隣町に串カツ屋ができた。立地が線路沿いなので、夕方以降に電車に乗ると店内が窓から見える。開店早々から、いつも混んでいる。なかなかの人気店のようだ。いってみようと思い立ち、私も早速、早い時間に出向いた。七時前なのに、店はすでにほぼ満席。
大阪に本店のあるチェーン店らしい。ソース二度づけ禁止と、メニュウにも書いてあるし店員さんも説明してくれる。串は一本百円から二百円と、たいへんに安い。しかも衣が薄くてさくさくで、おいしい。
東京で串揚げというと、コース料理になるほうが一般的だと思う。席について「おまかせ」を頼むと、自動的に串が出てきて、おなかいっぱいになったらストップをかける。その串も、豚とか蓮根とか椎茸といった、一種の素材のみではなくて、海老のすり身をキスで巻いたものとか、豚肉で紫蘇と梅をくるんだものとか、子持ち昆布を湯葉で巻いたものとか、なかなか凝ったものが多い。ものすごく高級料理ではないが、とりあえずコース料理なので、格安、というイメージもない。
ソース二度づけ禁止と謳うようないわゆる「串カツ屋」は、東京ではそんなに多くない。でも、こんなにおいしくて、こんなに安いんだから、そりゃあ流行るよなあ、と満席の店内を見まわして実感する。
以来、私はこの店に取り憑かれたようになって、ことあるごとに、串カツを食べにいける機会を狙い、先だって、またしてもこの店にいった。前回と同じくほぼ満席で、カウンター席に通された。カウンター席で飲み食いしていると、内側の様子がよくわかる。働いている人が全員、若い。若くて元気がよくて、学園祭の準備でもしているかのようにたのしそうである。
「たのしそうでいいねえ」と連れに言うと、「揚げ作業はハイになるのではなかろうか」とのこと。たしかに、もっともたのしげなのは揚げている若い男の子たちだ。
若くて元気のいい人たちがたのしそうに働いていると、こちらも妙に気持ちがいい。店内全体も、気分よくリラックスして、笑い声があちこちからあがっている。
と、奥のカウンターから、ちゃぶ台をひっくり返したようなものすごい音がした。満席の客全員が驚いてそちらを見ると、背広姿のひとり客が立っている。彼の前のカウンターでは、すべての食器がひっくり返って、料理が散らばっている。店内は一瞬にして静まりかえる。背広男は店員に、店長を呼ぶように命じている。店長(これまた若い)があらわれると、彼は立ったまま、極力声を荒らげないようにして、でも、何ごとかを言い連ねはじめた。何か気に入らないことがあって、クレームをつけているようである。
このクレームが、長い。店長が謝っているのに、ねちねちねちねちと続く。もともと気楽で庶民的でにぎやかな店で、そこだけ、異様な雰囲気になる。一度壊れた雰囲気はなかなかもとどおりにならず、笑い声もなりをひそめ、みんなちらちらと背広姿と店長のやりとりを見守りつつ、飲んでいる。
漏れ聞こえる会話によると、このひとり客は、店員を呼んでもなかなかこなかったとか、返事のしかたが悪かったとか、そのようなことで怒っているらしい。しかしながら、テレビまでついているこんなにぎやかな店で、客も従業員も声をはりあげながら注文して復唱して、てんてこまいで「ちょっとお待ちくださーい」とジョッキで両手をふさがれた店員が幾度も叫んでいる、下はむき出しのコンクリート、ガラス戸開け放し、という半屋台のような店で、そんなふうに怒るのはハタから見ていてどこか場違いで、痛々しくすらある。
お店側の対応や飲食物に何か問題があって、それを客が指摘するとき、それ相当のやりかたがある。客全員の注目を集めて怒りたいなら怒鳴り散らせばいいし、本気で問題を解決したいなら静かに話し、謝罪なのか弁償なのか求めるところを早くはっきり言ったほうがいい。どうでもいい店ならば、何も言わずに立ち去って、二度とこなければいいだけ。このひとり客は、そのどれとも違う。鬱憤晴らし、というのが近いように見えた。
この人、今日一日、いやな日だったのかな、などと想像してしまう。カウンターの内側で、たのしげに仕事をしているはじけるような若さの人たちが、しゃくに障ったのかな、などとも。
それにしても背広男の文句は長い。なかなか終わらない。店長はずっと謝りながら聞いている。するとカウンターにいた若い従業員の人が、店じゅうに響くような大声で、「みなさんお仕事お疲れさまでした、今日もご来店ありがとうございます!」と叫び、深々と頭を下げた。これで、壊れたままの店内の雰囲気がなんとなく戻り、みな背広男から視線を外し、それぞれの会話に没頭し、少しずつ、少しずつ笑い声が戻ってきた。
庶民的だとか、超高級、はたまた一見高級風、若者風、高級ではないが格式ある店、常連の多い店――その店々のありように即したクレームでないと、クレームをつけた側が奇異な目で見られてしまうよなと、このときつくづく知ったのである。 |