アスペクト

肉記


019 観光蟹コース

 蟹を、蟹だけを、思う存分食べよう、と思うと、まず思い浮かぶのはフランチャイズの某蟹専門店である。看板が蟹。

 蟹の名店はほかにもあれど、でも、気軽に、ふらりと、ヨッシャ蟹、という具合にいくのなら、その店はとてもいい。蟹好きの友人と、新宿で所用を終えたあと、「ヨッシャ蟹」気分になり、その蟹専門店にいった。

 六、七年ぶりくらいだ。そう考えると、私は「ヨッシャ蟹」度が低い。「ヨッシャ」のあとには鉄板焼き、天麩羅、ふぐ、などが続き、なかなか「蟹」と出てこない。

 蟹は嫌いではない、むしろ好き。でも、ちょっと面倒、という思いがある。身をほじるのがまず面倒。ほじりが甘いのではないか、と不安になるのもまた面倒。「蟹を食べると沈黙」とだれかがかならず言うのもかすかに面倒。それで、避けてしまうのである。最近は、蟹を食べたいというときは、北海道から取り寄せて、家で鍋やしゃぶしゃぶにしていた。家なら、どんなふうに食べたって、散らかしたって、なんとなく気が楽。

 この某専門店、記憶の通りに、店内が広い。この店にはじめてきたとき(二十年くらい前)は、店のなかを川が流れていたり、琴の生演奏があったりして、なんと豪華絢爛な店よのう、と思ったけれど、年々、ファミリーレストランのようだと思うようになった。これはもちろん、店の内装が変わったのではなくて、私が加齢し、店のありようにも蟹のコースにも慣れたのだ。

 慣れてみると、この店は細部が非常にお茶目だ。「ホジホジ」と焼き印の押された蟹専用スプーンだとか、蟹型の鍋とか、蟹の箸置きとか、木彫りの、鮭をくわえた熊の置物とか、キッチュというかキュートというか、この妙味に、若いときは気づかなかった。

 蟹しゃぶコースを頼んで、蟹酢と蟹刺身で友人はビール、私はサワーを飲みはじめる。おいしいね、蟹ってやっぱりおいしいね、と言い合いながら、食べる。身をほじるのが、昔より面倒ではない。若いときのほうがせっかちだったのかもしれない。

 ふと気づくと、周囲から聞こえてくる言語が外国語ばかり。中国語、韓国語、英語。えっと思って店内を見まわす。そこそこ混んでいる店の、男女四人グループが(たぶん)中国語、ちいさな子どものいる三人家族が英語、四人家族が韓国語、小学生くらいの息子と母親の二人連れは英語。すごい。気づけば、日本語の客より多いではないか。しかも、従業員に外国語専門スタッフがいて、彼女がおもに英語で懇切ていねいにメニュウ内容や、食べ方について、説明している。

 六、七年前まで、幾度かきていたが、こんなふうに外国語が氾濫していたのははじめてだ。もしかしてここ近年、東京旅行のガイドブックに載ったのかもしれない。蟹を出す店は全世界にあれど、こんなふうに、やれ蒸したもの、生のもの、焼いたもの、果てはグラタン、焼売、フライに天麩羅、鍋でしゃぶる、煮る、七輪で焼く、鮨にする、釜飯にする、ここまで蟹を食らおうとするのは、日本においてしか、見たことがない。上海の、上海蟹専門店がずらり並んだ不夜城のようなところに、かつていったことがあるけれど、そこだって、メインが上海蟹、そのほかはふつうの中華料理が出た。

 こんなに蟹、蟹、蟹づくしなんて、たしかにめずらしい。私も、ごくふつうに蟹の好きな外国人旅行者だったら、ガイドブック片手にいってみるだろう。

 友だちと蟹しゃぶを食べ、なんだかいくらでも食べられるねと笑っていたら、途中でがくんと満腹になった。蟹の脚がまだ数本残っているというのに! 雑炊だってまだなのに!

「いきなりきたね」「いきなりだったね……」と言いつつ、でももったいないから、蟹脚をしゃぶる。

 私はちらちらと、斜め向かいにいる母子二人連れを見ていた。まだ若いおかあさんと小学生くらいの男の子。この二人、店員さんと英語でしゃべっていたところを見ると、香港からやってきたのかなと推測する。男の子は、ぬいぐるみ二体をだいじそうにわきに置いている。おかあさんは料理が運ばれてくるたび、息子にポーズをとらせて写真を撮っている。男の子が、またそれにいい表情で応えている。二人きりの旅なのか、おとうさんはホテルで寝ているのか、わからないけれど、とにかく、旅感がにじみ出ていて、こちらまで旅の幸福にあやかれるような母子なのだ。

 この二人の元に運ばれてくる料理が、しかし半端ではない。蟹酢、蟹刺身、蟹焼き、蟹焼売、それが終わると蟹鍋。もう終わりだろうと思っていると、なんと寿司桶まで出てきた。私たちは蟹しゃぶ途中でギブアップなのに……。

 蟹の出汁のきいた雑炊をなんとか腹におさめ、デザートは断って席を立った。

 テナントの入ったビルを出ると、いつもの新宿の夜である。けれどなんだかちいさな旅をしてきたような不思議な感覚が、蟹の味とともに体じゅうに残っていた。

020 旅のあとごはん

 二十代から三十代の、旅から帰った食事は居酒屋と決まっていた。ふだんはめったにいかないけれど、チェーン店の居酒屋がベスト。

 なんといっても、チェーンの居酒屋は、ほとんどすべての料理が網羅されている。刺身、焼き鳥、ステーキ、焼き魚、日本食ばかりか、餃子や焼きそばもあるし、キムチやチヂミもある、ピザもグラタンも、コロッケもフライドポテトもある。

 ふだんは、そういう「なんでも感」がいやで、〆の炊き込みごはんがおいしい店とか、串焼き系がおいしい店というふうに、何かしら特徴のある個人経営的居酒屋にいくが、旅のあとは違った。

 今でこそ、そんな旅は無理になってしまったけれど、当時の旅はだいたい一カ月前後。旅先で、日本食および中華料理は食べないと決めているので、一カ月ぶりの常食なのである。そりゃあもう、あれやこれやが食べたい。食べ散らかしたい。刺身を食べてクリームコロッケ食べて、焼きそば食べて焼きおにぎり食べて、味噌汁飲んでたこ焼き食べたい。それがぜんぶ可能なのが、チェーンの居酒屋なのだ。

 食べ慣れたものと離れた旅先で、自分がいったい何をもっとも欲するかわからない、ということもある。素麺やおにぎりというときもあれば、くるおしくキムチを欲することもある。帰ったら絶対にラーメン食べよう、とその考えに取り憑かれてしまうこともある。チェーンの居酒屋には、そのどれもがある。

 最近は、一カ月も時間を空けることが不可能になってしまった。趣味の旅もなかなかできない。仕事がらみの、一週間から十日ほどの旅ばかりだ。そのくらいの期間だと、さほど飢えない。また、「あれもこれも」といった必死感もやわらぐ。そうして、味の多様さより、味そのものを欲するようになる。

 このごろは、帰国日にお鮨屋さんを予約するようになった。醤油味やわさび、なま魚の甘みには当然、「ああ、ただいまぁーっ」と言いたくなる感動があるのだが、意外にものに舌が反応することに気づいた。

 たとえば、刺身の昆布締めの、その昆布味が、ちょっとびっくりするほどおいしい。ふだんだったら、昆布味など風味としてしかとらえていないのに、「うわー、この昆布の深い味よ、なんとおいしいのだろうか」と思い知るのである。べったら漬けの奥ゆかしい甘みにはじめて胸打たれたり、塩で食べる刺身の、塩だからこそ引き出されるうまみに気づいたりするのである。

 そんなことが、化学反応のようでおもしろい。おにぎりに飢えていて、おにぎりを食べて、ああおいしい、というのではなくて、自分でも何に飢えているかわからず、舌の反応によって、「なんと、私が欲していたのは旨味系アミノ酸だったのか」と、意外な気持ちで知る。

 少し前のことになるが、短い期間東南アジアの地方の町を旅して、帰国してすぐ、某チェーンの焼き肉屋さんにいった。このときは鮨でも和食でもなく、なんだかたれに浸けた肉に飢えていたのだ。

 そこで食事をはじめたところ、数分後に舌がびりびりとしびれはじめた。不快に感じるほどはっきりしたびりびり感である。その店では以前からたまに食事をしていたし、そんなふうになることがなかったので、どうしたのかと驚いた。地方の町を旅していた数日で、私の舌は、びりびりの原因になる何かにたいして、リセット状態になっていたのだろう。そのびりびりの原因はよくわからないのだけれど、その店にはその後いかなくなってしまった。なんだかこわくて。

 旅後の食事も、なんだかちゃんと加齢し、以前よりは食にたいして考えるようにもなり、バックパックの貧乏旅からいよいよ卒業しているなあと、このところ思うのである。

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著者プロフィール

角田光代 かくたみつよ

1967年神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。
90年「幸福な遊戯」で「海燕」新人文学賞を受賞しデビュー。96年『まどろむ夏のUFO』で野間文芸新人賞、98年『ぼくはきみのおにいさん』で坪田譲治文学賞などいくつもの賞を受賞。03年『空中庭園』で婦人公論文芸賞、04年『対岸の彼女』で直木賞受賞など。