私の住む町には飲む店がわんさかある。居酒屋ばかりか、バルやお鮨屋さん、中華やビストロやエスニック料理屋でも、多くが飲むことに主体を置いた店である。いくつかの店はいつの間にか消え去り、いくつかの店は残り続ける。この町に引っ越してきたのは二十年前。好きだったのになくなってしまった店もあり、ああ、あそこはなくなるよな、と納得の、消えゆく店もある。
そんなふうな飲食店の変遷を見ていて思うのだが、消えゆくことが運命づけられているような場所、というのがあるように思う。そのお店の値段や味やサービスが問題なのではなくて、その「場所」自体に何かあるとしか思えないようなことだ。
私の住まいのすぐ近くに、そういう場所がある。
この町に引っ越してきた二十年前、そこはステーキやハンバーグを出す店だった。この町にはめずらしく、飲むこともできるが、どちらかというと食中心。夜は、私は飲むことが多いので、ハンバーグ定食などを扱うそのお店に入ったことはなかったのだが、いつもわりとにぎわっていた。店のたたずまいからいって、けっこう長く営業しているようだった。
五、六年して、この店が忽然と消え、ものすごく中途半端にお洒落な、創作料理風居酒屋になった。創作料理「風」というのは、料理にあまり力を入れている様子ではなく、変わったメニュウが数点あるが、どちらかというとバーです、というような感じ、という意味合いである。その「ものすごく中途半端に」お洒落な感じが不思議と心地よく、その当時集まっていた仲間と、よく飲みにいった。料理の充実した居酒屋で食べてから、二次会として利用することが多かった。
けれどこの店も二年ほどで閉店した。
次にあらわれたのが、文化祭の演し物を模したような、民芸風居酒屋だった。床はコンクリートむき出し、壁によしずを張り巡らせて、わざとださめの手作り風にした店だ。食べものがおいしそうではなかったので、ここも、二次会的に何度かいった。値段が安いので、たいていいつも若い人で客席は埋まっていた。
けれどここも、また二年ほどで閉店。次に新しい店ができる前に、私は隣町に引っ越し、五年ほど、その店の変遷を見ていない。
隣町からまたこの町に戻ってみて、件の場所にいってみると、そこは沖縄風の居酒屋になっていた。「風」というのは、チャンプルや角煮がメニュウにあるけれど、鶏の唐揚げとか焼き魚といったふつうのつまみもあるからで、完全なる沖縄料理居酒屋とは異なる店だった。
この町に戻ってきて、再訪したい居酒屋や新規開拓したい店がたくさんありすぎて、その沖縄「風」居酒屋にいったことはないのだが、一年ほどでまたお店は閉まった。
そのせわしない変遷を見ていて、なんとなく、「風」がいけないんじゃないかなと思った。なんとか「風」はチャラくさいし、中途半端で、いかにも消えていきそうだ。
でも、と考えなおす。いつもちゃんと人は入っていた。ずっと存在しているが、まったく人の入っていないあの店やこの店に比べたら、若い人でにぎわっていた。
なのになぜ?
そして思いついたのが、「場所」の因果ではないか、ということなのだった。人気がないわけでもないのに、なぜか店が居着かない場所はどの町にもあるんじゃないか。場所の持つ不思議な因縁というものが、あるのではないか。
さてその店、沖縄「風」のあとは、ヨーロッパ料理(おもにイタリアとスペイン)を出す居酒屋になった。メニュウにはアヒージョやスパニッシュオムレツもあれば、パスタもピザもある。値段は、そんなに高くはないが安くもない。料理は、ちょっと味つけが濃いめだがけっしてまずいわけではない。店員さんはすごく愛想がよくて親切だが、スターバックスの人たちほどフレンドリーでもない。
この店が、たいへんに混んでいるのである。開店した当初から人がよく集まっている。住まいから近いし、気楽な感じが使いやすく、私もよく利用するのだが、混みすぎて入れないこともある。しかし予約したり列になって待ったりするような店では、けっしてない。おいしすぎない、とか、安すぎない、とか、お店の人がフレンドリーすぎない、とか、そういうことがみんなプラスに転じて「ほどがいい」店となっているから、みんななんとなく集まってしまうのだと思う。
この場所にしては、この店はずいぶんと息が長い。今もまだ、ちやんと混んでいる。もしかして土地伝説を覆すだろうか。そんな疑問を持って、いつもにぎわう店の前を通っている。 |