上海蟹をはじめて食べたのは忘れもしない、三十三歳のときだ。若手作家数人+編集者で飲んでいて、作家が全員、上海蟹を食べたことがないと言い、それならおれが連れていこう、とベテラン編集者が請け負ったのである。その数日後、同じメンバーで実際に上海蟹の宴がおこなわれた。神保町には中華料理店が多いが、そのなかの一軒だった。
はじめて食べたときの感想は、「何がなんだかわからない」である。私の好むずわい蟹やたらば蟹のように、みっしりとした食べ応えがない。細い脚をほじるのにも一苦労。
松茸をはじめて食べたときもそうだったけれど、「なぜ大人はこれを驚喜して食べるのか」とひそかに謎を抱いた。
そのときを皮切りに、季節になると上海蟹を食べる機会がやってくるようになった。十月を過ぎたあたりで、会食となると、「せっかくこの季節なので」と、上海蟹のある店をだれかが指定する。松茸やウニ、白子やアンコウ鍋など、大人になって食べるようになったものは、幾度か食べているうちに、おいしい瞬間がやってくる。「おおーっ、今わかった!」と、その真価がわかるのである。が、上海蟹はなかなかやってこない。幾度食べてもやってこない。身ではなく、むしろ、味噌やたまごがおいしいのだと理解しても、やってこない。
上海の中心地から少し車で走ったところに、上海蟹のメッカのような町がある。一度、連れていってもらったのだが、なんという町なのかわからない。海沿いの町で、「上海蟹」の巨大ネオンを掲げた店が、不夜城のようにずらりと並んでいる。乗用車ばかりか、貸し切りバスで乗りつけるグループもいる。店に入るとすぐに水槽がずらーっと並んでいて、蟹がいる。
ここで上海蟹を食べたときは、かすかな「ぉ」程度、わかる瞬間がやってきたような気がするが、雰囲気にのまれただけかもしれない。そして上海蟹以外の料理も、なんでもおいしかったので、店を出るときには「ぉ」も消えてしまった。
冬がくるたび、私は上海蟹との距離感に悩み、デビュー当時から知っている老編集者に相談までしたのである。「あの、私、上海蟹のおいしさが、今ひとつわからないんです……」と、小説の書き方ではなく、上海蟹の味わい方について、深刻に打ち明けた。老編集者も真顔でそれを受け止め、「カクちゃん、あのね、老酒漬けを食べてみるといいよ」とアドバイスをしてくれた。
それで挑んだ老酒漬けであるが、たしかに、蒸し蟹よりは、おいしいと感じる。でも「おおーっ」というほどではない。このまま一生私は上海蟹と距離を縮められないまま、生きていくのだろうか……。まあ、それも詮方ないか……。と、ほぼ諦めていた。
それが昨年の冬のこと。ついに訪れたのである、「おおーっ上海蟹わかったーっ!」の瞬間が。
毎年一度、いっしょに仕事をするテレビ関係の方々と四谷のレストランに赴いた。このレストランは以前に一度きたことがあるが、そのときは夏だったので、上海蟹を出す店だとは知らなかった。コース料理のなかほど、上海蟹が登場し、お店を仕切るご婦人が食べ方をていねいに教えてくれる。いつものごとく私は何も思わず身を切って食べはじめ、はっと気がついたら、無言のまま、ほぼ食べ終えていた。
食べ終える段になってようやく、自分が今、他人の声がいっさい届かないほどの集中力を発揮して蟹をすすり、しゃぶり、ほじり、食べていたことに気づいた。本当に、蟹を食べていた何分間か、私には蟹以外の何も見えず何も聞こえなかった。すさまじい集中力で何かをむさぼり食べる「欲」そのものの姿を、まさに今、人前にさらしていたのだと気づき、私は深く自分を恥じた。その自己嫌悪のあとに、じわじわとやってきた、上海蟹はこんなにもすばらしくおいしいのだ、という実感が。
一度わかると、たいていのものは、それからぐんと味が変わる。去年の冬以来、私は上海蟹の虜である。どこで食べてもおいしい。三十三歳から味もわからず食べ続けた蟹を、今一度、最初から順に食べなおしていきたいくらいだ。
先だって、新宿のうつくしい中華料理店で、雄雌の半身ずつを一皿に盛って出してくれた。十月は雌だとか雄だとか、十二月からはどちらだとか、よく言うけれど、いつも覚えられない私は、結局どっちがどうなのかもわかっていなかった。もちろん食べ比べたこともない。そうして食べ比べてみて、私はどうも、雄派だということがわかった。雄のみそのほうが濃厚で、雌の卵よりも私は好きなようである。
ああ、こんなに近しくなれてよかった。冬のたのしみがひとつ増えて本当によかった。 |