アスペクト

つれづれ雑記 角田光代

作家・角田光代さんの日常を綴る日記が、アスペクトONLINEにて連載開始です!怒涛のような締め切りの数々や大好きな肉のこと。見たこと、聞いたこと、会った人、出かけていった旅のこと。角田さんの毎日のつれづれはここでしか、読めません!!

2006年5月1日〜5月31日

日
5月1日
月曜日

 えっ、もう5月!もう一年の半分が終わっちゃうじゃん。
 5月はほとんどいちばん好きな月だが、今日は三十度だとかで、暑すぎる。これは5月とは言えない。5月らしくしてほしいものである。
 週末、友人とカラオケにいったんだけれど、気がつけば、二人で四時間うたっていた。カラオケはそんなに好きではないのだが、思うに、私もその友人も、自 分では気づかないうちにストレスの鬼となっているのだろう。だって先週も同じ顔ぶれ(っていうのもへんか、二人だけだものな)で四時間カラオケしていたか ら。私たちはおそらく何かから逃れるためにうたっている。だから、深夜も相当ふけて、カラオケ屋を出るとき、「あーさっぱりしたー」という爽快な気分では なく、「なんか私たち、かわいそう……」という気持ちになる。自分の抱えたストレス系のものと、まざまざと顔を合わせたような気になるのだ。
 夕方、友人が遊びにくるので準備。ビールを冷やしワインを冷やし野菜をきざみ、総菜を買いにいく(今日は手抜きごはん)。メインは豚しゃぶ。私の愛するサイボクポークで豚しゃぶ。恋愛の話や仕事の話などでもりあがる。時計を確認すると早くも十二時過ぎ。締め切りひとつ。

日
5月2日
火曜日

 昼、打ち合わせ一件。明日からゴールデンウィークのようである。あれっ、今もゴールデンウィーク?
 ゴールデンウィークに最後に休みをとれたのはいつか、もはや思い出せない。
 二十代のころは当然休みだったわけだけれど、そのころは世のなかに対する若き反逆心があり、ゴールデンウィークの混雑に身を投じるなんて、け、馬鹿馬鹿 しいね、と思い、実際ゴールデンウィーク以外の日も連休なみに暇だったので、遊ぶとしたら平日だった。が、ここへきて、だーれもいない歓楽地なんかつまん ない、と思うようになった。人で混雑したところを、わいわい歩きたいのである。ゴールデンウィークにわいわい歓楽地にいきたいのである。皮肉なものよの う。

日
5月3日
水曜日

 メールなし。ファクスなし。しーん。連休はいつもこう。電車も空いている。いつも電車に乗っているあれだけの人たちが、全員休んでいるんだなあ、と思うと不思議。
 夜、友人夫婦とごはん。犬を飼おうかどうしようか彼らが迷っていたので、我ながら大人げない発言で脅し、飼う方向に水を向けるが、結論は出ず。途中、三人が四人になり、四人が五人になっていた。楽しすぎて時間が過ぎたのに気づかなかった。

日
5月5日
金曜日

 午後から上野公園のホールで永江朗さんとトークショー。家を出る間際に、財布に千円しか入っていないことに気づき、コンビニエンスストアのATMにいくが、何度やっても「お取り引きできません」と出る。ひょっとして、ゴールデンウィーク中は引き出し不可なのか……。
 ああ、千円で明日まで乗り切らねばならない。こういうこと、二度とやるまいと幾度も決意したのに……。上野まではスイカカードだから少し安心。でもこわくてジュースも買えやしない。
 12時半に上野駅に着いたら、もーのーすごおーい混雑。駅構内がすでに、正月の参拝客状態。改札を出ても混雑、平成館を目指しても混雑。
 なんでもない道っ端に、中年男女のグループが悄然と座りこんでいたり、なんでもない植え込みに、家族連れが座って弁当を広げていたりして、何か不思議な 雰囲気。トークショーは14時半から。きてくださったみなさん、ありがとうございました。みな、あの混雑を抜けてここまでたどり着いたんだなあ……と思う と本当にありがたい。途中、「私が千円しか持っていないことは、だれにも知られてはならない」というような気持ちになる。
 トークショーで何がいちばん驚いたかってえと、永江朗さんが、一日三時間以上を歯磨きに費やしていること。
 トークショーののち、永江さんと別れ、ブックフェアを少し見て(でも閉店間際)、友人、編集者の人たちと上野の焼き肉屋にいく。五時半から、気づけば十二時近くまで飲んでいたことよ。
 上野って、すごいね、外国みたいだね。

日
5月8日
月曜日

 前髪を切りすぎて、ほとんど前髪がない。デコまるだし。
 電車に乗るとふつうに混んでいて、「ああみんなみんな、お帰りい!」というような気分になる。メールもじゃんじゃんくる。「ああ、みんなが仕事に追われている……」と、連休中のすねモードが少しやわらぐ。
 午前中に、カレーの取材を受け(夏間近だからね)、カレーカレー、カレーカレーと連呼したせいで、昼ごはんにカレーを食べていた。激辛の。  締め切りひとつ(この日に締め切りが設定されているということは、ゴールデンウィークに働けよ、ということであるなあと、またすねモードが少し戻る)。

日
5月9日
火曜日

 猛烈に、米の飯が食べたくなって、昼、魚屋さんが経営している定食屋にいき、カンパチの刺身定食を食べる。ここの定食には、味噌汁、納豆、卵、冷や奴、佃 煮(おお、正しい定食屋!)がつくんだけれど、毎度迷うのは、「納豆」と「卵」で、これはいっしょくたにしてごはんにかけるものなのだろうか?それとも、 納豆でごはんを食べ、さらに卵かけごはんにするのだろうか?
 今日もいつものごとく迷いつつ、「でもおなかに入ったらいっしょだしなー」と、納豆に卵を入れていっしょくた案をとった。風情がないねえ、考え方の。
 締め切りふたつ。

日
5月10日
水曜日

 朝九時に仕事場を出て、天王洲をめざす。そんなところいったことないから、どんなとこだか想像もつかない。新宿で山手線に乗ろうとしたら、ホームに人があ ふれかえっている。電車がきて、みんなぎゅうぎゅう詰めに詰めても、全員は乗れない。次の電車がきても同じ状態で、また全員は乗れない。私もいつまでたっ ても乗れない。私がいつも乗ってる通勤電車の比ではない。だって、全員乗れないんだもの。やばい、遅れる、と思い、西口に走ってタクシーに乗った。十時ぎ りぎりに天王洲の約束の場所に着く。二時まで仕事で、お弁当が出る。味がしょっぱくて、なつかしいようなおいしいような味。
 仕事場に戻り、五時に仕事場を出て、今度は地下鉄で築地に。お弁当つきの会議。ありゃ、今日一日弁当デーではないか。お弁当は、ぎょっとするほど豪華弁 当で、刺身があるわ焼き魚があるわステーキ風があるわごはんは炊き込みだわで、興奮したが、しかし昼の弁当がまだ消化できておらず半分しか食べられなかっ た。残念。

日
5月11日
木曜日

 年若い知人の、うまくいっている(とだれもが信じていた)恋愛が、まだ初っぱななのにいきなり躓いていて、どういうことだ、という考察をべつの友人とする。結論として、うまくいっている、というのは錯覚であったのだろう、ということになった。
 夜はかつお。いんげんのごまよごしが、びっくりするほどうまくできた。

日
5月12日
金曜日

 ビーフシチュウを作る。締め切りひとつ。

日
5月14日
日曜日

 鎌倉で、昨年なくなった平岡篤頼先生の一周忌。平岡先生はフランス文学の翻訳者であり、小説家でもあり、私の母校の先生でもあった。早稲田文学という雑誌を作った、早稲田文学のまさに父のような人である。私は卒論を平岡先生に見てもらった。
 一周忌には、だから早稲田文学の関係者がたくさん集まる。五十代から三十代の編集者や評論家や作家など。この人たち、集まると何か、子どものようであ る。この人たちがいるとその場の雰囲気が、いい意味でゆるく崩れる。読経のあとお墓にいっておまいりをし、先生の言葉が入った碑を見て、その後移動して会 食だったのだが、早稲田文学関係者の周辺だけ、わちゃわちゃしている。真剣みというか深刻みというか、そういうのがまったくない。こういう場所ではなんだ か場違いにも見えるのだが、その場違いが半分以上だから全体的に飲み屋みたいな雰囲気になる。それを見るといつも、いいなあ、と思う。先生の作り上げた場 所は、広大な公園のようだと思う。子どもが好き放題に遊べるような。そこでどろんこになってもだれも叱らないような。
 平岡先生は一度芥川賞の候補になったことがあって、そのときテレビの取材を受けていたらしい。「発表の日」のような数分のドキュメンタリーである。会食 の席で、そのビデオ上映会になった。これがたいへんおもしろかった。拍手喝采で見た。このときの芥川賞は該当作なし、である。昭和五十七年のこと。
 このあいだのように何か賞をもらうと、そのたんびに、そのことをもう報告できない人たちを思う。ああ、あの人はもういないんだと、そういうときに深く実感する。本当にさみしい心持ちになる。
 美しい新緑の庭で写真撮影をして、北鎌倉から帰った。

日
5月15日
月曜日

 夕方から地元対談。穂村弘さんと。コロッケのおいしい店でコロッケを買い食いしたり、なじみの古本屋さんでビールを飲んだりして写真を撮る。そのあと、中華料理屋にいく。楽しかったなあ。締め切りふたつ。

日
5月16日
火曜日

 そら豆って、かわいいねえ。とつくづく思う。
 あーんなでっかいのに、皮をぼきっとむくと、ちょっこーんと三粒か四粒くらいの豆しかなくてさ。この三粒か四粒が、妙にふかふかのクッションのなかに、 これまた妙に間隔を開けて、ちーんまりすわっていてさ。寝癖で髪の毛がはねあがったような部分と、にっと笑っているような筋とあってさ。宮沢賢治の童話を 思い出してしまうよ。
 そら豆とじゃが芋と鶏肉の煮込みのような料理を作ったら、これがたいそうおいしかった。コツは砂糖多め、でした。

日
5月17日
水曜日

 夜、麻布のどこかで編集者の方二名とこのまえお知り合いになった若いお嬢さんと、女ばかり四人でごはん。いろんな議題があったが、「ギャップ」についての 話が興味深かった。もての極意はギャップ、という話。でもこのギャップは、下から上への一方向にしか有効ではない。たとえば、料理をまったくつくらなさそ うなつけ爪の女がじつは料理上手、は有効だが、料理がすごく得意なおかんみたいな人がじつは米すら炊けない、では無効、という結論。ていうか、なんの結 論?って話だが。  ともあれ、ずぼらを公言して、それがまったく誇張でも謙遜でもなく、公言通りずぼら、というのは論外であろう(私のこと)。

日
5月18日
木曜日

 ケンミンの焼きビーフンについて。
  ケンミンの焼きビーフンって、おそらく関西圏ではたいへんにポピュラーではないかと思うが、関東圏で有名になったのは、90年前後ではないか。ともあれ、 料理がほとんどできなかったころ(二十代はじめ)、私はケンミンの焼きビーフンと出会った。調理のあまりのかんたんさに度肝を抜かれた。ビーフンにどうい うわけだか味がしみこんでいて、調味料の必要がほとんどないのだ。肉や野菜と炒めて水で蒸してできあがり。  かんたんさもさることながら、その未知のおいしさに取り憑かれ、いっときの私は、ほとんど毎日、焼きビーフンを食べていた。それが五日だったか一週間だ か続いたとき、「あ、もうだめ」という一線を超えた感があった。「あ、もう食いたくない」となってしまったのである。何ものも食べ続けるのはよくない。
 以来、つまり十年以上も、私はケンミンの焼きビーフンを購入しなかった。そのあいだに料理も覚えた。ケンミンに頼らず焼きビーフンを作ることだってできる。
 それが昨日、いきなり「ケンミンの焼きビーフン!」という言葉が頭に響き渡った。そういや、そういう食べものがあり、一時期の私を虜にし、一線を越えさせ、そして消えていった……と私はなつかしく回想し、矢も立てもたまらなくなってケンミンの焼きビーフンを買った。
 なんにも変わっていない。十数年前とまったく同じにかんたん。肉や野菜と炒めて水入れて二分蒸しゃーできあがりですよ。じつに久しぶりのケンミンの焼き ビーフンは、やっぱり未知のおいしさであった。いやー、長いこと忘れていてすまなかった。しかしいくらうまいからといって、もう続けざまに食べることはし ないよ。一線をまた超えちゃうからね。締め切りひとつ。

日
5月19日
金曜日

 仕事終了後、新宿へ。評論家の陣野さんと、N新聞の記者の方と三人で飲む。このお店、予約した時間が決まっているらしく、ビールで乾杯後三十分のうちに、 コース内容のほぼすべて(デザートまで)がテーブルに運ばれてきた。刺身とか揚げ物とか、土鍋ごはんとか焼き魚とか、ふるるんとした白いデザートとか、 ぜーんぶ並べられてみると、食欲ってなくなってしまうものですね。締め切りよっつ。

日
5月20日
土曜日

 私は週休2日なのだが、この日は休日出勤(代休なし)。朝の十時に井の頭公園に集まって、撮影をし、その後焼き鳥のいせやで鼎談。二時過ぎに終了。夏のように暑い一日だった。そして夕方に急激な嵐。嵐のあとにおおきな虹がかかったのを見た。

日
5月22日
月曜日

 12時からマガジンハウスで取材、14時半から銀座七丁目で取材、16時から朝日新聞社で対談、19時半から吉祥寺で打ち合わせ、という、すさまじいスケ ジュールで、朝から、「昼めしをどこに組み入れるか」が最大の懸念であった。私はごはん脅迫観念症で、いつもごはんを食べる時間に食べられないと激しく動 揺し、いつもごはんを食べていない時間に食べることになるとこれもまた激しく動揺する。
 結局10時半にサンドイッチの昼ごはんを食べて、強行スケジュールにのぞんだのだけれど、14時半にすでに腹が減る減る。こりゃまいった、と思うくらい 減る減る。16時からの対談では腹が鳴る鳴る。しかしながらこの対談が、私には本当に目から鱗が落ちる連続で、空腹の苦しみをさほど意識しないですんだ。 大竹昭子さんに、写真のおもしろさ、写真の見方を教わった。すごいなあ、大竹さん。
 18時40分に対談が終わり、吉祥寺にダッシュで向かう。地下鉄のなかで空腹のあまり卒倒しそうになる。東中野ですでに19時半。吉祥寺駅から待ち合わ せの店まで走る走る。腹が鳴る鳴る。こうしてたどり着いた店で飲んだ最初のビールが、べらぼうにうまかった。打ち合わせなのに楽しくて飲み過ぎた。

日
5月23日
火曜日

 関西育ち(というか、まあ大阪)の人は、ソース を使いすぎると思う。私などはソースを一本買ってもほっといたら一年以上ある。「あっ」と思ったときには賞味期限切れで、捨てたりする。中濃とウスターの 違いもよく知らなかった。しかし関西の人は家に中濃・ウスターと常備し、一、二カ月で使い切る。
 関西の人はソース銘柄にも異様に詳しく、そんなひとりから「すっごいおいしい」と聞いたソースを購入。プリンスソース、という(でも作っているのは台東区)。これ、ほんとうにおいしいでやんの。このソースが使いたいから、夜は一口カツにした。締め切りふたつ。

日
5月24日
水曜日

 20日に締め切りの山がすぎて、私の予定ではだいぶ余裕ができるはずであるのに、余裕ないのはどういうことだろう。いろんなことが下手なんだろう、きっと。
 夕方からものすごい雷。空がべかべか光り、ぐわんぐわん雷が落ちる。ああ、こわい。どうなってんだ5月

日
5月25日
木曜日

 午後に取材一件。夕方、地元飲み会。例の、十年以上続く会。今回は、川端賞のお祝いで集まってくれることになったのである。新年会と同じ店にいく。おいしさにのたうちまわりながら、魚を食べる。今回はじめて肉も食べたが、これものたうちまわった。
 メンバーはいつもの、編集者、作家、新聞記者、計十人ほどなのだが、今回は編集者がその会社のアルバイトの男の子を連れてきた。二十四歳。会のなかではぶっちぎりに若い。「ヤング」と命名されていて、おかしかった。「ヤング〜、この肉食べた?」という具合に。
 二軒目の店で全員で西瓜を食べ(奇妙な図だった)、十二時半に解散。締め切りひとつ。

日
5月26日
金曜日

 午後、K社で会議。八時までぶっ通し会議。終わったら空腹でへろへろ。

日
5月29日
月曜日

 毎月恒例、肉の日。内蔵部は近ごろすっかり定例会がないが、この肉の会は、毎月29日に敢行されていて、それはすごいことだと思う。昨日の肉もすばらしく うまかった。またしても肉を中央にして異様に盛り上がる。我を忘れるくらい楽しかった。肉後、どこだか知らない場所に移動して飲んだ。モヒートが百種類く らいある店だった。モヒート、日本ではじめて飲んだ。おいしかった。
 途中、携帯電話でたいへんかなしい知らせを受ける。米原万里さんが亡くなったと、知人の記者が教えてくれた。米原さんとは二年前の読売新聞書評委員会で いっしょで、その縁で、鎌倉のおうちに呼んでいただいたことがある。委員会で米原さんはいつも、何ものもおそれず一瞬の迷いもなく、ものごとの本質をずば ずばとおっしゃって、いつも私は口をぽかんと開けて尊敬のまなざしを送っていた。
 米原さんちには、ものすごくでかい犬が二匹と、ふつうにでかい犬が一匹、さらに猫も五匹いて、遊びにいったとき、私はもう恍惚として彼らと遊ばせても らった。旅先で偶然見つけた、居心地のいいゲストハウスみたいなおうちだった。米原さんは強くてやさしい人だった。知り合いのだれかに会えなくなるという のは、もう本当に本当にいやだ。

日
5月30日
火曜日

 午後、マンダリンホテルで打ち合わせ一件。はじめていったホテルで、しかも近未来みたいで、勝手がわからず、待ち合わせ場所に到達するのに十五分くらいか かった。外国みたいなホテルである。そののち、日本橋三越に移動。五階の台所用品を売っているようなスペースで、トークショーがあるのだ。
「ふでばこ」という雑誌があって、そこにエッセイの連載をしているんだけれど、今日はその「ふでばこ」がフェアをするので、そのお手伝いのトークショーというわけ。
 台所用品売場の真ん中で(正確にはちゃんと「ふでばこ」フェアコーナーができているんだけれど、感覚的にはまあ台所用品売場の真ん中)、椅子を並べ、そ こで対談相手をしてくれる編集者と話すのだが、なんというか「実演販売中」という雰囲気である。実演販売に比べればまったく役にたたない話をして終了。き てくださったみなさんありがとうございました。
 三越本店って、すごーく広いんですな。締め切りひとつ。

日
5月31日
水曜日

 ニューヨーク在住の友人夫婦が一時帰国しているので、夜は彼らとともに飲む。この友人がニューヨークにいってしまったのは十八年くらい前。写真家なんだけ れど、最初のころはどのように暮らしているのかまったくわからなかったが、この十八年のあいだに、スタジオを持ち、結婚もして、たくさん仕事もしている。 えらいなあ。
 雨ばかりの5月よさようなら。締め切りみっつ。あれ、四つかな?

前のページへ 次のページへ
日
アスペクト