食事に誘われた。相手方の予約してくれた店は、私のくわしくない都心方面にある。
「肉好き」があまりにも有名になってしまったらしく、私を食事に誘ってくれる人はみな、肉関係の店を予約してくれる。肉で有名な店、というと、数はしぼられてくる。豚料理のおいしい店といえばあそこ、牛や羊を豪快に炭火で焼いてくれるのはあそこ、イタリア料理だがメイン料理が肉しかないのはあそこ、種類豊富なジビエといえばあそこ、赤身の熟成肉を四百グラムとか八百グラムで提供する店はあそこ……といった具合に、都心部の肉関係の店は、多くの人の共通認識になっている。
飲食店にくわしい編集の方々は、だれかと食事をするとき、その人がいったことのない店をさがそうとする。知っている店ならつまらないだろう、という気遣い故だろう。だから、上記のような有名店は外されることが多いのだが、ときどき、かぶる。「中目黒のブッパという店を予約しました」と言ってくれる方に、「その店、大好きです」と言うと、「ああ、知ってましたか……さすが肉のカクタさん……」とがっかりされることが多い。私は大好きな店にいけてうれしいのだけれど。それにしても肉のカクタさん、って……。
しかし、都心部のすごいところは、なお、知らない肉の有名店があることだ。
先の都心方面の店も、牛肉がイチオシの店らしいけれど、私は知らなかった。地図を見てもどこだかさっぱりわからないので、タクシーに乗り住所をナビゲーションシステムに入れてもらった。
タクシーがたどり着いた場所に見覚えがある。たしかこのあたりに、やっぱりおいしい居酒屋さんがあって、きたことがある。その居酒屋さんにきたとき、すでに「あ、このあたりきたことがある」と思ったのだが、もっと思い返すとこのあたりにはおいしい鍋の店があった。こういうところも都心のすごいところ。さりげなく、評判の店がずらずらとかたまっている。
さて、その肉の店であるが、トリッパもあれば田舎風パテもあり、バーニャカウダもあればパスタもあり、でもやっぱりイチオシはステーキのようである。スパークリングワインで乾杯し、前菜系のつまみを食べる。料理もたいへんにおいしいし、お店の人も感じがいい。都心ってほんとうにすごいなあ。
スパークリングワインの次に、赤ワインを飲もうということになって、おすすめのワインを訊いてみた。すると感じのいい従業員が三本のボトルをテーブルに並べ、「これはシチリア島産の、香りの非常にゆたかな、飲み口のさっぱりしたワインです」とこれまた感じよく、一本ずつ説明してくれる。
――のだが、その説明の最後にかならず「これはこの三本のなかでいちばん安いワインです」「これがこのなかではいちばん高いワインです。でも高いだけのことはあって、とてもおいしいです」と、値段の高い安いをつけ加える。
それを聞きながら私はある違和感を覚え、違和感のもとをたどり、なるほどと気づいた。
テーブルにボトルを並べて、産地や品種や製造年、味や香りの違いをそれぞれ説明してくれる店は多いけれど、その説明に値段の高い・安いとくわえる人を、私ははじめて見たのである。もちろん、ほとんどの店で、説明をしたあと、こちらはいくらになります、とは言う。当然私たちはそれを聞きながら「なるほど、これはこっちのより少し高いのか。でも深い味わいなのだな」などと頭のなかでは考えるし、値段を加味した上で「ではこれをお願いします」と決める。
でもなんだか、お店の人にから、これはいくらで、このなかではいちばん高い、などと言われると、なんだか困ってしまうのである。「じゃ、このいちばん安いこれを」とは言いづらいし、「じゃ、このいちばん高いのを」とも、なんとなくこそばゆくて言えない。言わずに真ん中の「これを」と言うと、「真ん中の値段を選んだな」と思われそう(思わないだろうが)。
ステーキもすばらしかった。赤身肉だけれどしっとりとやわらかい。そのステーキ途中でワインが一本空いてしまい、もう一本は多すぎるので、グラスで頼もう、ということになった。先ほどの従業員にグラスワインを頼むと、なんとまた、何と何と何のグラスがあり、値段はこれがいちばん安くてこれがいちばん高いが、いちばん高いのがおいしいという説明。なんだか味やその他の説明がもうどうでもよくなってしまって、「じゃ、そのいちばん高いの」(で、いいやもう)的な注文をしてしまった。
高いものが安いものよりすぐれているというお店の人の前提が、ちょっと違うのだろうと帰り道、考えた。さらに、余裕のある人はふつう(すぐれているんだから)高いものを頼むだろうという前提も、さっきの彼にはきっとあるに違いない。その前提が伝わるから、安いのだと恥ずかしいかなとか、でも高いのを選ぶのもなんだか……と、客側もいろいろ考えてしまう。でも、千円のワインと一万円のワインというわけではない。千、二千円差のワインなら、優劣ではなく、好みで選ぶべきなのだ。
ものすごくちいさなことなのに、居心地悪く思えることってあるんだなと、なんだか感心してしまったできごとである。 |