アスペクト

肉記


023 その会話にまざりたい

 「レストランや飲み屋や電車のなかで、他人の会話をよく聞いてますよね?」

 と、よく言われるのだが、そんなふうに盗み聞こうとしているわけではない。電車のなかは騒々しいから、よほど大声の特殊な会話でないと耳に入ってこない。レストランや居酒屋は、ひとりでいることが多いので、勝手に入ってきてしまうことが多い。

 当然ながら、にぎやかな店の会話などはまったく聞こえてこないが、そのような店にはひとりで飲みにはいかない。私がひとりでいくのは、こぢんまりした店のランチ、こぢんまりした飲み屋、である。どちらも、うるさくない店を選んでいる。音楽が大きくかかっている店や、客層が若くてにぎやかなところは、ひとりではなく友だちといく。

 そんなわけなので、ほかのお客さんの会話というのは聞こうと思わなくても、聞こえてきてしまうのである。

 先日も、近所の飲み屋に夕食がてらひとりで出かけた。最近できた、日本酒とワインの店である。ワインは日本産のワインしか置いていない。おつまみも、和食系(煮物や切り干し大根)と洋食系(豚肉のパテや魚のコンフィ)、両方ある。ちいさい細長い店で、カウンターが長く続き、奥にテーブル席が二つか三つくらい。

 椎茸とパンチェッタの炒めものとポテトサラダ、グラスのワインを頼み、読みさしの本を開く。何人か、お客さんが入ってくるけれどみなひとり客。カウンターにそれぞれ座り、携帯電話をいじったり、お店の人と親しく話したりしている。国産のワインはあんまり飲んだことがないけれど、しっかりした重めのもの、とお願いして出てきたものは深くてとてもおいしい。料理も奇をてらっていなくて、ていねいすぎてもおらず、ちょっと男子的な調理で、気楽においしい。

 三杯目のワインを飲みはじめるくらいのタイミングで、五人連れのグループが入ってきた。奥のテーブル席をくっつければ入れると、お店の人が案内する。テーブル席をあわせ、彼らはコの字型に座る。狭い店なので、奥のカウンターで飲んでいた私は、コの字の開いた部分に座る格好になって、入り口から見れば六人客のようなありさま。なんだか申し訳ないが(五人組に)、わざわざ立って移動するのも、嫌みっぽいような気がして、そのまま飲み続けることにした。

 とはいえこの五人組、すでにどこかで食事をし、飲んできたらしく、私などにまったくかまわず、「白ワインはすでにしこたま飲んできたので赤でお願いします−」とお店の人に上機嫌でたのんでいる。

 男性ひとり、女性四人。男性はスーツ、女性はさまざまな服装。みなさん三十代半ばくらい。だれがいちばん飲めるとか、飲んだときの失敗談とか、なごやかに話しているが、すでに飲んでいて声が大きいので、コの字の蓋になっている私には筒抜け。

 そのうち「夫婦はどんなことで喧嘩をするか」という話題になった。未婚の女性が、既婚者たちに質問したのである。

 ああ、なんといい質問だ! 私もその答えを聞きたいぞ。四杯目を飲みながら、私は心のなかでわくわくした。

 みな、さまざまであった。若いときは警察沙汰になるほどの喧嘩をしたけれど今はもうしない、とか。友だちの前で夫をからかうつもりでけなして、あとでとんでもない喧嘩になった、とか。

 すると黒一色の男性が、「男の怒りは状況だけど、女の怒りは時間」と言い出した。え、何ソレ何ソレ、と身を乗り出す彼女たちとともに、私も胸の内で「何ソレ」をくり返す。彼曰く、男の人は、ある状況「だけ」に対して怒る。彼女がみんなの前で自分を馬鹿にしたとか、約束を破ったとかいう、ひとつの状況に対して、である。でも、女性の怒りは、怒りという軸でずーっと過去からつながっている。だから、「ぼくの奧さんは、ぼくが水道の蛇口をぴったりしめないということで怒り出して、そのことで言い合っているうち、怒りの時間軸が過去に舞い戻って、転職したことを蒸し返して怒る」らしい。

 フムフム、たしかになあ。そのときは「怒った」という実感がなくても、なんとなく心にこびりついていて、ほかのことを怒っているうち、「やっぱりあれ、気に入らない!」と、前のことに舞い戻り、「あれもあれも気に入らない!」と怒りの火は燃えさかり、「つまり、Aという悪い癖があるからBもCもDもへいきでやってしまうわけよ」と分析して、ぜんぶ怒る、ということは、私を含む女性には多いかもしれないなあ……、そういう怒りかたをする男性はいるかもしれないけれど、少ないよね……と、ついつい、コの字の蓋の位置から口を出さないように、注意しなくてはならなかった。

 それにしても三十代の人の会話って、何気なく深くておもしろいなと思いつつ、ひとりお会計をして、帰った。

024 個人的な理由

 ある日とつぜん、今まであった店舗が閉鎖され、工事がはじまる。何になるのかな、とかならず私は興味を覚える。工事中のその建物の前を歩くたび、様子をさぐる。いちばんがっかりするのは携帯電話の店で(あまり用がないから)、その次がクリーニング店(すでにありすぎるから)。いちばんうれしいのは、やっぱり飲食店である。

 カウンターらしきものができてくると、ほぼ間違いなく飲食店だ。やったー、もし開店したらぜひこよう、と早々と思う。

 あたらしくできた飲食店にいくのが、私はたいへん好きである。もちろん、いきたくならない新規オープン店もある。そういうのは、店の「貌」とでもいうようなもので決まる。この貌はすごくいい! この貌はちょっと……という、飲み好きの勘である。そのような店の貌は、そのまま、味やサービスや居心地を含めた、その店のありようをあらわしている。

 しかしながら、この勘がかならずあたるかといえば、そうでもない。私はわりあいあたるほうだという自負があるが、意外なところに「合わない」面があったりする。

 このあいだできたばかりの、バル系居酒屋がそうだった。

 ガラスばりの店で、カウンターやインテリアは落ち着いた焦げ茶で統一され、よけいなものがなくすっきりとシックで、白熱灯の照明が灯り、その明かりの下でお客さんたちがたのしげである。あ、ここ、いいなと思った。数日後、ひとりで飲みにいってみた。

 早い時間にいったので、私が最初の客だった。カウンターに座り、黒板に書かれたメニュウを見る。何か、落ち着かない。ひとりだからか? と考え、店を見まわし、落ち着かない理由に気づく。さほど広くない店内の客席は、L字型のカウンターと、テーブル二席。このカウンターと座席を取り囲むように、ぐるり壁が全面ガラス張り。つまり、どこに座っても往来から丸見え。往来は、人通りも車も多い。そしてL字型の内側が厨房なのだが、どういう具合でか、カウンターと厨房の距離がやけに近く感じる。厨房で働いているのは若いおにいさん二人。なんとはなしに恥ずかしい。

 注文をする段になって、あの、一皿の量は多いですかと例によって、訊いた。するとやけに近い厨房からぬっと顔を出したおにいさんが、にっこり笑って「そんなに多くないですよ、だいじょうぶです」と言い、またしてもなんだか恥ずかしい。

 ワインを頼んで飲んでいると、お通しが出てきた。皿に六種類くらいの料理がのっている。鴨肉とか、筍とか、菜の花のおひたしとか、ほんの一口ずつだけれど、いつも量と格闘している私には、つらい。これ要らないから、そんなに多くない一皿をもう一品頼みたい。

 お通しですでに腹が三分の一ほど満ちてしまった小食の私は、ポテトサラダと、羊のソーセージを頼むにとどめた。魅惑的なメニュウが黒板にずらりと書かれているので、これをクリアできたら、ほかのものをたのもうと思い、ワインを飲み続ける。

 そうして出てきた一皿は、すごく多くはないが、少なくもない。ごくふつうに、まっとうにおいしい。でも、ワインを二杯飲んでも三杯飲んでも、落ち着かず、恥ずかしい。思うに、Lではなく一だけがガラスだったら、こんなに落ち着かないということはないのではないか。通りに面した部分だけガラス張り、または大きな窓という店はけっこう多いし。あるいは、私がすでにもう少し酔っぱらっていたら。

 そうして、カウンター席に新しいお客さんが数人入ってきたのだが、この人たちと、お店の人が言葉を交わすたび、厨房が近いので、自分に話しかけられている錯覚に陥り顔を上げてしまい、ますます恥ずかしい気持ちになる。

 ポテトサラダもソーセージもおいしかった。若いおにいさんたちも親切で感じがいい。いい貌の店だ、という勘は、外れてはいない。けれどひとりで飲むには向かないかもなあ。恥ずかしがり屋にはもっと向かない。そんなことを考えながらお勘定をして店を出た。料理二品と、ワイン三杯で約五千円、という値段も、もう少し落ち着いた気分で飲めていたら、払ってすぐに忘れていただろう。未だに覚えているのは、「思いの外高い」と思ったからであろう。

 飲食店、とくに、飲み屋さんはむずかしい。店側にとっても、だけれど、客にとっても、たいへんにむずかしいと、この日は実感したのである。

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著者プロフィール

角田光代 かくたみつよ

1967年神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。
90年「幸福な遊戯」で「海燕」新人文学賞を受賞しデビュー。96年『まどろむ夏のUFO』で野間文芸新人賞、98年『ぼくはきみのおにいさん』で坪田譲治文学賞などいくつもの賞を受賞。03年『空中庭園』で婦人公論文芸賞、04年『対岸の彼女』で直木賞受賞など。