アスペクト

肉記


045 四半世紀ぶりのマティーニ

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 バーというところを、三十代になるまではずっと敬遠していた。たのしみかたがよくわからなかった。そもそも私はカクテルという飲みものがあまり好きではない。暗くて静かなのも、なんだか居心地悪い。バーたるものの、バーっぽさが、かえって恥ずかしい。

 いろいろ理由はあるけれど、でも敬遠のいちばんの理由は、バーという場所が、緊張を強いるものだったからだ。若き日の私にとって。

 カウンターと、アルコール瓶のずらり並んだ酒棚、バーテンダー然としたバーテンダーのいる正統的なバーを、オーセンティック・バーというらしい。私がそのようなバーにはじめていったのは学生のころだった。学生街にあるバーで、男の子に誘われていったのだが、近隣の居酒屋とはまったく異なるたたずまいに、ものすごく緊張したのを覚えている。

 今思い返せば、私が学生時代を過ごした八〇年代後半は、カフェバーなるものが流行し、敷居の高いカフェバーもあったけれど、学生向けのなんちゃってバーのようなカフェバーもずいぶん多くあった。その当時私が「バー」と思っていたものの多くは、そうした若者向けバーだったのかもしれない。私が愛読している開高健のエッセイに、マティーニがよく登場するので、わくわくと頼んだのもこのころだ。二、三杯べつのカクテルを飲んだあとに頼んだのだが、この強いカクテルにノックアウトされて、ものすごく気分が悪くなった。以来、私はマティーニをけっして頼まなくなった。

 しかしながら、三十代になって私がバーに緊張しなくなったのは、こうした幾軒ものなんちゃってバーのおかげかもしれない。一応、そうしたバーでも練習台にはなったのだろう。今では、ホテルのバーでも、格式高いバーでも、かつてのように緊張し、そのバー然としたたたずまいに、恥ずかしさを覚えることもない。これは、私が「バー」にふさわしい大人になったのではなくて、バーが飲み屋であると認識したゆえだろう。バーはたんなる飲み屋なのだ。居酒屋と作法が違うだけ。

 先だって、奈良で仕事があって、奈良ホテルに泊まった。朝の茶がゆが有名なホテルだが、フロントの奥に雰囲気のいいバーがある。少し前まではテーブル席が主で、バーというよりサロンといった風情だったのだが、最近改装して、カウンター席ができた。カウンター席の向かい、酒棚の上の、模様入りのガラスがなんともいえずうつくしい。

 このバーに、カクテルの世界大会で第三位に輝いたバーテンダーさんがいるという。

 食事に出かける前だったので、そのバーテンダーさんに、食事に差し支えない、さっぱりしたカクテルをお願いした。出されたのはギムレット。

 こういう、逆三角形のグラス(カクテル・グラスというのですね)に入った飲みものを、私はめったに飲まない。例の、マティーニの暗い思い出があるからだ。

 でもこれは、一口飲んでびっくりした。すーっと体に溶けこんでいくようなさりげない爽快さ。

 私は酒に意地汚いので、おいしいと、どんどん飲んで、早く酔っぱらいたくなるのだが、このギムレットは一杯で充分だった。ああ、おいしい、それでは出かけよう、という、シャキーンとした気持ちになる。

 食事を終えてホテルに戻り、もう一杯だけ飲みたくなって、またバーに寄った。先ほどの世界三位バーテンダー氏に、私は思いきってマティーニを注文した。ここでマティーニの悪夢を払拭しないで、どこでする。

 そしてマティーニ登場。逆三角形グラスに、透明の液体、銀色のピックに刺さったモスグリーンのオリーブ。おお、マティーニ。私の人生から消えていたマティーニ。

 一口飲んで、ああやっぱり、とうなだれた。若き日の私はバーもどきでマティーニもどきを飲んだに過ぎないのだ。

 すっと口に広がるさわやかさと独特の香り。昔の記憶のものは飲みこむと、喉、食道、胃、と次々と熱くなったが、そんなことはない。さっきと同じように、すーっと体全体に静かに広がる。なめらかで、強い酒という感じがしない。オリーブもおいしい。

 そうしてこれまた、もう一杯、や、もう一杯、やや、最後にもう一杯……とはならない。この酔っぱらい女をして、「おいしいもので一日を締めくくれてしあわせだ」と殊勝な気持ちにさせ、たった一杯飲んだだけで、すっと席を立たせるのである。

 この日は私の誕生日の前日だった。四十七歳直前にして、ようやくカクテルのすごさがわかったのである。

046 酒量という相性?

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 学生時代の先輩と、ひさしぶりに飲むことになった。先輩のお友だちがシェフをつとめるカフェがあるというので、連れていってもらった。

 私たちは学生時代、演劇のサークルに属していた。その大学がある町の、大通りではない、住宅街のなかにぽつりとあらわれる、チャーミングなたたずまいの店である。

 カフェといってもつまみが何品もあり、酒も出す。

 メニュウに微発泡赤ワインのランブルスコの、ハーフボトルがある。ハーフはあんまり見たことがない。ありがたい。それで乾杯し、思い思いのメニュウを頼んでいく。

 ひじきとアボカドの和え物、レバーペースト、オリーブのフライ、三種のチーズのピザ、ラムチョップ、などなど。メニュウが面白い。ピザやパスタや、羊や鶏のグリルといった洋風なものもあれば、ひじき炒飯、肉巻きおにぎりといった和総菜風のものもある。

 まったく知らない、はじめての店で、こういうごちゃ混ぜメニュウを見ると、なんとなくそれぞれの味に期待しなくなってしまうのだけれど、最初に運ばれてきたレバーペーストを食べて、やった! と思った。まっとうにおいしい。

 まさに、出てくるもの、出てくるもの、きちんとおいしい。感動したのはオリーブのフライ。あんなにちいさな粒の真ん中に、ひき肉が詰めてある。どうやって種をとってどうやって肉を詰めているのだろう? その作業工程を考えると気が遠くなるが、これもあんまりにもおいしいので、手間の掛かっている一粒一粒を、ぽいぽい口に入れてしまう。

 学生のとき、同じサークルに属していた人たちでも、その後、まったく会わなくなる人もいれば、定期的に会う人もいる。私とこの先輩のように、一年、二年と間隔を開けながらも、でもやっぱり、ずっと会い続けている人もいる。不思議なのは、学生のときの親密度が、その後の関係に影響するわけではないことだ。あのときはものすごく仲がよかったのに、卒業後はまったく会わなくなることもあれば、ほとんど話したこともなく、三十歳を過ぎて突然親しくなるということもある。

 私が熱心に学んだのは小説の授業だけで、ほかの授業はおざなりにして、サークルにばかり力を入れていた。お洒落どころか、校内を、ジャージ姿で歩いているときのほうが多かった。作家になって、当時の大学の先生と会う機会が増えたのだが、「ああ、いつもジャージだったあの子か」と言う先生もいたし、私の存在をまったく知らない先生もいた(欠席ばかりしていたから)。

 そんなわけだから、語学クラスとか学部のクラスの友だちはほとんどおらず、今つきあいのある人もまったくいない。サークルの先輩・同期・後輩しか、つきあいがないのである。

 このカフェに連れてきてくれた先輩と私は、学生時代も親しかったけれど、卒業してからのほうがずっと親しい。それもまた、どうしてなのかわからない。

 考えてみれば、十八歳のときから知っているわけだから、三十年来の友人ということになる。もう何度も何度もいっしょに食事をし、酒を飲んでいるから、先輩も私の好みを、頭で、ではなくて、舌で知っているんじゃないか。このお友だちの店を、私が気に入るとわかって連れてきてくれたのだろう。

 ランブルスコのあと、ワインに切り替えたのだが、一本を飲み干してしまい、もう一本は多いよねと言いながら、一本の半分をカラフェに入れてもらい、でもそれも飲み尽くし、やっぱりさっきの半分も飲みます、と言って結局二本飲み、その後、デザート代わりに、と一杯ずつ飲み、別れたのだが、このあとの記憶が私にはない。

 翌日、後半、よく覚えていないけれどたのしかったね、と先輩からメールがきた。よく覚えていないけれど私もたのしかったのだ。案外、私たちがずっと仲よしな理由は、相性とか縁といったものなんかよりも、この、酒量と飲み方の類似によるものだったりして。

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著者プロフィール

角田光代 かくたみつよ

1967年神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。
90年「幸福な遊戯」で「海燕」新人文学賞を受賞しデビュー。96年『まどろむ夏のUFO』で野間文芸新人賞、98年『ぼくはきみのおにいさん』で坪田譲治文学賞などいくつもの賞を受賞。03年『空中庭園』で婦人公論文芸賞、04年『対岸の彼女』で直木賞受賞など。