アスペクト

肉記


021 未だ、叶わぬ夢

 若き日から、私には四大難関があった。ひとりでいきたいのに、それがむずかしい店、という意味での難関である。居酒屋、回転寿司、ラーメン屋、焼き肉屋、がその四つ。

 三十代から四十代になるにつれて、私はひとつひとつ、克服していった。克服すれば、何をあれほど躊躇していたのかと思うほど、かんたんなことである。今では、ひとり回転寿司もひとりラーメンも、ひとり居酒屋も、私にとってはなんでもないことである。

 が、焼き肉屋だけは無理だった。焼き肉屋はさまざまな問題をはらんでいる。ロースターあるいは七輪で、ひとり焼いているあいだの間の悪さをなんとするか。そしてハーフ皿というものは存在しないわけだから、ひとりだと、量が多すぎて二、三種類くらいしか肉が食べられない、という問題もある。タン、ハラミ、で終わってしまったらかなしい。それに焼き肉って、「おいしいね」「おいしいね」とだれかと言い合いながら食べるものだという、思いこみが私にはある。

 もしかして、ひとり焼き肉は、一生無理かもしれない。それで、いいのかもしれない。

 そんなふうに思っていたのであるが、あるとき、猛然と焼き肉が食べたくなった。来週とか、一カ月後とか、だれかと約束して食べるのではなくて、今、まさに今、食べたい、という気分。だれか誘おうか、と思ったけれど、今の今連絡をして、予定のない人はまずいないだろうし、それになんとなく、待ち合わせをするのも面倒である。

 だけどひとりで焼き肉屋ってのは、ちょっとなあ。迷いが出る。もっと入りやすい居酒屋やビストロ系飲み屋で、焼き肉っぽいものを食べようかな……。いや、でも、「焼き肉っぽいもの」ではなく、「焼き肉」が食べたいのだ私は!

 よし、ひとりだけど、いってしまおう。私は決意した。

 近所に、超のつく人気店の焼鳥屋さんがあって、そこは開店の五時から、夜十時だろうと十一時だろうと満席で、まず入れないのだが、この焼鳥屋さんが、べつの場所であらたに焼き肉屋さんをはじめた。一度友人に連れていってもらったのだが、安くてたいへんおいしい。カウンター席があり、おすすめ肉の盛り合わせがあり、たしかそんなに多い量ではなかった。それに、相談したら量の調整をしてくれるかもしれない。

 おお、いよいよはじめてのひとり焼き肉!

 緊張と高揚で心臓を高鳴らせながら、店に向かう。ひとりなんですけど、ひとりなんですけど、と口のなかで練習しつつ、ドアを開け、「あの、ひとりなんですけど」と練習通り告げると、店員のおにいさんは申し訳なさそうな顔で、「ああ、ごめんなさい、今満席なんですよ!」

 長きにわたる逡巡と決意、一瞬で崩れ去る。

 このとき入れなかったがために、焼き肉欲はいや増しに増し、その後もひとりでこの店にいってみた。が、なんと、毎回かならず満席。

 そうだった。この町の掟を忘れていた。この町でオープンした飲食店は、おいしくて、感じがよくて、値段が適正ならば、あっという間に予約必須の人気店になってしまうのである。この焼き肉屋さんは、もうすでに町の人たちに愛されてしまったのである。予約必須。

 ほかの店で焼き肉を食べるのも、なんだかもったいなくなってきて、私はしばらく焼き肉おあずけ状態だった。あるとき、家の人から「焼き肉食べよう」と提案があり、私はすぐさまこの店に電話をかけて、席が空いているか訊いた。なんと! たまたま空いていた。

 ああ、ようやくありつけた焼き肉である。でも、ひとり焼き肉はまた遠のいてしまった……。

022 用事は作るものである

 この数年、何人もの人から、ある飲食店の話を聞いていた。その店は名古屋にある。台湾料理屋である。この「何人も」は、同じグループに属している人たちではない。つまり、ある特定の友人たちのあいだの人気店、ということではないのだ。音楽系の人、漫画系の人、アート系の人、文系の人、共通点があるとするなら出張仕事のある人たち。さまざまな職種の人たちから、べつべつに、この店の話を聞いていた。

 多くの人は、私の異様な激辛好きを知っていて、この店の台湾ラーメンが辛くておいしい、と教えてくれた。そのほかの人たちは、教えるというより、「名古屋で仕事があったからあの店でごはん食べてきた」というような話をしている。

 名古屋在住の友人のツイッターを見ていても、この店はよく登場する。フム、関東の人間の出張御用達店というわけではないのだな。

 何がおいしいの、とその各界の人たちに訊くと、答えがじつにさまざまである。まず私におすすめの台湾ラーメン。小袋、という人もいる。青菜炒め、という地味なメニュウを挙げる人もいる。豚足、という答えも。「なんでもおいしいんだよ!」と答えた人がいたが、そういうことなのだろう。

 しかし名古屋。あまりいく機会がない。仕事があっても、東京駅から一時間半ほどだから、日帰りしてしまう。その仕事も、大阪や京都にくらべたら、たいへん少ない。

 あこがれを募らせたまま、月日がながれるに任せるしかなかった。「その店にごはんを食べにいく」というだけで遠方にいくような精神的時間的余裕が私にはなく、また、とてもおいしい店とはいえ、超のつく名店というよりは、みんなに愛される庶民的な店である。飲食代の十倍くらいの交通費を使う、なんて、(私があまり好きではない系統の)酔狂である。

 そうしてあるとき、天啓のように気づいたのである。用事がなければ作ればいいのだ!

 作ろうと思えば用事は作ることができる。ここぞ、という好機をとらえて用事を作り、しかも名古屋在住の友人と会う段取りまですませ、私は一路名古屋へと向かったのである。

 想像していた店と、まるっきり違った。一階、二階とあり、ものすごく広いスペースに、円卓がずらり並んでいて、超満員。いちばん想像と違ったのは、照明。戸惑うくらい明るい。窓が開け放たれていて、風が通る。ほとんどすべての店員が、(おそらく)台湾の人で、とても混雑しているのにてきぱきと働いている。「レモンサワーください」「腸詰め、ひとつ?」「いえあの、レモンサワー……」「小袋?」といったような、意外な間違えも妙味がある。

 小袋、海老団子、青菜炒めと友人に勧められるまま、食べる。おいしい! 唐辛子と醤油と酢に漬けた小袋は、くさみもなくて食感がよく、辛さが絶妙。そして青菜炒めがすばらしい。青菜炒めって、青菜を炒めるという、技のさほど感じられない料理で、量ばっかり多くて、たいがいの中華料理店で私は軽んじていて、「箸休め」くらいにしか思っていなかったのだが、ここの青菜炒めは量も適量、にんにくがきいていて、本当においしい。馬鹿にしていてごめんなさい。

 大人数で入ったので、じゃんじゃん頼む。餃子、麻婆豆腐、ジャガイモ炒め、腸詰め、ああ、本当になんでもおいしい。みっちり詰まった感のある腸詰めにはとくに感動した。
そうして〆に、とても辛いという台湾ラーメンを、辛さ倍増で注文した。

 運ばれてきた麺は、表面が唐辛子で真っ赤。丼が小ぶりなのがありがたい。辛さを強めると、どうしても苦くなってしまうことが多いのだけれど、この店のスープはちゃんと、辛さの奥に深みがあって、おいしい。まっすぐな麺もおいしい。

 本当になんでもおいしかった、おなかいっぱい、と思っているところに、だれかが追加注文した。そうして運ばれてきた丼の中身を見て、私は恐怖を覚える。ごはんに、とろみのついたそぼろあんがかかり、その上に生卵がのっている。生卵を崩して、ぐわーと混ぜる。これが、まずいはずがなかろう、こんなにおなかいっぱいなのに、食べてしまうだろう、というが故の恐怖である。

 ……その通りだった。

 翌日、早朝の新幹線で東京に戻りながら、私はあの、最後に食べた「ぐわー飯」を何度も何度も思い出し、今度はいったいどんな用事を作ろうかと薄ぼんやりと考えていた。

 今も、考えている。

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著者プロフィール

角田光代 かくたみつよ

1967年神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。
90年「幸福な遊戯」で「海燕」新人文学賞を受賞しデビュー。96年『まどろむ夏のUFO』で野間文芸新人賞、98年『ぼくはきみのおにいさん』で坪田譲治文学賞などいくつもの賞を受賞。03年『空中庭園』で婦人公論文芸賞、04年『対岸の彼女』で直木賞受賞など。