、五人で飲む日を合わせようとして、一カ月先になる、なんてざらにある。
今日思いついて今日飲みにいくのに、ひとりは楽ちんだ。しかも、失敗をおそれずして、飲食店の新規開拓ができる。はじめて入った店で、おいしくないとがっかりするが、連れていっただれかをがっかりさせるよりは、ひとりでがっかりしたほうがいい。
私の住む町には飲に重きを置いた飲食店がたいへんに多い。ひとりで入りやすい店が多いのも、ありがたい。
私にとってひとりでも入りやすい店というのは、まず、一皿の量が少ないこと。それからお店がそんなに広くないこと。狭すぎもしないこと。常連客ばかりではないこと。
そういう店にひとりで入って、カウンターに案内され、飲み、食べていると、ほかにもひとりでくるお客さんが多いことに気づく。どこの町でもそうなのか、それとも、この町の特色か、あるいは店の特色か、わりあいとして女性客のほうが若干多い。
男性のひとり客は、たいがい、カウンターの内側にいるお店の人と会話する。これはなかなかに興味深いことだと思う。つまりひとりで飲みにくる男性は、みな、はじめての客ではないのである。つまり常連客。彼らは、そこで出される飲食の好き嫌いより、店主やスタッフの好き嫌いを優先しているようにすら見える。飲みながら食べにきている、というよりは、飲みながら話しにきている、といったほうが近い。男性の多くは、常連客として扱われるのがいやではない、というよりむしろ、扱われたい、のではないか。はじめていく店、新規オープンした店、突拍子ない感じの店を好む男性は、わりあい少ない。「はじめて」って、男性には面倒なんじゃないかと想像する。
女性でも、お店の人と仲のよい常連客はいる。でも、そうではないひとり客は、男性に比べて多いと思う。お店の人とコミュニケーションをとることを避けるかのように、本やiPadや携帯電話と向き合い、彼女たちはひとりたんたんと食べて飲んでいる。私がたまにいく近所の(料理も出す)バーでは、十時過ぎになると、仕事帰りらしき女性がふらりとやってくることが多い。カウンターに案内されて、前菜とメインとなる料理、ビールを頼み、メイン料理が運ばれてくるころワインに切り替えて、さくさくさくっと食べて飲んで、す、と帰っていく。はじめての店も躊躇しないばかりか、どちらかといえば、積極的にいきたがるのも、女性だろう。
私もどちらかというと常連客と見なされるのが苦手である。極度の人見知りな上、気さくな会話というものができない。あるとき知らない町で、待ち合わせまで三十分ほど余裕があったので、時間をつぶすために洒落た立ち飲み屋に入った。まだ早い時間だったので客は私ひとり。ひとり飲みのつねとして、本を出して読みはじめたのだが、カウンターの内側にいた若いおにいさんが、気を遣ってくれているのか、「お仕事帰りですか」からはじまって、ずっと話しかけてくる。急に寒くなったこと、(この日衆院解散のニュースがあったので)選挙の話、(表面的な)政治の話、などをにこやかに話してくれるのだが、ああ、それが私のいちばん苦手なジャンル。天気のこと、冗談でかわす政治関係の話。私は必死に相づちを打っていたけれど、だんだん申し訳なくなってきて、急いで一杯飲んで店を出た。
ついこのあいだも、あたらしくできたバー系飲み屋に、ひとりで出かけてみた。飲みものは日本酒と、国産ワインを扱う店で、料理も和と洋がある。すばらしくおいしいわけでもないが、まずくもない、かといって「そこそこ」ではない、ちょうどいい料理で、ワインはとても豊富でおいしい。お店の人はちょうどいい距離感で接してくれて、ああ、楽ちんだなあ、と思いつつ本を読み読み、飲んだ。
一時間ほどしたあと、どこかで食事をしてきた男女五人組がやってきて、私のすぐうしろに座り、ワインを飲みつつ、どこそこの店がおいしいといった話をしていたが、すでに下地ができあがっているからか、すぐに男女間の話になった。聞くまいとしても、大声なので聞こえてしまう。三十代とおぼしき彼らは既婚未婚者双方がいるらしく、夫婦ものはどんなことで喧嘩をするかとか、相手のどんなところがかんに障るのかとか、じつに興味深い話を展開している。なるほど、と思わず膝を打つような発言が、男の人から飛び出したりもして、振り向いて「なるほど!」と、言ってしまいそうであった。
そんなことも、ひとり飲みのたのしいところかもしれない。 |