アスペクト

肉記


043 餅は餅屋

 この場でも、ほかの雑誌でも、何年も何年も、私は日本の居酒屋文化を賞賛し続けている。

 この賞賛は色あせず、まったく減じることもない。同時に、その不可思議さはいよいよ増していく。

 ソウルにいった。友人たちとごはんを食べるために集まったのである。この友人たちは、東京でも集まってよく食事をしている。ともかく多く食べ、多く飲む人たちで、眠らない。二時になっても、三時になっても、陽気に飲んでいる。

 サムギョプサルの店で食事をし、当然のことながら、飲みにいこう、ということになる。

 その場に、韓国に一年弱住んでいた女性がいたので、居酒屋的なところにいきたいが、どこか知らないか尋ねた。けれど彼女が言うには、サムギョプサルならサムギョプサル、ブルコギならブルコギ、参鶏湯なら参鶏湯、というような店がほとんどで、みんなが今思い浮かべているような、チヂミもあればチャプチェもあり、ケジャンもあればトッポッキもあり、ソルロンタンでしめたりできるような店は、ない。最近、日本の居酒屋的な店が流行っているので、ちょっと日本っぽくなるが、それならばある、とのこと。

 まさに彼女の指摘通り、私が思い描いていたのは、そのような店である。店の造りは伝統韓屋で、飲みものメニュウにはビール、マッコリ、焼酎、その他あれこれが並び、韓国の有名な料理がずらりと続き、みんなでちょっとずつ食べられる……そんな店。だんじて、日本企業の居酒屋チェーン店ではない。

 私はどの国にいってもそのような飲み屋を夢想する。夢想するだけでなく、さがす。私の夢想は、日本の居酒屋の各国バージョンが全世界にあるはずだという、妄想でしかないと頭の隅でわかっていても、「でももしや」と思ってしまう。

 でもそれは、私だけではないようだ。私の友人夫妻も、台湾で、居酒屋的な店をさがしまわって足を棒にしたそうである。しかもこの二人、台湾はもう何度目かだというのに、である。ない、とわかっていても、「もしや」とだれしも思うのだ。

 本当に、ほんっとうに、日本でいうその国独自の「居酒屋」はどこにもない。少なくとも、私が訪ねた四十数カ国にはない。いちばん近いのがスペインのバルだと思う。それだって、並んでいるのはスペインの料理だ。日本のある種の居酒屋のように、他国料理もどきがあったりは絶対にしない。そしてたいていの国において、食べる店と飲む店は異なる。食べる店に酒類は豊富にはないし、飲む店には決まった食べものしかないか、食べもの自体がない。餅は餅屋。蟹の店は蟹だし、鍋の店は鍋で、バーはバーだ。

 ともかく私たちは店を出て、二次会にふさわしい店をさがして異国の町をさまよった。結局、見つかったのはまさに彼女の言うところの「日本の居酒屋を模したような店」。アサヒビールの看板が出ている洒落た店で、たしかにメニュウには、ししゃもの焼いたものや、チヂミや、卵焼きなどが並んでいる。辛いタコ炒めとかチャンジャとかポッサムとか、あとは私たちになじみのない韓国料理とかは、ない。

 それでもまあ、飲めればいいのだ。私たちはその店でさんざん飲み食いし、さらに屋台の飲み屋にいって飲み食いした。この屋台も、ずらりと何軒も並んでいるのだが、つまみはどの店もすべて天ぷら的な食べもので、それしかない。

 ホテルに帰ったのが一時過ぎ。まだ飲み足りず、明日は帰ってしまうのだし、と、ホテルのバーにいってみると、閉店したばかりだという。ホテルのそばの繁華街にいけば、まだ開いている店はあると思う、とバーの人は言う。

 そして私は例の妄想に取り憑かれて、深夜のソウルに出向いたのである。四時、五時までやっている居酒屋が、この繁華街ならあるはず。いや、トッポッキもクッパも、あれもこれも、なんてことは言わない、タッカルビならタッカルビだけでいい、こうなったら湯豆腐や唐揚げがメニュウに並んだ日本居酒屋でもいい、ともかくもう少し飲めればいい。

 午前一時過ぎに飲食店が開いているはずだというのが、これまた、私の居酒屋妄想なのである。四時、五時までやっている飲み屋なんて、世界にそうそうはないのである。

 一時間ほど歩いて、ようやくその真実にいきあたった。おとなしくホテルに帰り、ミニバーのアルコールを飲んで寝た。

 それにしても、日本の居酒屋って、ありがたいけれどつくづく不思議な存在である。飲みながらあれもこれも食べられる店を作ろうと、いったいだれが考えたのだろう? しかも、四時五時まで飲み食いできるようにしようなどと。

 そしてなぜ、こんなふうに根づいたのだろう。世界に見本なんてないのだから、居酒屋は純粋な日本文化といっていいと思うのだが、それにしても旅に出るたび、不思議に思う。

044 いい店のにおい

 東京西部、中央・総武線沿線、駅名でしぼると、中野から三鷹までの各駅、それぞれ個性的だが、飲み屋が多いという共通点がある。中野、高円寺、阿佐ヶ谷、荻窪、西荻窪、吉祥寺、三鷹。どこで降りてもわんさと飲み屋がある。

 私感では、大きな駅だと、その多い飲み屋の大半がフランチャイズの店になってしまって、個人店が少ない。個人店が少ない、イコール、「ものすごくいい店」が少ない。

 私が学生時代から(つまり三十年も前から)通う町、吉祥寺は、この沿線のなかでは一大繁華街だが、やっぱり、ものすごくいい店は少ないと、三十年前から思っている。でも、反対に考えれば、それは「そこそこの店」が多いということ。若いころは、そこそこでも、値段が安ければちっともかまわなかった。もっと大人になってからは、飲もう、というときは、吉祥寺を除外して考えるようになった。年齢を重ねると、そこそこじゃ、やっぱりつまらなく思えてくるのだ。

 そんな吉祥寺でも、ものすごくいい店というのはある。そして当然のごとく、「そこそこの店で飲食したくない」と思っている、おもに地元の人たちでたいへんに混み合っている。

 ついこのあいだも、友人にあるお店に連れていってもらった。看板が、あるのかないのかわからないくらいちいさく、目立たない。私の前を歩いていた人が「あっ、ここか、こんな看板、わからないよ」と言いながら階段を下りていったので、私も気がついたが、その人たちがいなければ通りすぎていただろう。

 階段を下りて店に入るなり、「おお」と思う。おお、いい店、と思う。

 中央に厨房、巨大なコの字のカウンター、奥の小上がりにはテーブルが五、六卓。厨房の奥にはばーんとでっかいねぶたが飾られている。そして、ほぼ満席。

 これだけで、いい店だと思うのである。赤提灯の渋いよさではなく、評判の居酒屋の洒落たよさでもなく、地元の人たちに愛されている、「今」感のあるよさだ。

 メニュウは魚中心。なんと、お店の従業員みずから漁に出て、魚を捕ってくることもあるのだとか。刺身盛り、刺身単品、炭火で焼く焼き魚、蒸し牡蠣、白子ポン酢、蛍烏賊、だし巻き卵におひたしに冷やしトマト。いいですなあ。

 ここの店の蟹味噌はぜったいに食べて、と友人に言われて、注文する。真っ黒い蟹味噌と、スライスされた胡瓜が出てくる。胡瓜に味噌をつけて食べて、のけぞった。蟹味噌っていろんなところで食べたことがあるけれど、なんとも思わない食べものだった。あってもなくてもかまわない種類のものだった。それが、びっくりするほど濃厚で、おいしい。なんなんだ?

 八角、という魚を、私はこの店で生まれてはじめて注文した。そもそもそんな名前の魚を聞いたことがない。北海道ではよく食べる魚らしい。

 炭で焼いた八角という魚を見て驚いた。まるでドラゴン。串を抜いて身をほぐして食べると、そのグロテスクな見かけと裏腹に、やさしい淡泊な白身の魚だ。

 そのほかの料理も、どれもこれも本当においしい。店もずっと満席のまま。働く人たちはみんな若くて、愛想がよくて、対応が素早くて気持ちがいい。

 十一時ごろまで飲んで、周囲を見まわして、はたと気づいた。顔ぶれが、ずっと同じなのである。お客さんが帰って、またあたらしいお客さんが入ってきて、と、回転しながら満席なのではなくて、ほとんどの席の人たちが、ずーっとそのまま、飲み続けているわけである。

 ああ、なんとなくわかる。こんなにおいしいお店を出て、違う店に飲みにいきたくなんかないものなあ。二次会ついでに、ここで長っ尻で飲んでしまうよなあ。やっぱり、予約でいっぱいで、ずいぶん前から予約をしないと入れないらしい。そうだよなあ、そうなるだろうなあ。みんな、やっぱりおいしいものを気持ちよく食べたいのだから。はて、今度はいつこられるかしら。

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著者プロフィール

角田光代 かくたみつよ

1967年神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。
90年「幸福な遊戯」で「海燕」新人文学賞を受賞しデビュー。96年『まどろむ夏のUFO』で野間文芸新人賞、98年『ぼくはきみのおにいさん』で坪田譲治文学賞などいくつもの賞を受賞。03年『空中庭園』で婦人公論文芸賞、04年『対岸の彼女』で直木賞受賞など。