アスペクト

肉記


027 異国飲食店センサー

 ひとりで旅をしていると、原始的な勘が働くようになる。この道をいったら危ない、とか、このまま進むと迷子になる、とか、勘でわかる。

 飲食店も、おいしい店とそうでない店が、前を通っただけでなんとなくわかるようになる。地元の人で混んでいるか否か、ではない。食事時間というのはその国によってまちまちで、たいてい私の食事時間は異様に早いので、人気店であろうが空いている。もっと本能的にわかるようになるのである。

 が、この、飲食店センサーがまったく効かない町も、多々ある。もし私が異国から日本観光にきたとしたら、東京も、飲食店センサーの効かない町だと思う。店の数の多さもあるが、「そこそこの店」がありすぎる。すっごくおいしいわけではないが、まあ、そこそこおいしい、という料理の店。こういう店は、センサーの邪魔をする。まずいわけではないから、センサーが反応するが、でも、すっごくおいしいわけではない。だから東京のような町を旅するときには、きちんとした情報が必要になる。ガイドブックやインターネットや友人の口コミや。

 先だってパリにいった。パリは三度目だが、この町もセンサーの通用しない町である。東京と同じ理由。至るところにカフェもレストランもある。そのほとんどがすてきな店に見える。そして入ると、そこそこ。けっしてまずくない。でも、この町にはもっとちゃんとおいしいものがあるはず! という気持ちが拭えない。

 私はアナログ女なので、インターネットを駆使して、「もっとちゃんとおいしい」店を調べたりすることが、できない。ひとりだと、だから大半の食事をそこそこおいしいもので終わらせて、パリよ、きみの実力はこんなものではなかろう、と食にかんしては暗い目で帰ってきていたわけだが、今回は、ものすごくすばらしいコーディネーターさんが情報源となってくれた。パリ在住の彼女は、明るくてさばさばしていて仕事ができて、しかも、おいしいもの好きだった。

 彼女が連れていってくれたのは、中心地から少し離れたところにあるレストランで、その店のイケメンシェフは毎日のようにテレビの料理番組に出ているという。日本でいうと、川越さんという人だろうか、それとももこみちという人?……あ、この人は本業はシェフではないはず……などと、テレビを見ないながら極小の情報をかき集めつつ、わくわくと店に向かう。

 シックで高級そうな店内。お客さんの年齢層も四十代くらい。メニュウを広げると、コースメニュウが二つしかない。品数の少ないものと、多いもの(と、それしかわからない)。それぞれのコースに三十〜五十ユーロプラスすると、一皿ずつに合ったワインをソムリエがセレクトして出してくれるという。

 品数の少ないメニュウは、一皿の量が多い。品数の多いメニュウは、一皿の量が少ない。という説明を受け、(どっちもたくさん食べなさいということか)と思いつつ、みなで相談し、品数の多いほうを選んだ。

 アミューズではじまり、冷たい前菜、あたたかい前菜と続くのだが、たしかに量がさほど多くなく、しかも、ゆずとか出汁とかわさびとか、日本の味が効果的に使われている。コーディネーターさんによると、そうした和味というのはフランス料理界で、現在ずいぶん流行っているらしい。たしかに、前日レストランで食べた料理も、飾りつけ含め日本ぽかった。

 シックで高級そうな雰囲気に緊張していたのだが、店員さんたちがすばらしく親切。料理の説明をし、ワインの説明をし、料理の感想をたずね、そのあいまに、自分の話をしたり、私たちの出身地を訊いたりと、人と人の、体温ある接待をしてくれる。だから、三皿目のころには、ソムリエの人の出身地がどこか、配膳してくれる人が日本で訪れたのはどことどこでそれは何年のことか、私たちは知っているありさまである。フランス語ができたら、食事はこんなにたのしいのだなあと、第二外国語の仏語をまったく勉強しなかった自身をかなしく思い出しながら、実感した。

 そして全皿食べ終えるとデザートタイムなわけだが、コース料理を食べるたび、フランス人の甘いもの愛におののいてしまう。このすてきな店も、まずシャーベットとアイスクリームとケーキののった皿が出て、そのあとプチケーキの皿が出て、そのあとチョコレートの皿が出た。おみやげに、ひとりずつにリボンつきの箱が手渡されたのだが、ホテルに入って開けてみると、シフォンケーキが入っていた。おそるべし……。

 しかしパリはやはり、勘より情報の町であると実感したことである。残念だったのが、なんとこの旅、二日しかなかったこと。同じく二日かけて、東京に帰ってきました。

028 回転寿司再訪

 大学生になったばかりのころ、ぜったいにいきたい店というものがあった。牛丼屋、回転寿司屋、立ち食い蕎麦屋、である。今どきの高校生は、ごくふつうに利用する店だろうけれど、三十年ほど前は、その三店に若い女性のひとり客は、まずいなかった。

 当然のことながら、その三店はすぐに制覇した。みな男の子に連れていってもらった。制覇どころか、しょっちゅう利用するようにもなった。そのうち、デートにそういう店を選ばれると、ムッとするようになった。ぜひともいってみたいと願っていた若き日は、なんとほほえましかったのだろう。

 年齢を重ねると、だれかといっしょのとき、そういう店はまず入らなくなる。私はひとりで立ち食い蕎麦屋によく入るが、だれかといこうとは思わない。回転寿司屋と牛丼屋は、ひとりでもいかない。なんとなく、いこうと思わないのである。

 私の家の近所に一軒、回転寿司の店がある。人気店である。この町に引っ越してきた二十年前からすでに人気店で、ほかの系列の回転寿司よりおいしいと評判だった。私も友だちとじつによくいった。友だちが遊びにきているときは、持ち帰りを利用したりもした。とにかく世話になった。

 先だって、この店の前を通り、なんだかなつかしくなって、昼どきだったので、入ってみた。ちょっとどきどきする。

 私の隣には常連らしきおじいさんが、日本酒を飲み、刺身を食べている。刺身はまわっていないから、常連さんメニュウなのだろう。まわっている寿司ではなくて、注文して食べるべし、と、その昔私は友だちに教わった。その教えを思い出しつつ、こはだとまぐろを注文し、お茶を自分でいれてスタンバイする。寿司が出てくる。なつかしい。

 店内を眺めると、ひとり客ばかり。女性客は注文せず、まわっているものを選んで食べている。男性客は注文している人が多い。注文して食べよと教えてくれたのも男の子だったなあ。

 お年を召した男性が、三皿だけ食べて、ささっと帰る。私の隣の男性は新聞を読みながら、「うに一貫」というのを注文している。「うに」と「うに一貫」とどう違うのだろうとちらちらと見ていたら、「うに」はキュウリとうにの軍艦巻きが二貫だけれど、「うに一貫」は、キュウリ無しのうにだけで一貫、だった。なるほどねえ。私の隣の常連客は、日本酒おかわり、刺身を食べ終え、たことまぐろを握ってもらい、従業員と談笑している。

 ひとりでやってきて、三、四皿食べて、さらりと帰っていく人がけっこう多いのに驚いた。小腹が空いていたのか、それとも、小食なんだろうか。年配の夫婦が入ってきて、まず、しじみ汁を頼んでいるのもなんだか新鮮。隣の常連客は日本酒を飲み干し、刺身と二皿食べて、従業員たちに手を振って帰る。若い女の子が、やっぱりだれかに注文して食べろと教わったのか、「いくら」「えんがわ」と注文し、片手で携帯電話をいじりながら食べている。まわっている寿司だけ食べている高齢の女性は、えんえん、食べ続けている。残念ながら向かいの席なので、皿数が見えない。年齢不詳の男性、瓶ビールと三皿でお勘定。そんなすべて、じつに新鮮。若いころは食べるのと、友だちと話すのに夢中で、こんなふうに周囲なんか見なかった。

 コハダを食べながら、そういえば、もうすぐシンコの季節、お鮨屋さんにいかねばな、と思い、ここもお鮨屋ではあった、と気づいた。お鮨屋さんはまだひとりでは入れないが、回転寿司なら入れることにも続けて気づいた。

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著者プロフィール

角田光代 かくたみつよ

1967年神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。
90年「幸福な遊戯」で「海燕」新人文学賞を受賞しデビュー。96年『まどろむ夏のUFO』で野間文芸新人賞、98年『ぼくはきみのおにいさん』で坪田譲治文学賞などいくつもの賞を受賞。03年『空中庭園』で婦人公論文芸賞、04年『対岸の彼女』で直木賞受賞など。