アスペクト

肉記


035 二十年かけて

 引き戸を開けるとカウンターがあり、細い通路を挟んで畳敷きの小上がりがある。突き当たりにはビールや酒の入った冷蔵庫。カウンターの上には大皿に載った料理が並んでいる。カウンターの内側にはぽっちゃりした割烹着の中年女性。通路はむき出しのコンクリート。

 ああ、いい店だなあと思う。

 青森の出張時に、連れていってもらった店だ。

 二十代のころには、こういう店をいい店だとは思わなかった。もの書きとして働きはじめたのが二十三歳のころで、デビューした雑誌の担当者も、その担当者が属する編集部も、こういう店を好んでいた。しぶい編集部だったのだ。ほかの出版社の人は、行列のできる焼き肉屋とか、ビストロ風のレストランとか、そういう店に連れていってくれたが、この初代担当者および編集部と飲むとなると、赤提灯が多かった。その当時の、そういう店への印象は、「地味」。さらに、食べものも飲みものも種類が少ない。そんなふうに思っていた。「あー、また地味な店か……」「あー、また煮物しかないのか……」といった具合に、わくわくするよりも、しょぼんとするほうが多かった。

 まあ、当たり前である。個室になっていたり明かりが暗かったり凝った内装の店に比べれば、たしかに赤提灯は地味だ。そうして好き嫌いの激しかった私の好きな、揚げものや肉やチーズ系は、そういう店にはまずなく、はたまた、飲みやすいサワーやカクテルもない。あるのはビール、焼酎、日本酒のみ。

 二十数年かけて、私は赤提灯の店のよさをわかったのである。その店の善し悪しも、こんなふうに引き戸を開けてすぐわかる。

 おなかの空いていた私たちは、その青森の居酒屋で、まずはすぐに出てくるものを頼んだ。大皿の、蕗と身欠きニシンの煮物とマカロニサラダ、お刺身なんかを出してもらう。私たちが座って、カウンターは満席。カウンター席からは見えないが、奥にも座席があり、大勢がいる様子。でも作るのはおかみさんひとりだから、忙しそうだ。若い女の子がお手伝いをしているが、べつの人の注文をべつの人のテーブルに届けてしまったりして、ちょっと危なっかしい。

 蕗の煮物を食べて、ああ、おいしい! とつい声が出た。

 そうなのだ、こういうものが昔は好きではなかった。フランチャイズの居酒屋ではけっして食べられないこの上品な出汁のきいた味、二十数年かけて身にしみるようになったのである。

 てんてこまいのさなかに、おかみさんが出してくれるしみ豆腐も、なすの煮物も、じつにおいしい。本当に身にしみる。

 いっしょに飲みにきた仕事相手の人が、焼酎を飲もうと言い、お湯割りをもらう。お湯割りの正しいつくりかたは、まずお湯を入れ、それから焼酎。割合は六対四だと鹿児島で教わった。

 カウンターで飲んでいた地元の人が帰ると、また、ひとり客がふらりとあらわれて座り、おかみさんと話しながら飲みはじめる。本当に、人が絶えるということがない。

 ハタハタを焼いてもらう。身をほぐしたら、卵がわーっと出てくる。ぷつぷつしていて食感が楽しい。お隣の人の頼んだまぐろを、ついでにこちらもと切ってもらう。

 こういうお店が近所にあれば、たしかにしょっちゅうきちゃうだろうなあ。量も多くないし、おいしいし、体にいいものばかりだし。

 体にいい、悪い、なんてことも、そういえばかつては考えなかった。

 お会計をして外に出ようとしたら、おかみさんがひとりにひとつりんごをくれた。こういうこともちょっとうれしい。

 東京は異常気象で真夏のような秋だけれど、青森は涼しいを通り越して寒くなっていて、そんな寒さのなか、見慣れない暗い道を歩くのは、本当の旅のたのしさである。居酒屋に向かうときばかりか、居酒屋から帰るのがたのしいなんてことも、やっぱり、この年齢になって思うことである。

036 土地の因果ははたしてあるか?

 私の住む町には飲む店がわんさかある。居酒屋ばかりか、バルやお鮨屋さん、中華やビストロやエスニック料理屋でも、多くが飲むことに主体を置いた店である。いくつかの店はいつの間にか消え去り、いくつかの店は残り続ける。この町に引っ越してきたのは二十年前。好きだったのになくなってしまった店もあり、ああ、あそこはなくなるよな、と納得の、消えゆく店もある。

 そんなふうな飲食店の変遷を見ていて思うのだが、消えゆくことが運命づけられているような場所、というのがあるように思う。そのお店の値段や味やサービスが問題なのではなくて、その「場所」自体に何かあるとしか思えないようなことだ。

 私の住まいのすぐ近くに、そういう場所がある。

 この町に引っ越してきた二十年前、そこはステーキやハンバーグを出す店だった。この町にはめずらしく、飲むこともできるが、どちらかというと食中心。夜は、私は飲むことが多いので、ハンバーグ定食などを扱うそのお店に入ったことはなかったのだが、いつもわりとにぎわっていた。店のたたずまいからいって、けっこう長く営業しているようだった。

 五、六年して、この店が忽然と消え、ものすごく中途半端にお洒落な、創作料理風居酒屋になった。創作料理「風」というのは、料理にあまり力を入れている様子ではなく、変わったメニュウが数点あるが、どちらかというとバーです、というような感じ、という意味合いである。その「ものすごく中途半端に」お洒落な感じが不思議と心地よく、その当時集まっていた仲間と、よく飲みにいった。料理の充実した居酒屋で食べてから、二次会として利用することが多かった。

 けれどこの店も二年ほどで閉店した。

 次にあらわれたのが、文化祭の演し物を模したような、民芸風居酒屋だった。床はコンクリートむき出し、壁によしずを張り巡らせて、わざとださめの手作り風にした店だ。食べものがおいしそうではなかったので、ここも、二次会的に何度かいった。値段が安いので、たいていいつも若い人で客席は埋まっていた。

 けれどここも、また二年ほどで閉店。次に新しい店ができる前に、私は隣町に引っ越し、五年ほど、その店の変遷を見ていない。

 隣町からまたこの町に戻ってみて、件の場所にいってみると、そこは沖縄風の居酒屋になっていた。「風」というのは、チャンプルや角煮がメニュウにあるけれど、鶏の唐揚げとか焼き魚といったふつうのつまみもあるからで、完全なる沖縄料理居酒屋とは異なる店だった。

 この町に戻ってきて、再訪したい居酒屋や新規開拓したい店がたくさんありすぎて、その沖縄「風」居酒屋にいったことはないのだが、一年ほどでまたお店は閉まった。

 そのせわしない変遷を見ていて、なんとなく、「風」がいけないんじゃないかなと思った。なんとか「風」はチャラくさいし、中途半端で、いかにも消えていきそうだ。

 でも、と考えなおす。いつもちゃんと人は入っていた。ずっと存在しているが、まったく人の入っていないあの店やこの店に比べたら、若い人でにぎわっていた。

 なのになぜ?

 そして思いついたのが、「場所」の因果ではないか、ということなのだった。人気がないわけでもないのに、なぜか店が居着かない場所はどの町にもあるんじゃないか。場所の持つ不思議な因縁というものが、あるのではないか。

 さてその店、沖縄「風」のあとは、ヨーロッパ料理(おもにイタリアとスペイン)を出す居酒屋になった。メニュウにはアヒージョやスパニッシュオムレツもあれば、パスタもピザもある。値段は、そんなに高くはないが安くもない。料理は、ちょっと味つけが濃いめだがけっしてまずいわけではない。店員さんはすごく愛想がよくて親切だが、スターバックスの人たちほどフレンドリーでもない。

 この店が、たいへんに混んでいるのである。開店した当初から人がよく集まっている。住まいから近いし、気楽な感じが使いやすく、私もよく利用するのだが、混みすぎて入れないこともある。しかし予約したり列になって待ったりするような店では、けっしてない。おいしすぎない、とか、安すぎない、とか、お店の人がフレンドリーすぎない、とか、そういうことがみんなプラスに転じて「ほどがいい」店となっているから、みんななんとなく集まってしまうのだと思う。

 この場所にしては、この店はずいぶんと息が長い。今もまだ、ちやんと混んでいる。もしかして土地伝説を覆すだろうか。そんな疑問を持って、いつもにぎわう店の前を通っている。

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著者プロフィール

角田光代 かくたみつよ

1967年神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。
90年「幸福な遊戯」で「海燕」新人文学賞を受賞しデビュー。96年『まどろむ夏のUFO』で野間文芸新人賞、98年『ぼくはきみのおにいさん』で坪田譲治文学賞などいくつもの賞を受賞。03年『空中庭園』で婦人公論文芸賞、04年『対岸の彼女』で直木賞受賞など。