アスペクト

つれづれ雑記 角田光代

作家・角田光代さんの日常を綴る日記が、アスペクトONLINEにて連載開始です!怒涛のような締め切りの数々や大好きな肉のこと。見たこと、聞いたこと、会った人、出かけていった旅のこと。角田さんの毎日のつれづれはここでしか、読めません!!

2008年7月1日〜7月31日

7月1日
火曜日

 7月……。
 午前中に打ち合わせ一件、その後昼ごはんを食べられないまま銀座に移動して取材。腹が減ったので、許可を得て昼ごはんを食べさせてもらう。あーよかった、あーよかった食べられて。その後所用を済ませて帰る。銀座はどこのデパートでもバーゲンセールがはじまったようで、たいへんにぎやかだった。バーゲンセール、めったにいかないんだけれど(混雑がこわいので)、セール、と聞くとわくわくっとするのはなぜじゃろう。
 夜ごはんに、鶏のさっぱり煮という料理を食べたくなり鶏を買うも、その調理法がわからない。たしか、ミツカン酢にその作り方が書いてあったはず……と、そのためだけにコンビニにいき、買いもしないミツカン酢の首のところについている帯(帯っていうの、なんていうのあのひょろんとした宣伝の紙)を、そうーっとめくると、書かれていたのは別のレシピだった(豚のお酢煮みたいなの)。なので、てきとうに作ったらてきとうな感じでうまかった。ゆで卵がすばらしいことになりますね。酢が食べたいときは疲れているときらしいが、たしかに、7月の予定を考えただけで、(何ひとつまだこなしていないのに)ぐったりと疲れることであるよ。あー海いきたい。
 締め切りひとつ。7月……。

7月2日
水曜日

 キーボードを打っていたら、指ではなくて、手首のちょっと上(パソコンにちょうどのる部分)がみしみしと痛くなった。のでジムにいって運動し、帰ってまた仕事。
 昼休みに買ったかますを、仕事場の冷蔵庫に入れたまま帰宅し、「はっ、おかず!」と気づき、落ちこみつつ、すぐできる生姜焼きに変更した。締め切りひとつ。

7月3日
木曜日

 午前中に仕事場を出て、表参道のホテルにいく。ここで12時から打ち合わせがあるので、もう一件の打ち合わせを11時にし、初対面の方々と会い打ち合わせ。会社で寝袋で眠る話が印象的だった。この打ち合わせ中、隣の席に、先だって晴れがましいことがあったK書店Dっちがあらわれ、「んまー、なんと偶然」と驚きつつも、私も向こうも打ち合わせ中なので黙礼する。打ち合わせしつつ、隣の席の声が聞こえてくるのだが、Dっちの声がやけに渋い低音になっているので、やっぱ晴れがましいことがあると声まで渋くなるのだなーと思う。そして煙草を吸わないDっちが煙草を取り出すのが見え、「んまー、晴れがましいついでに喫煙まではじめてしまったのかー」と驚きつつ打ち合わせを続ける。私のほうの打ち合わせが終わったので、隣のDっちに「打ち合わせですか?」と訊くと、「角田さんはまだ次があるんですか?」と訊き返され、「ええ12時に……」と答えたところで、何かへんだ、とようやく気づく。
 なんとDっちはDっちじゃなかったのだ!その人こそ、私が12時に待ち合わせていたM社のホッシーだったのである。ううー、すごい勘違いである!こんなに本気で人まちがいしたのははじめてかもしれない(いや、はじめてではないや)。
 それで隣のテーブルに移って、M社との打ち合わせをするも、ホッシーがDっちに見えて見えて仕方がない。ホッシーとは初対面ではないのだが、私は別の人をホッシーと信じていた。私の記憶のなかのホッシーはいったいだれなんだろう……。(ところで親しげにホッシーと呼んでいますが、林真理子さんのエッセイにそういう呼び名で登場するので使わせていただきました。)
 打ち合わせ後、外苑前に移動しなきゃならないのだが、時間が空いたので、先だって女子話で盛り上がったときに聞いた、かわいい店にてくてく歩いていってみる。この店、店じゅうが本当にすてきで卒倒しそうになった。魔窟である。このあとの仕事がなければ私はここから出られなかったであろう。
 なんとか脱出し、外苑前のスタジオにいく。今日はここで大沢在昌親分と対談がある。誕生日がいっしょの大沢さんだが、今日話していて、デビューした年齢もいっしょなら、直木賞をもらった年齢もいっしょ、という、すさまじい一致を知る。大沢さん、あいかわらずかっこよかった。その後帰って仕事。昨日持ち帰り忘れた魚を持ち帰り、塩とにんにくとオリーブオイルとレモンをぶっかけて焼く。しかしホッシーとDっち、似ていたなー。

7月4日
金曜日

 手首も脳味噌もじーんと痛むくらい仕事をして都心にいき、エスニック料理屋で女ばかり6人の会。この会の人たちはほんっとうによく食べるが、今回も気持ちがいいほどよく食べていた。思うに、男の人はおんなじ種類のものをたくさん食べられるが、女の人は種類が違えば延々と食べ続けていられるのではないか。この店、はじめていったけれど何を食べてもおいしかった。
 その後みんなは二次会に颯爽と向かっていったが、私はゲラ地獄&グロッキーだったので帰る。締め切りふたつ。

7月5日
土曜日

 キヨシローの会のMさんに呼んでいただき、赤坂にクロマニヨンズのライブを見にいく。赤坂で降りてびっくりした。赤坂ってこんなことになってんの?もうまるっきり外国のようだ。すごい町だ。先だってきたときは、別の出口から出たから、この異様な変わりぶりは目にしなかったのだ。7時からクロマニヨンズ。生ヒロトと生マーシーを見るのは13年ぶりくらいだ。あいかわらずかっこよくてしびれた。それにしてもこの人たちはどうして太らないんだろう。
 終了後、Mさんと近くの韓国料理屋にいく。この店にはメニュウが3個しかなく、そのどれもがおいしかった。韓国にいるように錯覚する店だった。ライブが明日だと勘違いしていたマダムKが合流し、ふくれた腹のままゴールデン街に移動して飲む。たのしい夜であった。

7月6日
日曜日

 昼過ぎに立川にいく。昨日の赤坂も驚いたが、今日の立川も驚いた。この人の多さは何!?そしてこのデパートの多さは何!?さらにデパートの巨大さは何!?いちいちびっくりする。
 今日はオリオン書房で翻訳家の鴻巣友季子さんとトークショー。鴻巣さんのお話は、ものすごく理路整然とてきぱきとすすみ、脳のマッサージを受けている気分になる。もっといろんなことが訊きたかったんだけれど、うまく訊けなかった。いらしてくださったみなさん、ありがとうございました。同級生で最近昇進したO兄がきてくれていて、「貫禄が出たねえ」と言ったら「太っただけでしょ」という答えであった。この人の息子、こないだ赤ちゃんだったのにもう小学校6年生だって。その後、打ち上げがあったのだが、私はゲラ地獄&寝不足だったので、後ろ髪どころか後ろの皮膚をぜんぶひっぱられる思いで、泣く泣く帰る。帰ってゲラやってたらなんか忙しさに腹立ってきた。いやいや自分が悪いんだけどね。

7月7日
月曜日

 七夕だ!夕方、韓国の出版社の方が二名きて取材。韓国からきてくれたこのお嬢さんたちは本当に熱心で、韓国語で出ている本はぜんぶ読んできてくれて、ちょっと感激した。全部読んで取材にきてくれるって当たり前のことに思うけど、めったにないのだ(ばかりか、取材対象の一冊ですら「全部読んでないんだけれど」ってわざわざ自己申告する人もいるもんなー。一冊くらい読もうよー、と思います、そういうとき)。その後、都心に移動し、駅から5分の店に向かって歩き出し、あ、これはこのままだと迷うな、と思い駅まで引き返して交番で道を訊くが、正しい道を歩いていたらしい。結局20分くらいで着いた。お祝いの宴会。みんなお祝いだからドレスアップしていて、Tシャツに軍パンでいってしまった私は身が縮こまる思いであった。同じくTシャツに作業パンツのようなズボンできたYちゃんと隅っこに座る。すごい勢いで飲んでしまい、二次会でカラオケにいくも、どのように移動したか覚えていない始末である。もちろん楽しい気分だけが残っていてあとは何も覚えていない。気づけば家である。締め切りひとつ。

7月8日
火曜日

 午前中、ものすごい雨だったが、午後にはやんでいた。仕事をむんむんとし、帰りに挽肉を買って煮込みハンバーグとハンバーグシチューの中間のようなものを作る。さらに先だってMさんちにお呼ばれしたとき食べて、のけぞって感動した魚介サラダ(とびっこ入り)を作るが、Mさんには遠く及ばず。Mさんがコツを教えてくれたんだけどなあ。でも、人んちで食べておいしかったものって、再現してもその人んちで食べたほうがぜったいおいしいよね。夜はゲラ。ゲラもう飽きました(でもがんばります)。

7月9日
水曜日

 なくした定期入れが、警視庁遺失物センターに届いているというお知らせを頂いたので、午前中にとりにいく。すごい。何ひとつなくならずそのままの姿で戻ってきた。感動である。どなたかはわかりませんが、届けてくださった方、本当にありがとうございます。その後仕事をし、ジムにいき、汗だくで運動し、冷や奴食べたい、と思って豆腐を買う。ああ、この極肉派が豆腐を食べたいと思うとはねえ……。締め切りふたつ。

7月10日
木曜日

 午前中の新幹線に乗って大阪に向かう。人生2度目の大阪。午後に到着、そのまま山の上にある某大学にいく。ここで知り合いのHさんが先生をやっていて、今日は招かれて学生さんがたに読書について話す。しかしこの大学、途方もなく大きくて、劇場やらガラス工芸室やらがあって、びっくりした。もう一度高校生になったらこの大学に進学したい。
 その後町なかに戻ってきて、打ち上げの鍋を食べる。夏に鍋というのもいいものです。鍋が多すぎ、またうますぎ、喉の下までぱつんぱつんに詰まり、たこ焼きを食べることができなかった。くやしい。ホテルのバーで閉店まで飲んで就寝。

7月11日
金曜日

 午前中に大阪を出て、昼過ぎに仕事場に着く。今日締め切りのものをがつがつと書いて送る。モロヘイヤのスープを作る。モロヘイヤのスープって、鶏とか、ベーコンとか、何か肉系のものをいっしょに入れたほうがおいしいような気がするんだけれど、これは私が肉派だからでしょうか。締め切りみっつ。

7月12日
土曜日

 朝走り、繁華街に出、お茶を飲み、くたびれて帰る。DVDで映画を観たのち、ひとりで近隣のカレー屋にいく。カレー屋のインド人のおじさんは日本語が話せず、でも退屈していたのかあれこれ話しかけてきて、片言英語同士で会話になっているのかわからない会話をし続ける。旅をしている気分になった。羊のカレーはおいしかった。

7月13日
日曜日

 朝走り、掃除をする。夏のように暑い。もう夏なのかなあ。大阪で買ってきたてんてん餃子を焼く。ミステリー仕立てのサザエさんを見つつ食べ、ああ明日から仕事か、と思う。

7月14日
月曜日

 昼過ぎに取材一件、のち、べつの取材一件。終わったら6時。そのまま都心方面にいき、はじめていく店でB社の着流しTさんと美しいOさんと打ち合わせごはん。Tさんは着流しを着ているわけではないのに着流しふうに見えるのである。出てくるもの出てくるもの異様にうまく、ばくばく食らい、途中で驚くほど満腹になったがそれでも食べ続けた。その後、なぜか銀座にいって3人で歌をうたう。気づいたら日付が変わっていた。たのしかった。締め切りふたつ。

7月15日
火曜日

 昨日(ていうか今朝)寝たのが3時で、6時に目覚ましをセットしながら、「これじゃ睡眠時間が3時間だ」と気づき、7時にセットしなおして寝たのだが、それでも足りない。二日酔いと睡眠不足で仕事場にきて、横になりたいがならずがんばって仕事をする。17時だとばかり思っていた約束が、19時で、やむなく2時間ほど残業する羽目に。19時、L社のSさんとテレビ局のIさんが二人とも半ズボンであらわれ、飲みにいく。途中、携帯電話に連絡が入り、荒野さんが直木賞を受賞されたとのこと。やったー、やったー、と小躍りする。早く帰ろうと思っていたが、たのしすぎて気づいたら12時だった。締め切りみっつ。

7月16日
水曜日

 梅雨は明けたのでしょうか。来週、天草出張なので、来週の締め切りのぶんも仕事をする。昨日、おとといと飲み過ぎたので、夜は酒を飲まなかった。しかし酒を飲まない食事というのは、なんと退屈なことであろう。あとへんな感じに水分が足りない。麦茶飲んでいても。これは慣れの問題であろう。パソコンと格闘し、あと一歩というところまで近づいた実感がするのに、うまくいかなかった。あ、小説でなく、設定とかの話。

7月17日
木曜日

 夕食後、またしてもパソコンと格闘し、あと一歩というところまで近づいた感があるのに、うまくいかず。もしかして一歩も近づいていないのだろうか。むーん。締め切りふたつ。

7月18日
金曜日

 来週、天草出張でまるまるいないので、来週のぶんの締め切りも猛烈に終わらせる。ところで、今まで九州にはまったく縁がなく、きっとよほどがんばらなくては九州にはいけないのだろうと考えていたが、今年になって二度目の九州で、うれしい。しかしまた熊本。熊本に、局地的に縁がある今年。仕事後、ジムにいったら滝のような汗である。Tシャツ、ぎゅーっと絞ったら水が出るくらい。水っていうか汗だけど。締め切り6つ。

7月19日
土曜日

 梅雨明け。夏、好きだけど暑いっすね。三連休って知って、ちょっとショックだった。来週の天草の打ち合わせで都心へ。

7月20日
日曜日

 遠くのスーパーまで歩いていったら、ザ・夏!という感じであった。毎年伊豆の海にいっていたころが泣くほどなつかしい。だって今年も海にいけそうもないんだもん。

7月27日
日曜日

 おとといまで仕事で天草にいっていた。九州にはずっと縁がなかったが、今年に入って二回もいくことができた。しかしなぜか両方熊本。さらに、両方、熊本市内を通らず、遠い地へ。熊本城も見ていないし熊本ラーメンも食べていません。
 天草は天気がよくて、唖然とするくらい暑かった。スタッフ一同、サウナ状態の仕事であった。塩の工場を取材にいったんだけれど、ここでもらった塩(すんごくおいしい)をなめながらの仕事であった。スタッフは去年山形にいっしょにいった人たちで、カメラマン氏と音響氏はイタリアのドロミテもいっしょにいった人たちなので、気心が知れていて、たのしかった。去年、山形で、ある意味大活躍を遂げた若きIくんの、その後の話が三晩にわたって披露された。この旅ではもろもろ興味深いことがあったのだが、私がもっとも感銘を受けたのは、Iくんが、島に到着後の昼飯で頼んだ「あら煮定食」である。馬鹿でかい魚の頭が三つ皿にのっているのである。なんの魚かわからないのである。そして驚いたことに、彼は「あら煮」が何かわからずに注文したのである。こういう光景を見ると、世界は広い、人は理解できない、と感動する。
 朝から晩までずーっと仕事だったんだけれど、光景が、理想的な夏休みのようだった。泳ぎたかったなあ。
 それで今日は、朝起きて走りにいき、途中でS社Kさんと会い、いっしょに走る。Kさんはじつに若々しい格好でするすると走っていた。人といっしょに走るのはなんかたのしいですね。走りながら会話をするのなんて無理だっぺ、と思っていたが、案外話せるものだ。そして、話せるくらいのスピードが有酸素運動としては効果的なのではなかったっけ。
 先週の丑の日に鰻を食べなかったので、夜、鰻。近隣の、大好きだった鰻屋が閉店してしまって、かなしい。遠くまで鰻を買いにいった。そうして夕方と夜の中間、ものすごくでっかい虹が空にかかって、夕日の町がCGみたいに見えた。

7月28日
月曜日

 あーもうまにあわない、あーもうまにあわない、と泣きそうになりつつ仕事。やってもやってもまにあわない。でも5時になったので豚肉を買って帰る。電車が人身事故で止まっている。ううむ。やってきた激混みの快速で帰る。タイカレーを作る。月末までの締め切りのことを考え、わりと途方に暮れながら洗濯物を干して眠る。

7月29日
火曜日

 午前中に仕事場を出、神保町で鼎談、のち、麹町に向かい、次の約束まで40分ほどあったので、S社Iさんと登龍(登竜だっけな)のたんたん麺を食べる。私はここのたんたん麺を愛している。辛くしてください、というと、ラー油の辛さか唐辛子の辛さか訊かれ、ちゃんと辛くなる。ちなみに私は唐辛子の辛さ。大好きだ、ここのたんたん麺!と、愛をほとばしらせながら食らう。のち、Iさんと別れ、文春で取材。なんというかたいへんに気持ちのいい取材であった。取材者の方の才能だろう。文春のサロンで芥川賞をとった楊さんを見かけて「あっ、楊さんだ!」と心のなかで思った。その後、タクシーをぶっ飛ばして学芸大学までいき、料理を作りつつ味見しつつの対談。終わったのは7時半過ぎ。またしてもタクシーをぶっ飛ばして銀座に向かい、29の会。すっかり肉気分だったのだが、無事に着いたら胸がいっぱいになってあんまり食べられなかった。おいしかったのに。磨りガラスの窓が、雷でべかべか光っていた。私は肉のことばかり考え、雷の音を電車の音だと思い、べかべかの光を銀座のネオンだと思っていた。二次会で、地方にいったような感じの店で飲み、三次会にもいく。2時近くに帰る(ほかのみんなは帰らない。この人たちは帰らない)。

7月30日
水曜日

 このあいだ、7月になったことに驚いていたのに、7月ももう終わりじゃん。なんとなく二日酔いの感じのまま仕事をする。急激にビーフンが食べたくなり、昼休み、近くの店に買いにいくも、あの魔法の「ケンミン焼きビーフン」がなかったので、玄米焼きビーフンというものを買った。夜は魚を焼いてビーフンを炒める。夏って、冷や奴を献立に入れると楽なんだよなーと思いつつ、冷や奴を入れ、そしてはたと、冬は湯豆腐を献立に入れれば楽であることに気づき、豆腐って偉大だなあと思った。四十一年目にしてその偉大さをたたえられる豆腐。天草のソルトファームでもらった「ナイス塩ット」で豆腐を食べたら、一生豆腐は塩でいい、とすら思えた。(ちなみにナイス塩ットは携帯用の塩で、本来はゴルフのときとかに塩分がなくなって舐めるもの。)締め切りひとつ。

7月31日
木曜日

 ああ、ついに7月も終わり。月末の、雪崩のような締め切りに立ち向かうべく仕事。とりあえず今日の雪崩はせき止めた、と思ったのでジムにいく。またしても汗がすごいことになる。年若いKさんに自家製野菜をたくさんいただいたので、茄子とししとうの揚げ浸しサラダみたいなものを考案して作ってみたら、存外うまかった。これでもか、と酢を入れるのと、茗荷や葱を入れるのがよかったのだと思う。そして夜にメールをチェックしたら、ひとつ締め切りを忘れていたようだ。わあああああん!!締め切りいつつ。ゼエゼエ。

前のページへ 次のページへ
日
アスペクト