今住んでいる、村のような町に、気がつけば二十年近く住んでいる。二十年前にしょっちゅういっていた飲食店は、みな格安居酒屋だった。軒先に赤提灯がぶら下げてあったり、店内に14インチのテレビがあったりするような。フランチャイズの店は、当時からあんまりいかなかった。
例外として一軒、某フランチャイズ店だけにはよくいっていた。友人たちと、週に二度ほどいっていたのではないか。その店の店長さんと軽口を交わすような、いわゆる常連になっていた。
ほかのチェーン店はいかないのに、なぜこの店にいっていたのかというと、なんとなくメニュウが独自なものになっていたのである。チェーン店に共通のメニュウプラス、この店のオリジナルメニュウが半分ほどある。それはとくべつな創作料理なんかではなくて、焼き魚だったり卵料理だったりするわけだが、そのせいで、あのチェーン店ののっぺり感とは一線を画していたのである。店内も、清潔でちょっと小洒落たチェーン店とはほど遠く、すすけた壁、14インチのテレビ、色あせた水着女性のポスターという、ザ・赤提灯的な店だった。
この店がものすごく好き、というわけではなくて、何より値段が安くて落ち着くし、多めの人数でいってもいつも席が空いているから、という理由だった。
けれど私にとって、「ぜったいのぜったいに今日はこの店でなければならない」と意気込んで出かけることが、しばしばあった。
長い旅行から帰ってきた日である。
そのころの私の旅は短くて二週間、長くて一カ月だった。そして私は旅先がどこであろうとも日本食と中華料理を食べないと決めている。その土地のものを食べたいのである。だから当然、帰ってくるときは日本的なものを食べたい。飢えている。
こういう場合に猛烈に食べたくなる「日本的なもの」は、人によってさまざまだと思う。かつて旅先で会った長旅の日本人たちに、私はよく「帰ったらまず何食べる?」と訊いていた。本当にさまざまだった。ラーメン。味噌汁。コロッケ定食。カレー。蕎麦。とんかつ茶漬け(というものを私は知らなかったのだが、あるらしい)。鮨。卵かけごはん。素麺。焼き肉。
そうなのだ。日本的な食事って、何も和食ばかりではない。何料理、と厳密に言えない、ドリアやグラタンやシチュウ、ラーメンだって醤油から味噌から豚骨から油から担々、韓国のものとはまるきり違う焼き肉、等々、ものすごくたくさんのバリエーションがある。そもそもとんかつ茶漬けって、どんなジャンルなのだ?
このバリエーションを最大公約的に満たしてくれるのが、若き日の私にとって、その居酒屋だったのである。旅から帰ったまさにその日、私は友だちを誘い、メニュウをぜんぶ食べ尽くす勢いでこの店を訪れたものだった。
さて、この店、軽口を交わしたかつての店長さんはもういないが、二十年たった今でも存在している。ただ店名が、昨年変わったのだが、店内とメニュウ構成は何も変わっていない。経営者が変わったか、フランチャイズから独立したか、なのだろう。
最近では、二週間の旅行ですら不可能なのだが、正月だけ、一週間ほど休むことができる。この正月も休みをとってほんのつかの間、暑い国を旅してきた。帰ってきて、魚専門の居酒屋か、焼き鳥か、和食系の居酒屋か、どこにいこうかつらつら考え、あの店にいってみようと思い立った。まさに二十年前、旅帰りにいっていた、店名の変わった店。お刺身、湯豆腐、焼き魚、餃子、アボカドのサラダ、ああ、なんでもおいしい。たった一週間でも人はこんなに慣れ親しんだ味に飢えるんだなあ。
以前、十日ほどの海外出張帰りに鮨屋にいったことがある。お刺身も酢飯もたしかにおいしかったのだが、なんと、いちばん感動したのは昆布だった。昆布締めのヒラメからにじみ出る昆布味。子持ち昆布。昆布だしのおすまし。ぐわあああ、舌が震える、というほど、昆布が効いた。自分では自覚していなかったけれど、異国の食事をしていた十日間で、私はアミノ酸に飢えていたのだと、このとき思い知った。
そしてこの居酒屋でも、あらたな発見があった。焼き魚もおいしい、湯豆腐なんてすばらしい、餃子も万歳。しかしながら、もっとも感動したのが、焼きうどんだったのだ。あの甘じっょぱいソースと紅ショウガに、知らず飢えていたようである。
ぐわあああ、うまい、うまいと言いながら食べて飲み、二十年前と、私ちっとも変わっていないと気づき、うれしいことなのか、残念なことなのか、よくわからなくなった次第である。 |