アスペクト

つれづれ雑記 角田光代

作家・角田光代さんの日常を綴る日記が、アスペクトONLINEにて連載開始です!怒涛のような締め切りの数々や大好きな肉のこと。見たこと、聞いたこと、会った人、出かけていった旅のこと。角田さんの毎日のつれづれはここでしか、読めません!!

2007年6月1日〜6月30日

日
6月1日
金曜日

 夕方、小石川で坪内さん、元新潮編集長の坂本さんと、幸田文についての鼎談。たいへん勉強になった鼎談であった。坪内さんに日本文学の個人授業をお願いしたくなったほどである。
 鼎談後、みんなで飲めるのを前々から楽しみにしていたのであるが、飼っている鳥の具合が悪いので(老齢)、はやばやと帰る。残念。

日
6月2日
土曜日

 早稲田大学の文学部キャンパスで対談があるので、昼過ぎに家を出る。新宿と早稲田が意外に近いことを知る。大学はずいぶんと様変わりしていた。プレハブみたいな建物が建っているし。しかし緑が多くて、大学というのはいい場所だなあと思ったことである。
 早慶戦(早慶戦がなんであるのか、この年になってはじめて知った)で、だあれも対談なんか聞きにこないのでは、と思ったが、大教室はまあまあ埋まっていた。英語と日本語の、呼称に対するラーマズさんの分析が、じつに興味深かった。私の話なんかなくして、ぜんぶラーマズさんの話でよかったのに、と思った。きてくださったみなさん、ありがとうございました。
 その後、教員レストランというところで打ち上げ。本部キャンパスに向かう道、本部キャンパス、大隈講堂付近もずいぶん様変わりしていてびっくりした。私はその後用があったので、早めに帰る。ラーマズさんのこと、ラマーズさんとみんな呼んでいたが、ラーマズさん、が正しいらしい。

日
6月3日
日曜日

 近所においしいパン屋さんがあると聞いたので、朝、買いにいく。おばあちゃんがやっているちいさな店で、たしかにここのサンドイッチが、家で作る味がしておいしかった。こういう差はたまごサンドで出るな。夜DVDを観ていたら猛烈に眠くなる(映画のせいではなくて、ノートパソコンで観たから)。見終えて眠る。

日
6月4日
月曜日

 十時、開店と同時に駅ビルにいき、取材を受ける。沖縄のトークショーで会った人が取材者のなかにいて、この人はどう見ても沖縄の人なので、東京に遊びにきたのかなと思っていたが、そうではなくて東京の人だった。昼過ぎにもうひとつ取材。ジムで同級生作家Fさんに会う。忙しい、と言うFさんは非常にさわやかであった。締め切りひとつ。

日
6月5日
火曜日

 昨日から今朝にかけてテレビで、大学野球の優勝を祝う学生たち、及びパレード、というような場面をたくさん見た。「ナントカ踊りを踊る学生たち」とか、「新宿に集う学生たち」とか、「神宮からキャンパスまで練り歩く学生たち」とかで、そのナントカ踊りも、練り歩きも恒例らしく、新宿の、彼らが集う場所というのも決まっているらしいのだが、私は早慶戦が何かを三日前に知ったほどで、踊りも練り歩きも新宿の「聖地」とやらもまったく見聞きしたことがなく、私はこの学校出身ということになっていて、自分もそう信じているが、ひょっとして私が通っていたのは違う学校だったのではないか、と不安になった。そういえば、この学校の出身者は賞をもらうと学校から、学校の名の冠されたワインが贈られるらしいのだが、私はもらったこともなく、その存在も知らなかったので、本当に、私は違う学校を出たのかもしれん。

日
6月6日
水曜日

 いつもより早めに家を出てTBSに。朝のラジオ番組に呼んでもらった。よく知っている声の人が、実体を伴って目の前にいると不思議な気持ちになりますね。  仕事を終えて近場のバーにいく。今日は山田詠美さんと奥泉光さんが主催している朗読会にまぜていただくのである。ベースとドラムが入って朗読会というよりセッションのようである。八時開演。山田さん、奥泉さんの朗読を聴きながら、小説というのは音にすると、文字とは違った面があらわれることであることよ、と思う。たいへんに刺激的な朗読会であった。その後、バーで飲む。気がついたら日にちが変わっていた。たのしかった。

日
6月7日
木曜日

 仕事を終えてから六本木へ。防衛庁のあったところに、違う町ができていた。その向かいの中華屋さんで、「八日目の蝉」の打ち上げ。新聞でずっと担当してくださっていたNさんも遠方からいらしてくれたのだが、彼女からたいへん衝撃的な告白を聞く。この衝撃はたいへんよろこばしい衝撃であり、私たちはその話題で至極もりあがることができた。C社Nさん(こちらは男性)なんか、衝撃のあまり、中華屋の特級料理師のコックさんにまでその内容を伝える始末であった。コックさんは意味がわからずぽかーんとしていた。そりゃあそうである。
 近場に住むC社の担当Yさんとともに帰り、ああおいしかった、と家路につく。締め切りひとつ。

日
6月8日
金曜日

 朝の4時ごろ腹痛で目覚め、その後腹痛で眠れなくなる。出勤時間が近づいても、痛みのため起きあがれない。うう〜うう〜とうなっているうち、10時近くなってしまう。うなりながら着替え、うなりながらなんとか仕事場へ。腹をもみさすりながら原稿を送りゲラを送り宅配便をまとめ、耐え難くなってタクシーで病院へ。
 立っていられないほどの痛みなので、病院の保健室みたいなところで寝かせてもらって順番を待ち、待っているあいだになぜか点滴を打たされ、朦朧としているとお医者さんがきた。ロタウィルスということである。ノロウィルスの親戚らしい。薬を買ってよたよたと大通りにいくもタクシーがつかまらず、這うように駅に近づき、タクシー乗り場からタクシーに乗った。
 帰って熱を計ると38度5分。うげえ。寝る。ひたすら寝る。腹はすさまじい痛さ。締め切りひとつ。

日
6月9日
土曜日

 ああ土曜。今日は休みなので一日寝ていられる。熱は少し下がったものの腹はまだ痛い。昨日の熱で髪が浮浪者風になっていた。昨日の熱で全身筋肉痛。
 ネットでロタウィルスを検索したら、ノロの症状+発熱で、感染度は高いが、ふつうの人は抗体を持っているので感染してもなんの問題もないらしい。症状が出るのは乳幼児か老人ということである。人に感染させないらしいことに安心したが、私は乳幼児か老人並みに弱っていたのであろうか。発熱は一日から一日半で終わり、腹痛は一週間くらいで終わると書いてあった。たしかに、昼が過ぎるころ、熱はだいぶ下がった。
 が、食欲はまったくない。のでなんにも食べなかった。昨日もなんにも食べなかったなー。漫画読んで寝て、本読んで寝て、また本読んで寝て、また本読んで寝て、夜眠れなくなって、また本読んだ。しをんさんの新刊、江國さんの新刊、幸田露伴のこわい本、庄司薫の昔の本などを読み、熱はやっぱり7度台でなきゃ困ると思った。8度台にあがると本読めないからね。

日
6月10日
日曜日

 だいぶましになった。ふつうの食事もちょっとできた。しかし油断すると腹痛。つらいっす。東京は大雨洪水注意報が出て、午後になって晴れた。様子を見がてら、遠くのスーパーに買い物にいく。涼しくて気持ちよかった。

日
6月11日
月曜日

 あの激しい腹痛がおさまり、遠くの曇り空を眺める程度のちいさな腹痛になった。私は鋼並みに頑丈であったが、今年はなんだかずいぶんと弱い。四十歳になったからか、なんか体調管理が悪いのか、それともめぐりあわせか。うーん。しかし、「ちっ」と思うのは、今年の発熱関係、ぜんぶ土日に集中している。そして月曜日には仕事可能なまでに回復している。自分の小心さがわかることである。
 注文しておいたアスパラガスがきたので、アスパラ料理。締め切りみっつ。

日
6月12日
火曜日

 夕方、大手町に向かう。約束よりだいぶ早めに着いてしまったので、喫茶店はないかとうつろいたがスターバックスしかなかった。この店、いろんなとこにたくさんあるけど、私はあんまり入ったことがなくて、買い方とかメニュウ名がよくわからず、どきどきしながら冷たい飲み物を買った(大中小を示すらしいアルファベットが何を意味するのか、よくわからなかった)。
 五時にY新聞社でしをんさんと打ち合わせ。しをんさんは大手町なのに黒いゴム草履を履いていてかっこよかった。たしか前新宿で会ったときも黒いゴム草履だった。いや、この草履、しをんさんが履いているとものすごくお洒落な革製に見えるのだが「いや、ゴムですゴム」と、しをんさんがわざわざ教えてくれたのだ。
 ここでいきなり告知をすると、7月8日日曜日、東京ビッグサイトで行われる国際ブックフェアで、読売のブースで、14時半〜15時まで、三浦しをんさんと公開対談をします。書評についての対談です。でも、東京ビッグサイトってどこにあるんでしょうねえ?
 その後、表参道に移動し、時間が大幅にあまったので青山ブックセンターを見る。やっぱすごいなーここ。見ているだけでどんどん時間がたつ。本の並べ方がうまいよね。これ持つのかよ!というくらい、買ってしまったことである。
 それから近隣の店にいき、編集者の方々と打ち合わせをして、は!と気がついたら11時だった。締め切りふたつ。

日
6月13日
水曜日

 友人の誕生日なのでメールを送る。ジムにいく道すがら、穂村さんにばったり会う。晴れていて、なんだか童話のようであった(晴れた道を歩く穂村さんが)。朝ごはんのような夕食を食べる。夜が涼しかった。締め切りひとつ。

日
6月14日
木曜日

 運動をしたのち、近所の飲み屋にいく。友人×2の受賞×2祝い飲み会を、超若者も交えた9名で行う。超若者、というのは未成年くらい若者。ロタ上がりだし、はやくかえろ、と思っていたが、またたのしすぎて閉店までいてしまった。さらに二軒目まで積極的にさがす始末。この二軒目に入るとき、もんのすごーい偶然で編集者Yさんが通りを歩いているのを発見。夜の11時過ぎですよ。しかも9名のうち3人だか4人だかが彼の担当作家。当然彼もひっぱりこんで二軒目。がらんとした座敷で、旅行気分。私は一時すぎに帰ったが、まだ数名が飲んでいた。

日
6月15日
金曜日

 二日酔いなのか、寝不足なのか、よくわからない。週末に予定していた海への旅行に、事情があっていけなくなってかなしい。締め切りふたつ。

日
6月17日
日曜日

 海の旅行隊のおひとりから刺身盛り合わせの写真が送られてくる。うれしいようなくやしいようななんともいえない気持ちで、うー、と思う。今日もちゃんと走った。ipodでな。

日
6月18日
月曜日

 K社Dっちとファミレスで昼飯を食べながら打ち 合わせをする。ファミレスのごはんってたまーに食べると、意外においしいと思う。その後、S社のKさんとHさんが来訪、引継。Kさんはご出産のためお休み にはいる。Kさんはスマートだからかおなかはあんまり目立たなかった。それでは電車で席を譲ってもらえなかろう、と思ったが、今は妊婦バッヂというものが あるのですね。私は昔(五年くらい前か)妊婦バッヂもつけていないのに、子どもに席を譲ってもらったことがある。妊婦だと思われたんだと思う。あの子ども はえらかった。旅行中らしい外国のお子さんであった。しかししょっぺー思い出ではある。
 夜、葱としらす入りの卵焼きが、私の卵焼き史上はじめて、というくらい、うまくできた。「うまく」というのは形成のことである。

日
6月19日
火曜日

 忌野清志郎ファンクラブ通信を熱心に読んでいた ら、尊敬する大人Tさんの正装した姿が。ファンクラブのイベントのときの司会をTさんは勤めていたのであるが、かっこいい写真であった。私もこのイベント にいきたかったんだよなー。いけなかったんだけど。清志郎とのトーク写真もあった。いいなあ。
 午後、歯医者さんにいき、その後帝国ホテルで打ち合わせ、その後小説誌の新人賞。たいへんに刺激的に熱い選考会を経て新人賞の方が決まる。雑誌にも個性があるが、選考会というものにも個性があると思った。締め切りひとつ。

日
6月20日
水曜日

 梅雨入りしたとたん真夏みたいになった。こういうの、空梅雨というのだっけ。空梅雨のあとの猛暑には、ゴキブリが大発生するような気がするんだけど。でも傘を持って歩かなくてすむのはうれしい。
 夕方に仕事場を出て赤坂で打ち合わせ。連れていってもらった店がもーのーすごーいおいしかった。衝撃だった。帰ったら(このおいしいごはんとはまったく 関係なく)急に具合が悪くなり、たいへんな目に。おいしいものを食べる、をプラス10点とすると、具合が悪くなる、がマイナス10点で、なんというか楽あ れば苦あり、という感じですな。締め切りひとつ。

日
6月21日
木曜日

 昨日の夜具合が悪くなったのでおそるおそる仕事をする。そしてジムへいっておそるおそる運動する。私って強迫観念性質だよなあとつくづく思う。具合が悪いなら運動しなきゃいいのにねえ。取り寄せたアスパラが、今日で最後。締め切りひとつ。

日
6月22日
金曜日

 髪を切り、仕事をする。美容院にいくたび思うのだが、美容師の人のていねいにブロウしてくれた髪型は、自分ではぜったいに再現不可。

日
6月23日
土曜日

 土曜だがジムにいく。土曜日のジムは混んでいる んだなあ。月曜日から出張仕事なので、準備をしようと思いつつもできない。夜、近くにできた中華料理屋にいったら、馬鹿うまだった。見かけはそんなにおい しそうに見えないのだが、出てくるもの出てくるものみんなおいしくて感動した。

日
6月24日
日曜日

 昼に表参道で、明日からの取材旅行の打ち合わせ。出発時間が予想外に早くて内心でびびった。帰ってあわてて支度をし、十時に眠る。

日
6月25日
月曜日

 朝四時に起き、五時に家を出る。電車にはふつうに人が乗っていて、酔っている人と、早起きの人がおもしろい具合に混じり合っている。6時半過ぎに取材チームと合流、7時の飛行機で山形へ。9時からいきなし取材はじまる。
 昼に、商店街の蕎麦屋に入ったらメニュウが豊富で、そのなかに「はっこいラーメン」というものがあった。ひゃっこいラーメン、という意味らしい。それを頼むと、本当にひゃっこいラーメンであった。冷たいラーメン、はじめて食べた。
 夜はのどぐろの塩焼きや岩ガキを食べる。おいしくて感動するも、朝が早かったため意識がもうろうとしてきて、体が納豆のように畳に貼りつく。みんなはその後も飲みにいったが、私は先に帰って寝た。

日
6月26日
火曜日

 今日も引き続き取材。羽黒山にのぼる。神社と寺 がごっちゃになった、じつに興味深い山である。夜は米沢牛のすき焼き。腹の皮がぴーんと張りつめるまで食べた。今日は元気だったので、飲みにいくみんなと ともにバーへ。バーテンダーだったご主人が亡くなったあと、ご自分でシェーカーをふるおばあさんの店で、このおばあさんがたいへんに魅力的だった。若い人 と恋愛話をしているうちに、この若い人がいきなり外に出ていって携帯電話で自分の彼女に求婚していた。なぜ今、ここで、というのが最大の謎である。夜、 まったく人の通らない、暗い道を歩いてホテルに帰る。

日
6月27日
水曜日

 今日も引き続き取材。午後に山のなかのお寺にいく。おととい、昨日と、今日はこのお寺に泊まると言うと山形の人はみんな微妙な顔をしていた、そういうなんというか、曰くありげなお寺である。
 夜までかかった取材を終えてごはんを食べ、みんな(たぶん)恐怖のため、延々と飲み続ける。私は一時に寝たが、みんなもっと遅くまで起きていた模様。私は鈍感なので、とくに何も変わったことはなくぐっすりと寝た。

日
6月28日
木曜日

 今日も引き続き取材。これはなんの取材かというと、「遠くへ行きたい」という日曜日のテレビ番組の取材で、遠くに行きたかったから引き受けた仕事である。遠くといってもそんなに遠くではないのがミソの番組のようである。
  テレビの仕事はそんなにないし、苦手なのであんまり受けないが、でも、その数えるほどの仕事のなかで知ったことは、テレビに関わる人たちの熱意と鋼のよう な体力である。本当にすごいことよのう、といつも思う。何かをやりたいと思うことはこんなにも激しい何かなのだなあと思うのだ。今回もそのことに感動し た。夕方に取材が終わり、飛行場でビールを飲み、飛行機に乗って帰る。

日
6月29日
金曜日

 午前中、打ち合わせ一件。初対面の方々と会う。この初対面の方々が、いかに酒好きかわかる打ち合わせであった。真の酒好きの人に会うと、私なんて酒を愛していないかもしれないといつも思う。
 4日間留守にしていたので猛烈に仕事。締め切り三つ。

日
6月30日
土曜日

 知人が会社を設立したので、そのお祝いを選びに隣町にいく。隣町にいったついでにその町のジンギスカン屋に入って夕ごはん。かつて私の仕事場の近くにあり、繁盛していたのに急に姿を消したジンギスカン屋がなつかしい。すばらしい店だったのになー。

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日
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