バーというところを、三十代になるまではずっと敬遠していた。たのしみかたがよくわからなかった。そもそも私はカクテルという飲みものがあまり好きではない。暗くて静かなのも、なんだか居心地悪い。バーたるものの、バーっぽさが、かえって恥ずかしい。
いろいろ理由はあるけれど、でも敬遠のいちばんの理由は、バーという場所が、緊張を強いるものだったからだ。若き日の私にとって。
カウンターと、アルコール瓶のずらり並んだ酒棚、バーテンダー然としたバーテンダーのいる正統的なバーを、オーセンティック・バーというらしい。私がそのようなバーにはじめていったのは学生のころだった。学生街にあるバーで、男の子に誘われていったのだが、近隣の居酒屋とはまったく異なるたたずまいに、ものすごく緊張したのを覚えている。
今思い返せば、私が学生時代を過ごした八〇年代後半は、カフェバーなるものが流行し、敷居の高いカフェバーもあったけれど、学生向けのなんちゃってバーのようなカフェバーもずいぶん多くあった。その当時私が「バー」と思っていたものの多くは、そうした若者向けバーだったのかもしれない。私が愛読している開高健のエッセイに、マティーニがよく登場するので、わくわくと頼んだのもこのころだ。二、三杯べつのカクテルを飲んだあとに頼んだのだが、この強いカクテルにノックアウトされて、ものすごく気分が悪くなった。以来、私はマティーニをけっして頼まなくなった。
しかしながら、三十代になって私がバーに緊張しなくなったのは、こうした幾軒ものなんちゃってバーのおかげかもしれない。一応、そうしたバーでも練習台にはなったのだろう。今では、ホテルのバーでも、格式高いバーでも、かつてのように緊張し、そのバー然としたたたずまいに、恥ずかしさを覚えることもない。これは、私が「バー」にふさわしい大人になったのではなくて、バーが飲み屋であると認識したゆえだろう。バーはたんなる飲み屋なのだ。居酒屋と作法が違うだけ。
先だって、奈良で仕事があって、奈良ホテルに泊まった。朝の茶がゆが有名なホテルだが、フロントの奥に雰囲気のいいバーがある。少し前まではテーブル席が主で、バーというよりサロンといった風情だったのだが、最近改装して、カウンター席ができた。カウンター席の向かい、酒棚の上の、模様入りのガラスがなんともいえずうつくしい。
このバーに、カクテルの世界大会で第三位に輝いたバーテンダーさんがいるという。
食事に出かける前だったので、そのバーテンダーさんに、食事に差し支えない、さっぱりしたカクテルをお願いした。出されたのはギムレット。
こういう、逆三角形のグラス(カクテル・グラスというのですね)に入った飲みものを、私はめったに飲まない。例の、マティーニの暗い思い出があるからだ。
でもこれは、一口飲んでびっくりした。すーっと体に溶けこんでいくようなさりげない爽快さ。
私は酒に意地汚いので、おいしいと、どんどん飲んで、早く酔っぱらいたくなるのだが、このギムレットは一杯で充分だった。ああ、おいしい、それでは出かけよう、という、シャキーンとした気持ちになる。
食事を終えてホテルに戻り、もう一杯だけ飲みたくなって、またバーに寄った。先ほどの世界三位バーテンダー氏に、私は思いきってマティーニを注文した。ここでマティーニの悪夢を払拭しないで、どこでする。
そしてマティーニ登場。逆三角形グラスに、透明の液体、銀色のピックに刺さったモスグリーンのオリーブ。おお、マティーニ。私の人生から消えていたマティーニ。
一口飲んで、ああやっぱり、とうなだれた。若き日の私はバーもどきでマティーニもどきを飲んだに過ぎないのだ。
すっと口に広がるさわやかさと独特の香り。昔の記憶のものは飲みこむと、喉、食道、胃、と次々と熱くなったが、そんなことはない。さっきと同じように、すーっと体全体に静かに広がる。なめらかで、強い酒という感じがしない。オリーブもおいしい。
そうしてこれまた、もう一杯、や、もう一杯、やや、最後にもう一杯……とはならない。この酔っぱらい女をして、「おいしいもので一日を締めくくれてしあわせだ」と殊勝な気持ちにさせ、たった一杯飲んだだけで、すっと席を立たせるのである。
この日は私の誕生日の前日だった。四十七歳直前にして、ようやくカクテルのすごさがわかったのである。 |