アスペクト

つれづれ雑記 角田光代

作家・角田光代さんの日常を綴る日記が、アスペクトONLINEにて連載開始です!怒涛のような締め切りの数々や大好きな肉のこと。見たこと、聞いたこと、会った人、出かけていった旅のこと。角田さんの毎日のつれづれはここでしか、読めません!!

2006年7月6日〜7月31日

日
7月6日
木曜日

 今朝まで、取材旅行にいっていた。タイからマレーシアを経てシンガポール着、というたいへんな旅。タイは6年ぶりだが、ゆっくり見てまわるひまがなく、でも、少し歩いただけで、ああ、タイだタイだ、と思うようなタイっぷりで、私はやっぱりタイが大好きだった。
 マレーシアは15年ぶり、シンガポールは7年ぶり。どの国も変わっているが、芯のところがかわっていない。それはそれですごいことである。
 2日から、ずっと動いているもの(電車とか飛行機とか)の上でしか寝ていないので、体がまだ揺れている。
 夜、友人数人と武道館へ。帰るなり武道館ってのもどうかと思ったのだが、友人がライブをするので、これは見なきゃあかん。すばらしいライブだった。帰り に飲みにいって、体が揺れっぱなしなので早く帰ろうと思うものの、楽しすぎて結局最後までいた。終電で帰宅。久しぶりに揺れない場所で眠る。

日
7月7日
金曜日

 夕方から、霞ヶ関で米原万里さんのお別れ会。何かの 授賞式のようなにぎわい、華やかぶり。「米原さんは無内容で退屈なスピーチが大嫌いだった」という司会者の言葉ではじまる、そうそうたる顔ぶれのスピーチ はさすがにおもしろく、ぜんぜんしめっぽくないお別れの会で、すてきだった。米原さんらしい会だった。
 最後までいたかったのだが、帰国してからずっと体がぐらぐらしているので、やむなく帰る。

日
7月8日
土曜日

 横浜ルミネの有隣堂でサイン会。去年、テレビの番組で訪れた母校の元六年生が、中学生になってきてくれて、うれしかった。きてくださったみなさん、本当にありがとうございました。だれもこないのでは……と思っていたので、とてもうれしかったです。

日
7月9日
日曜日

 焼き肉屋にいくも、また満席で、やむやくお好み焼き屋へ。なんだか最近、焼き肉屋に関して非常についていない。
 取材旅行の前に、私の心の黒船Tさんが、ビートルズの特番に清志郎とチャボが出る、と教えてくれた。こういうときのために私はナントカレコーダーを買っ たのである。ちゃんと録画できていたので、夜にそれを見る。しびれる。ほかのところはほとんどすっ飛ばして、清志郎とチャボが歌うところばかり見た。しび れる。

日
7月10日
月曜日

 昼、うにいくら丼を食べながら考える。
 もし、いくらが納豆ほど激安であったならば、私は今のようにいくらを愛していただろうか。これは数秒もせず答えが出る。イエスである。だって子どものこ ろはいくらが納豆より高いなんて知らないもんね。いくらが3パック100円前後だったら、毎日いくらを食べるよ。通風になってもやめられないよ。
 では、いくらがもしこのような華麗な赤ではなくて、緑だったら。うーん、どうだろうなあ。
 では紫だったら。うーん、さらになんだかむずかしいなあ。
 では紫であるうえに、一粒一粒のなかに、ちいさな目玉がふたつあって、さらにあのちーこいまるが、びっしりと白い毛に覆われていたら。そうしたら、あんまり好きじゃなかったかもしれない。そこまで考えて、少し気持ちが落ち着いた。

日
7月11日
火曜日

 大好きなEちゃんのお誕生日。
 朝六時に起きて、水も飲まずごはんも食べず出かける支度をして、近隣の病院に人間ドックを受けにいく。去年も同じ時期に受けた。健康ランドで支給される ような上下の服を着て、血を採ってもらったりバリウムを飲んだりする。視力がまたよくなっていた。老眼がはじまるのかもしれない。
 お弁当を食べて、脳のMRIを受ける。土曜日に、編集者の人に「工事のような爆音がする」と聞いていたので、覚悟してへんな機械に入る。たしかに、がごがごとものすごい音が聞こえてくる。が、気づいたら爆睡していた。私は睡眠に対してたいへん頑丈な人間である。
 その後、B社のIさん、Kさんと新宿の本屋さんをまわり、サイン本を作らせていただく。紀伊国屋の東口と南口、ジュンク堂とルミネのブックファースト、四軒まわって地元に移動、B社の編集者の方々と、「ドラママチ」の打ち上げ。
 ものすごくごはんのおいしいお店だったのに、午前中に飲んだバリウムがまだ胃を覆っていて、満足に食べられなかった。店を出て、近所に住む編集者Yさんちにおじゃまして、赤ん坊(七カ月)に会わせてもらう。Yさん、少し前は若者だったのに、今は立派な父である。
 早めに帰宅、鏡を見ると、顔に無数のふきでもの。こわいですな、と鏡に向かってつぶやく。

日
7月12日
水曜日

 午後、飯田橋と新宿の真ん中の小笠原伯爵邸で中森じゅあんさんと対談。じゅあんさんはお話がおもしろく、たいへんすてきな方だった。このところ、仕事で、 ホロスコープや手相、人相、風水などを見てもらう機会がたいへんに多く、中森さんも「算命学」という占いをされる方なのでさらりと見てもらったのだが、ど の占いにも共通して言われることがある。人の話を聞かず、喧嘩っ早い、というのがそれ。喧嘩っ早いというか、怒りやすいということ。
 ところでこの伯爵邸のスタッフの人が全員、ものすごおく、なんていうか感じが悪かったのでびっくりした。ぞわぞわと不安になるような感じの悪さだった。 前にごはん食べにきたときは、そんなことはなかったんだけど。蒸し暑いわ忙しいわで、もういやんなっちゃってたんだろう。すてきな場所なのにねえ。
 夜は焼き肉。締め切りふたつ。

日
7月13日
木曜日

 もう梅雨は明けたんじゃないだろうか。
 昼に、いつもいくパスタ屋が休みだったので、その斜め向かいのパスタ屋に入ったら、パスタがまずかった。パスタとか、ハンバーグとか、まずく作る方が難しいものがまずいと、なんか尊敬に似た感慨を覚える。
 これから二カ月近く、暑い暑いと言うことになるんだろうなあ。暑いといえば、「腕を隠す」ということがあるって、こないだはじめて知った。夏に袖のある 服を着ている三十代四十代の人の何人かは「腕を出したくない、から袖のある服を着ている」そうだ。私は今まで、見事とか健康的とか、暗に「ぶっとい」と言 われつつも、暑いときゃー袖無しを着るものだと思っていた。「隠す」という概念がなかった。目から鱗である。隠そうか、と思ってみるが、手持ちの夏の服は だんぜん袖無しなので(私は暑がり)、こうなったらしかたない、隠しません、と思う。見苦しくてすみません。
 と、阿呆なことを書いていたら、心の黒船Tさんから、清志郎が緊急入院したとのメール。11時に公式ホームページで発表があると知り、確認すると、本当に清志郎さんは入院してしまった。ものすごく驚いた。心から回復を祈ります。

日
7月14日
金曜日

 今朝起きて新聞見たら、芥川賞のニュースに「妻は角田(39)」って書いてあって、なんじゃそりゃ、と思う。どんなニュースだい。私が編集長だったらそん な関係のない、つまんないことは書かず、受賞者のことしか書かないけれど、でも一介の物書きにはどうしようもできないですな。でもそんなこと書くなら全員 の「夫はだれ」「妻はだれ」と書けばいいのに。だいたい妻とかそういう言葉が私は嫌いで……と言いはじめると、長くなるので、割愛。面倒な人間だなあ、と 自分のことを思う。二日酔い。

日
7月18日
火曜日

 午後、信濃町で草野満代さんと対談。初対面だったのだが、たいへんにやさしいおもしろい方で、たのしい対談だった。草野さんは私と同い年で、名前もおんなし。なんかうれしい。
 対談後、ビアガーデンでごはんを食べたんだけれど、ここのビアガーデン、途中途中に日本舞踊のショーがある。びっくりした。

日
7月19日
水曜日

 築地で取材、そのままお弁当つきの会議。お弁当はうなぎだった。そういえば日曜日は土用の丑の日ですね。梅をそろそろ干さないと。締め切りふたつ。

日
7月20日
木曜日

 昼ファミリーレストランで打ち合わせ一件。カレーフェアをやっていた。
 今日の夜、友人たちが仕事場に遊びにくるので、午後、買い出しにいく。愛する肉のさとうでステーキ肉を大量に買う。六時から少しずつ人がきて、最終的には九人。友人のひとりからなんとなくうれしい報告を聞き、ピンク色のシャンパンで乾杯する。
 前からうすうす思っていて、今回やっぱり、と気づいたのは、人は案外好んで野菜を食べる。私はふだんのごはんは注意して野菜を組み入れているが(高脂血 症になるから)、人がくるときは、なんとなく野菜じゃ悪いような気がして、肉中心のメニュウになる。たとえば昨日だったら、枝豆、ステーキ(とちょぴっと のクレソン)、豚肉のアスパラ巻き、じゃが芋とベーコンのグラタン風、たことブロッコリーのサラダ、トマトサラダ、刺身もり、いかしゅうまい、なんだけ ど、このなかで純粋に野菜だけで構成された皿は、枝豆とトマトだけである。人が好んでトマトやブロッコリーを食べているのを見ると、新鮮というか、襟を正 したいような気分になる。今度からちゃんと野菜も考慮に入れよう。締め切り4つ。

日
7月21日
金曜日

 人間ドックの結果がくる。AとかBとか、これって本当に成績表みたい。
 尿に血が混じってます。←これ、たぶん、取材旅行から揺れながら帰ってきてへとへとに疲れていたからだと思うなあ。
 中性脂肪が高すぎます。←ああ、去年はなおしたつもりの高脂血症が……。また野菜と魚の日々か。
 低血圧すぎます。←これは昔から。どのくらい低いかってえと、上が80、下が50。高校生のころ、これより低い数値を出して(風邪引いて具合悪かった)、お医者さんが「そんなはずはないっ」と言い、私の腕をぴしぴし叩いて計りなおしていたことがあった。

日
7月23日
日曜日

 土用丑の日。うなぎを食す。夏を乗り切る気持ちになるが、しかし東京は雨続き。夏、知らないうちに終わってるんじゃないか。

日
7月24日
月曜日

 午前中にB社で今回の直木賞のお二方と対談。たのしかったが、じゅうぶんにいろんな話を聞けたかどうかわからない。申し訳なく思う。仕事場に戻って仕事を して、夕方東京にいって読売新聞の方々と、イラストレイターの水上多摩江さんと、夕刊小説終了の打ち上げ。書きためてもすぐに日にちが追いついてしまい、 息切れ気味で仕事をしていたけれど、終わってみればとても短かったような気がする。サイン会や、その他の場所で、いろんな人に夕刊の小説を読んでいます、 と言われ、言われるたびにほかのどんなことよりもうれしかった。おもしろいと言われるともっともっとうれしかった。新聞、はじめてだったから。担当のNさ んが、初回から最終回まで、それはそれはきれいにスクラップブックに貼りつけてくれていて、それを順繰りに見ていったら、泣きそうになった。絵の美しさの せいもある。本当に温度のある、すばらしい絵だった。小説の、稚拙さやときにどろどろした部分、すべて水上さんの絵に救われたのだ。
 東京から神保町に移動して、偶然飲んでいた温泉チームの三人と合流し、畳のお部屋で飲む。たのしかった。締め切りいつつ。

日
7月25日
火曜日

 アエラという雑誌に抗議文を送る。私の名前入りで記事が出ていたのだが、写真も著作からの引用も、まったくの無断転載。しかも、書かれていることはまっ たく事実ではなく、事実ではないくせに、私の本からの引用をまるでコメントのように使って、それらしく書いてある。対談やエッセイなど公の場所で発言した ことを、プライベートに当てはめるのは間違っている。こんなふうに、あちこちから都合のいい引用をつなぎ合わせて、それらしく仕立て上げて記事を作る、こ れじゃあ犯罪者の扱いとまったく変わらない。この雑誌、今まで、取材や原稿に幾度か協力したことがあるだけに、ほとほとかなしくなった。
 しかも使われている写真は、三年前のもので、アエラが料理雑誌を出す際に取材を申し込まれ、でも、そのときは親がほとんど危篤だったり、なのに締め切り がびっしりだったりで、お断りしたところ、「どうしてもどうしても頼む」と粘られて、やむなく了解した取材だった。こちらの好意をこんなかたちで利用され るなんて、信じられない。ジャーナリスト宣言するなら、最低限のルールを守れってんだ。
 これを書いた人は女の作家を馬鹿にしている。今どき男性作家と女性作家を区別(差別)する人がマスコミにいることが驚きである。しかも私のことは作家扱いすらしてくれてない。地味にひたすら仕事をして、作家として認めてもらえない、ということほどかなしいことはない。

日
7月26日
水曜日

 ジムでいっしょのLさん(おないどし)に、とらやの鯵の南蛮漬けが非常においしいと聞く。とらやというのは近所の肉屋で、私はここのコロッケが世界一おい しいと思っている。Lさんはとらやのナムルを買って今日はビビンパにする、と言って帰っていき、その姿を見送っていたらむくむくと鯵の南蛮漬け欲がわいて きて、ジムを終えてまっすぐとらやにいく。売り切れになっていなくてよかった。
 私が鯵の南蛮漬けを食べたくなるのは三年に一度くらいである。食べたいときに作らなくても食べられてよかった。とらやの鯵の南蛮漬け、甘くなくて本当においしかった。鯵、でっかいし。

日
7月27日
木曜日

 午後、日比谷で取材一件、日比谷なのに霞ヶ関で降りてしまって、走る。間に合った。その後、よみうりホールで重松親分と対談。話が苦手な私のために、重松 さんは質問形式にしてくださって、頭が下がる。とてもたのしく、勉強になる対談だった。重松さんが、たった四歳年上とは、どうしても思えない。
 夜は大久保の韓国料理屋で、雑誌プリンツ21の方と、写真家野村佐紀子さんとごはん。佐紀子さんは私と同い年で、撮っている写真も、話も、芯が通ってい てかっこよくてでも少し変人ですてきな人である。雑誌ダ・ヴィンチに掲載されている山岸先生の漫画の話をしていて、プリンツ21の編集長が泣き出してしま い、そのことに感動する。この漫画、私が読んでいない半年ほどのあいだに、そんな展開になっていたとは……。

日
7月28日
金曜日

 夜、高円寺の古本居酒屋で、井上荒野さんのトークショーが行われ、そこにいく。聞き手は、ブコウスキーなどの翻訳もやっている中川五郎さん。トーク ショーって、考えてみれば十五年ぶりくらいだ。ものすごくおもしろかった。小説家を父にもつことゆえの、贅沢と苦悩。家庭での井上光晴、おかあさんの話、 荒野さん自身の創作の軌跡など、本当に興味深いトークショーだった。中川さんの弾き語りもあってお得。大きくないお店なので、二十五人ほどで満席なのが もったいない。
 久しぶりに高円寺を歩いた。パンク青年がいて「おお、高円寺健在」と思う。飲み屋や定食屋の感じも、二十年ほど前と変わっていない、ザ・高円寺である。若き日を思いだし甘酸っぱい、というよりはもうほとんどしょっぺー気持ちになる。締め切りひとつ。

日
7月29日
土曜日

 青山ブックセンターで、三浦しをんさんと対談。しをんさんには月曜日会ったばかりでまた会えてうれしい。書評についての話。一年前も同じ場所で対談をした のだけれど、しをんさんは、本を読む、ということについてたいへんきっぱりした信念を持っている。刺激的で、かつ、おもしろかった。対談後は近所の居酒屋 で宴会。場を移して宴会。一時に近場の人とタクシーに便乗して帰る。

日
7月31日
月曜日

 午前中、料理を作る取材。締め切りが押せ押せで時間がないので、昨夜作ったものを並べ、あと二品作る。仕事場にあるフライパンの使い心地が悪く、うまくいかなかった。恥ずかしい。
 午後、べつの取材一件。のち、肉の会に出かける。毎月29日なのだが、今回はメンバーの都合で31日になった。世田谷にある焼き肉屋で、たいへんに迷 い、十分ほど遅れていった。またしてもすばらしい焼き肉屋であった。肉は肉好きと食べるのがいちばんである。そうぞうしい人々であればあるほどよろしい。 興奮の雄叫びをあげながら食らうのが、いちばんおいしい。締め切りいつつ。

前のページへ 次のページへ
日
アスペクト