この数年、何人もの人から、ある飲食店の話を聞いていた。その店は名古屋にある。台湾料理屋である。この「何人も」は、同じグループに属している人たちではない。つまり、ある特定の友人たちのあいだの人気店、ということではないのだ。音楽系の人、漫画系の人、アート系の人、文系の人、共通点があるとするなら出張仕事のある人たち。さまざまな職種の人たちから、べつべつに、この店の話を聞いていた。
多くの人は、私の異様な激辛好きを知っていて、この店の台湾ラーメンが辛くておいしい、と教えてくれた。そのほかの人たちは、教えるというより、「名古屋で仕事があったからあの店でごはん食べてきた」というような話をしている。
名古屋在住の友人のツイッターを見ていても、この店はよく登場する。フム、関東の人間の出張御用達店というわけではないのだな。
何がおいしいの、とその各界の人たちに訊くと、答えがじつにさまざまである。まず私におすすめの台湾ラーメン。小袋、という人もいる。青菜炒め、という地味なメニュウを挙げる人もいる。豚足、という答えも。「なんでもおいしいんだよ!」と答えた人がいたが、そういうことなのだろう。
しかし名古屋。あまりいく機会がない。仕事があっても、東京駅から一時間半ほどだから、日帰りしてしまう。その仕事も、大阪や京都にくらべたら、たいへん少ない。
あこがれを募らせたまま、月日がながれるに任せるしかなかった。「その店にごはんを食べにいく」というだけで遠方にいくような精神的時間的余裕が私にはなく、また、とてもおいしい店とはいえ、超のつく名店というよりは、みんなに愛される庶民的な店である。飲食代の十倍くらいの交通費を使う、なんて、(私があまり好きではない系統の)酔狂である。
そうしてあるとき、天啓のように気づいたのである。用事がなければ作ればいいのだ!
作ろうと思えば用事は作ることができる。ここぞ、という好機をとらえて用事を作り、しかも名古屋在住の友人と会う段取りまですませ、私は一路名古屋へと向かったのである。
想像していた店と、まるっきり違った。一階、二階とあり、ものすごく広いスペースに、円卓がずらり並んでいて、超満員。いちばん想像と違ったのは、照明。戸惑うくらい明るい。窓が開け放たれていて、風が通る。ほとんどすべての店員が、(おそらく)台湾の人で、とても混雑しているのにてきぱきと働いている。「レモンサワーください」「腸詰め、ひとつ?」「いえあの、レモンサワー……」「小袋?」といったような、意外な間違えも妙味がある。
小袋、海老団子、青菜炒めと友人に勧められるまま、食べる。おいしい! 唐辛子と醤油と酢に漬けた小袋は、くさみもなくて食感がよく、辛さが絶妙。そして青菜炒めがすばらしい。青菜炒めって、青菜を炒めるという、技のさほど感じられない料理で、量ばっかり多くて、たいがいの中華料理店で私は軽んじていて、「箸休め」くらいにしか思っていなかったのだが、ここの青菜炒めは量も適量、にんにくがきいていて、本当においしい。馬鹿にしていてごめんなさい。
大人数で入ったので、じゃんじゃん頼む。餃子、麻婆豆腐、ジャガイモ炒め、腸詰め、ああ、本当になんでもおいしい。みっちり詰まった感のある腸詰めにはとくに感動した。
そうして〆に、とても辛いという台湾ラーメンを、辛さ倍増で注文した。
運ばれてきた麺は、表面が唐辛子で真っ赤。丼が小ぶりなのがありがたい。辛さを強めると、どうしても苦くなってしまうことが多いのだけれど、この店のスープはちゃんと、辛さの奥に深みがあって、おいしい。まっすぐな麺もおいしい。
本当になんでもおいしかった、おなかいっぱい、と思っているところに、だれかが追加注文した。そうして運ばれてきた丼の中身を見て、私は恐怖を覚える。ごはんに、とろみのついたそぼろあんがかかり、その上に生卵がのっている。生卵を崩して、ぐわーと混ぜる。これが、まずいはずがなかろう、こんなにおなかいっぱいなのに、食べてしまうだろう、というが故の恐怖である。
……その通りだった。
翌日、早朝の新幹線で東京に戻りながら、私はあの、最後に食べた「ぐわー飯」を何度も何度も思い出し、今度はいったいどんな用事を作ろうかと薄ぼんやりと考えていた。
今も、考えている。 |